こんなことなら会いに来るんじゃなかった。
ロマーノはそれだけを思って、すぐに部屋の扉を閉めて、廊下を走り始めた。その部屋から遠ざかれればどうでもよくて、だから何も考えずにひたすらに廊下を走った。走る走る走る。何も考えずに足を動かす。走る走る走る。しかし距離的に遠ざかれば遠ざかるほど、余計にさっきみた光景が頭を離れない。
なんだ、なんだよあれ。
心の中で吐き出したつもりのその言葉は、もしかしたら声になっていたかもしれない。しかしそんなことはどうでもよかった。もう、そんなことを気にしている余裕もなにもなかった。頭のなかがぐちゃぐちゃで、どうしようもなかった。
ロマーノは、まっすぐな広い廊下を、うつむいて、自分の足元だけ見て、独り、走る。前なんて見てられない。顔を上げたら泣き出してしまいそうだった。目の前がくらくらして、息がうまく吸えない。頭のてっぺんからつま先まで、全部が全部、よくわからない1つの感情に支配される。
スペインのことをどう思っているのか。そんなのきまってるはずだった。だって関係は決まってる。
スペインのことは嫌いじゃない、でも別に、とくにそれ以上なんてないはずだった。だって、支配する側と支配される側じゃないか。兄弟と引き離されてまでロマーノは此処にしばられている。だから本当はいますぐにでも逃げ出して、ヴェネチアーノに会いに行きたい。
だけど、あの光景にこんなにも、心が剥がれ落ちそうな気持ちをいただいている自分がいる。これって、どういうこと?
もしも、もしも。もしも捨てられたら。そんな仮定が頭をよぎるだけで、涙がとどめておけなくなる。
結局、ロマーノには何もないのに。彼がもっているのは、祖父が残してくれた遺産だけ。手先も不器用で、戦いに強いわけでもなく、そもそも何をやってもヴェネチーノにすら勝てない。いつか見捨てられて当然、そう思っていたはず、

(なのに)

自分の知らないところで、スペインが誰かと夜を過ごしていることに納得がいかない。どうして。俺がいるのに。俺だって、寂しいのに。それなら傍にいてくれたっていいくせに。
会いたい。それだけを唐突に思った。部屋に行けば会えることは知っている。だって、さっき部屋をのぞいたら、スペインはそこで寝ていた。だけど。だけど隣に居た人を、ロマーノは知らない。
ロマーノは、なにも知らなかった。その人も、スペインが自分をどう思っているのかも、――ロマーノ自身がスペインに抱く感情の名前も、どうしてこんなに涙があふれてきそうなのかも。










  な  に  も  知  ら  な  い  
 (その感情を知るには彼はあまりにも幼すぎる)








(2007/06/16)