「ああ、堂島さんとこの」
としか呼ばないのは、その程度にしか思っていないしまかり間違っても特別になんかしたくないからだ。
訂正(というには柔らかすぎる)を受けても、名乗られても次には忘れたふりをするのは、本心と悪意とを隠すため。上司の甥っ子だという少年が足立にとってはむやみやたらと憎たらしい。
少年は春に都会からやって来たという。そんな個人情報めいたことは覚えたくないけれど上司が事あるごとにかけらを撒くのでインプットされてしまった。
上司曰く、おまえと一緒だとかなんとか。なんて腹の立つこと、嬉しいことを同時に無意識に言ってのけるのだからひどいなあと思う。少し笑ってしまう。ひどいひとだ。
確かに足立も都会からこの田舎町にやってきた。飛ばされてきた。それはどうしようもない真実、事実である。思いだせばうんざりするが、別段今となってはどうでもいい事象だ。
矛盾。だからどうした。
まず、子供というのが嫌いだ。
無能なくせに自信だけが無駄にあって、ウザい。目の前にするとうっかりつぶやきそうになってしまう。
表向きは市民の味方、警察であるからそんなことは言えないけれど内心ではいつも渦巻いている。じゃあ無能でなければいいのかというとそうでもない。
矛盾。だから、どうしたと言っている。
「今日も買い物? それとも買い食い、かな」
「少し寄ってみたんです」
「へえ。なんで」
知りたくはないけれどポーズとして聞いてみる。
「…………、」
「あれ。もしかして、聞いちゃいけなかった?」
ああもう。
だから子供は面倒臭い。
黙った少年に気遣う様子を向けて思う。黙るくらいなら目の前に現われるな。
こっちは消えるわけに行かないんだから、そっちが消えればいい。黙ったそのまま、後ろを向いてあっちに行けばいい。だろう?
気まずいだとかそういう建前が必要なら具合が悪くなったとか、適当な理由をつけて
「足立さん」
「え?」
「具合……悪くないですか」
何を。
言っているんだろう、一体。
「え、別に……どこも悪く、ないけど。なんで?」
「頭とか、痛かったりしませんか」
「全然そんなことないよ。どうしたの。ほんと、なんで」
いきなり何を言いだすんだ、このガキは。
急にふつふつと自分でも理不尽だと感じるほどの苛立ちを覚えて、足立は声を上擦らせる。まだだ。まだ、そんな段階じゃないだろう。そんなに憎んでいるわけでもない。ただ目障りなだけで嫌うまでは行かない。
好きか嫌いか、感情は実はそこまで単純じゃなくて無関心というものだってある。
嫌うというのは相手に感情が向いている、多少なりとも気にしてる状態だ。けれど違うはずだ。足立はこの少年にそこまでの感情を抱いてはいないだろう?どうでもいい、数あるうちのひとつ、そういう対象のはずだろう?
「頭が―――――痛かったり、苦しかったり」
少年は語る。
淡々と。
だっていうのに切羽詰って。
「苦しかったり、しませんか」
「……ねえ、君、どうしたの。悪いけどちょっと、言ってることがおかしいよ?」
「…………」
少年の瞳がかすかに揺らいで、いつもまっすぐに足立を見ていた印象のある視線が初めて靴先に落とされる。怪訝な顔をする足立の前で少年は沈黙し、
「すいません」
短く、口にした。
「初めて会ったとき、具合が悪そうだったから。気になって」
言われて思いだす。あの、女子アナの。
いちいち苛立たせる。
「ってそんなのもう結構前でしょ。あとあれについてはあんまり言わないでくれると僕的には有り難いかなあ。なんというか、ちょっとした汚点みたいなものだから、さ」
「すいません」
謝られても腹が立つだけだっていうのに、どうしてわからないのかがわからない。
「うん、現場慣れしてなかった僕も悪いんだけどね、あれは」
何しろ、“はじめて”だった。
「それと……最近暑いし。暑いと、具合も悪くなるじゃないですか」
「それはあるね。でも、それは君も同じじゃない?」
どうしてだろうと足立は思う。
どうしてこの少年は今日に限って粘るのか、どうして自分はこんなにも苛立ちを覚えて、抱え込んでいるのか。
「あ、そうか。だからクーラーのあるここに涼みに来たの? 堂島さんち扇風機しかないもんね、この季節だと辛いよね。僕の家もそうなんだけどさ」
さりげなく他人の、上司の話題を滑り込ませる。何故だかこの少年と会うときは二人きりが多い。だから、せめて仮想存在としてでも、間に。
誰かを。
「学生さんはいいよねえ、制服は堅苦しいけど半袖にはなるからさ。僕たちはほら、どうしたって長袖になっちゃうでしょ。公式な場所だと上着までセットで、もう無理っていうか、しんどすぎ? あはは」
声を立てて笑い流す。軽薄に最近失踪事件が解決したアイドルの真似つきで。
代役が繰り返すドミノ倒しは今のところ止まらずに、ときどき失敗はするけど上手く行っている。
割と大作の予感がする。半年やそこらで完成してしまっては、つまらない。
「……アイス」
「え?」
「食べに行きませんか。商店街の、ホームランバー。友達が好きなんです。だから誘って、一緒に」
「……んー」
何を、言ってるんだろう、本当に。
「君の友達ってほら……あの巽完二? とかでしょ? 正直ちょっと怖いかなって……あ、これ本人と堂島さんには内緒ね! いろいろとさ、マズいから!」
顔の前に片手をかざして拝むポーズを取りながら足立は思う。
何を言ってるんだろう、本当に、この子供は。この、ガキは。
誘って、それで自分がうなずくとでも。子供と連れ立って仲良くアイスなんて食べに行くとでも。
本気で、思ってるんだろうか。
かざした手で悪意が覗きそうな顔が隠れないかと考えつつ、ごめんねと白々しく断った。時計を見る、ふりをする。
「あ、そろそろ戻らなきゃ! まーた堂島さんにどやされちゃうよ」
「…………」
「早く君も帰りなね。日は延びたけど、まだなんとなく物騒だからさ。……それより、夏だからこそ危ないなんてのもあるかな?」
おばけとか。
信じてもいないことを言って笑う。子供にはこの程度がお似合いだろう。
「おばけ……ですか」
「そ、おばけ。夏って言ったら定番でしょ。……っと、そろそろほんとにマズい! それじゃね!」
まだ合流時間までは余裕がある。
それでも足立は自分から涼める場所を出ていく。少年に、背を向ける。

「足立さん」

呼び止められて、振り返った。
そこにいた少年はいつもより少しだけ物憂げな顔をしていて、それがわかる自分が嫌だ、と足立は思った。
「気を、つけてください」
「……何に?」
おばけに?と言ってへらりと足立は笑う。
そんなものはいない。
人を殺すのは人だけ。化け物だって所詮は人から生まれたものだ。かみさまだとか、おばけだとか、そんなものは、いない。
漫画やゲームのような不思議な力があったとして、それを持っているのは、使えるのはどうしたって人間でしかないだろう。
ゲームか、と自分の考えにおかしくなって足立は喉の奥を鳴らした。
「だいじょぶだよ。僕は大人だから」
言って、足立は今度こそ少年に背を向けて歩きだす。
大丈夫。
大人だから、自分の思う通りに上手くゲームを終わらせることくらい、ちゃんと出来る。
苛立つ心を静めもう一度笑うと意識して少年のことを忘れ、初夏の日差しが照らす道に一歩、足立は足を踏みだした。



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