気味の悪い部屋だった。狭くて、ベッドと椅子があって。壁にはべたべたと顔部分が切り抜かれたポスターが貼られている。
天井から吊り下がったスカーフが一番に目を引き、風もないのにそれは揺れていた。
「……こんなところだったのか」
案外ちゃちい。なんというかこう、もっと禍々しいというか化け物が沸いて出て、辺りは真っ暗でだとか外からはそんな場所を想像していた。
女子アナと女子高生、人格破綻した模倣犯を突き落としたテレビの中の世界。
「入ってみると、別に」
単なるドラマのセットみたいだ。それが最終的に辿りついた印象だった。陰惨としてはいるけれどそれだけで、実害がありそうでもない。被害がありそうでもない。どうして、落とした二人は死んだんだろう。
あんな姿になって。
記憶が蘇って少しだけ、顔をしかめた。つられて胃液くらいはせり上がってくるかなと思ったが別にそんなことはなかった。
うん。
慣れてしまうものだ。一度経験してしまえばたぶん、自分は大概のことは慣れてしまうんだろう。
繰り返されれば頭に来るし腹は立つけど、それでもたぶん慣れてはしまうんだろう。そうやって笑って、時々陰で爆発して、また笑って、そんな。そうやってずっとやってきた。
上手く行っていたのにな。
「……ウザったいよ、ほんと」
なんで邪魔が入るんだろう。しかも、よりにもよって最悪のタイミングで、最悪のケースで。
ここに飛ばされたときより最悪だ。小さなミスで安定した道から転落、こんな田舎町に飛ばされてそれでもそこで見つけたっていうのに。それでも、見つけたっていうのにそれを、どうして、あんな子供たちが、台無しにするんだろう。
ゲームにハプニングはつきものだけど今度の件はちょっと面白くなかった。
ぎ、と尻を乗せた椅子が軋む。
背に寄りかかってため息をつくと、組んだ足の膝頭に乗せた肘から力を抜く。さてどうしよう。飛び込んだはいいけれど帰り方がわからない。前のふたりのように死んだら出れるんだろうけど、それは出来れば御免被りたかった。
ほんのわずか。目を閉じて考えて、そのまま長く息を吐いた。
「なんで、ほんとに」
よりによって、あのひとの前でなんて。
「―――――クソ」
閉じていた目を開けて、見開いた。
風景は変わりない。相変わらず三流、B級ホラーテイストのドラマセットの一部分だけを切り取っただけの場所だった。だが、そこに、
「なんだ、」
もう一人。
「なんだよ、おまえ」
もう一人、自分がいた。
癖のついた髪も、だらしないと言われたスーツも、曲がったネクタイも、顔立ちもまるっきり同じ。
違うのは一部分だけ、瞳の色、それだけだった。
「俺は、おまえだよ」
あだちとおるだよ、と口端を上げて金と赤の混じった瞳の自分が笑う。あの、女子アナを。突き落として笑った。
本当に、完全に入ってしまえるのだと笑った、暗い、何も映さない画面に映った自分の顔と同じ顔で。
「は。なん、だよ。何? ここってさ、そういう趣向の場所かなんかなわけ? もうひとりの自分とご対面、とか、そんな」
これじゃあ。
真実、三流ホラーテイストドラマだ。
とりあえず上擦った声で笑う自分を見て、自分が笑う。ゆったり首をかしげ、あのさあ、とつぶやいた。
「別に信じてもらおうなんて思っちゃいないけど、これだけは言っとく。……俺は、おまえだよ」
間違いなく、足立透だ、とあの日に自分が上げた笑い声と同じ、歪んだ声があやすように告げる。瞳がほの暗くちらちらと揺れ。
「山野真由美と小西……早紀、だったかな。二人を殺して、生田目太郎をそそのかして可哀想な犠牲者未満たちを“救って”回らせた。それから、なんだっけ、えーっと……ああ、そうだそうだ、久保ね。下の名前なんだっけ。まあ、それはいいか。とにかくのこのこ出てきた目立ちたがり屋もついでに突き落として―――――」
「もう、いい」
「ん?」
「知ってる、そんなこと、いちいち自分に言われなくたってさ、」
知ってるよ、と自分を見上げる。
「自分のことだから、いちいち言われなくたって、充分知ってる」
その言葉につらつらと語っていた自分は一瞬きょとん、とした顔をすると、弾けたように身を反らせて笑い始めた。
それを見て、自分も笑う。じっとりとシャツを濡らす、冷や汗を背に流しながら。
しばらく笑い続けていた自分は涙目で、笑いすぎたのか腹を抱え語りかけてくる。
粘液が滴るように。
瞳をちらちらと揺らせて。
「うん、そりゃそうだ」
妙にあっけらかんとした調子でまだ目尻に涙を残す自分が笑った。腹を抱えていた手を目元へ持っていき、それを拭う。
「足立透は実に物分かりがいい。そうでなけりゃここまでやってこれなかった」
それは。
この、ゲームのことを言っているのか。
それとも、“足立透”の人生について言っているのだろうか。聞く気は起きなかった。
代わりに聞く。
「それで」
「なに?」
「結局、なんなんだよ。おまえが僕だって言うのは充分わかった。わかってる。それで、一体なんでこんなところに、わざわざ」
「って、それは」
頬に触れてきた自分の手に、びく、と身が竦む。それは間違いなく自分の手だった。近づいてきた顔さえそっくり同じ。自分に迫られるなんていうのは気持ちのいいものじゃない。こんなわけのわからない場所で、わけのわからない状況でなら、もっと。
たまに双子が羨ましいとかいう人間がいるけれど、なら一度こんな体験をしてみればいい。二度とそんなこと、言えなくなる。
「儀式としてね。そういうもんみたいなんだ。だから、一応ルールに従ってみたってとこかな。あのガキ共も同じことしたみたいだよ?」
聞いて、反応する。
ことごとく邪魔をしてきた小憎らしい、ウザったい子供。無駄な正義感に溢れてて本当に、ウザったい。
「自分の暗部? っていうの? そういうのとの対面っていうのかな。それがここに来た人間のルール。……みたいでさ」
別に俺はいけない部分とか影とかじゃなくて間違いなく足立透本人だけど、と自分が笑う。ネクタイが掴まれ、緩く引かれた。
「―――――足立透。おまえは殺人犯で、犯罪者だ。日頃は人畜無害に笑ってるけど、本当はみんな騙してた。ゲームの開始時点、あの女子アナをテレビに落としたときは少し迷ったみたいけど今はすっかり楽しんでるよな。別に、悪いことじゃないけど」
同じ顔がさらに近づく。自分は椅子に座っているからもうひとりの自分は身を屈めて。
まるでキスでも迫られているかのようだった。
「楽しい、すごく楽しい。ゲームはすごく楽しくて仕方ない。あのハプニングには頭に来たけどさ。でも、楽しんでたよな? 知ってるよ。それで今だって楽しくって仕方ない。足立透、……俺。さあ、認めなよ。覚悟を決めちゃいなよ。目を背けても…………」
つぶやいた言葉が聞き取れなかったようで、自分が見つめてくる。
「何?」
「目を背ける? ……なんでそんなことになるわけ」
笑っていた。
頬に手を当てられ、ネクタイを掴まれ顔を寄せられ。金と赤の混じった瞳を見返して、笑う。
「おまえは僕……俺なんだろ? なら、拒む結果なんて、ない」
きょとん、と二度目の表情。それが愉悦に変わるまで、そう時間はかからなかった。
「さすが俺……僕だねえ。物分かりが良くて助かるよ。本当に」
潜めた声が内緒話というかのようにささやいてくる。
「なら、形式通りに儀式をしよう。互いに合意の上だからきっと楽に済む。ちょっとそれなりに負担はかかるかもしれないけど、平気さ。あのガキ共は否定して、拒絶してすったもんだあって痛い目見たみたいだけど、俺たちならスムーズに溶け合える」
進んでいく話にいまいち理解が追いつかず、それでも今さら覆す選択肢はなかった。
だって、目の前にいるのは間違いなく自分だ。なら拒む結論は、ない。
いつの間にか部屋は赤と黒の世界に変わっていた。目に痛い原色。宙に浮いたかのような感覚の中で自分と向き合う。
「力が手に入れば、あんなガキ共簡単に潰せるさ。だから」
ぐい、と顔と顔が寄った。互いに、笑っていた。掴まれたネクタイ。その代わりにとシャツを握りしめる。
溶け合うのだか、喰らい合うのだか。
わからない。
思いながら、頭の中に響いた言葉を、口にしていた。

『―――――マガツ』
重なり、声は響く。
『イザナ、ギ』
体に衝撃が走る。びりびりと重く、痺れる。真っ赤に染まる視界。赤しか見えなくなり、暗転し、そして。

「―――――」
目を開ければそこにはもう、もうひとりの自分はいなかった。
あるのは高揚。それと充実感、わずかな幸福感。
矛盾している。
「あ、はは」
開いたのがわかる。チャンネルが、開いたのが。これで、これで大丈夫だ。これで。
これで、あの、クソガキ共を。
ゲームを、続けられる。
得体の知れなかった世界が今では手に取るように理解出来る。どうやら自分はこの世界に受け入れられた、気に入られたようだ。
「……いや、“俺たち”……かな」
くすくすと笑った。
あの自分は消えてしまったけど、確かに自分の中にいる。笑っているのが聞こえる。
ちょっとうるさいが、そのうちに慣れてしまうだろう。
ずっとそうだったから。
笑って、息をつく。
ただ。
ただ、あの瞬間の様々な悦さに慣れてしまうのは、忘れてしまうのは少しだけ、惜しかった。



―――――れとおまえ



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