やけに元気な店員は仕事をこなしつつ話しかけてくる。それに適当に相槌を打ってはいたが、内心うざったくてたまらなかった。これが田舎の距離感なのかと思うと行く先が憂鬱で、くだらなくて、本当に、心底。 うざったい。 「―――――でしょ?」 「あ? ……ああ、はあ、ええ」 明るい声。 知らしめるように舌打ちでもしたい気分だったので正直ろくに聞いていなかったから、どうとらえても気の入っていない返事が自然と口からこぼれ落ちた。 それでも店員は人懐こく笑う。 「やっぱり。都会の人から見るとそうでしょうねー、けど田舎は田舎なりにいいところがありますよ。たとえば、自然とか。……あはは、それしかないのかもしれませんけど、実は」 ガソリンスタンドなんてバイト先を選んだ割に、妙に綺麗な顔立ちをした店員は本当に楽しそうに笑う。女じみた顔立ち。せめて女相手だったら話していても少しは楽しいかもしれないが、と考えてすぐ思い直した。 田舎の女なんてきっとたかが知れている。 都会の女だって、ろくなものでもなかったが。……女だけでもなくて、全部、ろくでもなかった。 「お客さんも最初は困ったりするかもしれないですけど、住み慣れれば楽しいことも見つかりますって。うん、人生ってそんなものじゃないかな。生きてればたぶんいつか、何かを見つけたりするのかもしれないし、何かに出会うかもしれない」 「……はあ」 宗教の勧誘か? 苛立ちを覚えるのには足りず、流せるほどささやかでもなくて。 結局はしこりになり余計にささくれていく。目線を靴先に落とそうとしたとき、ふと目の前に白い何かが差し出された。 「―――――」 眉間に皺を寄せ目線を戻してみれば、笑顔と差し出された白い、白い手があった。 いつか資料映像で見た、解剖を待つ台の上に寝かされた死体のような、芯から漂白されたように白い手。 笑顔とはあまりに釣り合わない白い手が差し出されている。 「たとえば、こうやってお客さんと僕が会ったみたいに」 数秒、思考が漂白された。 目の前の手のように。 それが握手を求める動作なのだと気づいたときには既に、手を握られた後だった。温かくもなければ冷たくもない。普通の体温を持つ手だった。けれど何故だか背筋が粟立ち、皮膚に、肉に触れるそれが、 「…………ッ」 「大丈夫ですか?」 後ずさるのに、遅れて声が追いかけてくる。軽い眩暈は柔らかく脳を揺さぶりしばらく判断力を鈍らせた。ここはどこで、自分は誰か。 目の前にいるのは誰なのか。 今、一体何が起こったのか。 「お客さん?」 「、あ、ああ」 呆けた声が出た。まるで霧が晴れるかのごとく眩暈が去る。唐突な襲来と退散に瞬きを繰り返していると、だいじょうぶですか?と聞かれた。 「どうしたんですか? 具合でも? よかったら、奥に狭いですけど休憩所とかあるんで、」 「いや、ちょっとふらついただけなんで……そんな大事でもないし、別に」 「でも車でしょ? 万が一事故ったりなんてしたら危ないじゃないですか」 うるさい。 ガソリンスタンドの休憩所なんてどうしたってガソリン臭くて、おまけに狭いのなら、そんなところにこもっているだけで余計に具合が悪くなりそうじゃないか。 そう思うところだっただろうし、思いかけていた。けれど少し低い位置にある目に見つめられ、 「“もう、あなたひとりの体じゃないんですから”」 「……変なこと言わないでもらえません?」 「だってそうでしょ。“刑事さん”、“もうしばらくしたら新しい職場に就いて”、“新しい生活が始まるんでしょ”。なら、自分の体、大事にしないと。……もうあなたの体は、“あなたひとりの体じゃない”し、“あなたはもうあなたひとりじゃない”」 人懐こく笑っていたはずの顔が、何か別のものに変わり果てたみたいだった。ささやく声もトーンが全然違っていて、何だか。 本当に、死んだ人間かなにか、もしくはそれ以外のとにかく人じゃないなにかと話しているかのようで。 下腹がかすかに熱くなって疼いた。ほんの一瞬だけ。性別上有り得ない、内側に自分ではない第三者を宿した錯覚。 馬鹿げている。 「……うん、」 緩く肩に落ちる髪。店員は人懐こい笑顔を取り戻し、 「見た感じ、さっきより顔色も良くなってますし、これだったら大丈夫っぽい。ですね」 ずれた帽子の位置を直して、覗き込んできた綺麗な顔を綻ばせた。 「いやー、よかったですよ。人間やっぱり健康が一番です。もう少しで終わりますんで、念のためその間、体、休めといてください」 促され車内に戻ろうとする。ドアに手をかけロックが外れる音のした瞬間、 「そういえば刑事さん、こんな噂があるの知ってます?」 ハンドルを握り、これから住むことになる場所に向かって見慣れない景色を流していく。本当に田舎だ。何もない。目につくのは木や、田んぼ、畑ばかりだ。 荷物は先に送ってしまったので小さな鞄ひとつ、あとはほとんど着のみ着のまま。信号待ち、ミラーに映る自分の顔とよれたネクタイを見てふと思った。特に補給なんて必要なかったのに、どうしてガソリンスタンドになど寄ったのだっけ。 思いつく原因はなく、それどころか、ついさっきまで目の前にしていたはずの店員の姿がありがとうございましたー、と元気よく送り出す声だけはかろうじて覚えていたものの、その顔や格好、あらゆる特徴一切合切が記憶から抜け落ちていた。 残されたのは子供が好んで触れ回るレベルの噂話と、手の感触と。 それが自分の手に触れたときの眩暈。 刹那、疼きと熱が蘇り空っぽな内側を滑ってすぐ消える。 信号は青だ。アクセルを踏み、発進する。 やがて目的地に着く頃には通りすがった田舎町の変哲もないガソリンスタンドのことなど、全部さっぱり忘れてしまっていた。 ―――――とおりすがりの BACK |