Nebel ―霧―

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  1-1  


 ジンが統制機構に入隊してまもなくの頃だった。
 かねてから和平交渉を提示してきたイカルガ連邦に対し、統制機構が交渉を拒否したのだ。




 イカルガ連邦は統制機構の命に反旗を翻し、『イブキド』を中心とする階層都市五つをもって『イカルガ連邦』を建国させた。統制機構はその行為を許すはずもなく、同時期に武力鎮圧を開始させ、「イカルガ連邦は侵略戦争を目的としている」と批難を繰り返す。
 その三年後、事件は起こる。
 イカルガ連邦の中核都市である、第五階層都市『イブキド』が突如として消滅したのだ。
 生き残ったものは少なく、期待している程証言も得られない状況下、統制機構は疑義感に駆られる。
 諜報部の話では、イブキドで何かが製造されていたという。何かまでは不明だが、悲鳴のような声が聞こえたという。しかも少女くらいの人間。その報告を受け取った上層部は息を呑んだ。一同「まさか」という顔色で調査に向かった人たちを見やる。同日の深夜、上層部内にて極秘で会議が開かれた。

「……さて、どうしたものか」
 議長は渋面を滲ませ話を切り出した。
「奴らは【門】の存在に気付いているでしょう。イカルガには第七機関という施設が強く影響していると聞く」
 議長の正面にいる男が、眉間に深く皺を寄せ、吐き捨てるように話す。
「【門】だけは何としても外部に漏らしてはならぬ。たとえそれがこの世の倫理に違反するとしても」
「議長の仰るとおりです。【門】は統制機構だけが触れる事を許された、禁忌の扉。誰にも渡すわけにはまいりません」
 この中では比較的若い男が、息をまいて一気に言葉にする。一同静かに頷いた。
「しかし、我々はかねてからイカルガ連邦を武力による制圧をして参りました。他の階層都市や一部の市民からはこの行為に対して批判的な意見も出てきています。……どうやって……」
 すると議長はニタリ、と、不気味に微笑む。
「流れている情報を操作すればよい。悪いのはイカルガの連中、正義は我ら統制機構にあり、だとな。あんな卑民《ひみん》などに【シュオルの門】、ましてや【神の領域】に触れさせる訳にはいかぬのだよ……」
 人が踏み込んではならない事を実行する、招集された人たちが皆感じた。
 しかし甘い汁を他の人に分け与える事など、考える人間は一人もいなかった。




 魔導船などを要して、ジン=キサラギは第五階層都市『イカルガ』まで訪れた。
入隊して早々戦に駆り出されるとは思いもしなかったせいか、緊張感だけで疲労が蓄積されていく感覚に見舞われる。
 訓練どおりに動けばどうっていう事はない。ジンは自らに言い聞かせ、魔導船から降り立った。
 眼前に広がる光景はまさに『戦地』、というのにふさわしい荒廃した姿をさらけ出していた。
 もともとは住宅地が広がっていたであろう場所は、統制機構の攻撃を受け破壊され、人の気配すらしていない状況だった。
「約三年でここまでになるのか……」
 思わず呟いてしまった言葉。誰にも聞かれていなかったのが幸いした。
 荒廃するまで徹底的に叩く必要があるのか? ジンはそう感じ胸を痛めるのと同時に、微弱な頭痛が襲う。

 ――どこかで見たことがある。

 しかしその既視感を誰かが否定する。ジンは自然と左手に握られた刀に目を向けた。
「ユキアネサ……。また、お前なのか」
 たまに起こる現象。ジンが思いだそうとしている記憶に対し、ユキアネサが制御してくるのだ。
 不必要な記憶ならまだいい、しかし自分の必要な記憶だったらと考えると、ジンの心にわだかまりが出来てしまう。
「僕に必要のないものなら、どうでもいい」
 今そのような事に執着している暇があるのなら、この内戦を終わらせる手伝いをしなければならない。

 先に到着していた魔導師団の団長に会いに行く。
 ジンの姿に気が付いた団長は、小さく頬を綻ばせ、すぐに引き締まった表情を向ける。
「団長殿。先日第四方面師団に入隊しました、ジン=キサラギ中尉です」
「おお、君が矛十二宗家・キサラギ家の。入隊早々すまないな」
「いえ。戦う事が我らの使命だと考えております故、そのようなお気遣いは無用です」
 団長らしくない言葉に、ジンは拍子抜けしそうになった。それとも自分が十二宗家の人間だから遠慮がちなのだろうか?
「それは頼もしい。これから激戦地に入る予定だ。団長命令としては一つ、生きて帰還するという事のみだ」
「はい!」
 その命令は簡単なようであり、難しいものだった。
 ここは戦地なのだ。いついかなる時、命を落としてもおかしくない。柔和な声から発せられた言葉に、ジンの表情は硬くなる。
 ジンの不安をよそに、手の平から伝わるユキアネサの気配は殺意に満ちていた。
(そんなに人を殺したいのか、ユキアネサ……!)
 強く念じた時、ユキアネサから問いかけがくる。
『貴様は悪が憎くないのか?』
(……悪は、憎い)
 この世にはびこる悪は許しておくことは出来ない。徹底的に根絶していくべきだと思う。
 しかし己の直感が伝えているのだ、ここに悪はないと。既に消え去った、とでも言うべきなのだろう。
『それはまやかしだ、幻想に過ぎぬ!』
 脳神経を伝って流れたジンの直感をユキアネサが全否定する。
『ここには悪がある。それを断ち切れ、ジン=キサラギよ!!』
「うるさい、ユキアネサ! それは、僕が決める事だ」
 ギリッと歯がみをし、鞘を強く握った。
『それはどうかな?』
「……っ!?」
『貴様はこの戦いで理性を飛ばす。そう、我らがある限り、貴様は正義の血を求めるのだからな……』
 意味深げな台詞を残し、ユキアネサは普段通りの冷気を放つ刀へと戻っていった。



【続く(2012/10/25)】
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