神話科の生徒の特徴を一つ挙げよ、と問われたならば、おそらく犬飼はこう答えるであろう。皆、ロマンチシストであることである、と。
 この星月学園に集まるのはおしなべてそういう傾向のある奴らばかりだけれど、そのロマンチシストばかりの集団の中にあっても神話科の男は抜きんでてロマンチシストであるといえるだろう。そもそも学科が学科だ。星に関する神話を研究、編纂し、時には新たな神話をつくる――そんなことを好き好んでやりたがるようなやつを、人は『ロマンチシスト』と言うのだ。
 だから犬飼は、こんな辺鄙な場所をわざわざ選び、好き好んで人がロマンチシストだと言うであろうことを勉強している自分も結局その『ロマンチシスト』という言葉で表わされるような人間であるのだということを認めている。それは、自分がロマンと呼ばれるものを追い求めることは決して恥ずかしいことではないと思えるようになったからこそ。例え、目の前で真剣に考えこみながらパスタを口へ運ぶ友人――青空のように、いかにもロマンチシストであるということが好意的に感じられるような見た目をしていなくとも、だ。
「やっぱり誕生日が一番いいと思いますが」青空はそう言って、またフォークにパスタをからめはじめる。「単純かもしれませんが、古典的というのは、昔からずっと用いられ続けている手法ということです。成功率は高いと思いますけどね」
「いや、インパクトにかけるんじゃないかと、俺は思う」犬飼はうんうんと自分で頷きながらカレーを一掬い。「それにあの夜久だ」
「あの?」
「我が弓道部のみならず、この星月学園の、愛しのマドンナ」
もしも星月学園の生徒の男女比が、共学であると何の但し書きもなしに言えるような、一般の公立高校普通科と同じくらいの数値だったとしても彼女はそういう類の存在であっただろう。「誕生日はそれどころじゃねーよ、きっと。弓道部と生徒会だけじゃない、幼馴染共はもちろん、とにかくたくさんの野郎共があいつのこと祝いに来るにきまってる」
「そういう雰囲気は作りづらい、ということですか。まあ確かに一理ありますね」
彼女がそういう、皆から愛される存在であるのは、単にこの学園唯一の女子生徒だからなどという表面上の短絡的な理由のみではない。少なくとも、季節が一巡りするなかで同じものを見て同じように笑って同じように泣いた犬飼が見つけたのは、そういう、人をひたすらに惹きつける何かをもった少女だった。共に過ごす二度目の夏の暑さの中でそれは確信に変わり、けれど、いや、だからこそ、風の中につんと澄んだ冷たい空の匂いが混じり始めたこの秋空の下で犬飼に微笑みかける彼女を見ているのは、ただ嬉しいというだけではなくなってしまった。
「けれど、あまり手の込んだことをするのもどうかと思いますよ」
「それもわかる」犬飼はカレーを一口。いつもと同じ、どこか懐かしい、深みのある辛さが舌の上でほどける。「でも、やっぱり、こう、なんというかだな、……いいと思うんだ」
「でも今年のはもう過ぎてしまったんでしょう?」と、青空。「来年まで待っている間に誰かに先を越される可能性だってある」
「そしたら、しょうがねーって諦める」
清々しいまでに開き直る犬飼に、青空が嘆息する。「そんな心意気でどうするんですか」
 だってな、と犬飼が口を開きかけたそのとき、「取り込み中のとこ悪ィ、青空、」と、犬飼の背後から青空を呼ぶ声。青空が顔をあげてそちらを見るのと、犬飼が声のした方を振り返るのはほぼ同時だった。
「会長」つい先ほどとは別の含みを持ったため息を吐く青空。「そのとおり、取り込み中です」
「いや、だから、悪ィって言ってんだろ」
頭を掻きながら彼――不知火はしかし悪びれた様子もなく言葉を続ける。「今日の放課後、部長たち集めて前期の決算報告してもらわなきゃいけなくなってな。今からちょっと準備手伝ってくんねーかな」
「ずいぶんと急ですね」青空は肩をすくめる。「僕らの親愛なる会計君がまた何かやらかしましたか。監督不行届ですよ、会長」
「説明の手間が省けて助かるよ、有能な副会長殿」
「そんな世辞では駄賃にもなりませんね」
 今度は不知火が嘆息する番だった。「――明日の昼飯代でどうだ」
「ひとまずそれで手を打ちましょう。もちろん僕と彼――犬飼君の分も入ってるんでしょうね」
「え、」急に話題に加えられて、気を抜いていた犬飼は思わず声をあげた。そんな犬飼を一瞥した青空が楽しそうに微笑んで、「同じ神話科の友人として、彼の悩みを聞いていたところです。それを邪魔するんですから……彼にも当然何らかが与えられてしかるべきだと思いますが?」
「いや、俺は別に、」悩みって言ったって切羽詰まってるわけじゃないし、愚痴に近いようなものだから、生徒会の仕事を優先して当たり前だ。犬飼がそう言うよりもはやく、不知火が苦笑。「明日の昼飯代で、俺らの副会長借りてっていいか、犬飼?」
 だから別にそういうのは――そう、不知火に、青空を連れていって構わないと言おうとした犬飼は、だが、ふと思いなおして、
「――昼食代は結構です。その代わりと言っちゃなんですが、俺の悩みに対する、会長の意見を聞かせてください」
「お安い御用だ」ニヤ、と不知火が腕を組んで笑う。どんな悩みだろうと即座に的確なアドバイスくれそうな、そんな堂々とした笑みだった。「言ってみろ」
 だから犬飼はほとんど間をおかず、まっすぐに不知火を見て、訊いたのだ。
「あなたのところの書記さんに告白をしようと思うんですが、彼女の誕生日にするか、それとも、一年の内で一番月が地球に近づく日にしようか、迷っているんですが、会長はどちらがいいと思いますか」
「は?」あの笑みが一瞬にして崩れ、ぽかん、と口を開けた不知火だったが、次の瞬間、「――っははは!」くつくつと楽しそうに笑いだした。
 しかし犬飼は、彼に尋ねたことを後悔してなぞいなかったし、ましてや笑われて恥ずかしいなどとは決して感じなかった。それはひとえに彼がロマンチシストの中のロマンチシストだからというだけではなく、つまりそれほどまでに彼女に対して真剣だったのだ。そんな犬飼の横顔は、月に行くという絵空事をしかし絵空事だからこそ目標に掲げたあの月への有人飛行計画を論議する宇宙飛行士のようだと青空は思った。しかし彼のその考えそのものがロマンチシストだからこそのものであるということに気づかない点、なるほど彼も星月学園神話科の生徒であるということか。


one small step for old-fashioned boy
(2009/10/12)