俺と兄と婚約者の秘め事

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  狂った夜  

二.


 一通り泣きはらし、ふと目を明けると朝になっていた。虚ろな視線を上げると、そこに元姫の姿があり、ジトリと愛らしい双眸が座っていた。どうやら寝台で寝ずに、昨日座り込んだままの場所で寝てしまっていたようだ。慌てて立ち上がったが、上手く言葉が出てこない。最初に話しかけてきたのは元姫だった。

「子上殿。いくら疲れていたとはいえ、このようなところで寝ていたら駄目じゃない。風邪でもひいたらどうするの?」
「わ、悪い、元姫……」
「あなたの体は、あなただけのものではないのよ?」

 何気ないその台詞に、司馬昭はドキッと心臓を鳴らした。
 昨晩見た光景が鮮明に甦る。元姫の感じる場所を熟知し責め立てていく兄と、それを受け入れ甘い声を上げて悦《よろこ》ぶ婚約者。見たこともない二人の姿に、ただ呆然と見つめることしか出来ずにいた。あれが夢ならいいと、司馬昭は思った。

 ――いや、夢だったのかも知れない。

 ふとそんな思いが巡り、昭は元姫の肩を掴むとすがるような声色で問うた。

「元姫っ! 昨日はどこにいた……?」
「えっ?」

 僅かに元姫の双眸が揺れたが、昭は気付いていないのか、真っ直ぐな眼差しで彼女を見つめている。小さく息を吸い、元姫は形の良い唇を開く。

「……自室よ。どうしても終わらせたい刺繍があったの。そしたら夜中まで時間かかっちゃって……。子上殿の部屋まで行けなかったの。……その、ごめんなさい……」
「そ、そう……か」
「不安、だったの……?」

 元姫の体が力なく昭の胸に飛び込んできた。まるで己の心を見透かされているようで、どことなく居心地が悪かった。

「不安だ、って言ったら?」

 肩においていた手を細い背中へ回し、強く抱きしめる。ちょうど元姫の柔らかい髪の毛が昭の鼻の頭をくすぐり、甘い香の匂いが鼻腔を貫く。

「し、子上殿……っ」
「俺、元姫がいないと不安だ。……不安で、押し潰されそうになる。出来ればでいいんだが、一緒にいてほしい――」
「……っ、不甲斐ない!!」

 突然大きな声を上げると、元姫は司馬昭の頬を平手打ちした。あまりにも想定外すぎる事で、昭は訳もわからないといった表情を浮かべながら、眼前にいる婚約者をみやる。

「げ、元姫!? ど、どうして叩くんだ??」
「子上殿が不甲斐なさ過ぎるからよ」

 目が座り、声まで座っていた。これは本気で苛立っている時の元姫だと昭が理解した時には遅かった。もう一発平手打ちが飛んでくる。どうしてだか昭は、この瞬間が嫌いではなかった。

「あまり私に依存しすぎるのも良くないわ。あと父君の司馬懿殿や、兄君である子元殿にもね」
「っ!!」

『子元殿』という言葉を耳に入れた刹那、昭の表情が硬くなる。

「元姫……、俺……兄上よりも頼りないか?」
「…………今のところは、ね。だけど子上殿には子元殿を超えられる器がある。これは私が保証するわ」

 ――今は兄上よりも頼りない。

 元姫から発せられたその言葉は、どんな刃物傷よりも鋭く昭の心を抉《えぐ》った。

「そっか……。悪いな元姫。手間かけさせて。先に広間に行っていてくれるか」
「……うん。子上殿が来るの、待っているから」

 そう微笑んで元姫は昭の室《へや》から立ち去っていった。



***



 どうも司馬昭の様子がおかしい。
 広間に向かう最中、元姫はそのことばかり考え込んでいた。見つめられる視線は全て哀しく、そして仄暗かった。まさか昨日の司馬師との情事をどこかで見聞きしてしまったのか。もしそうだとすれば、先程放った言葉はどれだけ彼を傷つけてしまっただろう。

「私は……莫迦なんだわ……」

 周囲から持て囃《はや》されようと、結局は一人の女性なのだと、司馬師と結ばれたときに気付いた。
 元姫は幼い頃から司馬兄弟を知っていた。中でも長兄である司馬師に淡い想いを抱いていたのだが、親同士の決め事で彼の弟である司馬昭と婚約する形となった。激しい心の葛藤はありはしたのだが、元姫はそれを受け入れ、そして司馬師への想いを棄てようと決意した。
 婚約した事を周囲に知らせ終わって三日目のことだった。突如夜、元姫は司馬師に人気のない場所にくるよう言われ、月の光しか通さない小さな庵へとやってきた。その時の師の表情はよく判らなかったが、恐らく哀しい目をしていたに違いない。彼らしくなく声に張りがなかったからだ。

「よく来たな元姫。まずは昭との婚約……おめでとう、と言えばいいのか」
「あ、ありがとうございます……。子上殿の支えになれるよう、精一杯添い遂げたいと思います」

 散々口にしてきた台詞のはずなのに、どうして胸が苦しいのだろう? 次第に目頭が熱くなり、喉も焼けるように熱くなってくる。正直こうして立っているのもやっとの状態だ。

「お話とは、何なのでしょうか?」

 やっと絞り出せた言葉も、どこか震えていてみっともなかった。

「……私の気持ちの整理をつけようと思ってな……」

 言い終わるのと同時に、元姫の体は師に抱きすくめられた。力強く、しかし何処か遠慮がちに。司馬師にも迷いが生じていたのは明らかだった。

「私はお前のことが好きだった。出会ったときから元姫しか見ていなかった」
「っ!!」
「しかし、今やお前は昭の婚約者だ……。私がどれだけ手を伸ばしても、二度と届かぬ……。ならばせめてこの想いを伝え、私は新たな道へ進むことにしよう」
「子元殿お待ち下さい! 私も、あなた様に想いを寄せていました……」

 何だと? と声を漏らし、司馬師は驚きをあらわにする。溢れ出した言葉の波は止まらず、元姫は問い詰める勢いでたたみかける。

「私も……、私も幼い頃から子元殿ばかり見ておりました。あなた様のような殿方が夫となればと常に考えておりました。ですが…………」

 ――私は、子上殿のところへ嫁入りします。
 そう言葉を続けられず、元姫は大粒の涙をこぼした。
 こんなに近くにいるのに、実際は触れる事すらも赦されない距離。現実とは残酷だ。

「元姫も……私の事を愛している、と……?」
「はい。私も子元殿の事が――――」

 そこから次の言の葉が出てこなかった。否、封じられてしまったのだ。
 気がつけば司馬師は元姫の唇に己の唇を落とし、更に彼女の舌を蹂躙していたのだから。クチャ……と粘りのある水音が庵に響く。呼吸が途切れそうになるのを必死に堪え、元姫は師の舌に吸い付く。お互い呼吸が荒くなると唇を離し、真新しい酸素を脳へと送る。離れた舌と舌からは透明な糸が繋がり、月光によって淫靡に照らされる。

「元姫……。すまない……」
「いいえ……。その、もっと……子元殿を感じたいです」
「それは……私と不倫をするという事になるぞ?」
「子元殿と一つになれるなら……」

 このとき『司馬師』と『王元姫』ではなく、恋愛をしているただの『男』と『女』になっていた。

「後悔、するではないぞ……」

 言葉では厳しく言う司馬師だったが、表情はどこか幸福感に包まれていた。




 月の光だけが二人の情事を知っていた。
 本来ならば昭が元姫の処女を奪うところだったのだが、実際に奪ったのは彼の長兄・師であった。破瓜した部分からは赤い血液と師が放った精液が混同していた。

「痛くはなかったか……?」

 痛くはなかったと言えば嘘になるが、愛しい人と一つになれた事が嬉しくて、この痛みすら乗り越えられるような気がしたので、元姫は頭を左右に振った。

「溜まっていらしたのですね……。それとも殿方とはこのくらいの量を出すのでしょうか?」
「……いや、溜まっていたのかも知れぬ……。途中、優しく出来なくなってすまなかった」
「いいえ。子元殿のお気持ちが直に伝わって、嬉しかったです……」

 そう言って元姫は司馬師の胸に顔を埋める。そんな元姫の頭を優しく撫で、小さく笑う。

「子元殿……。愛しています」
「私もだ、元姫。愛している」

 ――そこから二人は道を外した。


==続く==(12/03/11)
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