last update 2005/11/22
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■見上げる少年■
=Looking Up=



 身を刺すような沈黙に、誰もが口を閉ざしたままだ。

 薄暗い部屋の中には、心もとない蝋燭の光があるだけ。部屋の隙間風に揺らめく灯火の光が、そこにいた者たちの顔を、ゆっくり舐めるように照らしている。
 円卓を囲むように座し、お互いがお互いの顔をうかがう。セイジュウロウは、少し離れた窓辺の壁に背を預けるように凭れながら、腕を組み瞑目している。
 おのおのの顔に浮かぶのは、沈痛な表情だけだ。普段は喧しいほどの騒ぎ方をするミィやガラガ、饒舌なロンも、固く口を閉ざしていた。
 誰一人、言葉を発することは無かった。何を言っても仕方のないことだったかもしれないが。
 ここにはいない少年へ、皆が思いを馳せている。

「…」
 沈黙を、言葉を発すること以外の方法で破ったのは、セイジュウロウだった。
 不意に皆に背を向け、無言のまま大股に、戸口に向かって歩き出す。
「セイジュウロウ!?」
 コトナの呼びかけに、目線だけで一瞥し、セイジュウロウは部屋を後にした。

「…どうしたんだ?」
 ガラガが普段よりも随分と小さい声で嘯いた。他の面子も、顔を顰めている。
 長身の男が立ち去った後姿を見送り、コトナはひとつため息をついた。
「…いたたまれなくなったのかも…」
 コトナの言葉に、みなが視線を集める。視線の中心になったコトナは、ふと顔を上げ、苦笑いのような微笑を浮かべていた。
「セイジュウロウは、皆と違って、ルージの頼みで同行してるでしょう?」

 …サクサ村の郊外。
 あの竹林での情景を思い浮かべて、コトナは表情を曇らせる。
「ルージに土下座までされて、『強くなりたいから』って懇願されて…」
 村のためにと両手両膝をつき、セイジュウロウに弟子入りを志願したルージの、真剣な表情は今も忘れられない。
 修行が駄目ならと、セイジュウロウに用心棒を頼みもした。私財をなげうってまでも、村に尽くそうとした彼の気持ちを察すると、コトナもあの時、言葉が出なかった。

「もちろんセイジュウロウは、土下座されたから同行してるって訳じゃないだろうけど…」
 ルージのひたむきさに、心を打たれたのかもしれない。もちろん、ジロに対する負い目もあったのかもしれない。彼の心中には色々あっただろうし、それを自分が憶測で測るのは、少々ルール違反のような気もする。
「必死で修行してる姿も、ゼ・ルフトでの経緯も、セイジュウロウはずっと見てきてるから…」
 コトナの言葉に、ラ・カンも小さく頷いた。
「…そうだな」
 ルージの成長を肌身に感じていたのは、セイジュウロウだけでなく、ラ・カン自身もだ。村へ帰る前の一騎打ちを果たした際に、それをまざまざと感じていた。
 彼の成長の要因は、もちろん村を守りたいという一途な思いがほとんどだろう。日々の稽古の中で、ルージの思いのこもった刃を受けながら、セイジュウロウはそれを、ひしひしと感じていたに違いない。ゼ・ルフトでの事のあらましも、コトナやセイジュウロウの話を聞いているが、ルージのひたむきさは、想像して余りあるものがある。

 ミロード村での出来事。
 ジェネレーター職人を見つけられなかったこと。
 職人探しではなく、打倒ディガルドに立ち上がったこと。

 村の人々全てが、それを受け入れてくれたわけではなかった。ルージを信じながら、辛い生活を強いられたことに対する、憤懣もあっただろう。八つ当たりも。
 唯一の希望であったはずのジェネレーター職人を、ルージが連れてこられなかったという事実は、彼らにとっては裏切り以外の何物でもなかった。

 謝罪は日暮れまで続いた。その場は収まったのかもしれない。
 村の人々は、再び村を後にするルージを、温かく見送ってくれていた。
 しかし、それはその場限りのことになりかねない。
 人の心は移ろいやすいものなのだから。

「…確かに」
 ロンが眼鏡を押し上げながら言う。
「今は丸く納まったとしても、移住先のハラヤードでの生活が肌に合わなかったりしたら、鬱積が出てくるだろうしね…」
 そうなればまた、ルージが恨みの対象になることは明白だった。

 ルージの努力には、仲間の誰もが目を瞠っていた。だからこそ誰もが、彼が村人たちに、その努力を認めてもらえればと願ってやまない。



*****



 宵闇は酷く濃い。
 かすかな虫の音と、自分が踏みしめる土の音と、時折吹きぬける風が揺らす木々のざわめきがあるくらいだ。
 焼き払われた村を復興するために切り出された森の木々の切り株が、整然と広がっている。切り開かれた森には、皆のゾイドが肩を寄せ合うように並んでいた。

 ゆっくりと己の愛機に歩み寄り、その大きな機体を見上げる。
 闇夜の中でその白い機体は、どのゾイドよりもはっきりと見て取れる。
「…」
 無言のまま、何とはなしに白い装甲を撫でる。金属特有の冷たさが、じわりと掌に広がる。

『強くならなきゃいけないんです!』

 必死で縋ってくる少年の眼差しが、今でもはっきりと思い浮かぶ。

 村のために、村のために。
 ルージの思いの先には、常に生まれ故郷の姿があった。彼の歩みは、常に村の為へと向けられていた。
 …それでも。
 彼は非難の対象となったのだ。

 彼にとっては、村の困窮も、世界の困窮も、ともに等しく解決すべき問題なのだろう。だからこそ献身的な姿勢なのかもしれない。その彼の真摯さを、村の誰もは知っているはずだ。付き合いの浅い自分や他の仲間さえ、彼の尊さには一目置いている。より付き合いの長い、ふれあいの長い村の人間が、それを理解していないはずはない。

 戦争とはそういうものか。人の心まで疲弊させてしまうのか。

 ぞっとする。と、同時に意を決する。

 自分ははっきりと『戦に参加する』とは、ラ・カンに明言していない。あくまでもルージの修行を目的にしてきた。だが、ルージ本人が戦場に出るとなるならば、自分も決断しなければならない。命のやりとりのある場所にルージが赴くとなるならば、今まで以上にルージには厳しい修行を課さなければならないし、自分も共に戦場へ赴くことになるだろう。中途半端な心境で戦場に自分が出ては、他のものにまで迷惑がかかる。

 ただ、今は。
 彼の努力が報われればと思う。そのために自分の力が役立つというのなら、尽力を惜しむつもりはない。次に故郷の人々と会うときには、ルージにも、村の人々にも、笑顔が浮かんでいればと思う。

『村を出たことのない人たちに、村の外のことを理解しろって言っても無理だと思うの』
 コトナの言葉は、まさにその通りだ。
 村の中という世界しか知らない村人に、その外を見つめる術はない。
 このピクル村でさえそうだった。
 ディガルドという大きな脅威の前にすれば、自分たちの保身のために、余所者を排斥するのは、村人たちの心理から言えば当然のことなのかもしれない。力を持たぬ弱い人間は、大きな力の前にはひれ伏す以外の術がないのかもしれない。
 人は因習に囚われ、『村』という限られた自分たちの世界を守るのが精一杯だ。ほかの事にまで目を向ける余裕は、なかなか持つことはできない。

 ただ、ルージのように稀有な存在もある。
 自分を差し置いて、他人に尽くす彼という存在は、本当の意味での『正義』なのかもしれない。或いは、純粋な尊さ、とでも言うべきなのか。

 願わくば。
 ハラヤードに向かった彼らが、外の世界に触れる機会の折に、ルージの言っている『世界の脅威』を感じ、本当の意味で理解してくれればと思う。ルージの言葉の真摯さも尊さも。彼が何に命を賭け、何のために前に進もうとしているのかも。




「…セイジュウロウさん…?」
 子供特有の、少し甲高い声が、離れたところから届いた。
 セイジュウロウは顔を上げ、声のした方に視線を向ける。
「…ルージ…」
 木陰に佇む少年の姿を見とめて、セイジュロウはその名を口にした。
 ルージは小さく微笑みながら、小走りにセイジュウロウの傍らに駆け寄る。
「眠れないんですか?」
「…」

 ミロード村から戻ってきたルージは、疲れているだろうからというコトナの言葉に素直に従って、早めの就寝をとっていたはずだった。ルージのいないその間に、ラ・カンやコトナから、事の経緯を掻い摘んで聞かされていた。

 怪訝そうに眉をひそめたセイジュウロウの表情を見て、ルージは小さく笑う。

「…みんなが気を遣ってくれるから、寝たフリをしてたんですけど…。やっぱり眠れなくて、ちょっと散歩してたんです」
 目を眇めながら、ムラサメライガーを見上げている。

「…みんな、俺がショックを受けてると思ってるでしょ?」
「…」
 どんな言葉をかけるべきか、正直セイジュウロウは判断しかねていた。慰めも労いも、今のルージには重荷にしかならないかもしれない。
「…みんな、優しいから…」
 ルージは笑っている。少し泣き腫らしたような目元が痛々しかった。
 セイジュウロウは、口をつぐんだままルージを見下ろしている。
 師の向けてくる眼差しに気づくと、ルージは静かにセイジュウロウを見上げた。
「セイジュウロウさんも」
 月明かりのせいか、目元が潤んでいるようにも見えた。
「優しいから、何も言わないでいてくれるんでしょう?」
 沈黙という優しさは、確かにセイジュウロウ独特のものなのかもしれない。それを肯定的に受け取るルージの真摯さは、セイジュウロウにとっても、この上なくありがたい。こんな時くらいは、気の利いた台詞のひとつでも掛けてやりたいとは思うが、そういったことには不得手なセイジュウロウにとって、多くを語らずとも察してくれるルージの存在は、とても貴重なものだった。

「確かに、村でのことは、全部が全部嬉しいことばかりじゃなかったけれど…」
 思いを馳せるように夜空を見上げ、大きな目を眇めるように瞬かせている。
「それでも、村に戻って良かったと思ってます」
 何度か瞬きをする。大きな瞳に映るのは、ここではない故郷の情景なのだろうか。
「1日中謝ったからって、みんなが完全に納得してくれたとは思ってません。でも、みんなにちゃんと説明しなきゃいけない、っていうラ・カンのけじめも解るし、俺も村のみんなの本音が聞けたことは、良かったと思ってます」

 村を初めて旅立ったあの日のことを思い浮かべる。あの時も、村の皆は温かく送り出してくれていた。それでも、幾ら職人が亡くなっていたとはいえ、目的を果たせぬまま村に戻ったことは、村の皆を失望させるに充分な理由になる。
「志が高いだけじゃ駄目なんですよね。結果が残せなきゃ…」
 理想も情熱も充分にある。ただ、それだけではどうにも出来ない現実もあるのだ。
 ディガルドという存在は、余りにもおおきい。小さな自分が立ち向かったところで、何ができようか、という気持ちがないわけではない。それでも、ただ神に祈るだけで、現実が打開できるだろうか。

「…それに、俺…」
 ルージは語尾を切り、小さく深呼吸した。
 薄く目を眇めているセイジュウロウを見上げ、決然とした表情で言葉を続ける。
「セイジュウロウさんにも、謝らなくちゃいけないと思って…」
 少年の意外な言葉に、セイジュウロウは怪訝な表情を浮かべた。
「…俺に?」
「はい」
 ルージは言葉を探すように一瞬視線をそらしたが、意を決したようにセイジュウロウに向き直った。

「俺、セイジュウロウさんに『村を守るために強くなりたいから』って、弟子入りをお願いしましたよね。でも今は、目的がディガルド討伐になったし」
 慎重に言葉を選びながら、自分自身にも言い聞かせるように、ルージは言葉を連ねる。
「最初に修行をお願いした時と、強くなるための目的が変わるのに、俺、セイジュウロウさんに何の了解も貰ってませんでした」
 大きな瞳が、かすかに潤んでいる。
「だから」
 心なしか、ルージの声が震えているように感じるのは、気のせいだろうか。
「セイジュウロウさんが、戦争のために強さを求めるなら修行を続けられないって言うのなら、俺…」
 それ以上の言葉を続けられず、ルージは俯いた。震える喉を叱責したが、膨れ上がった嗚咽は口を突いて出てしまう。その拍子に、堪えていたはずの涙が、ひとつ転がり落ちた。

 ラ・カンの言うように、けじめはつけるべきだと思う。
 自分は甘えてばかりだ。周りの人間の優しさに、知らず知らずのうちに寄りかかっている。

 セイジュウロウが何も言わないことをいいことに、彼の優しさにつけこんで、戦いに巻き込もうとしていた。現にセイジュウロウは一言も『討伐軍に参加する』とは言っていない。ゼ・ルフトの時も、修行とはまったく別の目的の潜入に、彼を駆り出すことになった。自分の我侭に、嫌な顔ひとつせず付き合ってくれた。
 当然のように助力を惜しまずに居てくれるセイジュウロウの存在に、胡坐をかいてしまっていたのは確かだ。当たり前のように傍にいて手を差し伸べてくれることが、あまりにも自然なものだと感じていた。

 ミロード村でもそうだった。
 自分の意見を分かってもらえるものだと思い込んでいた。村の皆の温かさに肩まで浸かって、彼らの辛い気持ちを察してやることができなかった。

 もっと早く気づくべきだったのに。

 ゼ・ルフトへの潜入後、再びゼ・ルフトへ戻ろうと言い出した自分。
 ロンに諭され、諌められたことを思い起こす。
 彼はわざわざ嫌な役目を負って、自分に苦言を呈してくれていたではないか。
 本当ならば、あの時学ぶべきだった。それなのに自分は、自分の直情だけで行動し、結果、皆を要らぬ危険に晒すことになったのだ。

「…」
 黙って俯いたまま、肩を震わせる少年を見下ろして、セイジュウロウは眉を顰める。

 大きなものを背負い、前に進もうとする少年の姿は、見ていてとても辛い。
 年端もいかぬ幼い子供が進むには、険しすぎる道のりだ。
 それでも彼は、精一杯背伸びをして手を伸ばそうとしている。

 そこに希望があるのなら。


 吹き抜ける一陣の風に目を細め、セイジュウロウは顔を上げた。
「…戻れ」
 短く言い、少年の背を押す。
「え?」
 ルージはつられたように、セイジュウロウの視線の先に目を向けた。
 少し離れたところにある、皆が居るであろう小屋の明かりが、いつの間にか消えている。
 気づけは月は随分と高いところにある。宵闇の暗さと森の落とす影の暗さで、あたりはぬばたまの暗闇のようだ。皆も休み始めたのだろう。寝室に自分が居なければ、きっと心配をかけてしまう。

「セイジュウロウさん!」
 立ち尽くしていたルージをよそに、セイジュウロウはさっさと歩みを進めていた。
 呼び止められ、立ち止まる。
「…」
 無言のまま振り返りもしない。
「あの…」
「…」
 セイジュウロウの沈黙に、ルージはぎくりと身をこわばらせた。返す言葉も見つからない。

 ああ、ここで別れなのだと。
 ミロード村の人たちが見送ってくれたように、自分もまた、セイジュウロウを見送らねばならないのだと。

「…ズーリに留まり、軍を蓄えるなら…今までのように旅すがらに修行をすることもなくなる」
 背を向けたまま、セイジュウロウは静かに言う。
「…これからの修行は、更に過酷なものになる」
 セイジュウロウの言葉に、ルージは、はっと顔を上げる。
「それじゃあ…!」
 視線だけ向けられていたセイジュウロウの眼差しと、ルージの視線がかち合う。
 澄んだ濃紺の眼差しは、どこまでも思慮深いく透き通っている。魂の奥底まで見透かされそうな眼差しだった。
「…覚悟は、できているな?」
「はいっ!」
 力いっぱい首を縦に振る。

 目の端に映るルージを見、そのまま視線をムラサメライガーに向けた。

 あの時。
 ラ・カンの窮地を救うべく、突然姿を変えた、赤い獅子を思い浮かべる。
 ルージの魂に呼応したように駆け抜けた、紅蓮の炎を纏った一陣の風。
 強大で生命力に溢れた、豊かな生命のエネルギーが、あの場にいた者すべてを圧倒した。

「村を守るのも、世界を守るのも」
 セイジュウロウは静かに言った。
「同じなんだろう、お前にとっては」
 セイジュウロウの言葉にルージは小さく頷き、つられるように己の愛機を見上げた。

 仰ぎ見るように見上げる少年の姿を見つめ、セイジュウロウは小さく微笑んだ。

 疼痛のようにいつまでもあった自分の過去の傷は、彼と出会うことで、少し和らいだような気がした。もちろん、負い目も後悔も、全てを拭い去れたわけではない。突然傷口が開くように、寂寥感に塗りつぶされるような気持ちになることもある。
 それでも、いずれこの傷も、淡い思い出に変わる日が来るのかもしれない。
 ルージは、人の業さえも癒してくれるのだろう。

 彼のような稀有な存在に巡り合えたことを、幸運に思う。
 あの事故以来、忌々しいとしか思えなかった己の力だったが、彼の助力になるのならば、惜しみなく使い尽くそうと思う。
 限られた期間で、彼に託すことのできるものは少ないかもしれないが。
 だが、その残りわずかな期間を、彼の示す標の元に進むことができるのは、この上なく幸福だ。
 入口も出口もない暗闇に、一筋の光明のように現れたルージという存在は、あまりにも大きい。

 彼の眼差しが捉えるのは、どんな未来なのだろう。
 彼の言う『みんなの幸せ』は、余りにも理想論だ。正直なところ、実現するのはかなり難しいと思う。
 …それでも。彼ならば。

 彼の歩む先には、そんな夢のような未来があるような気がする。
 理想も志も、望むのはたやすい。誰もが望み、誰もが願う。
 だが彼は、言葉だけではない。願いだけでもない。
 過去から学び、先を見据える。繰り返し模索し、繰り返し反芻するように唱える。神経を研ぎ澄ませ、虚心に耳目を傾ける。命を賭けて邁進するそのひたむきさは、いずれ報われる日が来るだろう。

 その日が来ることを、セイジュウロウは確信していた。
 その日を自分も、この目で確かめたいと思う。
 それは叶わぬ願いだと、充分承知している。

「…」

 怜悧な夜風が森を吹きぬける。
 頬を撫でる風に、セイジュウロウは目を細めた。

 いずれ訪れる今際の際を予感して。








END

■あとがき
・サイト内と同人とに収録している『』を補完するようなイメージです。師匠がミロードに行くだろうな…と思っていたときに書きたかった内容です。中途半端になってしまっているのは、『』で書きたいことを書きおえてしまっているからだと思います。

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