90:あけましておめでとう
  scene1滝と宍戸



 宍戸が目を覚ますと、部屋の中は真っ暗だった。起きたまま年越しをする予定だったのに、いつの間に眠ってしまったのか。
 ベッドの上に身を起こすと、携帯を開く。
 メールや着信がいくつかあったらしく、気づかず眠っていた自分に驚いた。
 頭をかきながら、さてどうしようと考える。
 部活仲間と初日の出を見に行く約束をしていたが、それにはまだ早いだろう。
 今寝たら起きられないだろうと、とりあえず顔を洗うことにした。
 家族は既に寝てしまったのか、家の中は静まりかえっている。
 大きな音を立てないよう気をつけながら顔を洗っていると、庭から物音が聞こえた気がした。
 宍戸の家では犬を飼っていたが、見知らぬものがくると小屋に隠れてしまうので、番犬としてはまるで役に立たない。
 正月早々泥棒に入られたりしたらシャレにならないと、宍戸は様子を見に行くことにした。


 懐中電灯代わりの携帯を持って、宍戸は庭へ出る。
 ライト機能で照らした庭には、特に異変はないようだった。
「おい。今、誰か来なかったか?」
 宍戸の姿を見つけ、小屋から出てきた飼い犬に話しかけたが、嬉しそうにしっぽを振るばかりで、もちろん答えはない。
 仕方ないなあとしゃがみ込んで頭を撫でてやると、背後で草を踏む音がした。
「……誰だ!?」
 鋭い声を発しながら携帯の光を向けた宍戸に、相手は困ったように両手をあげる。
「ぼくだよ、ぼく」
「滝……?」
 そこに立っていたのは、数時間後に落ち合う予定である、部活仲間の滝だった。
「まぶしいんだけど」
「あ、悪い」
 光を消すと、あたりは暗闇に包まれる。
 何故こんなところに滝がいるのかわからなかったが、外にいても寒いだけなので、宍戸は滝を家の中へ迎え入れた。


 宍戸が飲み物を持って部屋に戻ると、滝は座ったまま物珍しそうに部屋の中を見回している。
「なに見てんだよ」
「宍戸の家に来たの、初めてだなあと思って」
 飲み物を置いた宍戸にありがとうと返すと、滝はまじまじと宍戸の顔をのぞき込んできた。
「な、なんだよ……」
「いいじゃない、減るもんじゃなし」
「そりゃそうだけどよ」
 跡部のような嫌みなぐらい整った顔ならともかく、自分のようなどこにでもいる顔を見て何が楽しいのだろう。
 滝と二人きりでいるという状況に慣れることができず、宍戸は自分の部屋だというのに少しも落ち着くことができなかった。
 部活仲間とはいえ、宍戸と滝は会えば話すぐらいで、それほど仲がよい訳ではない。
 滝を蹴落として正レギュラーに復帰したようなものである宍戸は、内心嫌われているのではないかと思っていたぐらいだ。
 こうして家まで訪ねてくるところをみると、そうではなかったようだが。
「そういや、迷わなかったか?」
 確か、滝の家は学校から電車を乗り継いだところにあったはずで、宍戸の家とはまるで方向が違う。
 飲み物に口を付け、体を温めていた滝が横目で宍戸を見てきた。
「少しね」
 その頬がいつもより白いことに気づいて、宍戸は思わず指先で触れる。
 冷たさが伝わり、相当長い間外にいたらしいと、宍戸は目を見開いた。
「電話くれれば迎え行ってやったのに」
 それとも、もしかして気づかなかった着信履歴の中に、滝の名があるのだろうか。
「いいんだ。自分で来たいと思ったから来たんだもの」
「でもよ」
「ほんというと、迷った時間より、宍戸んちの前にいた時間のほうが長いんだ」
 電気がついていなかったのでチャイムを押せずにいたのだと、滝はなんでもないことのように笑った。
 滝が無理に笑っている訳ではないとわかって、宍戸は違うことを訊ねる。
「お前、なにしに来たんだよ?」
 当然の質問に、滝は目を丸くして、ああと宍戸に向き直った。
 正座をして、膝に手をそろえた滝に、宍戸も同じようにすると、滝が再び笑みを浮かべる。
「宍戸の、そういう素直なところが好きだよ」
「は?」
 面食らう宍戸には構わず、滝は深々と頭を下げた。
「新年、明けましておめでとうございます」
「あ、あけましておめでとう」
 つられるように、宍戸も頭を下げる。
 顔を上げると、滝は宍戸の手を取って真顔で言った。
「今年も、宜しくお願いします」
「あー、よろしく」
 ぶっきらぼうに宍戸が言うと、満足したのか滝が手を離す。
 それきり黙り込んだ滝に、少し待って、宍戸は痺れをきらし口を開いた。
「……で?」
「でって?」
 滝が首を傾げたので、宍戸は少し声を荒げる。
「それで、何しに来たんだって」
「だから、新年のご挨拶に」
 おかしなことを聞く奴だという顔の滝に、本気でそれだけのためにやってきたらしいと、宍戸はあきれ果てた。
「んなもん、後で会ったときでいいじゃねえか。メールだってあるんだし」
「ばかだなあ宍戸」
 しみじみとした口調で言われ、宍戸は怒りに顔を赤くする。
「誰がばかだっ」
「一番に、言いたかったの。顔を合わせて」
「だからって、こんな時間にわざわざ家まで来るかあ?」
 他の連中ならともかく、滝は結構いい家柄の跡取りで、厳しく育てられたと聞いている。こんな時間に家を抜け出して、後で怒られるのではないだろうか。
 心配して訊ねると、滝はそうだねえと呑気にほほえんだ。
「ぼく的に、ちょっとした冒険気分だったんだけど」
「冒険って……」
 よくわからない奴だと、宍戸は肩をすくめた。
 これまで、品行方正な優等生なのだとばかり思っていたが、どうやら違うらしいと認識を改める。
「でもまあ、嫌いじゃないぜ?」
「え?」
「俺、お前が笑った顔、けっこう好きかも」
「なんだか曖昧な表現なのがちょっと気になるけど、ありがとうって言っておくよ」
 照れ隠しのように言った滝の笑顔を、やっぱり好きだなあと宍戸は思った。


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2005 01/06 あとがき