耐えがたい衝動を堪えきれずに微笑が崩壊した狛枝のその一瞬の表情は、性的絶頂を迎えたときのそれとよく似ていたから、日向のなかで、喘ぐ彼の声が、表情が、走馬灯のようにフラッシュバックする。
 正しい作法など当然知る筈もなく、ただ快楽を求める本能のまま、一方的に欲望を吐き出した。最初は日向の身勝手さに狛枝が愛想を尽かして日向から離れていってくれることを望んでいたがための傲慢さだったはずなのに、それが自分を納得させるための建前に成り果てたのはいつだっただろう。
 ナイフの柄を掴む手が、じわりと染み出した液体に染まっていく。月が冴え冴えと輝くのみの夜闇のなかでもはっきりとわかる鮮烈な赤は温かかった。当然だ、数秒前には狛枝の体内を駆け巡っていたのだから。
 かつて彼を構成する一部だったものがどんどんと彼ではなくなっていく。瞬きをする毎に、日向が荒く呼吸をするほどに。やがて彼自身も、“かつて彼だったもの”に成り果ててしまうのだ。すべてが。このすべてが。
「こ、ま……えだ……ぁ」
 喉の浅いところからようやく絞り出した声で彼を呼ぶと、彼は眠気を堪えるように微笑んだ、が、次の瞬間、彼は唐突に噎せ込む。
 赤と無色透明のまじった体液がだらだらと漏れる彼の唇が、かすかに何かの意志を持って動いたように見えた。日向クン、と、日向の名前を呼び返してくれたように、日向には見えた。
 少し気だるげに、けれどはっきりと鼓膜を揺らす狛枝の声。この灼熱の島に連れてこられたその日から少しも違わずに日向を呼び続けた、声。色素の薄い瞳を細めて、日向クン、と呼ばれることに、何故がいつも少しだけ懐かしさを覚えた。幼い頃に友達とさんざん遊びつくしたあとの帰り道を歩いていた頃のような、昔確かにこの身体に無条件に降り注がれていた慈しみの匂いがいつだって鼻先をかすめた。たぶん、これがモノクマが言っていた“日向たちが奪われてしまった、希望ヶ峰学園で過ごした日々”の残滓なのだろう。日向は狛枝と希望ヶ峰学園でどんな話をして、どんな風にふざけあって、どんなことで笑い合ったのだろう。例えいつか彼との思い出が日向の元に戻ってきたとしても、その煌めく時間はただの過去でしかなく、続きがつづられることは有り得ない。今ここで、日向がピリオドを打ってしまったから。
 彼の瞳は刻一刻と光を失い濁っていく。もうまもなく、狛枝は絶命する。死んでしまう。彼の人生はこれで終わる。
 けれど、否、だからこそ、日向は生きていかなければいけない。出来るだけ長く。狛枝の死を乗り越え、大切な仲間を騙して、そうしてこの閉じた空間を出ていかなければいけない。そうでなければ狛枝の死はなんの意味もない無駄なものに成り下がってしまう。
「お、れは、……、それでも、お前のために、これ、からも、生きるから、」
 それは自身を正当化する卑怯な言い訳であり、永遠の愛を誓う言葉でもあった。狛枝の苦痛で醜くぐちゃぐちゃに歪んだ顔が、ふっとゆるんだのは、きっと日向の言葉が彼にしっかりと届いたからなのだろう。

「……あ、りが、……と、……う、………クを、ころ、し、……てく、」




それでも、キミのために生きる
(13.03.28.)