刑事ドラマの再放送が終わったそのままの流れで夕方のワイドショーをなんとなく作業の合間に見る。成歩堂なんでも事務所には弁護の仕事がほとんど持ち込まれないので、悲しいことに一連の流れは王泥喜にとってほぼ日課になっていて、今日も十年以上前の殺人事件を偏屈刑事が鮮やかに解決したのをしっかりと見届けてから、列島各地のニュースと制作発表や記者会見や熱愛発覚等々の芸能情報をBGM代わりにしつつ王泥喜は今月の経費をまとめた。定時まではあと三十分を切っているが、三十分もあれば精算は終わるだろう。
 向こうのデスクを見れば、後輩の心音も時折テレビを見ながらゆったりと作業を進めていた。その余裕っぷりからして、彼女も残業の必要はなさそうだった。そもそも残業しなければならないほどの大した仕事はこの事務所ではそうそう出逢えないし、今日のように成歩堂が一日外出していても別段困ることもない。
「わあっ、」
 王泥喜が書類のマスにちまちまと数字を書き込んでいたとき、不意に心音に歓声をあげた。
「見てください先輩!」
「どうしたの」と、手元に落としていた視線を上げて心音を見ると、彼女はきらきらと瞳を輝かせてテレビを見つめていた。
 彼女に倣い王泥喜もテレビを見る。画面ではちょうどリポーターと思しき女性が、目の前のパンケーキを褒めちぎっていた。細身のレポーターの顔より二回り以上大きそうな皿の中で生クリームが壮大な山脈となっていて、主役であるはずのパンケーキはほとんど見えない。山の麓には苺がいくつか転がっており、皿のすべてを覆い隠すような勢いで全面に粉砂糖が降りかかっているその姿に王泥喜は見覚えがあった。
「すっっっっごく美味しそう………」
うっとりと呟いた心音は、わずかに開いた唇からよだれを垂らしてもおかしくなさそうに呆けた顔で画面を凝視している。
 テレビの中のリポーターは器用にパンケーキを切り分け、ごってりと生クリームを乗せて口の中へ運んだ。唇の端に僅かにクリームを付着させながらもごもごと咀嚼する彼女も満面の笑みを浮かべている。
「これ、駅前にあるパンケーキ屋だね。今も人気あるんだ………」
「大人気ですよ! 土日だったら二時間は並ばないと食べれないらしいです!」
「二時間……! そりゃ確かに美味しかったけど、に、二時間か………」
ド派手な見た目の割に案外しつこくなくて美味しいけれどもわざわざ二時間も並んでまで食べたいかと訊かれると少し考えてしまう。極論、パンケーキなんて難しい材料使ってないし焼くのも簡単だしなあ……と、女子という種族のパンケーキ好きっぷりにしみじみ感心する王泥喜に、ええッ、と心音は大きな声で叫んだ。
「オドロキ先輩、アレ食べたことあるんですかっ!?」
「えっ、あ、ああ、うん」机を叩いて立ち上がりこちらを睨む心音の迫力に気圧されつつ、王泥喜は頷いた。「前にみぬきちゃんと食べに行ったよ」
「えええっ!? どうしてわたしも連れて行ってくれなかったんですか!?」
「いや、希月さんがウチにくる前の話だから……」
 高校が冬休みになり、クリスマスパーティや忘年会や新年会等々、余興が必要になる場も多い年末年始。女子高生と手品師の二足の草鞋を履きこなしているみぬきにとってはこれ以上ない書き入れ時だそうで、去年の末から今年の正月にかけても色んなパーティに呼ばれてとにかく忙しそうにしていた。シーズンが終わり、三学期も始まり休日のスケジュールも落ち着いた一月下旬の土曜日、たくさん稼いだみぬきが奢ってあげるのでオドロキさんも一緒にいきましょう、と腕を引っ張られ、寒空の下で行列に並んだことをよく覚えている。ようやくありついたパンケーキの美味しさよりも冬の風に吹きっさらしで三十分待ったことの方が感慨深いと言ったら心音はさらに怒るだろう。
「今年の、ええと、一月かな。もう一年前か………」
 今年の四月にアメリカから帰国し、成歩堂なんでも事務所にやってきた心音は当然参加出来るはずもない。そもそもみぬきとパンケーキを食べに行った頃には、まさか数ヶ月後にこんなパワフルな後輩がやってくるとは夢にも思っていなかった。
 ぐぬぬ、と心音は悔しそうに拳を握って歯ぎしりするが、彼女の胸元のモニ太――彼女の感情をそのまま表すという機械は怒りの赤には染まっていなかったので、反論の余地がない理由に納得したらしかった。
「じゃあ今度はわたしをあのパンケーキ屋さんに連れてってください! ぜひ! なんなら明日にでも!」
「…………なんでオレが」
「なっ、なんですかその態度は!?」大声を上げる、と同時にモニ太が真っ赤に染まった。「可愛い後輩をたまには可愛がってくれてもいいじゃないですか!?」
「いやあ………、あのさ、希月さん……」
 本音をついぽろっと言葉にしてしまったのは王泥喜の不手際だ。それは認める。しかしながら、と、王泥喜は嘆息。王泥喜のことを散々鈍いだなんだと言っている割に、心音の思考も年頃の女の子としてはかなり鈍い方じゃないか。
「希月さんが誘うのは、オレじゃなくて、ユガミ検事でしょ」
「――ッ!?」
 心音の顔が一瞬で真っ赤に茹で上がる。息を呑み、そのまま言葉も飲み込んでしまったのか、ぱくぱくと魚のように動かすだけの唇からは叫び声すら響かなかった。そういう素直な反応は紛れも無く可愛いと王泥喜も思う。王泥喜が彼女を可愛いと思ったところで何がどうということもないどころか、ユガミ検事にバレたら問答無用で刀の錆にされかねないので黙っておく。
「あ、あは、あはは…………」
 乾いた笑いで赤い頬を引き攣らせながら、心音は王泥喜から顔を背けてうつむく。
 気がつけばテレビのレポーターはあの大盛りの生クリームごとパンケーキをぺろりと平らげていた。極限まで絞ったような細い身体のどこに収まったというのか。みぬきもあっさりと一皿完食していた。幸せです、というみぬきのとびっきり蕩けた微笑みを見ている方が、パンケーキの美味しさよりも王泥喜に幸福を与えてくれたのだけれど、これもみぬきの父である成歩堂にバレたら問答無用でねちねちイビられかねないので、やっぱり王泥喜の心にそっと仕舞っておくことにする。
 そっか………と、心音は呟いた。
「なんか、……夢みたいで、思いつかなかった。そっか、夕神さんとお出かけ、出来るんですよね………」
口元には穏やかな笑み。きっと彼を思い返しているのだろうと王泥喜は思った。伏せられた瞳は優しく眩しい光を見つめるように、柔らかく細められている。そういう可愛い顔は出来るだけ夕神の前でだけ見せるようにしてほしいものだと王泥喜は苦笑する。
「そうだよ、希月さんが頑張ったから。これからはずっと何処にだって二人で行けるんだよ」



夢見た週末

(2013.09.30.)