ようやっと部活が終わった。汗をタオルで拭きながら宮前は宮本と談笑する。そこにマネージャーが遠くから、
「ミヤ……」
ふたりはそろって振り向く。陸上部の“宮”コンビは動きもばっちり一緒だ。そんなふたりの視線にさらされて、マネージャーはちがうちがうと手を振った。
「ちがう、ミヤじゃなくて……えっと、ややこしいな。宮前くん。あのね、望月くんが」
「望月が?」
あっち、と指さす動きを目で追ってみると、確かにそこに望月の姿があった。宮前の視線に気づいたのか、にっこり笑って首をかしげる。
「さっきからね、ずっと待ってたみたい」
「そうなんだ?」
宮前はタオルを首にかけたまま望月に向かって駆け寄る。さっきまで走りこみをしていたとは思えない軽快さで。
「望月」
名前を呼べば笑顔の最大出力がアップした。まぶしいくらいの笑みを見せてくる。
「おつかれさま!」
「ああ、うん。ありがとう」
宮前もささやかにだが、笑ってみせる。しばらく笑顔で見つめあい、切り出したのは宮前の方だった。
「ずっと待ってたのか」
「うん。本当は帰ろうと思ってたんだけど、君の姿が目に止まったら、つい、ね」
見とれちゃった。無邪気な言葉でまっすぐに好意を告げてくる。それを照れくさいとも感じずに宮前は受け止めた。
望月のこういうところが宮前は好きだ。素直に人に好意を告げられるのはいいことだと思う。
「もう部活は終わりなの?」
「もう終わり。……望月」
「ん?」
なに、という顔で望月が見つめてくる。ブルーの瞳。宮前は言った。
「もう少し待っててくれ。急いで着替えてくるから」
一緒に帰ろう。
「…………!」
耳と尻尾が見える。
宮前はそう思った。
みるみるうちに望月は頬を赤らめると、声もなく何度もぐんぐんぐんとうなずいた。
「うん! うん、待ってる! 僕待ってるよ!」
「ん」
それに宮前もうなずきを返して、先程のような軽快な足取りで部室へと駆けた。早着替えとタフさには自信があるのだ。

「待ったか?」
「ううん!」
ぶんぶんぶんと首を振る。それに笑って、宮前は提案を言ってみる。
「巌戸台まで行かないか。なんだか、腹が減ってさ」
「あそこ、たくさん食べるところがあるもんね」
牛丼定食ラーメンあんみつ。望月は歌うように並べてみせる。
それにバーガーたこやき、と続きながら宮前は歩き出した。
「望月は行きたいところとか?」
「うーん…………宮前くんの行きたいところでいいよ」
「そうなると食べ歩きになるかもしれないけど」
「ええ!」
「冗談」
「なんだ……びっくりし」
「じゃないかもしれない」
「どっちなの!」
笑って望月が宮前の肩を叩く。おおげさによろけてみせて、宮前も笑った。

ドアを開けて外に出る。うーんと伸びをした宮前に、望月が目を丸くして言う。
「本当にお腹が減ってたんだね。替え玉みっつって……すごいなあ」
「そうかな。望月が食べなさすぎなんじゃないのか?」
「僕は普通だよ! ……たぶん」
宮前くん見てると自信がなくなってくるけど、と唇に人差し指を当てて望月がつぶやく。
「……なんか僕、今晩夕飯いらないかも」
「俺は食べるけど」
「まだ食べるの!?」
「今もデザートにあんみつ食べようかどうか迷ってるところ」
「さらっとそんなこと言わないでよ!」
「望月、甘いもの好きだろ?」
「そりゃあ、好きだけどさ……」
でも今はいらない。少ししょぼくれた様子でため息をつく。
「僕は宮前くんを見てるだけで胸がいっぱいだよ」
聞く者が聞けば恋の患い的な言葉を吐いて、望月は下を向いた。宮前はさすがにやりすぎたかな?という顔をする。
順平にもゆかりにもよく驚かれる。その細身のどこに大量の食料が詰まっているのかだとか。燃費が悪いだとか。
だけど仕方ないので許してほしい。タルタロス探索の時に入手した現金はちゃんと全員で分けて、その上でやりくりしているのだから。
横暴リーダーとか言われたくはないし。
「それじゃあ、腹ごなしにどこか行くか」
ぱっと頭の中に老夫婦の顔が浮かぶ。本の匂い。やさしい時間。
「すぐ下にある古本屋だけど。嫌?」
その言葉に、しょぼくれていた望月がぱっと顔を上げる。
「ううん!」
いい反応に宮前はうなずく。こっち、と手招いて階段のてすりに手をかけた。

「静ちゃん」
宮前が入ってきたとたんに顔をゆるませた老夫婦に、宮前は小さく会釈することで挨拶に変える。名前で呼ばれるのは少しくすぐったいけれど、嫌ではなかった。望月―――――と言いかけて後ろを振り向き、宮前はびっしりと並んだ本を見回して感嘆の声を漏らしているその姿を見る。
「すごいなあ……!」
「珍しい?」
「すごく!」
それはよかった。
「静ちゃんのお友達?」
老夫婦がたずねてくる。それにも宮前は小さくうなずいた。
「望月」
呼んで、挨拶をとうながす。気づいた望月はああと声を上げて、慌てたように頭を下げた。
「こんにちは。僕、望月綾時っていいます」
「綾時ちゃんか」
「綾時ちゃんですね」
微笑む老夫婦に、望月はぱっと明るく笑ってみせた。
「なんだかくすぐったいけど、いいなあ」
自分と同じことを思っている、と気づいた時、宮前は思わず噴きだしていた。

「楽しかった!」
買った本を鞄にしまいながら望月が明るく言う。外はすっかり夕暮れだ。
「お土産ももらえたし」
宮前も同じくだ。あの老夫婦は宮前が訪れるとなんのかんのと理由をつけて菓子パンをくれる。宮前にとってはそれがとてもありがたい。
「かにパンってかにが入っているのかな?」
とぼけたことを言う望月。いくらなんでも、そう言いかけて望月の顔が真剣なことに気づく。
「入ってないだろ。そんなこと言ったらフェザーマンRカレーなんてどうなるんだよ」
「あ、宮前くんも見てる? 僕もあれ、結構好きだな」
フェザーマンが入っているのかもね、と冗談でもなさそうに言って、望月は笑う。
……想像してしまった。フェザーマン入りフェザーマンRカレー。
天田少年に出したら泣かれそうだ。
「あのね宮前くん」
「うん?」
隣を歩く望月が、ふと足を止めぽつりと言った。宮前も足を止める。
「さっき古本屋に行くかって聞いて、僕ううんって答えたでしょ」
思い返す。確かに。
「だけどね、本当は古本屋に興味があったわけじゃないんだ。……もちろん、行ってみたら楽しかったよ、すごくね。でも」
宮前は黙って望月の話を聞く。夕焼けが辺りをオレンジ色に染めていく。
「でもね、僕は宮前くんが連れていってくれるならきっとどこだって楽しいんだ」
静かにそう言って、望月は微笑んだ。
宮前はしばらく黙って、それから。
「そうか」
それだけを言って、笑ってみせた。
夕焼けのせいだろうか。とても、望月の笑顔がまぶしいと宮前は思った。



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