「おらスペインとっとと起きて飯つくりやがれ腹減ってんだよこのやろーいつまで寝てやがんだ俺今日は甘いのがいいっつってんだよ」
 マシンガンのように発射される声が乱暴にスペインの意識を夢の世界から掬いあげはじめる。ゆるゆると頭を揺さぶられ、腹部には体重がもろにかかっている。朝の目覚めとしてはなかなかにハードな部類に分類されそうな状況だが、最早それが日常茶飯事となっているスペインはむにゃむにゃと言葉にならない呟きを唱えながらそれを甘んじて受け入れている。
 ロマーノはしばらくそうやってスペインの身体を揺らしていたが、いつまでたってもスペインの何も悩みがなさそうな寝顔が崩れないことについに腹を立て、
「………はーやーくーおーきーろーよー」
ゆるゆる、だった揺さぶりが唐突に、ぶんぶんという手加減の見当たらない激しいものに変わった。
「うおあっ!?」
丁寧に一枚ずつはがされていくように段階を踏んで覚醒をしていたスペインの意識はジェットコースターが頂点から落下していくように現実に引きずりだされる。素っ頓狂な声をあげたスペインに満足したのか、ロマーノはすぐさまスペインを揺さぶる手を離した。
「ようやく起きたか、ったく………寝汚ねぇんだよいっつもいっつも」
 自分だってスペインが起こしてもなかなか起きないことを棚に上げてロマーノがぶつぶつ文句を言う。
 ふわあ、と欠伸を噛み殺しながらスペインが上体を起こす。ずるずると落ちるようにロマーノはスペインの腹部から膝の上のほうへと身体を移動させ、スペインの膝をまたぐように座る形になった。
「今日はやけに早起きやなぁ、ロマーノ……Hola」
「Ciao」ロマーノはそっけなく応え、「それよりいいから朝飯つくれって言ってんだよ」
「朝ごはんな。わかったわかった。つくったるからどいてぇな」
 なにかまだ文句を口にしながらもスペインの身体の上から降りたロマーノはベッドの横に立った。急に身体から重みが離れたことにどうともいえない違和感を覚えながらもまた一つスペインは欠伸をこぼす。それから大きく伸びをした。固まっていた骨が軋むようにほぐれ、朝の静謐な空気が血液に混ざり全身を巡り始める。ああ朝だなあ、と当然のことをぼんやりと思った。それから今日は何をつくろうかと考えを巡らす。
 他の家事一切はほとんどロマーノがやっているが、食事をつくることだけはスペインが担当している。それはロマーノの都合というよりはスペインの希望だった。料理が好きなわけではなくて、自分がつくったものをおいしそうに平らげてくれるのを見るのが好きなんだと言って、スペインはいつも笑顔でロマーノのために料理をつくってくれるのだ。
「昨日の朝は何やったんやっけ」
「クロワッサン」
「あぁ、そうやったそうやった」
 軽やかな動作でベッドから降りたスペインが椅子の背もたれにかけっぱなしにしていた服をはおる。ロマーノは薄い皮膚のすぐ下にあることがわかる骨たちを数えるようにスペインの動作を目で追っている。ひらりと翻る服の裾の白さすら目に焼き付けるようにと無言で。
「甘いのがいいんやったっけ?」
 ロマーノのほうを見ずに身支度を整えるスペインは問うて、ロマーノがそうだ、と短くそれを肯定する声を聞きおわるより前にドア一つ隔てた隣にある洗面所に消えてしまった。
 スペインのいない部屋でぼうっと突っ立っているのも変と思い、ロマーノはスペインのベッドにちょこんと腰かけた。白いシーツの皺に触れると、そこにスペインの汗だとかそう云ったものが残っていて、ロマーノの指先をスペインのあの日溜まりみたいな匂いが撫でた。扉を通して、蛇口から勢いよく溢れ出す水の音を聞きながら、溜息を吐いた。
 朝食をあれだけせがんでおきながら、実際のところ腹はそんなに空いていない。支度するのに時間が多少かかるだろうが、それを待ったところで空くような腹心地でもなかった。食べられないわけでもないが、別にこれといって食べたいとも思わないけれど、何も口にできないわけではない。
(本っ当、こういうの俺らしくねぇ………)
 では何故、腹が減っただとか早く朝食つくれだとかいうことでスペインをせっついたのか。答えは簡単だ。『それ以外に、起こす理由を思いつかなかったから』。
 一人になると急に恥ずかしさと後悔が綯い交ぜになったものがロマーノを襲う。頭を抱えると、うう、といううめき声に似たため息が漏れた。
 スペインが起きるのが遅いせいだと身体の内側で言い訳してみるが、それが陳腐な言い訳であることは充分にわかっていた。そもそもロマーノは誰に言い訳をしているのだろう。スペインに、あるいは、自分自身に――?
「バッカじゃねぇの」
 じたばたみっともなくあがけば余計に自分が子供であることを思い知らされるだけだとわかっていても身体が動くのは子供の証拠なのだと思う。そしてロマーノは鈍感なのかそれとも余裕なのかわからないスペインの焦りのなさと優しさを見せつけられ、その度に自分が恥ずかしくなる。
「本当、バカ」
「誰がバカやって?」
 スペインの苦笑する声がロマーノに言葉を返した。気がつけばさっきまで続いていた水音はいつの間にか止んでいて、顔をあげればそこにはにへらという笑みを浮かべているスペインの顔があった。彼の翡翠のような瞳に揺らぐのはふてぶてしい顔をした、ロマーノ。
「………バーカ」
「はいはい、――もう、ごめんな、許したって、な?」
 スペインの手が伸びてきてくしゃりとロマーノの髪を撫でた。大きな手のひらは簡単にロマーノを甘やかして、ロマーノの中でぐずぐずとくすぶる暗い気持ちはあっけなく取り去ってしまう。まるで夜の闇をその光であっさり消し去ってしまう朝の太陽みたいだとロマーノは思った。
「今日も張り切って、おいしいごはんつくったるからな」
 春の風に吹かれて蕾がほころぶように、スペインが微笑んだ。



Sunny&Honey


(2008/12/19)