「ねえ、あの子、承太郎のこと好きなんじゃない?」
 湯を沸かす承太郎の隣で、くすくすと花京院が笑った。狭いわけではないキッチンも、大の男2人が並べば少しだけ窮屈に思えた。花京院のほうを見ることなく、おざなりに応える。
「悪い冗談だ」
「そうかなあ」
 承太郎はリビングのソファに腰掛けている青年を一瞥した。前時代の不良、というコメント付きで百科事典あたりに載っていそうな風貌をした、自分よりも年下の『叔父』は、今日も完璧なリーゼントスタイルだった。初めて訪れた部屋を、ものめずらしそうにきょろきょろと見回していて、落ち着きがなかった。
 しゅうしゅうと湯気が噴き出しはじめたやかんを火からおろし、ペーパーフィルター中のコーヒー豆に、沸騰した中身をそそぐ。こぽこぽこぽこぽ……とコーヒー豆は湯を吸って色が濃くなり、嵩が増える。
「悪く思われているわけじゃないだろうけどな」
 承太郎さん、と人懐っこい笑顔を向けてくる彼が、自分のことを嫌いだとは考えにくいし、誰の目から見てもおそらくそれは明らかだった。さほど他人から好かれるような性格でもないと自分を評価している承太郎ではあるが、ああいった、まっすぐでまぶしい好意を向けられるのは決して悪い気分ではない。
「自信たっぷりじゃないか」
 花京院は冷蔵庫に背を預けて、食器棚からマグカップを3つとりだす承太郎を見ていた。それがあまりにも自然な動作だったので、きっと嗤うべき行動だったのだろうけれど、花京院は嗤うことが出来ずに、ああ、馬鹿だなあ、と、こっそり目を細めた。
 承太郎は、フィルターを通り抜けてポットに溜まったコーヒーを、フィルターを捨ててから、用意したマグカップに均等に注いだ。3つのカップから、それぞれ、ほんわりと柔らかな白い湯気と、香ばしい匂いが立ち上っている。いいにおい、と花京院が微笑んだ。
「そこに居るなら手伝ったらどうだ?」
 ひっぱりだしてきた木製のトレイにマグカップを乗せてため息をつく承太郎。
「ぼくが手伝えることなんて何にもないよ」花京院が歌うように言うと、承太郎はさらに深いため息を1つ吐き、片手でトレイを持ち上げると、さっさと台所を出た。その後に続く花京院。
「承太郎の淹れたコーヒー、美味しいよね」
「そうか」
「うん。ぼくは、すごい好き」
 もちろん承太郎の次にだけど、と花京院が付け足す。いつものことなのでおざなりな返事をして、承太郎はすたすたと歩いていく。
「――あ、すいません、気を使わせして」
 台所から戻ってきた承太郎の手に乗ったコーヒーを見つけて、リーゼントの青年――仗助が腰を浮かせた。別にどうということはない、という風に承太郎は黙ってトレイからテーブルにマグカップを移す。ことん、と3つ目のマグカップがテーブルに置かれた時、あれ、と仗助が声をあげた。
「誰か来るんスか?」
「………いや、そんな予定はないが?」
 いただきます、と仗助が大袈裟に手を合わせてマグカップに手を伸ばす。承太郎も仗助の向かい側に腰を下ろして、コーヒーに手を伸ばす。そうして、静かに湯気を上げるだけのマグカップが1つ、取り残される。
「……あの」仗助がためらいがちに言う。承太郎が顔を上げて自分を見たのを確認してから、仗助は言葉を続けた。
「それは、じゃあ、誰の分っつーことに……?」
「誰のって、――」
花京院の分だろ。そう言いそうになって、ようやく、思い出した。
 後ろを振り返る。視界の端に、やけに明るい色をした髪の青年の、唇をゆがめたような微笑が掠めた気がしたが、そこにはやはり誰もいなかった。
 居るはずがないのだ。此処は承太郎が1人で生活をしている部屋で、招かれた客は仗助1人。それ以外の人間が入り込む余地なんて何処にもない。だから、マグカップは2つでいいのだ。3つ目は必要ない。そこには2人しかいないのだから3つ目を飲む人間は、いない。承太郎が淹れたコーヒーが好きだと笑った人は、もう、いない。
 1つ、息を吸った。大きな窓から降る日の光で人肌に暖められた酸素を肺に取り込んで、身体のなかでつめたく鈍い色に染まってしまった二酸化炭素を、ゆっくりと吐き出した。
「………――俺のコーヒーが好きだと今でも言う、大馬鹿が、今でも飲みたがるから、つい、な」
 誰の唇にも触れられることがないまま、テーブルの上で、静かにコーヒーが冷めていく。






きっと浅はかなんでしょう



(2008/02/22)
(title by 嘘つき、濡れる