「………って、あれ、そういえば、みぬき?こんなにのんびりしてていいの?」 成歩堂のつくった朝食を食べている法介の隣に座ってにこにこと笑っていたみぬきに、彼女の向かい側に座っていた成歩堂がぽつりと言った。ぎく、とみぬきの身体があからさまにびくついたのがわかった。何日ぶりかのまともな食事を地味に感動しながら味わっていた法介が、え、と声を上げた。 「そ、そういえばそうだよ、学校は………?」 普段は奇天烈な服装を貫いているから忘れてしまっているが、みぬきは未だ義務教育を受けている身である。当然、なんでもない平日である今日も中学校で勉強に励むことになるはずだ。 彼女が今着用しているのがおそらく中学の制服なのだろう。見る者に、その制服が公立の中学校のものであるだろうと類推させる、見た目の可愛さを考えないでつくっただろうセーラー服も、みぬきが着ているといっそ新鮮に感じられた。そうやって赤いスカーフを少しでもかわいく見えるようにいじっている姿は、ませた女子中学生そのものだ。 「まだあと5分は大丈夫だもん」 「そうすると遅刻ギリギリだろう、みぬき」 「大丈夫だってば。いつもすごい余裕で着くもん」 成歩道の目を直視しないみぬきは、わざとらしく湯呑を手にして、緑茶にそっと口をつけた。マーガリンがたっぷり塗りたくられた食パンの最後の一口を口に放り込ん咀嚼し終えてから、控え目に成歩堂の言ったことに賛成の意を示す法介。 「そうだよみぬきちゃん。焦って道を歩いていると危ないし――それに、オレ、きっと今日一日、こっちにいるから」 ぱっ、とみぬきが顔をあげて、法介を見た。 「本当ですか!」 「うん。あとで書類とか取りに戻るけど、今日はせっかくだから成歩堂さんに意見聞きながら読もうかと思って」 「本当ですね!約束ですよ!」 法介はもちろん本心からその言葉を口にしたのだが、もし単にみぬきをなだめるための口実として口にしていたら、きっと法介の心はぎりぎりと痛んだだろう。それくらい、みぬきがそのとき浮かべた笑顔はきらきらと眩しいくらいに輝いていた。その笑みを見ていると、法介のほうが今度は笑顔になってしまう。そうやって自分の言葉で幸せになってくれる人がいるということが、なによりも幸せだと思う。 「プリンも食べちゃイヤですからね!………みぬきが帰ってくるまで待っててくださいね!」 大丈夫だよ、と法介が微笑むと、意を決したように頷いたみぬきがすくりと立ち上がった。 「………じゃあみぬき、学校、行ってき」「ちょっと待ってみぬき」 唐突にみぬきの言葉をさえぎる形で、しばらく黙っていた成歩堂が口を開いた。法介とみぬきは成歩道のほうを向く。彼は室内だというのにかぶっているニット帽の天辺を、きゅ、と押え、それから破顔した。 「みぬきの通学路にはさ、まだ桜がちょっと咲いてるんだよ」 4月ももう半分をすぎ、一般的に日本人が花見をするときに愛でるような桜の花はすでに散ってしまっていた。しかし、遅咲きの桜はもうそろそろ満開を迎えそうにほころんでいる。春のやさしい空気のなかで、満開に咲くのを待っている何人かのために、じわりじわりと太陽の力を集めているのだ。 「今年はオドロキくん、花見になんか行ってないだろ?」 「え、あ、………はい、行ってませんね」 「来年は一緒に行きましょうね、オドロキさん!」 成歩道の言葉の意図を読み取りきれず、首をかしげながら肯定する法介だったが、みぬきの言葉には、少し照れたように、うん、と笑って見せた。見ている成歩道の顔も思わずほころんでしまう。 いつか、真実は露呈するかもしれない。この先に待つ運命が何であるか、もちろん成歩道が知るはずもない。もしかすれば、こうやってただ笑っているだけではいられなくなるかもしれない。 でも、大丈夫だろう、と成歩堂は確信している。ずっとずっと笑っているだけではいられなくても、きっと笑いあえるための努力をする勇気を、すでに彼は手にしている。それは、おそらくついさっきまでコンビニの陳列棚にならんでいた、ビニール袋のまま冷蔵庫に詰め込まれたプリンのような、人を笑顔にしてくれるとっても素敵なものなのだ。 「僕は、来年まで待てないんだよね」 「え?」 「だからさ、」 す、と成歩堂が立ち上がった。意識せずに背筋が伸びる。 「これからオドロキくんも、朝食後のジョギングなんてどう?もちろん、みぬきの中学までだけど」 |
桜咲く
(2008/04/17) (成歩堂さんち事件参加作品) |