爪をたてるその仕種は猫のようで、小さく震えるその肩は、あの時に見た小さな子供を思い起こさせた。


***




『共にあれど…』







「…なに」

 荒んだ色を象った宝石は鈍く光る。じっとこちらを見ている筈のその瞳は澱み濁った川の水のようで、汚染されたようなそれは底が見えない。
 埃にまみれた両手は骨が見えるほど細く、筋ばっていた。着ている服もぼろぼろで、痩せた肩が服を支えることが出来ず、ずり落ちている。
 世辞にも、綺麗とは言えないこの子供は青年の無遠慮な視線を避けるようにゆっくりと膝を抱えて座り込んだ。荒れ果てた南エスタミルの裏路地ではさして珍しくも無い光景だが、青年はずっとその子供から目を放すことはなく、その場に立ち尽くしていた。

「…だから、なんだってんだよっ!」

 さすがにずっと凝視されることに苦痛を感じたのか、路地裏にしゃがみこんでいた子供は弾かれたように顔をあげた。
 睨み付けるその瞳には光りが宿る。ぎらりと光るその瞳は獲物を見つけた猫のように一瞬大きく見開かれ、そして焦点を合わせるように眉がひそめられた。
 それでも青年は視線をそらさない。じっと見つめているその瞳は揺らぐことを知らないかのように、じっと同じ場所を見続けている。
 睨み付けていた筈の少年の瞳は、微動だにしない目の前の男に畏怖を抱いたのか、頼りなげに揺れた 。

「お前は至宝の宝を既にもっているのだな」

 先程からだんまりを続けていた男の口から、さらりと飛び出してきた言葉は少年の目を光りあるものへと変えた。
 唐突すぎる言葉と、意味をなさないその内容に。少年は自嘲気味な笑みを浮かべて言葉を放つ。

「何言ってんだかわかんねぇんだけど」

 青年に向かって吐き出された言葉は、シニカルな笑みと共に届いた筈なのに、目の前の青年はやはり無表情のままそこに立っているだけだった。その瞳は少年を見ている。 何をされた訳でも無いのに、逃げ出すこともできずにその場に座り込んだままの子供を、見る青年。

 …どんな感情をもってしても、青年はなに一つ感情を返してこないのだろうか?
 ふと疑問に思い少年は思考を巡らせてみた。…世にも不気味な人間が一人、頭の中に生まれ出ただけで救いも何も無い。
 想像しただけでも、あまり関わりたい人間では無い。そう判断したやいなや、少年は立ち上がり、踵を返してその場を立ち去りたい衝動にかられた。
 

 けれど。


「…!?」

 立ち尽くしたまま、一定の距離を保っていたはずの自分たちの距離は相手の息遣いを感じられるほど近くなっていた。
 慌てて身を引こうとすれば、分かりきっていたとばかりに、制止する腕。
 掌から感じた熱はじわりと広がり、新たな熱を産む。
 近づく吐息に全身の毛が逆立ち、頭の中ではけたたましく鳴り響く鐘の音に、心拍数が高らかにステップを踏み鳴らした。

「なっ…なっ…!!」

 言葉にならない声を発し狼狽する少年を尻目に、青年は今までに見た誰の笑顔よりも魅力的な笑みを少年に見せた。
 銀色のまつげをゆっくりと揺らし、口端を緩ませたその笑みは、少年の目を見開かせるのには充分過ぎるものだった。
 ぱくぱくと酸素を欲しがる金魚のように開いた唇を、闇色のグローブがおおう。そして。
 不自然なほど鮮やかな色をしたその髪にゆっくりと触れた。

「美しい色だな。まさにお前は神に愛された子供」

 話すたびに耳をくすぐる言葉。
 けれど内容は、少年にとっては悲しい言葉。

「な、なに言ってるんだよ…俺がカミサマに愛されてるなら、こんなトコで盗賊紛いなコトなんざしちゃいねえよっ!!」

 流されたく無くてありったけの感情を言葉にする。けれど、目の前の男から笑みは消えず、さらに目を細めて笑うだけだった。
 その笑顔が苦しくて、少年は視線を逸らす。
 もやもやとした言いようの無い気持ちを胸に潜め、ゆっくりと息をついた。けれど動悸は止まることを知らず、さらに加速していくだけだ。

 1番始めに愛を教えてくれる筈の存在は自分を捨てた。その事実が少年を卑屈にさせる。

「…俺は…誰からも愛されてなんかない。俺は……」

 それ以上言葉を紡ぐことが出来ずに、少年は小さな身体を自分で抱きしめた。愛してくれる筈の存在は、痛みしかくれなかった。
 
 あいしかたをしらない自分は、ひていすることしかできない。

 その事実が悲しくて、少年は自分の指に強く力をこめる。細い腕に食い込んだ指先は真っ白になり、血を拒絶する。
 震え、黙り込んでしまった少年をただじっと見つめていた青年はゆっくりと手を延ばし、触れていた前髪から頭の上に手のひらを滑らせる。
 それは、小さな少年を慈しむように抱え込んだ。

「…互いに、辛いな」
「…へ?」

 ぽつりと呟かれた言葉は少年が予想していなかった一言で。
 反射的に顔をあげてみれば、少しだけ眉をひそめて口はしを緩めた男がそこにいた。
 慰める訳でもなく、女々しいと蔑む訳でもなく。
 ただ、同意するその言葉に。
 少年は言いようの無い感情を胸に抱いた。
 嬉しいようなくすぐったいような…ともすれば泣き叫びたいような気持ちにかられる。

 へにゃりと微笑んだ少年は、小さく「ありがとよ」と呟くと、次の瞬間、太陽が顔を出したかのように明るい笑顔を讃えた。
 青年の身体に腕を回して、力強く抱きしめる。

「俺が、アンタの言う神に愛された奴だって言うなら…俺が、カミサマの代わりにアンタを愛してやるよ」

  表情は見えなかった。けれど嫌とも思っていないのか、腕がはねのけられることは無かった。その事実に少しだけ少年は安堵の溜息をつき、再び言葉を紡ぐ。

「…ま、もちろんアンタみたいな美人なら、女もより取り見取りだと思うけどな」

 まくし立てるように吐き出した言葉の後も一向に言葉を紡ごうとしない青年に、少しだけ気恥ずかしさを感じた。
 そっと抱きしめていた腕の力をゆるめ、ほどこうとした刹那。

 撫でられるような感覚を腰に感じた。
 壊れ物を扱うような繊細な触れ方に、神経が集中してしまう。頬の辺りが熱いのは、気のせいじゃ無かった。

「…面白い奴だな、お前は」
「あんなー。俺は一大決心をしたんだけど?」
「…伴侶の金を盗むようなやつでは側に置いておけないな、俺の路銀を返してもらおうか」

 そのひと言に、甘く優しい雰囲気は一変して張り詰めた雰囲気に代わる。
 腕を回していた少年はバレたかと舌を出し、右手に忍ばせていた革袋を青年に投げた。
 先ほどのような甘い表情は露も見せない。きらりと光るその目には、先への希望が輝いていた。

「やはり罠か」
「さすがに、会ったばかりの男なんてご遠慮願うっての」

 可愛い女の子なら別だけど、そんな軽口をたたく少年の表情は力強く生き抜こうとする逞しさを感じた。
 同時に、悲しみも。
 青年は一呼吸置いて言葉を捜すように口元に手をかざし、目を閉じた。
 数秒考え込んで、顔を上げる。そこにはまだ少年が光をたたえて立っていた。

「…あまり、気を張らないことだ」
「…っ!!」

 青年は考えた言葉をそのまま伝えると、ゆっくりと立ち上がった。そして、先ほど少年が奪った革袋とは違う袋の中から取り出す。

「な…なんだよ、これ」
「…路銀をやる訳にはいかないが、これならやる」

 そう言って何の躊躇いもなく投げて寄越したそれは、柔らかな光りを放つ一枚の羽根。

「こ、これって…」
「勇気の証とやらだ。今はこれしか手持ちが無い」
「んなこと言ってねえよ!俺…こんなもの…」

 震える手で羽をつまみ、いやいやと狼狽する少年に、青年は小さく笑う。
 盗賊なのに…そんな考えが浮かんで消える。
 ともすれば少し遊んでやりたい気持ちに駆られるのが、人間というものだろう。青年はため息と共に少しだけ落胆した表情を作った。

「いらないか。割と金になるらしいが」
「だから…っ!!」
「盗賊なのだろう。…気にするな」
「……でも」

 そこまでで、会話が切れる。お互い引こうとしないまま時間だけが過ぎてしまった。
 相変わらず馬鹿正直な目の前の盗賊は、困った表情を全面に押し出して青年を見続けていた。
 遊びすぎたかと頭の中でため息をつき、青年は自分の中では最大級に優しい(と思われる)表情を作り、少年に問いかける。

「盗賊はなんでも盗まなければ気が済まないとでも?」
「んな訳ねーって!貰えるもんはなんでも頂いて…」
「ならそれも手中に納めてくれ」

 もうその羽はいらないと、道具袋の紐を硬く締め、青年はそれを背負いなおした。
 少年はそれでも不安げな表情で青年を見ていたが、全く羽根に関しては取り合う気がないと悟ったのか、手の中で淡く光る七色の羽根を
 ぎゅっと握った。

「…さんきゅ」

 か細い声でそう呟き、俯いた盗賊は耳まで真っ赤に熟れさせている。
 その両手には虹色に光る一枚の羽根。

「…それじゃあな」
「…ありがとう」




******





 そう言って別れたのは、もう何年前の事だろう。
 何度も出会いと別れを繰り返した自分の記憶の中で、なおも色あせない優しい盗賊の少年は、今手中にある。
 腕の中で静かに寝息をたてているジャミルを起こさないようにそっと体を起こせば、闇の中で一際輝いている虹色が目についた。

「律義なものだ」

 キラキラと輝くそれは、確かに昔自分が手渡した勇気の証。それはいまや只の羽根ではなく、一つのパーツとして彩りを加えていた。
 ジャミルと共に駆け抜けてきたのだろう、何年という月日を自分より共にあったことを嬉しく思えど、どこか釈にさわる。
 片時も手放そうとしないそれの一部に何時あの羽根は昇格したのかはわからない。
 けれど、釈とは言え、自分の代わりに心優しい子供を護っていたのだと思えば何故だか誇らしかった。



 紫色をしたその帽子の先端には、今も変わらず勇気の証が風にそよいでいる。




通勤時間に携帯をいじっているときは、メールを返しているか小話を書いてます。
描写が短いのは携帯でいじってるせいもありますが、単に管理人の頭が貧困なだけです(笑)
描写が上手な小説は見ていてとっても為になりますし面白いですよね…!!
そんな上手な方の垢でも煎じて飲んで来い!な駄文で申し訳ないです。
取りあえず、子供ジャミ10歳、グレイ16歳の頃のお話でした〜。



『共にあれど…』