その国は、もう随分長い間、戦乱が続いていた。
 長い年月の中で、数多の都や村が消え、一面の焼け野原が拡がった。生き残った人々は、新たな暮らしを始めたが、またいつ襲ってくるかも知れない侵略者におびえ、土地に名前をつけることをためらうようになった。…そうして名を失った土地が国を覆い尽くすと、人々はやがて互いの住まう土地を、東・西・北・南の方角で呼び合うようになっていった。
 東には大きな港町があり、“緑の連合軍”なる強力な民兵軍が護っていた。西には、かつての王家の騎士団の生き残りが、砦を築いていた。南には、広大な密林が拡がっており、その奥の原始的な種族の生活を護っていた。そして残る北は、戦争が始まって最初に滅んだ土地であり、今では何人も寄りつかない。巨大な山脈がそびえ、冬になれば、深い積雪に覆われた。…だから、山々の裾に、修道院がひっそりと建っていることなど、誰も知る由がなかった。

 ゾルグは、物拾い人(へルター)と呼ばれる───戦場や焼けた町村を徘徊し、死体から武具や金品を盗み売り捌く、放浪人以上にさけずまれ、また憎まれる輩の仲間だったが、元を辿れば放浪人であり、その以前は、“緑の連合軍”にいたこともある、槍の名手だった。
 しかし、それも5年ほど前、国の中心で起こった大戦を機に剣を捨ててからは、もはや誰の記憶にも残っていない。
 ゾルグは孤独にさすらいの旅を続けていた。
戦場を巡り、廃墟を探索し、物を盗む。すぐに売ることが出来ない時は、隠し場所をつくり、保管しておいた。そのうちに、ゾルグの秘密の隠し場所は、国中に点在するようになった。
 その年の冬、雪深い北の森へゾルグが向かったのも、北の森の中に隠した武器を回収するためだった。本心を言えば、気の進まぬことだったが、悪名高いジアコルド軍の侵攻の噂が真実となっては、そう言ってもいられなかった。
 しかし、北の地の気候は、ゾルグの思っていた以上の猛威だった。
 森に入って少し登っただけで、吹雪が吹きつけ、ゾルグの視界を覆ってしまった。身を隠す場所もなく、体を雪に埋もれさせ、途方にくれた。 そして、いよいよ力尽き、意識が朦朧としだしたその時───ゾルグは、刃の丘の修道士セヴェリエに助けられたのだった。

 修道院の中は老人ばかりで、全員がひどく疲れたような顔色をして、生気がなかった。
院内は暗く、蜜蝋の炎がゆらめく以外は、しんと静まりかえっていた。
(まるで墓場だな)
 ゾルグは思った。
 ゾルグをここに連れてきたセヴェリエは、20歳そこそこといったところだが、どうやら口が利けない様子だった。
『口が利けないのではありません───沈黙の誓いを立てているのです。修道士になるための、彼の修行です』
 長老だという長い髭の老人が現れ、ゾルグを食堂に案内した。そこへ、セヴェリエが沸かし湯を持ってきた。椅子に腰掛けたゾルグの足下に空の水盆を置くと、注ぎ入れる。
香りの良い湯気がのぼった。
 ゾルグの視線に気が付くと、ふと顔を上げ、微笑んで見せた。
『吹雪は明日には止むでしょう。どうか休んでいかれますように』
長老は、親しみを込めた物言いで言った。
『ありがたい。感謝します』ゾルグは心から礼をのべた。

 その夜。ゾルグの元へ、長老が尋ねてきた。
 そして人目をはばかるように、小声で話しだした。『ゾルグ殿。あなたに折り入って相談があります』
『────明日、あなたがここを立つのと一緒に、あの子も連れて行っていただけないでしょうか』
 ゾルグは驚いた。長老の目を見ると、切迫したものが浮かんでいるのがわかった。
『長老。俺はへルター、物拾い人だ。とてもそのような頼み事をされる人間では』
『あなたが何者かは、我らにとって問題ではありません。導きの形は、時として意外なものになって現れる。どうか聞き入れてください。あなたの目的の邪魔になるのでしたら、邪魔にならぬ所まででもよい。どうか』
 言いながら老人は、懐から革袋を取り出し、ゾルグの前に差し出した。その中には、金が入っていた。
『我らの貯えですが、お持ち下さい』
『受け取れない』返そうとした。が、老人は皺だらけの手でそれを遮り、ゾルグの手を握りしめ、頭を下げた。
『頼みます』
 ゾルグは根負けした。…ジアコルド軍の斥候が、すぐそこまで近づいてきている。おそらく、ここの老人達は死を覚悟しているのだろう。しかし、セヴェリエは若すぎる。今は命を落とすべきではない。
『…わかりました。しかし、彼をどうやって連れ出したものか』
 すると長老は、その方法を話しだした。…どうやら、以前から計画していたようだった。

 翌日、何も知らぬセヴェリエは、ゾルグを森の外へ送り届けるように長老に命じられ、ゾルグと共に修道院を出た。
空は晴れて太陽があった。地上の積雪は深く、腿でかき分けながら森を進んだが、それも出口が近づくと、堅い土の地面があらわれた。
 先を歩いていたセヴェリエが振り返り、立ち止まった。案内はここで終わりということだった。
『お別れか。…お前さんのお陰で助かった。恩に着るよ』
 ゾルグが片手を出すと、セヴェリエも握り返した。そして、元来た道へ歩き出した。
ゾルグと薔薇の乙女