ぼんやりと足立は外を見つめていた。外は雨模様。どうやら天気予報によると、今日は一日中雨らしい。
署を出るとき堂島に言われて持ってきた野暮ったい黒の傘のおかげで濡れる心配はなかったが、雨というのはどうも憂鬱だった。だからといって晴れが好きなわけでもない。好きな天気は?そう聞かれても、別にないとしか言えない。
みんな同じだ。まわりの人間のように変わり映えしない。ただ、その中で雨がなんとなく気に食わなかったのだ、一番。
「……あ」
ぽつりと声を漏らす。ガアアと音がして自動ドアが開き、学生服姿の少年が店内に入ってきたのを足立はちょうどいいタイミングで目撃してしまう。銀色の髪に瞳。外国の血でも混じっているのかという色彩と端正な顔。
雨宮基。
……確か、そんな名前だったか、な。
堂島の甥として紹介されて、名乗られたが足立にはその名を覚える気はなかった。子供は好きではなかったからだ。雨宮はその子供の中でも特に好きではなかった。
足立が子供を嫌う理由は、世の中の何もわかっていないくせにぎゃあぎゃあとうるさく騒いでいるからだ。ケツの青いガキ。大きな声で、笑い声を立てて、歓声を上げる。うるさい。頭が痛くなるくらいだ。
けれど雨宮は静かな子供だった。周囲をうるさい同級生どもに固められているが、大声を上げていたりしているのを見たことがない。
でも。
「やあ、堂島さんとこの」
足立が先に手を上げて挨拶すれば、雨宮は数度まばたきをして軽く会釈した。こんにちは、と低いがよく通る声で挨拶をしてくる。
「どうしたの? 放課後にこんなところに来て……って僕もなんだけどさ、」
ほら、雨宿り。外を示せば透明の傘を持った少年がああ、とうなずく。
「お客も少ないし、落ち着いて休憩もできるってもんだよ」
雨足が強いからか、エレベーターホールに訪れる客は少ない。こんな日に買い物をしなくてもと思っているのだろう。足立だってそうだ。何もこんな日に捜査の真似事なんてしたくない。スラックスの裾に水は跳ねて汚れるし、全体的に体が重い。
まあそんなことはどうだっていいのだけど。
「ね、君は何しに来たの? 買い物?」
稲羽市での足立透の顔と態度で足立はたずねる。人のいい刑事。少し間の抜けた、おっちょこちょいの。
本当はそんなこと聞きたくもないし興味もない。早くここからいなくなってほしいと思う。だが足立はそんなことをもちろん口には出さない。後で面倒なことになるからだ。
「……いえ、買い物じゃなくて……少し、寄ってみただけです」
「へえ、そうなの」
変な奴。
足立は内心でつぶやく。わざわざ雨の日に来るなんて。
子供は子供らしく早く家に帰ればいいのにと思っていると、雨宮は少しうつむいて自分の爪先を見つめた。長めの前髪がその表情を浅く隠す。
「足立さんが」
「え?」
ぼくが、と聞き返す前に雨宮が告げた。外の強い雨音とは違う、静かな低い声で。
「足立さんが、いるかなと思って」
「……え?」
足立は二度目、つぶやいた。なんだこのガキ。なんのつもりだ?
「僕が? え、何か用事でもあった?」
「……いえ、その」
「あ! そうか、また事件とかの話だね? だーめだめ、いくら堂島さんの甥っ子くんでも教えられません。わかるでしょ? 事件って、危険なんだから」
「―――――はい」
物分りのいい返事。
それでさえ何故だか気に障って、足立は小さく舌を弾いた。聞こえないようにだ。ちゅっ、と唾液を含んだ舌は、上顎に一瞬泡を作る。
舌先でそれを押しつぶし、足立はこくんと喉を鳴らした。
「いい? もしも君が危ない目に遭ったら、堂島さんだけじゃなく菜々子ちゃんも、君の友達も悲しむんだから、ね?」
もしそんなことになって大勢の人間が泣くのを見ても、足立の心には何も浮かばないだろう。
だって、この少年に足立は、負の感情しか抱いていないのだから。
それにしてもどうしてこんなにこの少年……雨宮を見ていると苛立つのか。理由がわからずに、わかりたくもなく傘を弄んでいると低い声が足立の鼓膜を震わせる。
知らず背筋がぞくん、とした。
「何?」
「また、ここに来てくれますか」
「……それ、なに、かな?」
どういうこと?
顔を上げながら足立がつぶやくと雨宮もいつの間にか顔を上げていて、銀色の瞳が真っ向から足立を見つめていた。
「足立さんに会いたいんです。少しだけでもいいから話がしたいんです。だからまた、ここに来てくれますか」
「―――――」

気味が悪い!

「どうかなあ……うん、暇だったら来るよ。絶対って約束はできないけど、暇ができたら大抵ここにいるから」
「本当ですか」
「うん、ほんとほんと」
笑顔を作りながら足立は悪態をつく。縛られるのは嫌いだった。それも子供になんて。
それに意味がわからない。僕と話したい?僕に会いたいって?なんで。
でも面倒だから口には出さない。
「……っと、僕、そろそろ行かないと」
わざとらしく時計を見て、嘘をつく。本当はもうちょっといたってばれなかったのだけど、雨宮と一緒にいるよりは外に出た方がましだ。
「じゃあ、ばいばい」
「足立さん」
「ん?」
歩きだしたところで振り返れば、雨宮がじっと見つめてきていた。
そして。
「俺、待ってますから」
足立は目を丸くして雨宮を見つめ。
「うん」
だけど、絶対って約束はしなかったからね。
心の中だけでそうつぶやいて、エレベーターホールを後にした。
自動ドアを開けると雨の音がして気分が余計に憂鬱になる。
雨。雨宮基。
同じ漢字を持つそのどちらも足立は好きではなかった。もし万が一、まかり間違って好かれていたのだとしても。



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