「って、だからどうしてそこで逃げるんだよ………!」

バイオリンを手にして弾くかまえをゴーランドが見せた瞬間、私の身体は反射的に反応して、耳をふさいでそのまますぐに走り出した。いつもならそうなっても1曲、といくところなのに、今回は違っていた。ヴァイオリンと弓を片手でまとめて持って、空いているほうの手で私の腕をつかんで引き戻した。腕をつかまれた私は耳をふさぐことが出来なくなって、それなのにあの破壊音が聞こえてこなかったから、あれれ、と思って、ゴーランドを見た。
ゴーランドは心底哀しそうな顔で私を見ていた。私が彼の演奏をきかないとき、彼はいつも哀しそうにしてみせるけれど、そういうのじゃあなくて、もっともっと深いモノだったから、その刹那、心臓がとまりそうなくらいに驚いた。なんで私はこんなにこの人を哀しませているんだろう、と感じた。
この人を好きだという自覚はあるし、まあ、そういう関係なのだし、今、私が此処にまだ残っているということはそういうことなのだと、いくらゴーランドだってわかってくれているにきまっている。だから少し甘えていた、と言えないこともないとは思う。うわべだけでも、私がこんな反応をすることを哀しんでいて、つまりそれは、ゴーランドを私が哀しませているということ。好きなのに、哀しませている。考えてみればなんて私って最低なんだろう。だけれど、――だって、今までは、そんな顔しなかったじゃない。

「――っ、………ごめ、ん」

謝る声すら震えてしまうのを自分でも感じた。どうすればいいのか、わからなくなって、ぐるぐると頭のなかでなにかがうずまいて、目の前と脳内が真っ白になっていくのを感じた。どうしよう、どうすればいいんだろう。私はとてつもなく無力で、無力な私の言葉はさらに何の意味ももたないことを思い知らされる。言い訳でも、慰めでも、なんでもいいから言葉にしたいのに、言葉にしてどうにか私の想いを伝えなければ、と必死になっても、どうにもならない。
本当に私はこの人が好きなんだってことを何故か思った。こんな、少しの表情にさえ踊らされている私。ああだから恋なんて、と昔の私なら逃げようとしただろう。だけれど、今となってはもうそれが出来ない。それが出来ないくらいに、ゴーランドのことが好きでしょうがない。そんなことを考えたら余計に泣きそうになって――、

「ちょ、な、なんで泣くんだ…!?」
「……っ、だ、だって………!」
「待て、待て、そんなにイヤだったのか、すまん、すまん!」

ゴーランドが謝ることではない、むしろ全面的に悪いのは私で、だから、だからそれを言わなくちゃいけないのに、それすら言葉にならない。どうすればいい、とりあえず涙をとめたい、でもとまらない。今度は自己嫌悪までが襲ってくる。いやだ、なんでこんなに醜いんだろう、自分。だから、そんな顔しないで、こんな私なんて、ほうっておいてほしいし、そんな風にどうか、優しく抱きしめてなんてこないで。そんな、哀しそうな顔をして、痛そうな顔をして、そんな顔をさせているから私は泣いているのに。ああもう思考まで全部ぐちゃぐちゃだ、どうしよう、どうしよう。
ぎゅう、と私はゴーランドの背中にまわした手で、つよくつよくゴーランドの服を掴む。どうしよう、どうすれば伝わる?どうすればあなたは笑ってくれる?

「………ゴーランド、………好き、ぃ………」

もうどうにもならなくなった私は、何を口走り始めたのか。自分でもわからなくなってきた。もう考えることなんて出来ないのに、それだけどどうにかしなければと焦る私は、気がつけば浮かんだ言葉を全部全部口にしていた。好きで好きで好きで、どうしようもなくて、だから笑って欲しくて、ねえ、どうしよう、どうすればいいの、

「あー、もー…………あんた、………いや、何でもない」

ぎゅう、とゴーランドが私を抱きしめてくれるその温かさが、私をおちつかせていく。ゆっくりと、ゆっくりと。
この人は言葉だけじゃなくて、態度でも、温かさでも、私に思いをつたえてくれる。それなのに、どうして私はこんな。そして、それを純粋に嬉しがっている私がいることも、紛れもない事実。

「………あー……もう、やっぱり、いい。わかった、もう、いい」

ゴーランドがついたため息が私の耳元にかかる。その吐息は哀しいだけのものじゃないような、そんな気がしたから、少しだけ安心した私がいたなんて、そんな自分勝手なこと、言えるわけがない。

「どれだけ好きか、……音楽で表現してやろうとおもったんだがなあ……言葉じゃあ、伝わらない気持ちも、全部あんたにあげたかったんだが………しょうがない、ヴァイオリンを弾こうとすると、あんたから離れなくちゃいけなくなるからな……」




言 葉 だ け じ ゃ 、 つ た わ ら な い 思 い も あ る





(2007/06/11)
(Who is Alice? 投稿作品)
(http://page.freett.com/who_is_alice/)
(title by http://heki.xxxxxxxx.jp/)
(トウミツハニー http://treacle.nobody.jp)
(花咲ミチル)