「錫也が淹れるお茶って美味しいよね」
ほっ…と一息ついてぽつりと月子がもらした。
 月子の向かい側に腰を下ろし、ふうふうと湯呑みに息を吹きかけて冷ましていた錫也が顔をあげる。
「ありがとう。そう言ってもらえると淹れたかいがあるよ」
 錫也にとってはお茶を淹れるくらいなんてこともなく、今回も特に温度を気にしたりだとかもなくただただぼんやりと茶葉を急須にいれ、ポットからお湯を注いで、月子の待つテーブルへ湯呑みと一緒に持ってきたというだけだ。茶葉は食堂に置いてある安物だし、実際、口にしても、錫也は特別美味しいとは感じなかった。
 けれど、月子に飲みたいとせがまれることも、淹れたお茶をそうやって誉めてもらえることも、錫也は嬉しかった。
 月子は、錫也が作った料理をいつも美味しい美味しいといって食べてくれる。錫也が料理が上手いから私の料理の腕はちっともあがらないなと彼女はよく言う。だったら俺が月子のためにずっと料理してあげるよとあるとき錫也が言うと、じゃあお願いしちゃうからねと月子は笑った。そんな彼女もたまらなく愛おしかった。
 月子はまた一口お茶をすする。ごくり、と彼女の白い喉が動く。
「そういえば、こうしてゆっくりと話をするのも久しぶりじゃないか?」
 星月学園に入る前は哉太と三人でよく遊んだものだ。星月に進学することも三人で決めた。ずっと男子校だった星月でもしかしたらたった一人の女子になってしまうかもしれないということは月子だけでなく錫也と哉太にとっても不安だった。月子が唯一の女子になってしまったとしたら、錫也と哉太で絶対に彼女を守るつもりだった。が、もしも月子だけが合格してしまい、本当にたった一人になってしまったら? そんなことを考え出せばキリがなく入試直前は必死だったなあ、と錫也は苦笑しながら思い出す。不安は現実になって、月子は学園でたった一人の女子になってしまったのだが、錫也も哉太も学園にいる。今となっては錫也たちは月子のそばにいることは滅多にないのだけれど、彼女は毎日笑顔でいるようだから、これでよかったのだと思う。
「そう……そうだね。なんだか忙しくて……ごめんね」
「なんで謝るんだ? 俺だって忙しかったし、それに、充実してるっていうのはいいことだろ」
 錫也が笑うと、
「ありがとう」月子は小さくうなずいて笑った。錫也も満足げに頷き返して、微笑む。
 やっぱり月子は、月子だ。以前のように、ずっと傍に居ることはもうなくなってしまったが、おっちょこちょいでそそっかしいけどまっすぐで真面目な月子に、喧嘩早くてじっとしてられない哉太、そしてその面倒をみる錫也、そんな三人の関係はずっと変わらないでいられるだろう、きっと。
 だから錫也は想いを隠したままでよかったのだ。幼馴染ではなく、一人の女性として月子のことが好きだというこの気持ちは、心の奥にひっそり埋めたままで。
「――それで、話って?」
「あ、うん……」
 錫也が言うと、月子は曖昧な返事をして視線を落とし、お茶をまた一口。その伏せられた睫毛が、揺れている。
 月子はそっと湯呑みをテーブルに置き、膝の上で手のひら堅く握った。その手は、錫也の記憶にあるものよりも、少しだけ大きく見えた。
「……あのね、お茶の淹れ方を、教えてほしいの」
「え?」一瞬、月子が何を言ったのかわからなかった。
「お願い」
 月子が頭を下げた。うつむいた月子の顔は長い髪にも隠れて、彼女がどんな表情を浮かべているのかわからなかった。自分が今、どんな表情をしているのかも、よくわからなかった。
「えっと、……どうして?」
だって、と続きそうになった言葉をぐっと飲み込む。だって、飲みたいのならばいつだって錫也が月子のために淹れてあげるのに。いったい、どうして?
 月子は錫也の言葉にひかれるように、ゆっくりと顔をあげた。目が合う。途端、錫也は一瞬、呼吸を忘れた。本当に、目の前にいるのは、ずっと傍にいた、ずっと傍にいられると思っていた、夜久月子なのか?
「……美味しいお茶を淹れてあげたい人が、いるの」

(in Winter,2009)