「あれ、」
先にその姿を確認したのは足立の方だった。見慣れた高校の学生服。田舎なのに妙にこ洒落た風なデザインのそれを、そろそろその身に馴染ませた少年がゆっくりと歩いてくる。
「どうも、こんにちは」
「堂島さんとこの。よく会うよねえ、なんだか」
笑う足立に少年は顎を引く。
「今日はなにかな。買い物とか。あ、もしかして買い食い? ってまさかね、僕じゃあるまいし」
「買い食いなんですか?」
「え、本気にしたの?」
「嘘なんですか?」
「う、嘘とか言われちゃうといきなり重くなるからやめてよー」
ばたばたと手を振る。両手をかざして、降参と白旗めいた意味も込めて。
言いはしないだろうけれどきっと、何らかのきっかけで上司に伝われば何かとやりにくい。仮にも血縁関係にあるというのに、全然似ていない顔が脳裏に過ぎる。
少年はくすりとさえ笑いもしない。少しだけ目を大きくしたのが唯一の感情表現だった。
この少年は年頃にしてはやけにまっすぐで何というのか、出来すぎているというのか。相手にしていてたまに面食らうことがある。ほら、今回だってそうなのだ。
「俺は……今夜の夕食の材料を、買いに」
ほら。
「ええ、料理するんだ、君!」
わざとらしく驚いてみせる。
「はい。そんなに上手くないですけどたまにはいいかなと思って」
わざとらしく笑ってみせる。
「すごいなー、僕なんてインスタントばっかりだよ。ご相伴に預かりたいなー、なんて、あはは」
わざとらしく。
「足立さんさえよかったら」
「え?」
「足立さんさえよかったら、来てください。菜々子も叔父さんも喜びますし、俺も」
「ええー、いいの!?」

俺も、ってなんなんだ?

笑ってみせながら心の中で毒づく。俺もってなんだ。別にこっちはそっちなんか気になんてしてない。
見ていると、妙に苛立つんだ。知らないけど妙に自分の内のどこかが。突然現われてあの人と一つ屋根の下だとかそんな女の腐ったののみたいな嫉妬が理由じゃない。まさか、そんな。
……言うなら“生理的に受けつけない”。そんな言葉が、しっくり来る。
目の前にするだけで自分を根本から否定されている気がする。言ったこともない言葉が頭の中に沸いては泡のように消えていく。赤と黒と、目に痛い黄色。蔓延していく霧。まだだ。それなのに、頭の中にしつこく繰り返し。
だっていうのにこの子供、いや、ガキと来たら!

「じゃあ、お言葉に甘えて近々お邪魔しちゃおっかな! あっあっ、もちろんそれなりにお土産とか持ってくよ? じゃないと堂島さんに怒られちゃうし!」
「叔父さんのことばっかり聞いてる気がします。足立さんからは」
「うーん、やっぱり共通の話題だからじゃないかな?」
「なら、俺ともっと別の……叔父さん以外の共通の話題が出来たら、また少し違うんですか?」
「かもしれないね」
そんなことあるもんか。
明るく笑いながら外と内で違う言葉を吐く足立に、少年は妙に幼くうなずいた。まっすぐ。
「だったら、話しましょう。たくさん、何か、見つけるために。そうしたら、きっと」
「ん……でもさ、僕、あんまり若い子と話題合わせられる自信、ないよ?」
合わせたくもない。
だっていうのに少年はやたらと澄んだ目で足立を見て、言う。
ウザったい。早くどこかへ行けばいい。足立がそう内心で思っているとは知らずに食い下がる。だなんて必死さも見せないで、涼しげな顔で。
ああ、もうこれだから子供は忌々しいんだ。
「大丈夫です」
根拠のない自信が、ほら。
「俺、足立さんのこと、…………」
少年は何か言いかけて黙ると、手を差し出してくる。
「え? 何?」
「えっと……約、束。の代わりに」
「握手するの? 君と僕が?」
あははは、といっそう明るい声を上げて足立は笑う。沈殿した泥が激しい振動に巻き上がり内心を真っ黒に赤く汚した。
握手、という行為が何故か。
足立の中で異様に特別なものに思えてだから、余計に反吐が出るようだった。
「いやあはっずかしいなー、こんなところでっていうか、君みたいな若い子相手っていうか、それも男の子だしね?」
嫌だっていうんじゃないよ?と内心とはまるっきり正反対の嘘をついて足立は差し出された手を取る。その手は少年の人柄を表すように当然に温かく、吐き気がした。
人の体温なんて。他人の体温なんて。
クソくらえだ。
「はい、じゃあ約束ね」
楽しみにしてるから、と足立は笑ってその手を離す。追従してくる体温を、手を振って振り落としたかったが我慢した。なんて健気な自分だろうと軽い自己陶酔に浸りつつ、足立は首をかしげ声をひそめる。
「ところで」
「…………?」
「堂島さんには内緒ね。僕がここにいたこととか、君と立ち話してたこととか」
「やっぱり、叔父さんの話で終わるんですね」
「あははは」
それはそうだ。
まるでふたりだけの秘密だなんて連想させるような〆方なんてどう考えたって無理だから。
何か、誰か他の要素をどうやったって入れないと。
「それじゃあね、僕はもう行くけど君も早く帰りなよ? 近頃は何かと物騒だから。あ、うん、それを解決するために僕らが働いてるんだけどさ」
「はい。足立さんも、気をつけて」
少年が手を振る。
手を振り返さずに、足立は笑った。

「じゃあね」

おまえになんて二度と会いたくはない、と心の中でそう、吐き捨てて。



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