いつもと同じだ。誰の視線であろうと遮ってくれる堅いドアの向こう側へ逃げ込んだ途端、どちらともなく交わされるキス。それを合図にして、互いに互いを奪い合う。
 彼の肌が帯びる熱に触れれば触れただけ、欲情はとめどなくこの胸の底から染み出す。渇望をはっきりと意識する。もっと、もっと。時折その衝動が、果たしてまさに彼という特別な単体としての肉体への愛おしさからくるものなのか、それとも単に空っぽな自分の虚しさを、手近にある彼の身体で埋めてしまいたいだけなのかがわからなくなるくらいに、とにかく彼に餓えていた。
 けれども、わからないということを大した問題にせずひたすらに彼を暴いてしゃぶり尽くすボクを醜いと嗤っている誰かの声が、妙に冴え冴えとした頭のなかで反響する。眩暈のように響く低い嘲笑を追いやろうと、わざと音をたてて彼の目蓋へ唇を落とした。そのまま、すがるように彼の身体を抱きしめる。 薄く筋肉のついた皮膚のすぐ下で彼という輪郭を形成している骨は、ボクを拒んでいるかのように、ボクごときがいくら乱暴にいっそ壊してやろうときつくひん抱いたところで軋むことすらなかった。痛い、という言葉すら聞かせてくれない。
「それとも、痛い方が好きなんだっけ、日向クンは」
耳朶を甘く噛んで、吐息を吹きかけるように囁くと、彼は喘ぎ声の合間で、くたばれ、という主旨の、あまり美しくない単語を二つ三つ吐き出した。
「……ムードがないな」と、心底がっかりしたように呟けば、すぐにとがった悪態が返ってくる。
「何が、ムードだ、気持ち悪いことを言うな」
 きもちわるい、をわざと強調し、まったくうんざりだ、とでもいうように唇を歪めている彼に、ボクはつい笑い声をあげてしまう。
 つくづく彼は取り繕うのが下手だ。その不器用さがまた、彼の、このボクへの想いに起因するのだと考えると、愛おしさで息が詰まりそうになる。
「愛してる」
 彼の心臓に耳を寄せ、目をつむったまま、思い出したように愛を囁けば、どくん、と彼の胸の奥が大きく拍動したのが皮膚と骨を介して伝わってきた。
「そ、ういうことを、」
「愛してるよ」
 駄目押しで残りの銃弾を撃ち込むように、再びお決まりの台詞を彼の身体へ叩き込む。そしてまた、口づけを落とす。歯列を割って咥内へ入り込めば、すぐに彼もボクを真似て――あるいは元来の負けず嫌いを発揮して、そうして互いに熱を交わし合う。体温よりも僅かに高いだけの彼の熱は、それとは比べものにならないくらいの身体の芯の熱さに浮かされている状態ではいっそ冷たくすら感じられた。しかし彼の温度を感じれば感じるほど、ボクの身体は冷まされるどころか、むしろ高みに押し上げられる。
「っ、お、まえが、……あいしてるの、は、」
 彼の唇から喘ぐ息と共に言葉たちが吐き出される。ボクは彼のどこもかしこもをむさぼりつくしながらも、彼の言葉を聞き洩らさないようにと耳をすませた。
「俺じゃ、っ、ない、だろ………」
「なんで?」と、ボクは苦笑。それともボクの愛の言葉を聞きたいがため、形だけ気付かないフリをしているのだろうか。それはつまり彼がボクを必要としているということで、ならば彼の否定は遠回しな愛の告白なのだろうか。「どうしたら信じてくれるの、かなあ」
 そしてボクは手を止めて、ゆっくりと彼から身体を離し、まっすぐに彼の瞳を見つめた。色素の薄い茶色の瞳に、ボクは思わず唇を緩ませる。こんな渇望が、衝動が、愛でないわけがない。わからなくなることを気にする必要もなく、確かにこの欲望は愛だ。
「ボクはこんなにキミを愛しているのに」
 それなのに、ボクがそう笑った途端、彼は目を伏せるように視線を逸らした。
「………っ、みじめ、だな」
 謗りや嘲りではなかった。彼が吐き出した音にはどの類の感情の高ぶりも存在せず、ただ短かった。
 それは懺悔でもなかった。赦しを請うているにしてはあまりにも独り言のようだった。赦されることなど望んでいないのか、あるいは赦されるはずがないことを知っているのかもしれない。どちらにせよ、彼がボクと同じ覚悟を決めていてくれていることへの喜びに、沸騰寸前まで熱せられていたボクの熱は今にも爆ぜてしまいそうだった。ああ、彼と共に絶望の果てへ沈んでゆけるなんて、絶望という手段であるはずの行為そのものが希望でしかなくなってしまうではないか。
「――っ、まだ足りない、よ、日向クン。……だってボクらを待っているのは、っ、絶対の、希望、なんだ……」



待ちわびた幸福


(13.03.20.)