頭がくらくらとしてふわふわとする。 息はきっと酒くさい。たぶん、いま、泣いたり汗をかいたりしたら全部酒の匂いがするんじゃないかってくらい。ああ飲みすぎた、そう思って足立はテーブルの上にこてんとうつぶせになってみる。ビールの缶や惣菜のパック、皿が散らばったテーブル。ああなんて生活感あふるるんだろう。 自分にはまったく縁がない。 呂律の回らない舌でうろ覚えの流行歌を歌って(まかり間違ってもジュネスのテーマソングではない)、すりすりとテーブルに頬と髪を擦りつけてみる。ざらざらとした感触は猫の舌に少し似ていた。 猫の舌なんてほとんど触ったことも舐められたこともないけれど。 飲みすぎたなあ。足立は思う。思考がふわふわと意味不明だ。舌ったらずと言えるかもしれない。 「どーしよ……」 帰れるかなあと思い口に出してみた言葉は案の定、呂律が回っていなかった。 ここまで足立を酔い潰した堂島はといえば、顔を洗いに洗面所まで行っている。だが顔を洗ったくらいであの酔いが醒めるとは思えなかった。 足立よりひどいのだ、堂島の酔っ払いっぷりは。 と、がたん、と派手な音がした。どうやら酔っ払いのご帰還らしい。 「おー……うあー……」 意味のわからない声を上げつつ堂島が居間にやってくる。顔はちゃんと拭いていないのか、ところどころが濡れていた。白いタオルを首から下げて、よろよろと足立の元まで歩いてくる。 とりあえず立ち上がってそんな堂島を迎えた足立に、堂島は胡乱げな視線を向ける。 「ん。なんだ足立、もう帰ろうってのか」 「え、ちょ、やだなあどーじまさん、違いますってえ」 今帰ったら逮捕だぞ逮捕! 酔っ払いの言葉だが、相手は堂島だ。逆らえば痛い目に遭うだろう。それにこの状態できちんと帰れる自信は足立にはない。 「どーじまさん、まず座りましょ、ね、危ないですから、ね、」 両手を握って言えば、堂島は黒目がちの目で足立をじっと見てくる。どこか居心地の悪くなるその視線に足立が肩を竦めて小さくなったとき、堂島が低い声で言った。 「おい、足立」 「はい? なんすか」 「舌出してみろ」 「……はあ?」 ぽかんとした声が出る。なに言ってんだこのひと、そんな思いでじっと見返してみれば、酔っ払いは不機嫌そうに眉をしかめた。 「いいから出してみろ! 俺の言うことが聞けねえってのか!」 「あああはいはい、わかりましたわかりました! 出します! はい、」 あーん。 そう言って舌を出した足立は上目遣いで堂島を見る。すると堂島は真剣な顔でじっと足立の顔を見ていた。 幾分かの居心地の悪さに足立が舌を引っ込めようとすると、 「あ!?」 舌を指先でつままれ引っ張りだされて、足立は素っ頓狂な声を上げた。ぬるぬると唾液で濡れた舌が熱い指先につままれている。奇妙な感覚と敏感な場所で感じる他人の指の感触に目を白黒させる足立に、堂島は言った。 「俺の名前呼んでみろ、足立」 「ふぁい!?」 「いいから呼んでみろ、ほら早く」 早くと言われても……。 意味がわからず足立は声を絞りだした。 「ろーじまさん……」 沈黙。 まじまじと見つめる堂島の瞳。 どんどんと悪くなる、居心地。 勘弁してほしい、と思った瞬間に爆笑が弾けた。 「……へ?」 「なんだ、おまえ全然呂律が回ってねえじゃねえか足立! 飲みすぎだぞおまえ!」 「……、えーと……」 それはあなたが舌を引っ張ってたからですよ。 大爆笑の拍子に離れた指先を見て、足立は半ば呆然とする。なんだこのひと。テンション高すぎでしょ。 「ははは、あーだーちー……っとー……」 不意に視界が暗くなり、足立がクエスチョンマークを脳裏に浮かべたときだ。 「う、わあっ!!」 堂島が抱きつくように足立の方に倒れ込んできて、そのままどさりと床にもつれて転がってしまった。 「ど、堂島さん!?」 必死に足立は堂島を押しのけようとするが、上に乗られては無理な話だ。それでも足立は力を振り絞って堂島をどかそうとしたが、所詮無駄な努力だった。 「うー……」 「うーじゃなくて……っ、て、わあっ!?」 視界が回る。 背中、それから後頭部。順に衝撃を認識して最後に重さが体温と一緒にじんわりとスーツの布地越しに、 「…………」 はっとした。 慌てて広い背中に腕を回す。 「ど、堂島さん、起きて! 起きてくださいよ、これ、ちょっとマズ……っ」 「足立……」 「ほんとマズいですから、頼みますからほんと、堂島さん、」 「足立ィ……」 「…………ッ」 頭のてっぺんから爪先まで。 ぞわぞわぞわ、と駆け抜ける。 なんて声出すんだ。 癖のあると言われる髪の先まで震える。 「か……勘弁してくださいよぉ……」 情けない声が出た。 心底、願い乞うような、そんな。 腰が意志とは反対に引けて逃げてはみるけど、足立は熱い体の下から抜け出せない。 どっち付かずでいる。 「も、やですって、こんなの……」 肉体はぎりぎりで寸止め、精神的には臨界突破。 とんだ拷問だ、と、 つぶやいた足立の目にたたずむ人影。 「―――――!」 一瞬後、もがき、身を起こそうとするがマウントを取られていては叶わない。 「違っ、こ、これはね、ちが、」 「布団」 「へ!?」 「布団。敷きましたけど」 「ふふふふふとん!?」 「叔父さん。……寝かせないと……」 明日が、と言う少年に間抜け面をさらし、高く裏返った声で答える。 「あーはいはい! だよね、また明日もあるもんね、ここで潰れたらまずいよねっ!」 忙しなく笑う声が虚しい。 「な、なんで近寄ってくるのかな?」 「それだと叔父さんがどかせないし、そもそも足立さん動けないですから……手伝おうかと」 「いっ」 いいよ!と叫ぼうとして喉奥に飲み込む。 「あ、はは……じゃあ、お願いしちゃおうっ、かな」 普通に考えればここでそんな反応は、変だ。 意識してへらっと笑った足立にうなずいて、少年が近づいてくる。顔と耳が赤いのは酔いのせいだと思ってくれ、と考えながら足立は、ひたすらへらへらとした笑みを浮かべていた。 BACK |