ユリウスさんが私の名前を呼んだので、私は眼を開けました。そして驚きます。そこにはたくさんの血があるというのに、身体がないのです。ただ、時計が真ん中に、ぷかりと浮いているだけだったのです。


「………今まで、有難う――やはり、この世界は、滅び行く運命だったらしい」


彼は手にしていた剣を離しました。剣は床に落ちて、からん、と乾いた音がしました。
私は的外れかもしれないとわかっていて、たまらなくなって口にしました。でも、的外れではない気がするのです。


「――私の妹を、そんなに愛してくれて、有難うございました、………ユリウスさん」


ユリウスさんはまっさらな、まるで初めてこの世界に生れ落ちてきたかのようなそんな目で私を見られました。その空っぽな瞳から、色のない涙が、つうと頬をつたいました。


「ロリーナ、…………………私は、」
「あの子は、死んだのですね。…………私と同じように」


ユリウスさんに名前を呼ばれたとき、私はこの世界に来る前に自分が何をしていたのか、ようやく思い出しました。ああ、そうか――。


「…………私は、帽子屋じゃないんだ、ロリーナ。本当の帽子屋は、……死んだんだ」


被っていた黒い帽子をユリウスさんは脱ぎ、床にほうりなげました。それは音もなく着地しました。


「ある少年達が、間違ってアリスを殺した。アリスを酷く愛していた帽子屋は、その少年たちを殺し、そして、自分を慕っていた部下を殺して、――それから自分も死んだんだ。この屋敷は、その帽子屋の屋敷だった」


はらりはらりとユリウスさんは泣いています。それは花びらに似ていました。随分と綺麗に舞い降りるのです。
私は、自分が薄くなっていくのを感じました。気づいて、手のひらを見てみました。そうすると、そこにある手のひらは、実体がないように透けているのです。ああ、私はもう、あるべき場所に還らなければいけないようです。でも、未練はありません。私の可愛い妹は、どうやらたくさんに愛されたようですから。
そのときの私はきっと笑っていたでしょう。


「この世界が滅びたら、きっと、あなたと、また、向こうの世界で会えますよね。私――先に、いってますね。きっと、アリスもいますし、エースさんもいらっしゃいますよ」


死ぬ間際、アリスのことが、本当に気がかりだったんです。あの子が居る限り私は死ねないとそう思っていたのに、私は彼女を置いて逝ってしまわなければいけなかったんです。でも、あの子はそんなにも強く愛されたんですね。きっと、幸せだったのでしょう。ねぇ、そうでしょう、アリス?













(2007/07/29)