普段は灰色の手袋に隠された白が楽しそうに顔をのぞかせ、その指先がブラッドの右肩にそっと、触れた。びくりとブラッドが身体を震わせるのが可愛くて、エースはふっと唇を緩めた。壁に背中を預け床に座り込むブラッドは、置いていかれた子供のよう。ブラッドと視線の高さを合わせるようにして身体を屈めたエースは、しまりがなく開いた唇を塞いであげるために、キスをした。酸素と断絶されたブラッドの唇は、触れて割って侵入を試みる熱を甘んじて享受する。目を閉じればブラッドが接している世界はエースの舌と、ブラッドの肩を掴む指先だけでいっぱいになる。

 名残すら残さず、やがて世界は再びブラッドとエースを分け隔てる。刹那、境界線をなくしていた2つの輪郭がはっきりと区別される。溶け合った色はまた仕切られ、別々を象徴するものに戻る。その深緑と赤紫の間を行き交うのは、どろりとした熱情。
「………どうして、私なんだ」
 問うても仕方のないことを口にするブラッドはエースのこめかみから、たらり、と流れる血から目をそらした。肩をやけに強く掴む優しい左手に自分の右手を重ねた。ブラッドの手だってそんなに小さくはないはずなのに、エースのほうが一回りくらい、ブラッドよりも大きな手のひらをしていた。いつもあの灰色の布に守られているくせに決して綺麗ではないエースの手が、だからこそむしろ愛しいと思った。あえて穢れることを選んでしまった指先。それはもしかしたらつまり世界への裏切りに等しい意味を持っているのかもしれないのに、ブラッドから肉体的な痛みを与えられることを望むという、盲目的な祈りの裏側にある熱情はあまりにも鮮烈で、瞬間的にブラッドを飲み込む。からめとられたブラッドは、身のうちから溢れる衝動に突き動かされ、手をあげる。そればかりを救いも変化もなく繰り返す日々。
「どうして、って、………そこに、理由が必要?」
 エースが空いていたほうの手だけで器用にブラッドのスカーフをほどいた。しゅるりと柔らかく擦れる断末魔の声を小さく響かせて、床に落とされる。つなぎとめるモノをなくして空気に触れる鎖骨に、唇を落とした。こめかみから頬を伝って唇まで血が流れたのか、ぬるりという感覚があった。
 ブラッドの鼓動の音が皮膚を通じてエースを揺らす。エースの茶色の髪にブラッドは鼻先まで埋もれる。鼻の粘膜から入り込んだエースの匂いが脳髄のさらに奥まで届く。
「いいや、安心したよ」
 エースの左手に重ねていた右手を離して、何も持たなくなった両の腕でエースの身体を抱き寄せた。驚いたのか、ブラッドの肌からエースの唇が離れたのがわかった。
 こんな風に優しくエースに触れるのは、あえて云うならば、痛みだけを望むエースへの裏切りなのかもしれない。しかし、ブラッドの指は、エースに血を流させることだけではもう満足できなくて、皮膚の下に流れるエースの熱情を暴いてそれに触れたいと望み始めている。
「理由もなく私を愛してくれているなら、私から離れられるわけがないからな」


つまり裏切りとはその指であり

(彼らにとっての愛とはそういうことで)




(2008/03/01)
Alkalism
little finger cabinet