「天気予報、見てなかったんですか」
「見てたんだけどついなんていうかその、油断して」
油断って、と言えば刑事はタオルで髪を拭きながら眉を下げて笑う。
朝から曇りだった空は昼頃を過ぎて急に雨を降らせ始めた。この田舎町はどうしてだか天気予報が充実してそして徹底している。朝か晩、どちらかでもきちんとテレビをチェックしていれば万全。だというのに刑事は昼過ぎの雨に全身を濡らされ慌ててここに逃げこんできた。
ごめん、助けて!
情けない声を上げ、猫背を余計に強調する姿勢で手を合わせて頭を下げた。
おおきいのにちいさい。
そんな言葉がぴったりだと思いながら店員用の休憩所へと避難させた。これまでの経緯からして必要だろうと思い用意しておいた、白い新品のタオルを渡してスーツの上着を脱がせて。
ポケットの中味を狭い机に広げて一緒に無事かどうか一つ一つ確認した。隣のやけに真剣で必死な顔がおかしいな、と。
それにまた飴玉がころころと入っていたのにもおかしくなって、噴きだしてしまいちょっとお!だなんて叫ばれて。
「刑事さんって女の人の母性本能くすぐるタイプですよね」
髪をあらかた拭き終え、ため息などついていた刑事はきょとんとした顔をする。
「へ?」
「なんていうか、ほっとけないっていうか。かわいいとか言われません?」
「いや、まず職場が職場だからさ、女の人となんてあんまり接しないし。ないないって」
「じゃ、同僚の人とか。上司さんとか」
「ちょっと、それなんか違うよね!?」
慌てた声を上げるのにまた噴きだしてしまう。またあ!と叫び声。
刑事は二十代も後半に差しかかった頃だろうに、やけに子供じみた喋り方をするのだった。でしょ、とかだよね、だとか、それとあと、語尾を伸ばす。今回のように。
もお、とやはり子供じみて拗ねると刑事はタオルを持った手を膝に置き、ぶちぶちと小さく何だか言っている。
「ほんとに今の若い子ってあれだなあ、なんていうかついてけないよ。すっかり振り回されてるよね? 僕」
「すみませんすみません、怒らないでくださいってば」
「……別に怒ってないけどさ」
「ほら、飴でも食べて機嫌直してくださいよ」
「それ僕のだから!」
結局、短い間に三度も噴きだしてしまった。外から雨音が聞こえてくる。
濡れているのにいつものようにぴんと跳ねた寝ぐせを見て、これは放っておけないタイプだろうとこっそりと思う。それが単なる己への無頓着から発生するもので、愛嬌から来るものではないにしても。
外見では内面の虚無など判断がつかない。だから、見る者は勝手に刑事の人物像を想像するだろう。
人は誰しも、自分の見たいようにものを見る。
真実から目を逸らしたくて意識的にでも。もしくは、無意識にでも。
どちらでも同じこと。
「乾きませんね、タオルで拭いただけじゃ」
「うん、でも大分マシだよ。ありがと、ほんとに助かっちゃった」
膝にタオルを広げ普段より幾分しっとりとした髪で笑った刑事は、
「ってそういえば君、こんなとこ篭ってていいの? お客さんとかさ。来るでしょ。出ないと」
「ああ、大丈夫ですよ。ここ雨の日は暇なんです。ほら、外だって人通りほとんどないでしょう? 車もだから、全然来ないんですよ」
「そう……なんだ?」
微妙に納得の行かない様子で、それでも自分が駆け抜けてきた閑散とした様子の商店街を思いだしたのか刑事は窓の外を見やった。
ガラスを伝っていく水滴は中途で合流し細い河となる。ひっきりなしに雨に濡れる窓はあまり見通しはよくないが、まったく見えないということはないはずだ。
「ほんとだ」
がらがら、と刑事は言い、窓の外へ向けていた目線を戻す。
「ここの人たちは雨が苦手なのかな。こういう日はあんまりお客さん来ませんよ、ほんと」
「苦手かどうかはわからないけど。そうだね、あんまり外に出たくないのかも。出るのが億劫っていうかさ」
「濡れますからね。靴とか」
「あー、濡れるね。僕ももう、靴下までびちょびちょ」
右足を持ち上げて眉を寄せるので、
「脱ぎます? 手伝いますよ」
「え? いや一人で脱げるから! そもそも脱がないよ、なんで脱ぐの」
「いや濡れた靴下とか気持ち悪いかな、って」
「気持ち悪いけどさ、そりゃ。でもなんか」
刑事は軽く苦虫でも噛んだかのような顔をし、
「なんか……人前で裸足になるのとか、恥ずかしくない?」
「―――――うーん。それは人それぞれなんで、僕からはどうとも」
素足にコンプレックスでもあるのだろうか。濡れた靴下を脱いでついでに雨が跳ね上がり重くなったスラックスの裾もまくり上げれば、湿気も解消されて多少は快適になるのではないかと思うのだが。
肌を晒すのが嫌な理由でもあるのか。
けれど詮索はせず逆に、
「刑事さん」
「ん? なに」
「シャツは気持ち悪くないんですか。結構濡れて、透けてますけど」
「え!」
目を見開いて刑事が下を向く。上着を脱いだせいで白いシャツを隠すものはない。ゆるめたネクタイの赤さが差し色になるかのごとく、布地を透かして肌色がうっすらと見えている。
「ちょ、ちょっと気づいてたなら早く言ってよ! 僕全然気づかなかったよ!」
「え、あ、すみません。刑事さんが靴下のこと言うまで思いつきもしませんでした」
「ええー、もう、なにそれー? やっだなーもー……」
どことなく居た堪れない様子で刑事は肩と体を竦めると内側に丸まるかのごとく小さく縮こまる。余計に猫背。
「別に男同士なんだから、そんな過剰反応しなくても」
「そういうんじゃないけどさ、……なんていうか」
「なんていうか?」
「……なんでもないです」
何故か敬語で言うと刑事はそっぽを向いた。少女じみて両腕で上半身を隠すとまでは行かずとも、体を縮め視線を避けている。……肌を晒すのが、そんなにも苦手なのか。
―――――その気持ちはわからなくもないが。
見るなと願うのに見られるのは嫌だろうと、さりげなく視線を外した。
会話はなくなるが、雨音が緩和となり刺々しさや気まずさなどといったものは室内には訪れなかった。
「雨、いつ止むかな」
刑事がぽつり、と雨だれのようにつぶやいた。
身を縮め、顔を上げず床に視線を落としてはいるが不機嫌そうでも不満そうでもない。ただ、少しだけ困った顔をしていた。
「今日は夜までずっと降るみたいですよ」
「だよね。……言ってた」
昼頃から降りだす雨は夜まで続きますが、明日には晴れるでしょう―――――。
「少し弱くなるまでいてもいいかな? そうしたら走っていくからさ」
「明日には晴れるんですから、明日まで雨宿りしていったらどうですか」
「無理だよ、そんなの」
かすかに刑事が笑った。普段のへらりとした笑い方ではなく、困った色を滲ませた笑い方で。
それに笑い返して、
「わかってます」
そう、答えた。

雨が止んでしまえばここにはいられない。雨が止んでしまえば刑事の中から自分の存在は消える。
だから、無理なのだ。

「折りたたみ傘とか、持っておけって堂島さん言ってたなあ」
でもあれ邪魔だしなあ、とこぼす刑事に奥の倉庫にしまってあるビニール傘でも貸してやろうかと一瞬思ったがやめておいた。
この時間が早々に終わってしまうのは、いささかもったいないので。



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