「わあ、ほんとにいたんだ!」 ポートアイランド駅、駅前広場外れ。 人気の少ないそこに溌溂とした声が響き渡った。 自分を見て歓声を上げる望月を、きょとんとした顔で見上げる猫。その様子に目をきらきらさせながら、望月はしきりにかわいいなあ、かわいいなあと繰り返した。 携帯プレーヤーをいじりつつ、宮前はそんな望月を見ている。猫を見ている望月を見ている宮前。奇妙な三者を見咎める者は、幸いにもいなかった。 擦り寄ってくる猫の顎を指先でくすぐり、望月は背後の宮前に問いかける。 「随分人懐こいんだね。宮前くんの飼ってる猫なの?」 「いや、たまに来て餌をやったり遊んだりするくらい。本当は寮に連れて帰りたいけど……コロマルがいるし、美鶴先輩にこれ以上迷惑かけるわけにもいかない」 「そうかあ」 残念だね、とこちょこちょ猫をくすぐり、望月は首をかしげる。 「僕も猫は好きだけど、連れては帰れないな」 「住んでるところ、ペット禁止なのか?」 「ん……そんなとこ、かな」 そう言った望月の微妙な表情の変化。宮前はそれに気づいたが、しかし何も言わなかった。 代わりに右手に持った青ひげファーマシーのビニール袋を差し出す。 「だったら時々俺と一緒に来てかまってやればいい。ほら、餌買ってきたからやってみろよ。よく食うんだ、こいつ」 最初は心配になるくらい弱々しかったくせに―――――と目を細めて、宮前は笑った。 望月は振り返りそれを見て、ブルーの瞳でまばたきをした後、同じようににっこりと笑う。 「うん!」 心底嬉しそうにそう答えて、差し出されたビニール袋を受け取った。 「ほんとだ……おまえ、よく食べるねえ」 缶を開けて置いてやったとたん、かつかつと勢いよく食べ始めた猫に目を丸くして望月が驚く。 「まるで宮前くんみたいだ」 本人は悪気はないのだろう。言われた当の宮前も特に反応を見せなかったので、何か問題が起こることはなかった。 「ねえ、宮前くん」 先程の猫のように宮前を見上げて望月が問う。アスファルトにつきそうになったマフラーを首に巻きつけて。 「この猫、名前とかあるの?」 問われた宮前はぱちん、と一度まばたきをして、平坦に答えた。 「ない」 「ええ!」 ぐるん、と目を丸くして望月は立ち上がった。その剣幕に圧されて宮前は少々後ずさる。 「どうして! かわいそうだよ、付けてあげようよ!」 「……なんで?」 「だって、好きな人には名前で呼ばれたいじゃない。きっとこの猫だって宮前くんのこと好きだよ。だから付けてあげなくちゃ。ね?」 少し黙った後、なるほど。と宮前は呟いた。 「ね? そうでしょ、だったらさ」 「なら、望月も考えてくれないか。俺ひとりだとなんか……センスない名前になりそうな気がする」 「そうかなあ」 唇に指先を当てて考えるしぐさを見せると、望月はにっこりと笑った。 「うん、わかった! じゃあ、一緒に考えよう!」 それからしばらくして。 「決まった?」 問いかけてきた望月に、宮前は小さくうなずいた。おまえは?と視線で問いかけるのに、望月は大きくうなずく。 「じゃあ、いっせーのせ、で発表しようよ」 「ん」 うなずいた宮前に満足そうにうなずき返すと、望月はいっせーの、と両手を握って全身に力を込める。 「しーちゃん!」 「あや」 「…………」 「…………」 沈黙が落ちた。ふたりは向かい合って見つめ合う。先に口を開いたのは、望月だった。 「……宮前くん。“あや”って、なに?」 「“あやとき”のあや」 「あやときじゃないよ! 僕はりょうじ! そもそも、なんで僕の名前をこの子につけるの?」 「おまえだってそうだろ。“しーちゃん”ってなんだ、“しーちゃん”って」 「“しずかくん”の“しーちゃん”」 「…………」 「…………」 再び、沈黙。今度先に口を開いたのは、宮前だった。 「好きな奴には名前で呼ばれたいって言ったのは望月だろ?」 「い、言った、けど!」 「だから“あや”。“りょう”でもよかったけど……こいつ、メスだから」 「この子は猫で僕じゃないよ!」 「それなら俺だって俺で猫じゃない」 「だけどかわいいじゃない、“しーちゃん”」 「“あや”だってかわいいだろ」 「だから僕はりょうじだってば!」 確かによく間違えられるけど! そう叫んだ望月は、何かに気づいたようにはっとした表情をして、それからにまりとした笑みを浮かべて宮前を見る。 「宮前くん」 「なに」 「この子に僕の名前をつけて呼ぶってことは……宮前くんは、僕のこと、好きなんだ?」 かいしんの いちげき! 1MORE! 「だってそうだよねえ。そういうことだよねえ。ふうん、そうなんだあ。宮前くんてば、そうなんだあ」 しきりににまにまとして攻め立てるように弾む声で言ってみせる望月を静かな目で見つめると、宮前はさらりと。 「そうだけど。望月、知らなかったのか?」 「―――――」 望月は。 ブルーの瞳を丸くして、左右にかたむけていた首の動きを止めた。 「そもそも俺たち付き合ってる、だろ? だからこうやってちょくちょくあっちに行ったりこっちに行ったり……って、もしかして望月、気づいてなかったのか?」 不思議そうに言う宮前に、望月は答えない。ただただブルーの瞳を丸くして、宮前を見つめている。 「望月?」 重ねて不思議そうに名前を呼んだ時、望月が大音量で絶叫した。 「ずるいっ!!」 今度は宮前が目を丸くする。そんな宮前に、望月はぷりぷりと眉を吊り上げて早口で言い募る。 その勢いと来たらアイギスのマシンガン連射速度も真っ青だった。あっというまに、宮前は蜂の巣にされてしまう。 「僕だって好きだよ! 静くんのこと大好きだよ! それなのに、そんなあっさり言っちゃうなんてずるいっ! 僕の方が好きだよ、好きなんだから! 僕の方がずうっと静くんのことが好きだよ! 静くんが僕のこと好きなのは知ってる! すっごく嬉しいし、どきどきするけどだけど僕の方が好きなんだから! それだけは譲れないよ! 絶対、どんなに言ったって駄目! 僕の方が好き! 好きなんだから! わかった!?」 宮前は、目をぱちくりとさせる。しばらく黙って。 「―――――サンキュ」 そう言って、唇を吊り上げて笑った。 「だけど、俺の方が好きだと思うけどな。綾時?」 礼を言われてぽかん、としていた望月は、その言葉に再び眉を吊り上げる。 「だからあ!」 にゃおん、と猫の鳴き声。 ふたりは揃って足元に視線を落とす。そこには、すっかり存在を忘れ去られた猫が、呆れたような顔をして鼻をひくひくさせていた。 どっちだっていいじゃないですか。そんな顔をして、猫は宮前と望月を見上げている。 「……猫に諭された」 ぽつり、と宮前がつぶやく。それを聞いて、望月が噴きだした。くすくすと笑い出し、やがて堪えきれなくなったように大きな声で笑い出す。宮前も、声を上げて笑い出した。 そうして結局、猫の名前のことはうやむやになってしまったのだけど。 “また、今度来た時に考えよう?” 広場を後にする時ささやいてきた望月に、宮前は笑って小さくうなずいたのだった。 BACK |