「もうお帰り。お前の帽子屋が心配しておろう?」


ビバルディはそういって笑いました。哀しそうな微笑だと思いました。それは前髪が落とす影のせいだけではないと思いました。
帽子屋さんは私のことなんてたぶん心配していないでしょう。彼は部屋から出ないのですから私が部屋にいないことも知らないはずです。それに庭を歩く許可をわざわざくださったのは帽子屋さんのほうですから、部屋にいなければ庭でも歩いているのだろうと思われるはずです。よく考えれば私が必要だと帽子屋さんはおっしゃいましたが、私に特に何かをしろということはおっしゃいません。ただ存在するというだけでいいのでしょうか。どうして、この世界の住人でない者が必要なのでしょうか。どのようにそれは必要とされているのでしょうか。
たぶん、ビバルディは、私との会話を望んでいないのだ、と私は思いましたので、私は屋敷へ戻ることへ致しました。


「――1つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


ビバルディは何も言わなかったので、それを肯定ととらえ、私は彼女に尋ねました。


「貴女は、どうして、此処にいらっしゃるのですか?」


彼女の目がすっと遠くを見るような仕草をして、そして表情がそれにつられてふっと消えました。風がとまり、それからひときわ強く吹きまして、私とビバルディを撫ぜました。風に乗って紅い花びらがひらひらと蝶のように踊りました。甘い匂いが鼻をくすぐりました。そのなかに沈んでいくように彼女は目を閉じました。彼女は今、声を聞いているのだと思いました。きっと風のなかに確かに残る声を探している――そんな気がしました。


「この庭に居れば、」


まぶたが、花が咲くかのように開きました。そうしたあとの彼女の瞳は、今まで私が見ていたものと同じだったのか、なんだかよくわからなくなりました。そのときの彼女の瞳は全然違う色のようで、同じ光をしているように見えるのです。


「世界を憎んでいられるのだ。わらわのままで、この世界を、憎んでいられる。だから、わらわは此処で待っている、」


私に語りかけるのではなく、私の周りできらりと咲き続ける薔薇に残る何かに問いかけるように、彼女は続けます。


「そう、――世界が、滅びるのを」


そうして彼女が浮かべた微笑みはきっと私に向けられたものではなかったのでしょう。













(2007/07/29)