冗談も大概にしろ、という日向の声は半ば絶叫に近いほどの煩さだっただろうが、狛枝はたじろぎもしなかった。日向の手首を掴む指先には情け容赦ないほど強い力が込められていて、彼の微笑みも完璧な調律を保ったままだった。まるで防音ガラスを隔てているようだ、と日向は思った。その表情は見えるのに、こんなに近くに居るのに、互いの声がどうしたって届かない。一切の雑音から守ってくれる透明で分厚い盾の向こうに狛枝が逃げこんでしまったのだ。あるいは最初からずっと彼はそのガラスの向こう側に閉じこもっていたのかもしれない。この島に連れて来られたことを上手く頭の中で処理出来ず砂浜で力尽きていた日向に手を差し伸べてくれた日から、ずっと。そういえばあの時日向は差しのべられた彼の手をとったのだっただろうか。思い出せない。記憶をかき集めても出来あがるのは狛枝の涼しげな笑顔だけ。 焼けつくような太陽に半袖シャツを着ている日向ですら全身にじわりと汗をかいていたのに、長いコートを着込んでいる狛枝はといえば心地よい春風に吹かれているかのように気取った笑顔を浮かべていた。ともすれば自意識過剰で嫌味に見えそうなその微笑みは、しかし、狛枝の端正な顔立ちによく映えていたことはあっさりと思い返された。
「冗談、だなんて。どうしてそんなことが言えるの。どうして信じてくれないの。現実に、ここにいるボクよりも、常識を信じるの?」
「なんなんだよお前は……。好き勝手やって滅茶苦茶に引っかき回したいだけなら、もっとマシな方法があるだろ………!」
「だから、――どうしてわかってくれないのかな。冗談でこんなことが言えるほど大それた人間じゃないよ」
白々しく肩を落として狛枝はため息を吐いた。スポットライトの真下で練習通りの役を演じる役者のように芝居がかっていた。おそらくは彼に与え垂れた台本には行間にすら真摯さも懸命さも必死さも存在しなかったのだろう。たまらなく美しく空っぽな笑顔に、日向のなかで何かが弾けた。
「っ、黙れっ!」
 乱暴に狛枝の手を振りほどこうと腕を振る、が、それ以上の力で日向を掴む狛枝の手に抑え込まれてしまい、結局日向の手は未だ狛枝の支配下にあった。どうして振りほどけない。こんな、うすっぺらく大層な言葉だけを嘯く男を、どうして、
「好きだよ、日向クン。愛してる」
 つい数分前と同じフレーズを、同じ調子で繰り返した狛枝に、日向は絶句するしかなかった。
 あれほど胸の内で濁流のように逆巻いていた感情が一気にしぼんでしまう。それだけの熱量をぶつけたところで虚ろな彼の体内に留まるどころか彼を汚すことなく通り過ぎてしまうだけなのだ、と気付いてしまった。彼はガラスの向こうのひと。日向が仕切られた透明な壁の向こうでただ笑いかけるだけの狛枝しか知らないように、狛枝も無粋な障害物を通してしか日向を見てはいないのだ。だから、いくら日向が声を嗄らして叫んでも、罵っても、拒絶しても、例え間違って愛の言葉を囁いたところで狛枝には届かない。それなら仕方がないと諦めてしまえればどれだけ楽か。
 畜生、という悪態を舌先だけで転がし、日向は自身の両腕を自分の方へと引き寄せた。そのような動きを予想していなかったのだろう、日向の手首を掴んだままの狛枝も素直に日向の方へと引っ張られる。バランスを取り損ねた狛枝が日向の胸に抱きとめられる寸前で、日向は狛枝の唇を自らの唇で塞いだ。劇的に眠りを覚ますような甘い口づけとは似ても似つかない、乱暴に噛みつくようなキス。誰に教えられたわけでもないのに、手探りで侵し、内側から食い破るような一方的なキスの仕方を日向は知っていた。彼の胸を突き破りそうになったあの激情の名前すら。
「――本当に愛してもいないくせに、愛を騙るなよ、狛枝」

飾り窓の青年
(13.03.26.)