俺と兄と婚約者の秘め事
■夜の過ち■
出陣前の陣地内にて。婚約者である王元姫と、兄である司馬師が会話している背後で司馬昭は大きな溜息を一つついた。そして複雑そうに二人を見やる。
この二人が『それ以上』の関係であることを司馬昭は知っていたからだった。
それはある日偶然夜、司馬師の自室の前を通りかかった時だった。ギシリと寝台がしなる音が廊下まで漏れ、それと同時に聞き覚えのある嬌声が耳に届いたのだ。まさかという気持ちはあったが、心の中で兄である師に盗み聞く事を謝り、戸の前に立ち耳を澄ませた。
元姫に似ていると思った。
しかし元姫は数度司馬昭と夜を共にする仲にまで発展していたので、これは別人の嬌声だと思いたかった。声の似ている侍女か遊女であればと考えていた。しかし昭ならともかく、兄の師は女性と深い関係になるという事は滅多にない。それが本気でも遊びでもだ。
遊女でもないのなら、兄に好きな人が出来たという事で昭は喜ぶべきだった。……しかし、何故かその時は手放しで喜べるような感覚ではなかった。そう思考を巡らせている間にも、喘ぎ声と一定の間隔で鳴り響く軋みは止まる気配がない。
「……っあ! 子元殿……っ、はっ……あっ……!」
喘ぐ声に師の字《あざな》が出ると、寝台の軋みは僅かばかり大きくなる。
「元姫……っ」
確かに聞こえたその名前に、司馬昭は双眸を大きくし息を呑んだ。声が出そうになるのを必死に堪えその場から立ち去ろうとした。だが取り憑かれたように足は動かなく、情けないくらいに膝が震えていた。まさかここまで動揺しているとは思ってもいなく、昭はその場にしゃがみ込み頭を抱える。
――まさか兄上と元姫が……。
信じたくない現実を目の当たりにし、頭の中が真っ白になる。
「……そんな……、嘘、だろ……」
思わず呟いた言葉。
昭の目を盗んで兄と婚約者が淫靡な関係になっていたなんて。
裏切られたのか? と考えたが、それと同時に婚約する以前から二人の想いは同じだったのではという考えが過ぎる。では何故元姫は昭と婚約をしたのか。親から言われて仕方なくなのだろうか? だが物事をわきまえハッキリと意見を言う元姫の事だ、もし昭と一緒になりたくなければ断るはずだ。それなのに今ここで聞こえる嬌声は何なのか。
兄の師も元姫の事が好いていたのならば、何故婚約することに反対しなかったのか。やはり父である司馬懿を畏れての事だったのか。
「子元殿……っ、お、奥に……っ、……はぁあっ……!」
「……っ、ここがいいのか? 元姫……っ」
「だ、だめです……っ! それ以上突いたら……ぁ、ああんっ!」
「元姫が言ったのだぞ? ここが好いと」
「やぁっ! ああっ!! そんなに攻めたら……っ、はぁっ! い……イッてしまいます……!」
昭と性交をしているときよりも、元姫は喘ぎ悶えていた。それが何より衝撃的であり、同時に悲しいことだった。
司馬師には遠く及ばない。
武芸にしても、学問にしても、そして性技にしても……。
わなわなと両手が震え、見開いた双眸からは涙がハラハラとこぼれ落ちてきた。それなのにも関わらず、昭の下半身は勃ちあがっていた。
「元姫……、そろそろ限界だ……っ」
「子元殿っ……!!」
寝台の軋みと粘液が混ざり合う卑猥な音が、昭の耳に伝わる。
「あぁーっ!!」
おそらく二人は果てたのだろう。耳障りな音は一切しなくなった。
(早く、この場から立ち去らないと……)
震えてまともに動かない膝に活を入れ、何とか司馬昭は師の部屋の前から立ち去ることが出来た。廊下を歩いている間も全身の震えと目からこぼれる涙は止まらなく、夜分遅くに出歩かなければよかったと後悔の念が湧き上がる。
知らなければ良かった現実。信頼していた二人の裏切り。
婚約者を寝取られたという悔しさはあったのだが、その相手が自分の兄だったせいか、どうも今ひとつ『強い憎しみ』というのが湧いてこない。どこかで『相手が兄上ならば仕方ない』という諦めの気持ちがあったのかも知れない。
「兄上が相手なら……、敵うはずないじゃないかよ……」
こういう場合どうすればいいのか。昭には既に答えが出ていた。
――全て、黙認しよう。
昭が二人を責め、今までの関係が悪化するくらいなら、黙って見逃してしまう方がいいと結論づけた。明日の朝になったら、笑って二人に声をかけよう。自然でいよう。そう決めたのだ。しかしそれで昭の気持ちが晴れるという訳ではなく、むしろ苦しめるだけだという事にこのときは気付かなかった……否、気付かない振りをしていた。
「元姫……。やっぱり俺じゃあダメなのか……?」
部屋に入るなり、昭はその場に崩れ落ちるように座り込み、声を上げて泣き出した。
『子上殿ってば、不甲斐ないんだから。お仕置きが必要みたいね』
普段の元姫ならば、現在の昭の醜態を見るなりそう言うかも知れない。泣き続ける司馬昭はそこまで行き着く思考力は残っておらず、暗い部屋の隅でただただ男泣きをした。
《続く》
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