アスカやシンジ達、いわゆるいつものメンバーがいる地から遙か南…山を越え谷を越え、海を渡り砂漠を越えた所にある大密林地帯に視点が変わる。雲や綿のように濃密な霧がそこら中を漂い、濃い緑色をした植物が少しでも光を手に入れようと激しく争いあう。
 遠目から見るぶんには自然に溢れる素晴らしい環境かも知れないが、一度足を踏み入れるとなれば人はこの地をこう呼ぶことだろう。
 緑の地獄………と。

 この地では全てが相争い合っている。
 植物ですらそうなのだから、この地に生きる動物も同じように生きることに死にものぐるいだ。普通の密林なら無敵の存在として周囲を威圧する密林豹(ジャガー)や大蛇、ワニですら…できる限り目立たないようにひっそりと行動している。
 この鮮烈な地において彼らは無敵とは言えないのだ。

 その証の一角である巨大生物が地を揺るがす。

 直径が1mはありそうな大木をへし折りながら移動するのは、体長5mはありそうなメガテリウム───象ほどの大きさがあるナマケモノ───だ。種類によってはミロドンとも呼ばれるそれは、悠々とジャガーを追い散らし、どっかりと腰を据えると大木をねじり折り、色濃い葉に舌を絡めてゆっくりとむさぼる。
 牙や角と言った武器はないが、その巨体と、巨体から繰り出される腕力自体が既に凶器。彼こそこのジャングル最強の存在。―――いや、そう考えるのは早計だ。




 空気の流れが一瞬滞る。

「?」

 ふと、何か感じたのかメガテリウムが耳を動かし、不安そうに首をめぐらした。メリメリメキメキと草を貪っていた音の所為で気がつかなかったが、騒々しいはずの密林は完全に静まり返っていた。自分が音をたてて歩いたから?
 いや、違う。
 空気に混じる泥の臭いと草木の濃厚な臭いと、わずかにまざる不快感が背筋を凍らせた。
 血と肉の腐ったような腐肉を喰らう存在の臭いだ。
 本能に根ざした恐怖にメガテリウムが立ち上がったその時。


 ヒュヒュヒュヒュヒュヒュッ

 風を切り、無数の矢が飛来した。木を削り石の鏃をつけた粗雑な矢が、数え切れないほどたくさんメガテリウムへと襲いかかった。
 茶色い毛に覆われた背中に、大量の矢が突き刺さる。毬栗のようになった背中とそこから走る苦痛に悲鳴を上げ、大慌てでメガテリウムは踵を返してその場から逃げ出そうとする。
 だが、突然力尽きたように崩れ落ち、そのまま動かなくなった。哀れっぽく断末魔の呻きを漏らし、微かに四肢を震わせた。
 その目は見開いたまま白く濁り、溢れた舌は紫色に腫れ上がっていた。
 矢に毒が塗ってあったのだ。

 彼の心臓が止まってから数秒後…。

 木々の影から小さな、本当に小さな人間に似た生物が無数に現れ、バネ仕掛けの人形のように撥ねまわった。巨大な獲物を前に歓喜の踊りを踊る。
 身長は40cmばかりで、枯れ木のように細く妙に赤茶けた肌の色をしているが泥化粧でもしているわけではない。草を乾かし編んで作った腰簑をつけ、頭に甲虫の殻や小鳥の羽で作った飾りをつけた、人間を醜悪に縮めたような異形の存在『森の小人』。
 体に比べ異様に大きい頭の、これまた異様に大きな口から涎を垂らしながら森小人は踊り続ける。まくれ上がった口から鋸のような歯がむき出しになっている。
 これで当分は食料に困らない。共食いをしなくとも、危険を覚悟でトカゲ人(リザードマン)の集落を襲わなくとも、沼蛸やヒドラ、ワーム、ジャイアントトードを狩らなくとも良いのだ。
 浮かれた彼らは踊り続ける。
 そして彼らに近づく危険に気がつくのが遅れてしまった。そう、メガテリウムと同じように。
 気がついたときはもう遅かった。

【ヤック!?!?】

『ゴアアアァァァ!』

 固い地面が突然泥と変わり、象牙の柱……に見える巨大な牙が泥を裂いて地上に現れた。続いて泥の中から曲面に磨かれた岩が隆起し、森の小人は1人残らずその内側に捉えられる。そして隆起した岩は始めからそうであったように閉じられた。
 全ては呑み込まれる。
 もし、近くではなく、遠くから見ていたとしたらそれがなにかわかっただろう。
 巨大な、あまりにも巨大な甲皮動物が口を閉じたのだということが。

 そう、彼らはメガテリウムの死体ごと、突然地面を割って現れたベヒモスに呑み込まれてしまったのだ。
 全長100mを越えるカバに酷似した大地の魔獣は、土や石刳れ、折れた木切れごと全てを口腔内に捉えると、数回の咀嚼をした後満足そうに呑み込んだ。台風のようなゲップを吐き出し、血肉の味を堪能したベヒモスはうなり声をあげる。
 本来草食性でしかも高い知性を持つはずの彼らだが、この地に漂う力の影響かその行動はとても理性有る存在の眷属とは思えない。
 やがて目を細め、怖い敵から逃げでもするようにひっそり、まるで水に潜るように土中に沈み込んでいった。

 そして世界は元の喧噪を取り戻していく。
 まるで、最初からそうであったとでも言うように。






 その密林のほぼ中心に、巨大な岩城がある。
 余人は知らねど、そここそはかつて世界を支配した、いや今も世界制覇の野望を捨てていないとある組織の本拠地だ。
 さもありなん。溶けて焼けただれた岩が、その後勝手に固まっり牙の並んだ口のような、歪な王冠のようなな形状の岩城は、そんなことを考える輩が住むのに相応しい。
 いや、溶け崩れる前もそんな輩が住むのに相応しい形状をしていたのだが、それは違う話。機会があったら書くことにしよう。





 周囲を濃い霧と危険な密林で覆い、なおかつその外側は切り立った断崖絶壁に包まれた難攻不落の要塞の中で、今、幾つもの邪悪な影が蠢いていた。
 魔獣達は恐れ、おののきながらじっと岩城を見つめ続けた。

 それにしても解せない。
 確かにその城がはなつ闇の気配はただ事ではないが、それでも密林の妖魔、魔獣達をここまで恐れさせるほどではないはずだ。少なくとも、長らくこの地に住むのならある程度は慣れてしまったはず。
 だが、今も魔獣達は怯え続けている。

 そう、理由がある。
 彼らが恐れ怯えている理由が。
 その恐るべき力が、魔力や暗黒の力が高まっている理由が。

 数百年ぶりの合。
 集い。
 生と死が、混沌の嘆きと共に混じり合う魔の刻。

 ゼーレと呼ばれる組織の最高幹部達が、数百年ぶりに一堂に会そうとしているのだ。
 12人の悪魔達が。



















Monster! Monster!

第33話『超兄貴』

かいた人:しあえが

















 城の奥深く………。
 数人の共を連れて、金属で敷き固められた無機質な通路を美貌の青年が歩いていた。
 一定距離で掲げられた、松明でも魔法の光でもない科学という忘れられた技術により生み出された明かりが照らす中、彼は無言で足を進める。その美しい銀髪は光を照り返し、無機的な物でも生物的な物でもない言葉に出来ないもどかしい美を投げかける。
 その瞳の紅い光彩が揺らぐたびに、美しさに闇さえもが息を呑んだ。

「憂鬱だねぇ」
「は?」

 その端正で作り物めいた顔に苦笑を浮かべながら、彼は呻くように言葉を漏らした。黒いローブに身を包んだ共の者の1人が、フードの奥から目だけを黄色く光らせて怪訝そうに返答を返す。

「憂鬱だ」
「なにが…でございますか?」
「狂言回しの役を与えられたことがさ。まったくなんで僕が」

 それだけ言うと俯き、ぶつぶつ上司に当たる存在…ゼーレ評議会議長『キール・ローレンツ』に対する愚痴を銀髪の少年、いや青年はこぼした。
 とにかく、16〜18くらいに見える青年のやたら陰にこもった陰口に、ローブの男は困ってしまった。その実力に比べて低く扱われる主の境遇に、その気持ちは分からなくもないが……。
 しかし、いつまでも名無しというのも色々と困る。
 と言うわけで、銀髪の主が自ら志願したのではなかっただろうか…。
 そもそもこんな時、なんて言えばいいのやら。


『あんたが自分からやるって言い出したやん』


 などと言えばこの場で首と胴体は泣き別れだ。

『はぁ、え〜、まあその。
 タブリス様に封印を解かれ、あるいは新たなる命を授かりし我ら一同、決してタブリス様の期待を裏切りません。この命、存分にお使いになって下さい』
「それ、まだ先のセリフだよ。君たちも煮詰まってるねぇ」
『はあ』

 無気力というか、気の抜けた返事をする部下に苦笑する。
 端から聞いていたらまるで中間管理職の愚痴みたいだが、真実彼らは恐るべき力を持った魔物、魔獣達。彼らがこぼすような言葉ではない。その格差がなんともおかしい。それでなくともいつも笑みを浮かべている彼の顔が、自然自然にほころんだ。
 早く、自分も含めて彼らの真の力を解放させたいものだ。
 その時こそ…。

「おっと、そんなこと言ってる間にメフィストおじさんの部屋に到着だよ」

 と、タブリスと呼ばれた青年は唐突に足を止め、目の前で自己主張をする巨大な扉に相対した。見るだけで威圧されそうな巨大な観音開きの扉を、苦もなく青年は片手で押し開けた。見たところ片側だけで数トンはありそうな大扉だというのに…。

「………メフィストさん、また扉のグレードをあげたみたいだね。ちょっと重くなってたよ」
「さようでございますか」
「うん。まったくあの気概は見習うところがあるね」

 そんなことを言いながら彼らは扉を抜け、シャワー室とか、プール、アスレチックとか書いてある扉が並ぶ新しい通路を抜け、なにやら気合いを込めたかけ声が聞こえてくる奥の扉の前へ進んだ。


 え? 気合いのこもった声?



「………ちょっと待て」


 これは予想外だ。
 と言うか、運命の神は何を考えているのか?

『如何なさいましたか、タブリス様?』
「……如何もなにも。今日は大事な合の日だってのに、なんであの人はこの部屋に!?」

 憎しみで人を殺せたら…ッ!!!
 その扉の先に彼が呼びに来た相手がいるというのに、青年は露骨に顔を歪ませた。常に浮かべていた笑みも消え、その瞳が強烈な怨嗟と恐怖で濁る。
 この扉を開けたくない。
 出来ればここから逃げ出したい。
 なぜってこの先に何が待っているのか、嫌と言うほどわかっているから。


 通称『肉の部屋』
 扉に掲げられた銘には【筋肉は流した汗に比例する】と肉太の文字で書かれている。

 ゼーレの根拠地『万魔宮(パンデモニアム)』内部で最も恐れ、忌み嫌われている場所の一つだ。その呪わしき伝説はゼーレ内でも曰く付きで、魔獣達のクローン培養施設や禁断の魔本が収められた図書室、大いなる魔力が渦を巻く実験室以上に伝えられているという。
 その恐怖の正体はゼーレの中でも、ほんの一握りの存在しか知らないと言う…。
 そして彼はその恐怖の正体を、片鱗ながら知っている。

 あの日…彼が初めて目を覚ました翌日のことだった。





「あ、あの悪夢はもう…」

 とは言え、いつまでもそうしているわけにもいかない。やるといった以上、最後までやりおおさなければ。そうでなければ、自分の目的を果たすことは出来ない。
 ゆっくり深呼吸をして気持ちを落ち着けると、青年はノブに手を掛け、ゆっくりと押し開けた。

『ううっ!?』
『くさっ!』
『がばれきゃ!?』

 途端に漂ってくる雑巾臭と熱気に青年の体が硬直した。
 雑巾臭、正しくはむせっかえるような汗の臭いの凄まじさに!
 青年だけでなくその背後にいたローブの存在達も揃って体を折り曲げ、あまりの衝撃に身を震わせる。顔の部分からエレエレと鈍い音を立てて変な液体を吐き出している者までいる。

『だ、ダメです。自分はもうダメであります。小隊長、自分を置いていって下さい!』
『あ、汗が汗が汗の臭いが…』
『汗って言うより汁』

 青年はなんとか耐えられたが(でも指で鼻を押さえている)、背後の存在達にはあまりにも刺激が強かったのだろう。
 地面に釣り上げられた魚みたいに倒れると、これまた魚みたいにびっくんばっくんと体を痙攣させる。それを顔の上半分に横線を入れて見る青年。
 某作戦部長風に言えば『ちょ〜っち刺激が強すぎたかしら?』ってところか。

 ちょっちどころじゃないやい。


 それにしても、当人に会うどころかその前にこの有様とは…。
 改めてゼーレ12神将の肩書きは伊達じゃないと青年は体を震わせた。まだ、自分では到底相手にならないと言うことか。

「ふっ、凄まじいね何とも。恐ろしいくらいさ」

 確かに違う意味で恐ろしい。

「あ〜とにかく。
 僕先に行くから、君たちは勝手に上に戻っていてく…れ」

『汁、汁、汁、汁…』
『汗、汗、汗、汗…』

 うわぁ。

 「うわぁ」なんて言っちゃいけないが、そうとしか表現できない有様だった。
 期待してなかったが、返事が無いことを確認し青年は無言で扉を抜け、そっと後手に扉を閉めた。部下である彼らが無事、上階に辿り着くことを信じて。
 でも無理だろうなぁ。と思いながら。

(ま、仮にも僕の直属の部下になろうと言うんだ。力のない者をふるいにかける良い機会だ)

 まさかこういう形でふるいにかけることになるとは思いもよらなかったが。
















『ぬん!』

 と、青年は目前から聞こえてきた気合い充分、男魂1200%と形容するような野太い声を耳にした時、彼は部下達のことを考えるのをやめた。
 ハッと驚きながら視線を目前の闇に凝らす。

(どこだい? …ん?)

 すぐにはわからなかったが、やがて彼の紅い瞳は、暗闇の中でなにやら異様なポーズを決める1人の男(?)の姿を捉えた。最初、彼は男がなにやらエナメルでも塗られた、テカテカ光る服を着ていると思った。それくらい奇妙な光沢を持っている。
 だが、それにしては変だ。
 服に皺が一つも無いというのは…。
 それに床がやたら光っているのは、水でもこぼしたのだろうか?

 いや、違う。

(あ、汗!? あれは全部汗だって言うのかい!?)

 床一面、かなりひろ〜い範囲一杯に広がる水たまり。
 それは全部異臭を放つ汗だった。いや、正しい表記をするべきだろう。

 男汁と!

 あまりと言えばあんまり過ぎる事実に、タブリスは固まった。
 だが甘い。彼にとってのセカンドインパクトはまだ始まったにすぎないのだから。
 そう、エナメルを塗った服を着ていたなどトンでもない。それは侮辱だ。それは男に対する侮辱以外の何物でもない!ワセリンなしでも輝く肉体!
 両手を掲げてポーズを決めていた男が、両拳を胸元でぶつけ、胸と二の腕に力を込める。
 その激しい動きに、黒炭よりも黒い肌の上を汗が流れた。

「む〜ん、モスト・マスキュラー!」
【最高じゃぁ〜〜〜!兄貴ぃ〜〜〜〜!!!】×複数

 力瘤の浮いた上腕二頭筋がピクピクと跳ねる波打つ!
 厚い、いやあまりにも熱い腹筋、背筋、大胸筋がビックンバックンと痙攣するように動き、その動きと共に汗が、いやさ男汁が漆黒の肌を伝って床に流れ落ちる。
 そしてそれに合わせるように周囲を囲んでいた、これまた暑苦しい随喜の涙を流しながら歓声を上げる。

【ア・ニ・キ! ア・ニ・キ! 超兄貴!】

 その歓声に答えるように、男は両腕を腰の後で組み、ちょっと膝を曲げるとテカテカと光る、大木の太さを持った太股を見せつける! 伝説のプロテインを飲んだとしても、彼の肉体美は再現できまい。
 その張り、艶、いずれもまさに生きる芸術品!

『サイドトライセップス!』

【うぉぉおおおおおおおおおっっ!!!!
 もっとじゃあ、もっとじゃあお兄様〜〜〜〜!!!!】


「が、がふっ」

 本当にタブリスは吐血した。
 かつて彼がまだ溶液に浸って浅い眠りについていた頃、『逞しく育て。大きくなれよ〜』と余計なことを言いながら、この男は目の前で1人ボディビル大会をしてくれたが、しかし、これは…。

 あの時の悪夢を遙かに上回っている!

 気絶寸前。
 てーか灰になる寸前だ!
 でも、汗溜まりに倒れ込みたくないので必死になって耐える。筋肉にトラウマがあるというのに結構粘るな。
 しかし、漆黒の男の攻撃は執拗だった。
 ニカッと爽やか極まる笑みを浮かべた男の歯が、揉み上げに繋がるそこだけ白い顎髭が光る。

「ダブルバイセップス・バック!」

 くるっと背中を向けると、鬼の顔というか悪魔の顔が浮かぶ、ごつごつとした筋肉の乱舞を見せつける!!
 蠢くとしか表現できないように、筋肉という筋肉が波打つ!
 半分遠くなった意識で背筋と言うより「バイキン」だ、とタブリスは思った。





【最高じゃ、兄ィは無敵に素敵じゃあ!!】
【兄君さまは天下一じゃあ〜〜〜!】
【兄チャマ、チェキじゃあ!!チェキチェキチェキ〜〜〜!!】

 失礼なことを考えるタブリスとは対照的に、弟(?)達の期待に応えるように、男は右手首を左手で掴み、腰元に当てると足は側面、胸と顔は正面を向くように体をねじり、再びニカッとこれでもかと言わんばかりに爽やかな笑みを浮かべる。

『サイドチェスト!』

 漆黒の男から迸るオーラが、周囲に溜まった汗を霧吹きのように吹き飛ばした。
 弟たちは狂喜乱舞。
 身体中から汗を垂れ流し、同じようにポージングを決めていた野郎どもは雄叫びをあげる。

【1,2,マッスル! ビクビク動くぜスーパーマッスル!】
【兄ぃ〜〜〜〜〜!!】

 既にタブリスは塩の柱と化している。もうピンチピンチ大ピンチ!

(計ったなっ議長!)

 頭のてっぺんからつま先まで汗をかぶって、ドロドロのべちょべちょになったタブリスの精神波崩壊寸前だ。
 そんな彼に気がつかないかのように、実際気がついてないんだろうけど、男どもはこれまでで最高潮のどよめきをあげた。地響きがおきそうなほど激しく足を踏みならし、ポージングを決めながら立ったり座ったりを繰り返して、器用に波を起こす。

【筋肉〜! 肉肉〜〜〜!
 おにいたま〜〜〜〜!】

 まぁだ終わらない!

『アドミナブル・アンド・サイ!』

 そして激しく腰を尽きだし、台風のようにグラインド!
 言葉どおり、腹筋(アドミブナル)と脚(サイ)が、史上これほどまでに自己主張したことがあっただろうか!? いや、ない!
 と断言しても過言でない! 激しく揺れる、波打つ、ほとばしる!!
 極めよ肉体! 筋肉は流した汗を裏切らない!
 六つに割れた腹筋の狂乱! 大腿筋の滝登り! 唸るぜ走るぜ究極の肉体!
 唯一衣服…ビキニパンツに包まれた激しく自己主張する股間が踊る!

 ああ、もう辛抱たまらん!

 むせ返る空気の中、立ったまま気絶する男ども! だが、決して気絶した理由はタブリスと同じではない!
 男達の熱い迸りを止められるものなど何もないのだっ!
 大胸筋、腹筋、およそ筋肉と名が付くもの全てによる肉の祭典はこんなものではないのだ!


 いつの間にか固まったタブリスを取り囲むように男達は動き、筋肉を讃え、誇示する。

(逃げたいです。ごっつ逃げたいです)

 でも逃げられない。逃げたら、一斉に飛びかかられそうで。
 ああ、もう。あの笑顔は狂気です、悪夢です。

(助けて、助けてよママン)

 そんなのいないけど、とにかく青年はママン、助けてと祈り願う。
 彼の救いを感じ取ったのか…笑みを浮かべる漆黒の男。
 白目も黒目もなく全てが蒼い目を光らせながら、白い顎髭の先から汗の玉を滴らせタブリスにツカツカと歩み寄る。むわっと立ち上る汗の臭いに、タブリスは膝が崩れ落ちそうになるのを感じた。
 そんな彼の体を、漆黒の男はもうもうと全身から湯気を立ち上らせながら、ガシッと肩を掴んだ。

「汝に問う!」
「は、はひ!?」
「正義とは!?」

 いきなりなに言ってんだこいつ。

 とは思ったが、そう言った瞬間、後ろで様々なポージングをする男共のただ中に肉ダイブをさせられそうなんで、ぐっと口をつぐむ。賢明な判断だ。
 そして少し考え、至極一般的で当たり前の応えを彼は口に出した。

「勝者の詭弁…かな?」

 うむっ! と大きく頷く男。幸い、タブリスの返答は漆黒の男の眼鏡にかなったようだ。
 どうでもいいけど手を離して下さい。あと、近寄らないで。

「そう、正義とは勝者の、力ある者の主張!
 すなわち…正義とは力!!」

【正義とは力!】×たくさん


 男の言葉に続いて、周囲の男達が一斉に叫ぶ。タブリスを囲む輪が少し小さくなったのは気のせいだろうか。気のせいであって欲しい。ってか気のせいでなければいけないんだ。誰か僕を助けてよっ!
 全身に鳥肌を浮かべ危険な顔色をしたタブリスを、男はガシッと体全体を使って男泣きにむせびながら抱きしめる。もちろん足もがっちりホールド。

「ならば問う! 力とはなんぞや!?」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!?」

 たとえ強調文字で問われても、恐怖の権化に抱きしめられてる彼に答えられるはずがない。こんな暑苦しい肉の塊は、嘆美を旨とする彼とは最も相容れない存在なのだ。さながら水と油のように。

「はなして、はなしてぇー!」
「はっはっはっはっはっ。照れるな照れるな」
「目が腐ってるのかあんたはっ! 心の底から嫌がってるじゃないか!」
「嫌よ嫌よも好きのうち。お前の気持ちは言葉にせずともよくわかっているとも!」
「起きたまま寝ぼけてるのかっ!! だ、誰か助けてぇー!」

 血走った目で助けを求めるが……地下奥深く、彼の叫びを聞いたものはいない。たとえいたとしても、声が聞こえてきたのがどこかを悟れば…。
 タブリスは自分が世界に立った1人。孤立無援になっていることを痛いほど感じ取っていた。

「うあああっ、こんな時のために封印を解いて僕にした連中は何してるんだい!?
 早く助けに来てーっ!」

























 彼らがいるのとは全く違う部屋。
 タブリスに仕える存在達が集う闇の一室。無数の魔物達は時間と空間をも貫き届く主の叫びに、顔を強ばらせていた。

「主の叫びが聞こえる…」
「それも初めて聞く叫びだ。まさか、主が…我らに助けを求めるなど、そんな日が来るとは思いも寄らなかった」

 あの絶大な力を持つ主が、こんな情けなくも弱々しい助けを求めてくるなど…想像だに出来ない。だが、紛れもない事実だ。彼らの見合わせる顔は一様に険しい。

「助けに行かなくては」
「そうだ。そして主の薫陶を受けるのだ。主に仕えることこそ、我らが喜び」

 闇の中で異形達はいきり立つ。彼らにとって自らの命よりも主、タブリスの命令こそが絶対なのだ。
 たとえ相手がゼーレ最高幹部、12神将であったとしても…。
 彼らの忠誠は鉄よりも固い!

「どこだ、場所は!?」
「感じる…私にはわかる。主は…地下奥底深く。暗黒将軍殿の部屋におわす」

 彼ら一同の脳裏に浮かぶアドミナル・アンド・サイ。





「……またにしようか」
「だね」
「死ぬ訳じゃないし。そろそろ飯でも食いに行かないか」
「お、いいねぇ」

























「うあああ、なんだか凄く見捨てられた気分がするー!」

 血の涙を流しながらタブリスは暴れる。しかし、がっちりと抱きすくめられた彼の体は、漆黒の男の素肌から1ミリだって引き離されない。暴れたことで死人のように冷たい体が熱くなり、よりいっそうじっとりとした体温を感じる。

「さあ、この胸に飛び込んでこい。完璧に受け止めてやろう!」


 死ねと。

 肉体の生理機能が働き、彼のブレーカーが堕ちた。唐突にタブリスの体から力が抜け、目が裏返った。

「ぬ、根性のない奴め!」

 白目をむき泡を吹いて気絶したタブリスに腹立たしそうに、だがやっぱり離そうとしないまま男は言葉を続けた。

「まあ良い。続けるぞ弟達よ。
 力とは、筋肉!」

【力とは、筋肉!】×ごっつたくさん

 男の後に周囲の男…いや、異形の魔物達が続く。マジで異形だ。
 どいつもこいつも、それは『ナンノジョウダンデスカ』とカクカク震えながら問いたくなるような有様だ。異様に発達した筋肉とか、てかる素肌とか白く光りすぎる歯とかそういった感じである。
 トロールなどのヒューマノイドは言うに及ばず、無機物であるはずのゴーレム(ええっ!?)とかスケルトン(えええっ!?)であっても例外なくマッチョだ。その筋肉は厚く、太く、重い。




 ゴブリンから魔獣進化したバグベアが大胸筋をピクピクと蠢かせる。そのつぶらな瞳は官能の火照りに潤んでいた。

【ああ、兄ぃ…もうダメだよぉ】


 顔の幅と同じ大きさの口から涎を垂らし、トロールがアニキに負けないほど爽やかな笑みを浮かべて片足ヒンズースクワットを行う。流れる汗が眩しく光る。その姿は美しい。

【アニキ…もう辛抱たまらん!】


 文字通り太い胴体の大蛇がその逞しい肉体美?を伸び上がって誇示する。一秒でも余計に兄君に見てもらいたいから…。

【タブリス様が素敵に羨ましくて妬ましい…。せめて私を見てくれ兄君…】


 身長が5メートルを超える巨体が震えた。
 無機物であり筋肉トレーニングなど何の意味もないはずなのに、パンプアップした上腕二頭筋に力瘤を浮かべたゴーレムが兄ちゃまに尊敬の眼差しを浮かべる。

【こんな日は、兄ちゃまを見て溜息をつくだけでも…悪くない】


 鱗が弾けんばかりの筋肉を持て余すどころか、見事に芸術的なラインへと鍛え上げたドラゴニュートは、随喜の涙を流して兄やとタブリスの対極の美を見守る。

【ガリガリのタブリスと、兄やの太い筋肉のコラボレーション。ワシは美の極致を見ているんじゃ〜〜〜!!!!】


 元々は病弱で、筋肉を鍛えるなど考えることもできなかった存在…グリーンスライムから魔獣進化したブラックプティング(黒スライム)が、兄君様が流した汁の中で泳いだ。今にも迸りそうな感激が彼の全身の細胞を刺激する…。その筋肉はスライムとは思えないほどに滾る。って筋肉あるんか?

【ああ、兄君様…今にも、とろけそうです…素敵じゃあ、もう我慢できないっ!】


 巨大な一つ目を潤ませ、千里眼獣がヒクヒクと全身の筋肉を波打たせながら神々しくも素晴らしい、兄たまの肉体を隅々まで鑑賞する。眼鏡のズレを直すその角質の鱗に覆われた表情が恍惚にとろける。いや、鑑賞などおそれ多い。その全てを、写真に撮るように、網膜に留める!

【ハァハァ…兄上さま、その腹筋、背筋、大胸筋…ワシを悶え殺す気ですかい】


 呻き声を漏らしながら2人を見つめるのは雄々しくそそり立つ角を持つミノタウロスだ。太い血管の浮いた腕が逞しい。その心を占めるのは兄さまへの思慕と、自らの肉体が兄君の1%にも達していないことに対する渋りだ。それは裏を返せば、もっともっと鍛える余地があると言うこと。

【おお、おお…。兄さま…これぞ究極の愛の形。もふー】


 室温は確かに暑いが、南国の日差しにいるみたいに汗を流し続けるのは、羽と言うより羽毛を腕に張り付けていると錯覚しそうなほど逞しい翼を持ったハーピーだ。その太さから、一体どれほどの鍛錬をしたのか、想像に難くない。だが、彼に言わせればこの程度に感心しているようでは鍛錬が足らない、と言うところだろう。
 そんな奴は『恥を知れ』

【ふぉおおおおおっ! 痺れる、痺れる…!
 お兄様、素敵に痺れるんじゃ! ワシの尾底骨までひびきそうじゃ!】



 感極まったのか、逞しい肉体を誇示する人面のライオン…スフィンクスが汁まみれの床を転がって身悶えた。その顔は恍惚とし、素晴らしき肉の饗宴にいってしまったかのようだ。

【ああ、ああ、素晴らしいよ…いい。お兄ちゃま…】


 歯をカタカタと鳴らしながら、一体のスケルトンがその胸骨と肋骨を誇示するようフロント・バイ・セップスをしつつ圧倒的な存在感を示す筋肉の権化、すなわちお兄たまを見つめる。その虚ろなはずの眼窩で光るのは、紛れもない感動の涙。筋肉の奇跡はあるはずのないものまでも存在させる。
 筋肉の熱い思いに不可能はないのだ!

【お兄たま…。この素晴らしさ、魔界に伝えねばっ!】


 とりを飾るのは全てが漆黒の男のコピーのように逞しい、翼を持つ灰色の影。しなやかに脈動する岩の塊。翼持つ悪魔ガーゴイル。その腕も足も、胸も腰も、翼も…全てが熱き男の迸りで一杯だ。
 その口から感動のつぶやきが漏れた。

【お兄ちゃん…。これぞ究極の美にして、萌えの形なんじゃな!
 言葉にせんでも、ワシにはわかるんじゃ〜!】






 いま、色んな人を敵に回した気がします。
 明日の朝日を拝めないかも知れません。


 ともかく…。そう、ともかく。
 彼らはタブリスに対し、最高の愛表現である肉布団で奉仕するべく、どんどん囲みの輪を狭めていく。そんな彼らの姿が頼もしいのか、漆黒の男はニヤリと男臭い笑みを浮かべた。その肉体美がよりいっそう輝きを増す。

「そう、筋肉! 筋肉を制する者こそ正義! すなわち、絶対の美!
 世界の支配者! 筋肉は決して裏切らない!
 おお、筋肉って素晴らしい!!!」

【筋肉って素晴らしい!!】 × 12

 完全にタブリスを囲む輪が閉じる。
 その時、身の危険を感じてか彼の意識がこんな時に限って、ばっちりはっきり覚醒してしまった。まあ、気絶したままとどっちが良かったかと言えば、これは…五十歩百歩としか言いようが無かったが。


「ひ、ぎゅああああああっっ!!!」

 はなしてはなしてぇ! と女の子のような悲鳴を上げながらタブリスは細胞の一つ一つから力をこそぎ出すように、必死に暴れた。そうしないといけないのだ。逃げないと、全力で逃げないと。
 今彼の置かれてる状況は、寝ている心臓に杭を突きつけられてる以上に危険極まる。
 だが、がっちりとホールドされた漆黒の男の腕は、鋼鉄を溶けた飴細工のようにねじ曲げるタブリスの腕力を意図も容易く封じ込めていた。そう、こと腕力に関して彼に並び立てる存在はいない。

「ああ、もう辛抱たまらん!」

【うぉぉぉぉぉぉぉぉ、さいっこうじゃあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
 メフィラスの兄貴ぃ!!!!!!!!】


 ピンク色に染まった吐息を吐きながら、漆黒の男は体を震わせた。全てが……噴き出す。

「ぬぅおおおお、念彼観音力〜〜〜!!!!」




「や〜〜〜め〜〜〜〜〜てぇ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
 きぃやぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」



 信じられないかも知れないが、この漆黒の男こそゼーレ12神将の1人 ─── メフィスト・フェレス ─── 『メフィラス大魔王』その人なのであった。
 そらまあ、こんな濃いのが暴れていたら外の魔物達も狂うわな。





【お断り】

 このあと、ちょっと、いやかなり、いやいやとにかく物凄い。
 何というか凄惨極まる光景の描写が入ります。
 作者の筆力では書いたらノリノリ…もとい、書けません。書いたら終わってしまいます。

 色んな意味で。

 と言うわけで割愛させていただきます。ご了承下さい。







続く








初出2004/01/02 更新2004/12/26

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