Monster! Monster!

第34話『帝王の涙』

かいた人:しあえが






『行くぞ、黒衣の戦士!』

 鋼鉄の騎士、メガールの構えた槍が一直線にトウジの心臓めがけて突き進む。戦場の喧噪の中でも響く彼の声に、素早くトウジは振り返り身を翻す。
 ほんの僅かな差で、彼がいたところを鋼の巨馬が通り過ぎていった。

「う、うおおおっ!?」

 すれ違いざまに感じた風圧とメガールの闘気にトウジは冷たい汗が流れるのを感じる。手足を強引につかまれ、逆にねじられてるように抵抗できない圧倒的な重量感。

(なんて、なんておっとろしい感じなんや)

 膝が震え、手足に力が入らない。
 それは今彼が戦っている混沌の戦士の比ではなかった。全てを飲み込み押しつぶす巨星の重力そのものだ。未曾有の敵意と威圧感は彼の限界を超えていた。背筋が凍る、手足が萎える。歯の根が合わずにガチガチと音を立ててしまう。
 勿論、彼より強い存在はいる。とてつもなく身近に彼以上の存在感を持った存在は複数いる。

 アスカ、レイ、マユミ…。


 だが、彼女たちはその圧倒的な力を敵意に変えてトウジにぶつけたことは一度もなかった。彼は彼女たちにとって敵ではなく、シンジの友人。いや、悪い言い方をすれば存在すら録に見て貰ったことはないのだから。
 故にこそ。
 あくまでトウジは部外者、傍観者として彼女たちの力を見ていた。だから耐えられた。しかし、メガールは違う。明らかにもてる全ての力でもってトウジを殺そうとしている。

「う、嘘やろ…」

 喉がひりつき、言葉がかすれる。心臓が暴飲した直後のように痛いほど高鳴る。
 呪いとも後悔ともつかない言葉が彼の口から漏れた。血が高ぶり、世界がぐるぐると回っているようにさえ感じる。こんなことは想定外、いやあり得ないはずだ。自分の実力を過去の冒険で悟ったはずだ。だから、限界を見極め、危なくなったらすぐさま逃げる生き方を選んだはずだった。
 だから、メガールのように圧倒的な敵と戦うなんて、あるはずがない。
 いずれ、自分が父親よりも強くなったら戦うのかも知れないけれど、少なくとも今はまだのはずだ。
 そんなバランスを無視したこと…。

「あ、ああ………あ」

 シャボン玉が弾けるような呟きを一言漏らし、馬首を返したメガールが目の前に迫るのを、トウジは他人事みたいに感じていた。意識より先に体が悟ってしまった。今度はもう、避けられない。

 ヒカリが我が身を盾にしてでも止めようとするが、とうてい間に合わない。

(イインチョ。約束、守れそうにない…)

 ケンスケが後先考えず手持ちの矢全てでメガールを射ているが、彼の鎧はそれを弾き、その勢いは止まらない。

(ありがとな。そこまで必死になってくれて)

 脳裏に妹の顔が浮かんだ。怒ってるような泣いているような、そんな顔をしている。
 金細工のような金髪が乱れて、青い瞳は真っ赤になって、可愛い顔が台無しだ。

(すまんな、今度こそ、今度こそダメみたいや。もう、おまえの作ってくれた晩飯、食えそうにない)


「がふっ!」

 ゴボリ、と厚紙を勢いよく破いたような音がしたと思った瞬間、トウジの体は激しく跳ね上がった。
 熱が胸を貫き、重く熱い液体、血が肺に流れ込む。
 マユミが魔法をかけていたはずの鎧は簡単に貫通してしまった。メガールの力は、その防御力を遙かに上回っていたから。
 僅かに遅れて肉を裂き、骨を砕く不愉快な感触が体中の神経を駆け回り、人形みたいに乱暴に体がつり上げられる。痛くはない、それよりただひたすらに熱かった。

(い、息が…つまる)

 何か言おうと口を開くと、声の代わりに灼熱の血が溢れる。口元、喉を伝う血の粘つきが奇妙にチクチクと肌を刺す。ドボドボとバケツをこぼしたみたいに大量の血が胸を濡らし、槍の穂先を伝ってメガールの手元にまで流れ落ちていく。無意識の動作で、胸を貫いた槍を抜こうとトウジの腕が胸をまさぐった。

(あ……あ、ああ。体が、うごか…………………………)

 ズグリ、と鈍痛が走った瞬間、指先に残っていた最後の力が抜けていく。
 もう、彼は鈴原トウジではない。その、哀れな抜け殻だ。

「す、鈴原ー!! いやぁぁぁぁぁっ!!」

 赤く染まる視界に、泣きじゃくるヒカリが入ってきた。はて、ヒカリとは誰のことだっただろう?

 大変奇妙なことだね、と思った。
 そもそも、自分は何だろう?

 頭がぼんやりして、何も考えることが出来ない。無防備になったヒカリの背後から、各武器を構えた混沌の戦士が近づいているが、彼らのしようとしていることなど、とても大事なことだった気はするのだけれど。

「げ、が、ぐふ…?」

 赤い、全てが赤い。
 真っ赤に染まった手がだんだん見えない。色が消え、白黒になった視界がかすんでいく。ぐわんぐわん空焚きした鍋がわめき声を奏でる。耳元で銅鑼でも鳴らされたみたいに音が聞こえない。肺も張り裂けそうなほど膨れた感じがするのだが、いつの間にか息苦しいと感じることもなくなっている。
 楽になる。楽になっていく。

 キィンキィン、がきっ、バキッ!

 いい加減、静かにして欲しい。
 耳が聞こえなくなったはずなのに、やたら音が響く。まるで、えーとまるで、太鼓に直に耳を付けているみたいに。そういえば頭に何か冷たく、堅いモノが触れてるような感じがする。それだけがゴリゴリと頭蓋骨に痛い。

「うう、あなた達、よくも、よくも鈴原を! 私の大切な人を!
 許さない、絶対に、絶対に許さないー!」
「トウジ、トウジぃ! チクショウ、チクショウ! シンジ、シンジ早く来てくれよ!」

 …………鈴原?

 誰だったっけ? とてもとても大切なことだった。
 寝て、いや、起きているとき、その名前は、確か。そう、思い出した。

(そうか、ああ、思い出した。ワシのことか。そうか、そうか。
 今、死にかけてるんやな…)

 不思議と澄んだ気持ちでその事実を受け入れることが出来た。数分前までだったら、とうてい受け入れられないと足掻いてわめいて、それは凄いことになっただろうに。

(けったいやな。こうなるとかえって早く楽にして欲しいって考えるんやから)

 でも、このままだとヒカリとケンスケも死んでしまうのかな?
 それは…嫌だな。
 2人に来て欲しくない。いや、2人と一緒にいたくないというわけじゃない。それどころか一緒にいたい。まだまだ話したいことはたくさんあるし、やりたいこと、食べたいことはいっぱいある。なにより、女を知らないまま死ぬのは凄まじいまでに嫌だ。



 死なせたくないな…。

 死にたくないな…。

 助けたい…。



 悔しいな。どうして自分はこんなに無力なんだろう。
 シンジほど素早ければ、あの攻撃をかわせたのに。
 レイのように高い魔力を持っていれば、槍に貫かれる前に敵を倒せたのに。
 マユミのようにアンデッドなら、近寄らせることもなかったのに。
 アスカのように悪魔なら、戦う前に敵を従わせることも出来たはずなのに。

(不公平やな…。あんな非常識が連れやのに、ワシは何も力がない)

 4人みたいに超常の力が欲しいワケじゃない。
 ただ、ほんのちょっと、自分が大切に思ってる人たちを守るだけの力が、ほんの一欠片でも良いから合ったら…。

 そんなことを考えてる間に、意識が粘つくタールのような闇に捕らわれていく。
 終わる、消えてしまう。
 冗談じゃない、まだだ、まだ、自分は!

 永遠の闇に沈みいく寸前、トウジは必死になって喘ぎ、叫んだ。


(力が、欲しい…)




























【くれてやる】
















「…なに?」

 白い頬についた血を拭き取りながら、レイは頭上の鳥を見るような目をして呟いた。ペロリと唇の端を舐める姿が、淫なる象徴たる白蛇のようで蠱惑的だ。呟いたレイだが返事を期待していたわけではない。ただ何かを呟かずにはいられなかった。
 肌をくすぐる力の乱流は何なんだろう?
 ここではない、どこか遠くで力が大量に渦を巻いている。今は距離どころか違う世界にいるから影響はないけれど、もし近くにいたらそれこそ全裸の体を舐め回されたように感じたかも知れない。

「綾波さん、あなたも?」
「ええ。マユミちゃんも感じたのね」

 ほんのりと頬を染めたマユミがコクリと頷き返す。さて、自分以上に、と言うか人並み以上に敏感な彼女はどんな風に感じたのだろう。ちょっと好奇心。あの頬の桜色、きっと凄く…クスクス。

「気持ちよかった?」
「え、あんま……って何を言わせるんですか」
「残念」

 見ればアスカもまた、不安げな眼差しで周囲を見回している。マユミ以上に取り乱して見えるのは、マユミ以上に、と言うか病的なまでに敏感なアスカだからか。凄く好奇心。濡れたかも知れないわね。

「あなたもなの?」
「微妙に悪意を感じる言い方ね。まあ、それはひとまずおいといて。
 これって」
「何が起こってるの〜?」

 物言わぬ物体と成りはててしまったシンジをよいしょ、と背負いながらマナがのんきな口調で尋ねる。シンジの様子は洒落にならんがでも大丈夫。すぐに目を覚ますから。シンジは取り合えす置いておくとして、魔法、いわゆる魔の力を知らない彼女には、この流れを感じ取れないのだ。あるいは、調べようと彼女が意識しないと反応できないのか。

 それにしても頑丈な人だ。
 そもそも人なんだろうか。

 ほとんどはかざした手の平の上で光り輝く謎の力場で受け流したとは言え、シンジに向けられた嫉妬混じりのアスカ、レイ、マユミ3人の攻撃に晒されたというのに。シンジが生きているのは、その攻撃のほとんどを彼女が捌いたからだが、それにしてもしかし。勿論、手加減はしていたけどそれにしても。
 恐らく、防御力という点だけで見れば彼女は最強の存在かも知れない。
 ぴんぴんしてるよこの人。怪我一つないってのが凄く納得いかない。
 話によれば、古代に作られたサイボーグなるゴーレムの一種らしいけれど。それにしても表情豊かで感情は洪水のごとし。ちったぁ黙りやがれ、と口汚く罵りそうなくらいの騒がしさだ。ぴょんぴょんぴょんぴょん、ウサギみたいに跳ね回って忙しないったらない。

「ねぇねぇ。アスカさん教えてよ〜」
「アスカさんって、いきなり馴れ馴れしいわね」

 ああこら、人の肩に顎を乗せて猫みたいにごろごろするな。

「じゃあアスカちゅわん」
「アスカさんで良いわ。つか、ちゅわんなんて呼んだら殺す」

 ああ、そんなことを言ったら…とマユミは口にする前に思うのだけれど、彼女が口を出すより早くマナはにやりと笑った。

「アスカちゅわん」
「ころ、すっ」
「ちょ、ちょっとアスカちゅわん目が本気!」

 本当にこの2人の組み合わせは、危険な薬物を混ぜ合わせたみたいなものなんですね。ちょっと目眩を感じる。
 ある意味わかりやすいレイとアスカの関係以上にややこしい人だ。出会って数分だけど、既にして十年来のつき合いをしたみたいにマユミにはマナの人となりがわかった。
 アレだ。
 それも他人から「あいつはほんまもんだ」と言われるタイプの。

 アスカと混ぜたら劇物となる。絶対に2人一緒にして刺激したらダメ。

「落ち着いて下さい2人とも」
「こいつ殺したら落ち着いてやるわっ!」
「いや〜ん、マユマユ早くアスカちゅわんを止めてってば」

 なんか止めたくなくなった来た。と一瞬思うマユミだった。





 なんとかレイと協力してアスカを押さえ込み、どうにか落ち着かせながらマユミは、「ふぅ」と見た目の年齢以上に重い溜息をつく。そのしぐさはどこか艶めかしい。アスカとレイの2人だけでも大変だったのに、この上マナさんまで加わったらどんなことになるのかしら…。と想像するだけで、胃の辺りが、なんだか痛い。

「ふぅ、ふぅ、ふぅ…。マユミに免じてここは引き下がってやるけど! でもね、次『ちゃん』なんて呼んだら本当にただじゃすませないから!」
「ちゃん」

 予想してたから慌てず騒がずマユミは呪文を唱える。

「殺すっ! ってこら、マユミ! 魔法の縄で縛るな! ぐ、ぐぐぐぐっっ……」
「アスカさん、お願いします。お願い、お願いだから…」
「わかった。大人しくするからこれほどいて」
「はい、わかってくれるのなら…。本当に、すみません」
「なんでマユマユが頭を下げるのかしら?」

 あんたの所為だよ。と言いたいが言わない。かわりにギンと目を光らせながらアスカが睨む。

「……魔法を知らない馬鹿に説明するのも面倒ね。
 まあ、簡単に言うと、どこか遠くで妙な力の流れがあるのよ」

 文句を言いつつ、更にこめかみに怒りの血管を浮かべつつ、ちゃんと説明する面倒見の良いアスカだった。単に誰かに何かを説明したり教えたりすることが好きなのかも知れない。

「ふむふむ。要するに、マナちゃんのレーダーが感知してるこの虚数エネルギー渦のことかしら?
 わ、すご〜い。私たちほどじゃないけど、でも、凄い力が集まってる」
「あんたの温かい頭の中が見えるワケじゃないから断言は出来ないけどね。それじゃないの、たぶん」
「………アスカさんて、口悪いよね」
「あんたの耳が悪いんじゃな〜い?」

 ピシリ、と乾いた革ひもが弾けるような音が、確かにマユミとレイには聞こえたような気がした。
 そして始まる苛烈な鬼ごっこ。
 上 ――― 仮にトウジ達がいる場所をそう呼ぶとして ――― と似たような事をしているが、その内容は海と空ほどに違っている。
 ヒカリ達が待ってるはずだから、急いで戻らないと行けないのだけれど。少なくとも、喧嘩してる場合じゃない。

「霧島さん。遊んでないで、上への道を教えて下さい」
「教えなさい。なの」
「おっけ〜い。こっちよ着いてきて」









『げふ、げふげふ』
『肉、肉、肉ぅ…!』

 耳までさけた口から涎を滴らせながら、3人の混沌の戦士がトウジの亡骸に近寄る。元が人間だったとは到底思えない、変異しきった頭部はそれぞれ虎、類人猿、四方に角が飛び出た白子の顔だ。鎧を纏った体の方は、一見普通に見えるけれど、実際は血液の代わりにウジ虫や煮えた鉄血が流れていたり、手足の関節が多かったり胸や膝にもう一つの顔があったりと、もはや人間だったときの名残は微塵もない。

「うう、鈴原…。鈴原を、もう、これ以上!」

 必死になってヒカリとケンスケはトウジの体を守ろうと足掻く。
 もはや本性を隠そうともせず、ヒカリは鉄爪を振り回し、効かないながらも石眼を煌めかせる。混沌の戦士の意図は大海の流れのように明白だ。これ以上、勇者トウジの亡骸を傷つけるわけにはいかない。
 誰が見ても彼の死は明らかだけど、でも、でもまだ望みはあるから。彼を助ける望みが尽きたワケじゃないから。偶然、旅に出ていた姉が帰ってくるかも知れない。姉なら、きっとこの混沌の戦士達を皆殺しにして、そしてトウジも助けてくれる。

 でも。

『おまえの相手は俺だ!』

 別の混沌の戦士がヒカリとケンスケに襲いかかる。
 瞬きをしない真円の眼を不気味に光らせ、雷魚の頭を持つ混沌の戦士の大剣が、ヒカリを背中から袈裟懸けに切り裂いた。ヒカリのきめ細かい肌は見た目とは裏腹に鋼鉄の鎧以上の防御力を持つが、神鉄の大剣はそれを易々と切り裂く。

「うあああああっ!!」

 血飛沫が壁や床に飛び散り、戦士達の漆黒の鎧をまだらに染める。黒と赤の不浄なまだらで化粧する異形の戦士達。戦士の一人が舌なめずりをした。さながら血だけでなく、肉も骨も魂も全てを飲み込まんとするように。

『……………………ぉぉぉぉおおおおおおおおっっ!!』

 かぐわしいヒカリの血の匂いに戦士達は熱狂し、一斉に檄を鳴らして殺到する。流血と血肉への期待に狂い、そしていつまでも手間取ったときのメガール将軍の怒りを想像して。彼の怒りは凄まじい。希望は砕かれ山は砂と変わる。
 剣が、槍が、戦斧が打ち鳴らされて不協和音が響いた。

『八つ裂きにしてやる!』
『いや、犯しながら食ってやる! 快楽と苦痛と共にあの世に送ってやるっ!』

「負ける…もんかっ! 鈴原を、あの人を傷つけたあなた達なんかにっ!」

 涙をにじませながらヒカリは爪をふるった。傷つき、血を流しながら戦う彼女の勢いに押され、戦士達はたまらず後退する。舌の代わりに巨大なムカデを口からのぞかせていた戦士は首を刎ね飛ばされた。黄色く濁った粘液を噴きこぼしながら座り込むようにして倒れ、絶命した。彼以外の戦士達も竜巻のようなヒカリの攻撃で鎧の一面に傷をつけられ、汚染された血を流しながら呪詛を放つ。
 更にヒカリは祈りの言葉を紡ぐ。

「我が魂を削り与え願い給う! 我が敵は我が主の敵! 神聖なるあなたの名を汚す悪怪なる魔!
 この世で最も美しく、最も恐ろしい物を与えたまえ!
 メタリウム・ショット!」


 ねじった体を回転させる、右手の肘に左手の拳を当てL字型に構えられたヒカリの腕から、全方位に虹色の光粒子の奔流が注がれる。粒子に触れた物は強烈なエネルギーにより、たちまち弾け蒸発して消滅する。先の戦いでアスカ達に使った物とは桁外れに強力な破壊光線だ。たとえ善なる心を持った神聖なる生き物であっても、これを浴びれば焼け尽きる。

『ぎゃああぁぁっ!』
『KUGYGPA!!』

 まともに浴びた混沌の戦士が2人、灰も残さずに消滅した。

『ぬっ、一筋縄ではいかんか。ならば!』

 全身に紫電をまとわりつかせた、獅子頭の戦士が雄叫びを上げる。同時に、彼の着ていた漆黒の鎧の表面に、氷のひびのような細かい傷が一面に浮かび上がった。ヒカリの攻撃で出来た傷ではない。傷は内側に照明でもあるかのように光り輝き、頭蓋骨ごと脳みそを揺さぶる不協和音を奏でる。

「こ、この音は…ルーン!?」

 異変に気づき、慌ててヒカリが向き直るがそれより早く彼の攻撃は発動した。

『吹き飛べ蛇よ! 豪放のルーン!!』

 一際強く傷、いや鎧に刻まれたルーン文字が光り輝き、その奥に封じ込まれた神秘なる力を解放させた。獅子頭の戦士から稲光を纏った空気の固まりが発射され、ヒカリの上半身を直撃した。刹那、ヒカリの体が崩れ落ちる。

「がはっ…!!」

 肘をついて上体を起こそうとするヒカリ。縦に瞳孔が割れた金色の瞳を見開き、遅れて開いた口から握りつぶしたように濁った血が吐き出された。メキメキと肋骨がまとめてへし折れる音を確かにヒカリは聞いた。

(油断、した…! 怒りで我を忘れ、て…)

 混沌の戦士は全員似たような強さだと、勝手に思いこんでいた。そこに油断が生じた。今ルーンを使用した混沌の戦士は、明らかに他より頭一つ飛び抜けた強さを持っている。その講習料は非常に高い物になったようだ。

「はぅ、ぐぅ。ぐううっ、ま、負ける…もんですか」

 苦痛と、それよりも酷い悔しさで涙のにじむ眼は、蛇の金色の瞳ではなく、闇のように黒い人間の瞳。もう、凶暴な獣性を保っていることも出来ない。アスカ達と戦った直後でなければ、あるいは足手まといのトウジ達がいなければ、勝てはしなくとも負けることはなかったかも知れない。
 ダメージ自体はそう酷くない。だが、息をするだけでも体を裂かれるような鋭い痛みが全身を貫く。どうしても動作が半呼吸分遅れてしまう。この状況で10体に及ぶ混沌の戦士と戦うなど、無謀極まりない行為と言える。

「うわああああっっ!」

 突然の悲鳴に目を向けると、ケンスケが類人猿の顔を持つ戦士の戦槌で殴り飛ばされていた。手足をあらぬ方向に歪め、地面と平行になったまま壁に激突する。そしてずるずると床に崩れ落ち、そのままピクリとも動かない。

『残るはおまえだけだ。蛇』

 蜂の顔から、どうやってるかわからないが人の言葉を発しながら戦士の一人が槍を構える。その穂先は揺れることなくヒカリの心臓を正確に捉えている。メガールほどの男の直属の部下とされてる戦士だ。狙いを外すことはあり得ない。
 文字通り、氷の腕で心臓をつかまれたような恐怖で体がすくむ。そのギザギザの刃は悪魔の顎だ。
 この状態では攻撃も法術を使うことも出来ない。口を一瞬でも開いた瞬間、その毒液で濡れた刃は内臓ごと肩胛骨をぶち抜いて、背後の壁にがりがりと音を立てて傷を付ける。
 今まで、そう、今まで彼女が戯れに睨み付けて動きを止めた蛙やネズミなどの小動物も、こんな恐怖を感じていたのだろうか。

『そのまま平伏していろ。抵抗すれば肺を打ち抜く。抵抗しなければ心臓だ』

(ここまで…なのね)

 不思議と恐怖は余り無かった。100年以上生きてきたし、後悔はあったけど、精一杯戦ったと思うから。
 でも、と澄んだ気持ちでヒカリは思う。

(鈴原…あなたと、一緒に…。あなたと、添い遂げたかった)





『死ね!』

 大きく槍を振りかぶる。ヒカリは固く目を閉じた。さすがに、その瞬間を見る勇気はない。注射を我慢する子供みたいに、ヒカリはその瞬間を考えないようにして体から力を抜いた。ただ、なるべく苦痛は少ない方が有り難い。あと半呼吸後に自分は―――


(?)

 来ない。
 乳房を貫き、その下の暖かい心臓を打ち抜く槍が一向に来ない。せっかく覚悟を決めたつもりなのに、これでは拷問だ。まさかと思うが、ヒカリが恐る恐る目を開いた瞬間を狙っているのか。

(もしそうなら最悪だわ)

 改めてヒカリは混沌の戦士は邪悪を通り越した救いがたい混沌の生き物だと言うことを考えていた。
 脂汗を全身に流しているヒカリの耳に歓声が届く。戦士達が一斉にどよめいているようだが、何をしようと言うのか。奇妙に不安に襲われ目を開けたい誘惑でヒカリは瞼を奮わせる。

(なによ、なによ。一体、何が起こってるの?)

 なにか想像を絶するような仕掛けで自分を殺そうとしているのか、サーカスの見せ物を楽しむように彼らは歓声を上げたのか。



『ぐあああっがががっ。は、はなせ、はなせ、放せっ!』


 違う、彼らは明らかに何か別の物に気を取られている。そしてすぐ側で聞こえるこの声は、蜂頭の戦士の物だが、どうもかなり危険な状態に置かれているようで、嘘がばれた子供みたいに焦っている。

『何なんだ、何なんだおまえ! どうして、心臓を潰されて、生きて…ちゅぶっ!!』

 悲鳴を唐突にかき消される。
 グチャリ、ボトボトと粘ついた粘液が高いところからこぼれる音がして、その後重い物がその上に倒れ込んだような鈍く響く音が聞こえる。ガチャガチャと重い音を立てて戦士達が距離を取るのを感じる。

(助けが来たの!?)

 絶望に閉ざされていた目を見開くヒカリ。きつく閉ざされていた瞳には、室内の薄明かりですらも刺激が強く、涙を流してヒカリは眼を押さえる。だが、確かにヒカリは見た。
 助けは、そこに、いた。

 ヒカリをケンスケを守りかばうように仁王立ちする長身の戦士の姿を。
 しかし、それはアスカ達でもなければ姉でもない。彼女が予想した知り合いの誰でもない。




「あ………………あっ、あなたは」

 漆黒の体を包むのは、布とも金属とも着かない不思議な光沢をした漆黒の鎧。どこかで見たことがある。そう、確か、彼が着ていた物だ。鎧の下に着るとはいえ、あまりのセンスの無さにアスカが別のに替えたら、と言っていたが彼は不快そうに眉をひそめてこう言った。

【これは爺さんからもらったんや。なんでも代々伝わる神聖なジャージとか言うてたが。与太話はともかくとして、着ていて具合はええし、なんちゅーか気にいっとるからその意見は却下やな】

 自分もセンスがないなぁ、と思ったからその意見に関してはアスカは支持したが、不思議と…それ以上アスカは何も言わなかった。だから自分も何も言わず、そのまま忘れていた。

 彼の全身を包む漆黒の衣服は、今や明らかに何らかの魔力を帯びて柔らかな金属とでも言うような質量を帯びている。だが、間違いなくこれは彼が着ていたジャージが姿を変えた物だ。


「あ、あああっ。うそ、嘘…でも、嘘でも…ああ、す、鈴原」

 トウジが立っている。
 いつになく厳しく鋭い眼差しで、足下に横たわる頭部を握りつぶされた戦士を踏みつけるようにして。全身から湯気のようにたち上るのは、物理的な圧力さえ感じ取れそうな闘気だ。

『た、確かにおまえは、死んだはず。なぜ、生きている!?』

 肘から先が赤く彩られた厳つい腕で戦士の頭部を握りつぶしたのか。体液で濡れる赤い腕が徐々に緑色の光に包み込まれていく。

『よくもやったな貴様っ!』
『死に損ないがぁっ!』

 トウジの左右から、大剣を構えた雷魚頭の戦士と類人猿顔の戦士が飛びかかる。怒りで血が上った2人は背後で驚愕に目を見開き、制止の声を放つメガールの声に気がつかない。明らかな狼狽と恐怖に顔を歪めるテラーマクロにも、当然気がつかない。
 その粗忽でせっかちな性格故に、彼らの寿命はここで決定づけられた。
 眼前に突き出されるトウジの両腕を、2人の戦士はせせら笑う。先程朋輩の頭部を握りつぶした握力は驚異的だが、つかまれなければなんと言うことはない。なにより、徒手空拳のトウジと違って彼らは武器を持っている。このまま2.8メートルの距離を保ち、武器でケリをつけてやる。そんな彼らの考えはあっけなく焼き尽くされた。

「冷熱ハンド」

『げああああっ! ば、馬鹿な火、ヒィィ、火ィィィィィィィ!!』
『こ、氷!? 氷の、あっ!?』

 緑色に形と色を変えたトウジの腕から、性格の違う二つの力が噴出され、不用意な戦士の全身を包み込んだ。右手からは竜の舌を思わせる超高温の火炎が、左手からは極地のブリザードを思わせる氷雨が噴き出る。それは幻の吹雪でもなければ、おふざけや悪戯レベルの炎ではなかった

『そん、な、お、俺が消え、燃える。し、死ぬぅぅぅ』
『………………』

 紙を舐めたように雷魚頭の戦士の全身は焼き尽くされ、跡には焼けこげた鎧の残骸が転がり、もう一人の戦士がいたところには氷の柱が物言わぬ彫像を封じ込めていた。

 バキンッ

 瞬きのあと、氷の柱が粉々に砕け散る。中に閉じこめた者と共に。
 氷の塵が霧のように舞い散る向こうで、再び腕を赤色に変えたトウジが挑みかかるように右腕を突き出したまま残った戦士達を、そしてその向こうで強ばった表情のメガール達を睨み付けていた。
 もし、今のトウジの眼を深い場所までのぞき込めばきっと驚くだろう。
 まるで夜空に輝く火星のように赤く染まった彼の瞳に。

「おおおおおおおおおっっ!!」

 トウジがうなる。世界の全てを飲み込むように。あるいは生まれたばかりの赤子のように喉を奮わせ、腹の底から雄叫びを上げる。ビリビリと空気が大地が、空さえも震える。空気がトウジを中心に渦を巻くように唸り、黒一色だった体に銀の輝きが生まれ出でる。

「鈴原が、変わる!?」

 胸と腹部に銀の装甲が浮かび上がり、肩から肘、腰から膝までの虫の腹節のようなラインが走る。改めて両腕に光が生まれ、銀のブーツとフリンジが着いた銀の手甲が腕と足を包む。変化はそれだけではなく、生身である部分、すなわち頭部までも銀の光が包みこむ。銀光は凝集し、そのまま金属状の物質となり、フルヘルムとなってトウジの頭部を包み守る。まるでスズメバチにも似た顔の半分以上もある赤く吊り上がった複眼が、彼の持つ金の心を象徴するように輝いた。

「あ、あの姿は…」

 ヒカリですら一瞬息を呑んだ。
 それはまさに異形としか言いようがなかった。

(虫人…なの!? 伝説、ううんおとぎ話だと思っていた)

 かつて、人とは比べものにならない虫の持つ力を利用しようと、その力を人に埋め込むことを企んだ魔法使いがいた。その実験は彼の想像以上の力を被験者に与えたが、彼は実験台にした戦士により滅ぼされた。喩えその身を蝕ばまれても、正義の心を戦士は失わなかったのだ。
 それ以後も、戦士は緑の平和を仇なす者が現れるたびに現れ、戦ったと言われる。
 彼らは『虫人』あるいは『異質なる力を駆る仮面の戦士』、略してか、か、カメ…ちょっとヒカリは忘れてしまったが、とにかくそんな風に呼ばれていた。

 一種の救世主伝説だが、しかし戦士や魔法使いでなく、半ば虫と混ざった人間が救世主という時点で眉唾物と思っていた。特に、同じ様な目にあった者が彼一人ではなく、その後も形や細部を変えて連綿と虫人の物語が続く辺りなど。中でも10人の虫人が勢揃いして暗闇の使者を名乗る悪魔を滅ぼした話なんて…。
 だが、しかし。

「本当に、虫人が…鈴原が、でも、そんな」


 頭頂部から伸びる虫の触角のように細く長い角、破壊兵器(クラッシャー)のような顎、赤い瞳。溶岩から浮き上がるように腹部からベルトが、そして巨大なバックルが実体化する。そして、彼の心を具現化するような赤いマフラーが首に巻かれた。

 そしてゆっくりとした動きで彼が取るのは、赤心少林拳『梅花の構え』


「海を、山を、故郷を、大切な全てを……守る」



 初めて口を開いた虫人…いや、トウジは重く別人のように押し殺した声で呟いた。


「虫人でも何でも良い。鈴原、あなたが、生きていてくれたなら。それで、それで良い…」

 戦わなくても、良い。だけど、そう言っても彼はきっと戦う。
 涙でにじむ目に、トウジの姿がおぼろに映る。それでも良かった。
 彼が傷つきながらも拳を振るい、自分を守ってくれているという事実で、彼女は不謹慎ながら性的な興奮を伴う喜びに満たされていた。

(鈴原…)


「エレキハンド!」
「って、なにその珍妙なくせに危険な発音の腕は!?」

 ヒカリの冷や汗混じりの質問には答えず、トウジは青く変わった腕を戦士達に向ける。背中に背負う闘気の日輪は赤く燃え、心なしかさっきよりも複眼が吊り上がってるように見えた。

「ワシの両手が光ってうなる。敵を倒せと轟き叫ぶぅっ!
 必殺! しゃぁぁいんぐ………フィンガーッ!」

 室内が金色の光に包まれた。
 そして、爆発。



『ぬおおおっ! 歩兵の中に戦車砲を撃ち込むようなことをぉっ!!』
『ぎゃあああっっ!!』
『ひぃぃぃ、誰か、誰か俺の足を持ってきてくれぇ!』
『腸が、腸が、俺の腸が、溢れて…血が、血がぁ』




 腕先から放たれる怪光線が、問答無用で混沌の戦士達を吹き飛ばしていく。手が足が、頭や内臓が吹き飛ぶ阿鼻叫喚の地獄絵巻。拳を交えるとか、そう言ったカタルシスの類は一切無し。獅子頭の戦士が爆煙を掻き分け、何とか光線をかいくぐってトウジにつかみかかるが、彼の決死の行動はカウンターで跳び蹴りを浴びる結果を生んだ。
 煙を割って繰り出されるトウジの蹴りが、戦士の胸板に突き刺さる。

「スーパーライダー閃光キーック!」
『うぎゃあっ!』

 文字通り胸に大穴を開けられて獅子頭の戦士は絶命した。命の灯火を無くした彼の体が、ゆっくりと朋輩達の上に崩れ落ちる。その音を最後に、室内で音を立てる者、言葉を発する者は一人もいない。
 死体のただ中に立つトウジと、彼の背後で脅えた目をしつつ死体とトウジから目を離せないヒカリ、気絶したままのケンスケ、トウジを軍馬の上から睨み付けるメガール将軍、蒼白な顔を小刻みに奮わせる赤ローブの男、テラーマクロ以外に生きている者は誰もいない。
 テレーマクロの瞳が怒りに燃える。

「お、おのれ…100年の後にまで、ワシの前に立ちふさがるか…! 人の作りし虫人如きがっ!」
「話は全部、死んでるときに聞いたからまあ事情は知っとるつもりやが。テラーマクロ言うたか、自分ちょっとしつこすぎるで」
「何度でも、何度でもワシは蘇る! 人の心に悪がある限り!」
「ふん、漫画やなんやでよー見る台詞やな。せやったら、その腐った性根ごと全部打ち砕いたるっ!」
「殺せ、メガール!」


 テラーマクロの号令を合図に、メガール将軍はトウジに突進を開始した。だがそれは普通の突進ではない。突進の途中で、彼が跨っていた軍馬が体を絞られたみたいに首を振って嘶く。自分の体に起きた異変に戸惑い、慌て、そして恐怖を感じているのだ。
 その原因はすぐにトウジ達にはわかった。
 軍馬の体が縮み、ねじくれながらメガールの体に吸収されていく。それと共に彼の体は膨らみ、ねじれ、人の姿とは似ても似つかない金属の化け物の姿を現し始めていた。

『おおおおっ! スーパー1よ、おまえは、おまえは相変わらず美しいなっ! 妬ましいほどに! 羨ましいほどに!』

 いつしか馬ではなく自らの足で失踪をしながら、異形の怪物「死神バッファロー」…ブロンズタウロス(青銅の牛)と人間の合成生物…としての本性をさらけ出し、メガールはトウジに飛びかかった。全身から復讐と羨望、そして複雑に絡み合った愛情をまき散らしながら。

『砕けちれっ!』

 破城槌のような一撃にトウジの体はそのまま弾丸のような勢いで押しきられる。踏ん張った足は石畳を踏み割り、地面を削りながら勢いを止めようとするが、体重が1トンを超えるメガールの体当たりはトウジの体を人形のように壁に叩きつける。常人なら、血肉のつまった袋と化すその一撃…だが、トウジは受けきった。

『ぬうううっ。スーパー1め、パワーハンドか』

 胴体の中心に顔がある死神バッファローは、一見して構造物のような金属の体を持っている。。だが、明らかに目を蠢かせてメガールは赤く変わったトウジの腕を睨み付けていた。パワーハンドと呼ばれるトウジの赤い腕は、300トンにも及ぶ構造物を持ち上げることさえ出来る。その両腕はしっかりと、メガールの左右の角を受け止めていた。

「だ、だれが、誰が、スーパー1じゃあああああっ!!」

 怒りと力みで声を震わせながら、トウジはメガールを投げ飛ばす。空中で素早く体勢を整え直すと、再びメガールはトウジに対して突進を開始する。その金属の顔には、心なしか、喜びが浮かび上がっているようにも見えた。

「どいつこいつも! ジャージやベルトまで! ワシのことをスーパー1とか呼びやがって!
 ワシは鈴原トウジや! 他の何者でもあらへんっ!
 冷熱ハンド!」

 左腕から発射される冷気がメガールの全身を包む。たちまち凍り付くメガールだが、氷の下でその目が不敵に光った。爆発したように氷が砕け周囲に飛び散る!

『俺に冷気はきかん! 知っているだろう、スーパー1よ!』

 両腕を広げ、得意げにメガールは叫ぶ。恐るべき防御力、恐るべき力。まともに戦えば、トウジのパワーハンドでも対処できない。

「ならこっちはどうや!」

 今度は右手から火炎が発射される。炎はメガールの全身を包み込み、全てを焼き尽くそうとする。
 しかし!

『それも、きかん!!』

 全身に力を込め、拳を臍の辺りで打ち合わせた瞬間、メガールを包んでいた炎が消し飛んだ。その体には傷一つついていない。まるで磨き上げられたかのように光り輝いている。

『次は何だ? エレキハンドもレーダーのミサイルも俺には効かないことは承知しているだろうスーパー1』
「やから、ワシはスーパー1やないっちゅーとるに。
 しかし…この記録が本当なら、完全に自分を亡くしてもうたんやな。辛いやろうから、もう楽にしたるわ」

 ゆっくりと腰を落とし、腕を回しながらトウジが取った構えは『桜花の構え』
 防御を捨て、相手を必ず倒す必勝の構えである。

『ふっ、お互い色々事情があると言うことだ。それよりいまは殺し合おう』

 深く深く、胸が地面にくっつきそうなほど深く腰を落とす。ここまで極端な姿勢から放たれる突進はどれほどの威力になるのだろう。

『おおおおっ! ドグマよ、タブリス様よ、永遠なれ!』

 地響きと共にメガールはトウジに突進する。一足踏み出せば地面が割れ、隼が獲物を狩る急降下時に聞こえる「シュゴー」という坂巻音が室内に木霊する。骨が軋むような音にたまらずヒカリは耳を押さえた。トウジの加勢をしなくては、と思う一方でそれをしてはいけないという複雑な思いが彼女を更に責め苛む。

『終わりだっ! これを食らえばおまえとてっ! さらばだ、我が宿敵! 我が定め! 我が夢!』

 正確にトウジの心臓を狙って二本の角が突き進む。だがトウジは微動だにしない。避ける気配もなければ、受け止めようとする気配もない。無言で両腕を、青色に変わった両腕を突き出し、稲妻を轟音と共に迸らせる。

『こんなもの効かんと! 戦いを汚す気か、スーパー1っ!?』

 特殊な加工が施してあるメガールの体表は、稲妻を周囲に流してしまう特殊能力がある。たちまちメガールの周辺は炸裂する稲光による轟音と閃光に包まれた。稲光を従者のように、あるいは聖者に縋る亡者のようにまとわりつかせたままメガールはトウジの心臓を狙う。
 もはやトウジには回避する余裕はない。

 ビキッ

『な――――っ!?』

 突進が止まった。
 効かないはずの電撃がメガールの全身を捕らえる。あるはずのない苦痛が、溶けた鉛が背骨を貫くように全身に流れた。鉄壁のはずの装甲に小さな傷が無数に、蟻の巣穴のように全身を走り傷つけていく。

『そん、なっ、馬鹿な』

 電撃を止めたトウジが新たなる構えを取りながら大きく空に飛ぶ。よたつきながらメガールは空中のトウジを見つめた。

「凍らせたコップに熱湯注ぐとどうなるんかな?」

 急激な温度差は強固な物質を簡単に破壊してしまう。それが喩え強靱な青銅の雄牛の装甲だったとしてもだ。痛覚がないことが彼の不幸だった。痛みを感じてさえいれば、自分の身体の異常に気がつき、余裕を出して雷を浴びる様なことはなかっただろう。

『くくくっ、やはり、やはり私では貴様に勝てぬかっ』

 かわそうと思えばまだかわす余力はある。だが、彼はかわすつもりがあったのだろうか。

「くらえ――――っ! ライダー閃光キーック!!」

 明らかに重力限界を無視した高速でトウジの体がメガールに突き進む。銀の流星と化したトウジの真っ直ぐに伸ばされた足がメガールの胸板、つまりは顔面に激突した。

『ぐああああっ!』

 顔面の装甲が粉々に砕け散り、オイルまみれの鮮血が辺りに飛び散った。半トンに及ぶメガールの体が毬が弾むように空中にはじき飛ばされた。後を追ってトウジが飛ぶ。

「おおおおおおおおおっっっっ!!」

 銀月の手刀が雨垂れのように間断なく、いやそれ以上の勢いで繰り出される。剃刀の切れ味と銃弾の重さが怒濤の噴流となってメガールの全身を叩いた。既に亀裂の走ったメガールの体により大きな、致命的な亀裂が次々に生まれ、血が、命が削り取られていく。

「りゃああっ! そして!」

 中段ではなった正拳突きを最後に、大きく体をねじるとトウジは爪先から指先までに深く確実にねじりの力を溜め込む。背中さえも向ける極限の捻りから繰り出される最大の一撃!

「とどめやっ! 神・拳・打っ!」

『ごあっ』

「ヒートぉ…」

 トウジの溜めに比べると、至極あっさりとしたメガールの苦鳴が漏れる。
 メガールの時間も命の糸も、全てが断ち切られた。
 背中に突き抜けた腕を胴体に開いた大穴から引き抜くと、トウジは骸となったメガール、いや今度こそ本当に解放された一人の人間に背中を向けた。

「エンド!」

 爆裂四散したメガールの爆炎の中、トウジは無言のまま立ちつくしていた。その赤き瞳に浮かぶのは怒りでもなければ悲しみでもない。全力を出した戦いの中、確かにメガールとの間に通じ合うものがあった。
 だからこそ、何も言わない。ただ、ほんの少しだけ…わかったような気がする。

(これが、命のやりとり…か)

 アスカや、マユミ、レイ達のことを人の命を奪う化け物のように思ったことがあった。だが、今考えれば自分はなんて浅はかだったのだろう。人も魔物も、何も、変わらない。見目形が異なるから、持つ力が違うから…そんなものはほんの些細なことなのだ。
 そう、もしかしたら、先程自分が倒した混沌の戦士達だって…。

(やけど、絶対にわかりあえん奴もおる)

 そう、メガールをたぶらかし心を縛り悪魔の所行に荷担させた。絶対に許すわけにはいかない!
 倒す、何があろうと!
 生かしておく訳にはいかない!

「それが貴様や、テラーマク…ロ?」

 言いかけた言葉を飲み込んだ。

「やほー♪ 初めまして、そしてこんにちは〜。
 私、霧島マナでーす」
「はい、よろしゅう。
 ………………って誰や自分は」

 なんか栗色の髪の美少女が、お日様のような笑顔と共に大きく手を振っている。もう見た瞬間、自分と同じタイプだとわかって心和むが、それはそれとして。思わずこっちも手を振り返しながら、さて、何がどうなったんだろう? と思うトウジだった。

「あんた人見知りしないわねぇ。まあ良いわ。ところで、あんた鈴原…よね? 何、その姿?」
「…………驚いた。伝説の虫人。私も、文章でしか知らなかった。あんな姿だったの」
「も、もしかしたら、いえ、もしかしなくても、あ、あの見つめる者の、所為で!? じゃ、じゃあ私たち、悪の組織と同じ事したんですか!?」

 テラーマクロ、いやテラーマクロだったものを囲んで慌て、戸惑う見知った顔。見知らぬ顔が一つ増えているが、まあ、どうせまたシンジ絡みで増えた女の子だろう。こうして鋭敏極まる複眼で観察してみれば、可愛く、快活さが言葉を交わさずともわかる。ただ、人間そっくりではあるがどうも人間じゃないらしい。しかし、こんな事までわかるとは新しい体は奥が深い。見ただけでアスカ達のスリーサイズがわかってしまうとは…。

「いや、その、なんつーか。おまえら無事やったんか。って、シンジは」

 見事に死んだままだ。ただ、下の部屋にいたときに比べればだいぶ生き返っているけれど。弱いのか頑丈なのかよくわからん所は相変わらずだ。

「…そっちの姉ちゃん絡みか。なんかシンジ、あのピラミッド行ってから女難の相が派手にでまくっとるなぁ」

 羨ましいとは思わない。

「なにしろ、ワシがあれだけ苦労したメガールを、いや………より強いはずのテラーマクロを、一瞬で倒してしまうんやからなぁ。それも戦ったことに気づく間もなくにや」

 敵ながら、少しその最後が哀れに感じる。あの4人の、恐らく…あのマナというのもアスカ達と似たり寄ったりだ。どんな最後だったんだか。

「ま、ええわ。同情するような奴やないし。奴らは奴らで勝手にやっとればええ」

 ゆっくりとトウジは振り返ると、ボンヤリと惚けたままのヒカリの側に跪いた。衣服は変身で破れたはずだが、今はどこから出したのかシーツのような布をまいている。そうしてくれていて、助かったと正直思う。もし裸のままだったら、落ち着いてしまった今はまともに見ることも出来なかったに違いない。こうして思うと、自分はスケベだなんだ言われながらもかなりシャイで恥ずかしがり屋なのかも知れない。
 変身なのか、それともヒカリにとっては人の姿こそが変身なのかはわからないが、今は人の姿をしているヒカリの背中を支え、整えられた足の下に手を差し入れ抱き上げる。

「無事か? イインチョ…」
「う、うん。私は、大丈夫、よ。ちゃんと、法術で治療したから。あ、その」

 自分の顔を間近に見る光の顔が真っ赤に染まり、腕から伝わる彼女の鼓動が痛いほどはっきりわかるが一体、彼女は何に興奮しているのだろう。

「うお、そう言えば!」
「は、はい!」
「ワシ、なんか知らんが変身したままやった! じ、実はワシ、全く違う形やけど、トウジ、鈴原トウジなんや!」

 フルフェイスマスクが組んだ指先を開くように開き、一瞬で消える。
 顔を見せ、そう言ったからと言って脅えた(とトウジは思いこんでる)ヒカリが落ち着くとは思えないが、それでも言わずにはいられない。彼女が、アスカ達に匹敵する魔物で、一目見れば相手の正体を悟ってしまうと言うことも忘れてしまって。
 ヒカリは小さく、くすっと笑う。

「知ってるわ。助けてくれて、ありがとう…鈴原」
「ん、そうか。無事みたいやな。良かった」
「本当に、ありがとう。私のために、こんなに頑張って…傷ついて。人間、やめちゃうくらいに一生懸命になって」

 そう言った瞬間、トウジの顔が強ばった。たぶん、一生懸命だった余り、自分に何が起こったか考える間もなかったのが、今の言葉で初めて意識してしまったのだろう。ヒカリはそう思い、何も言うことが出来ずにいたのだが、不思議とトウジの顔はさばさばしている。まるで、気にするなと言ってるみたいだ、とヒカリは思った。

「んー、あーそういえばそうやな」
「ごめんね、私たちが、ちゃんとあなたを助けることが出来れば、こんなことには」
「あ、ちゃうちゃう。確かにきっかけになったかも知らんが…」

 言いかけて口をつぐむ。ほんの少し、トウジは寂しげな表情を浮かべる。

(人やなくなったのは、もっともっと前からのことやったみたいやし…な)

 変身したとき、ジャージに、いや正しくは腰に巻かれたベルトのレコーダーに記録された情報を見て、彼は全てを知ってしまった。
 そして、これから起こるだろう、避け得ない戦いの定めのことも。

「ま、ええわ。みんな助かったんやし。誰も欠けんと、無事に…」

 トウジの視線を追って目を向けるヒカリ。そこでは、復活したシンジが心配そうに自分たちを見ている。本当に頑丈な人だな、とトウジと同じ事をヒカリは考える。シンジだって、メデューサであるヒカリにそんなこと言われたくないだろうが、それにしても狼男並の再生能力だ。

「ほな、行こかイインチョ」
「ええ。お願いね、鈴原」

 別に、抱っこされなくても歩くくらいの体力はあるのだけれど…でも別に口にする必要はないので彼女は言わない。それよりも、より強くトウジにすがるように、彼の首にしがみつく。頬を染めて何事か言いかけるが、ヒカリは目を閉じてその胸に頭を預けた。自分も焼けそうなくらい頬が赤くなってると思うけど、でも、とても幸せだ。
 そういえば…いつの間にか、イインチョと呼ばれることにすっかり慣れてしまった。でも、彼以外の誰にもそう呼ばせてはあげない。





「トウジ! 洞木さん!
 良かった、みんな、みんな無事で。2人に何かあったら、僕、僕どうしたら」
「シンジ、自分らもな…無事で良かった。突然姿を消したときはどうなるかと思ったで。でも信じとった。絶対、生きてまた会うことが出来るって」
「トウジ…!」

 トウジ達から少し離れたところでアスカ達が微笑む。

「感動の対面ね…。ドラマみたい!」

 事情が良くわかんないけど、とりあえず男の友情はよくわかった。ってな顔で科学の申し子、アルティメットゴーレム「霧島マナ」が呟く。明るく、どこか脳天気な言い方だが、今はそれがかえって安心できて心地よい。

「まったく、男のくせにすぐ泣くんだから…シンジの奴、もっとシャンとしなさいよ」

 憎まれ口だが、言葉の端々に優しさを十分に滲ませる闇の覇者である悪魔「惣流・アスカ・ラングレー」
 どうにも素直になれない自分に苛ついているのか、それとも…。

「ふふふ、アスカさんたら」
「なによ? 何が言いたいのよマユミ」
「いえ、最近…色々わかってきたことがあるんです」
「だから、なにが?」
「秘密です」

 そんなアスカの気持ちがわかってるのか、不死者の女王「山岸マユミ」は悪戯っぽく笑いながらアスカを、それから私以外の人間がシンジに抱きつくんじゃない! と言わんばかりに毒の籠もった視線でトウジを睨む。

「アスカ、山岸さん、綾波さん! それから、えーっと」
「マナ♪ 霧島マナだよん」
「よろしく、霧島さん…。うう、よかった。みんな、みんな無事で…ううっ、ふぐっ、ううっ」

 たおやかで生真面目な美少女という外見と裏腹に、その本性は大地の女神の力を色濃く持つハイ・メデューサ「洞木ヒカリ」が、体全体でアスカ達に抱きつき、喜びの余り涙まで流した。

「それじゃあみんな。帰ろう。僕たちの家に」

 決して美少年とか偉丈夫とかいったワケではないけれど、人ならざる少女達の気持ちを捕らえて放さない不思議な魅力と、謎の力ときめ細かな優しさを持った人間「碇シンジ」が「虫人」となった親友、「鈴原トウジ」に頷く。
 勿論、一同その意見に異論はない。

「帰ろう」
「そうね。帰りましょう」
「ええ。みんなの、私たちみんなの家に」
「うふふ〜。私はシンジの行くところならどこだって行くから」
「そ、それじゃあ、ここで、お別れ…」
「何言ってるんや。イインチョも…一緒に帰るんやないんか?」

 最後に残っていた問題も、あっさり解決した。それこそ涙で震える瞳を隠しもせず、ヒカリがぎゅっと強く、差し伸べられたトウジの腕を握りしめる。

「あ、ありがとう…。ありがとう、みんな」


 万事解決。
 これから、どんな苦難や運命が待っているか、今はわからないし考えたくないけど。でも、とりあえずこの物語はここで終わる。
 注意して見ないとわからない、ごくごく小さな、微かな、柔らかな笑みを浮かべると雪の女王「綾波レイ」はこう言った。







「めでたしめでたし」



























「俺を、忘れる…な」

 瓦礫の下で、かろうじて人間「相田ケンスケ」は呟くと、本気で忘れてるっぽい【親友】達の後を追って走り出すのだった。







真・モンスター!モンスター!


序章
















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