scene2・跡部と宍戸と滝


 新年の挨拶もすませ、さて時間まで何をしよう。皆との待ち合わせの時間までには、まだ少しあった。
 滝は、宍戸が先ほどまで寝ていたベッドに腰掛け、楽しそうにしている。
 一体何が楽しいのだろうか。宍戸にはさっぱりわからなかった。
 三年間一緒に過ごしてきたというのに、宍戸にとってのは滝は謎に包まれている。
 話してみればごく普通の中学生なのだが、何となく気後れしてしまうのだ。
 正月からゲーム、というのもどうかと思う。とりあえずテレビをつけ、宍戸は間を持たせることにした。
 適当な特番を見ながらだらだら喋っていると、携帯が鳴り出す。滝が、宍戸を見た。
「鳴ってるよ」
「ああ、俺のか」
 のそのそと、宍戸は携帯に手を伸ばす。
「もしもし?」
 待ち合わせている誰かだろうと、名前も見ずに出た。
『よお』
「……跡部?」
『ああ』
 この妙に色気のある声は、間違えようがない。幼なじみである、跡部のものだ。
「なんだよ?」
 跡部は、初日の出を見に行くメンバーには入っていない。跡部はそういった団体行動を好まなかったし、年末には日本を出て正月は海外で過ごすと聞いていた。
 海外からかけてきたのかと思ったが、それにしては声が近い。
「今、どこにいんだよ?」
 滝の視線を感じながら、宍戸は問いかける。
『ああ、』
 跡部の声とともに、犬の鳴き声が聞こえてきた。宍戸は、勢いよく立ち上がる。
「宍戸?」
 滝が驚いて声をかけてきたが、宍戸は何も言わずに部屋を出た。大あわてで、玄関へ向かう。
 転がるように階段を下り、扉を開けると、門のところに宍戸の飼い犬に懐かれている幼なじみの姿があった。
「よお、早かったな」
 携帯から、同じ言葉が聞こえてくる。

「お前、何やってんだこんな時間に! てゆーか、海外行ったんじゃなかったのか? どこだか別荘行くとか言ってたじゃねえか! まさか乗り遅れたとか……?」
「一気に喋るな。焦んなよ」
 ふん、と鼻を鳴らし、跡部が携帯をポケットにしまった。
「焦ってねえよ」
 何だか恥ずかしくて、宍戸は誤魔化す。跡部が口の端をあげた。
 相変わらず、嫌みな笑い方だ。
「……で、何やってんだよ?」
「あ、跡部だ」
 跡部が声を開く前に、背後から声がかかった。滝だ。
 そこでようやく、宍戸は滝を置き去りにしてきたことを思い出す。
 跡部が、目を丸くした。滝がいたことに驚いたのだろう。
「てめえ、何してやがる」
 跡部が、目つきを鋭くして歩み寄ってくる。滝が、こわーい、と言葉とは裏腹に楽しそうな声を出した。
「何、その顔。親の敵でも見たみたい」
 跡部は何も言わず、滝を睨み続ける。
「おい、何だよ跡部? 新年早々、んな顔してんじゃねえよ」
 宥めるように、宍戸は跡部の肩へ手を置いた。
「ちっ」
 跡部は舌打ちしたが、表情は若干和らいだように見える。
「寒いし、とりあえず入れば」
 着替えるタイミングを失い、宍戸は寝ていた格好のままだった。このままでは風邪を引いてしまいそうだ。
 宍戸の提案に、だが跡部は首を振る。
「いい」
 宍戸は、門の外に黒塗りの車が止まっていることに気づいた。
 跡部がいつも乗っている、運転手付きの車。これから出かけるところなのだろうか。
 宍戸の視線に気づいたのか、跡部が口を開く。
「トラブルがあって出発が遅れた。これから空港に向かうところだ」
「トラブル? 大丈夫なのかよ」
 跡部が頷いた。
「大したことじゃねえ」
「そうかよ」
 跡部の家の問題だ。宍戸には、これ以上口を挟むことは出来ない。
「じゃ、早いとこ行ったほうがいいんじゃねえの?」
 出発が遅れているのなら、急ぐのではないだろうか。
 宍戸の言葉に、跡部は不愉快そうに眉根を寄せる。
「お前は……」
「あ?」
「ぷっ」
 滝が、後ろで吹き出した。跡部が忌々しげに滝を睨み付ける。
 何なんだ、この空気。さっぱりわからない。宍戸は首を捻った。
「だから、てめーは何でここにいるんだ」
 跡部が不機嫌そうな声音で言う。滝が、ふふっと笑いながら跡部を見遣った。
「きっと、跡部と同じ理由だと思うよ」
「え?」
 宍戸はきょとんとする。滝がやって来たのは、確か新年の挨拶のためだったはずだ。
 ということは、跡部もそのためにわざわざ空港へ行く前に立ち寄ったというのか?
 宍戸は、まじまじと跡部を見つめた。これ以上ないぐらい不機嫌そうな顔だったが、やっぱりきれいな顔をしている。
「跡部も?」
 宍戸が思わず口に出すと、跡部はじろりと宍戸を睨んできた。しばらくの間、跡部は宍戸と滝の顔を見比べていたが、やがて諦めたように一つ息を吐き、宍戸に向き直る。
「……あけまして、おめでとう」
 渋々と、嫌そうに跡部が言った。
 何故、こんな嫌々挨拶などされなければならないのか。
 宍戸は内心不満に思ったが、新年早々喧嘩をするのもどうかと思い、ぐっと我慢する。
「あー、おめでと」
 宍戸がため息をつきながら返すと、跡部が目をつり上げた。だから、お前に怒られる筋合いはない。
 朝っぱらから、勝手に押しかけてきたというのに、何故この男はこんなにも尊大なのだろう。
 それが跡部という男だから、仕方ないのだろうか。最早宍戸は諦めの境地に達していた。
「今年も」
「ん?」
 まだ続いていたらしい。宍戸が顔を上げると、跡部は言葉を切る。
 かわりに、肩を掴まれて抱き寄せられた。気づいたときには、宍戸は跡部の腕の中にいた。
 背後から、やるねーという、滝のからかうような声が聞こえてくる。
「跡部?」
 頬を何かが掠め、宍戸は解放された。
「おい、行くのか?」
 跡部はさっさと背を向けると、車へ向かって大股に歩いていく。
「じゃあな」
 言葉とともに一瞥をくれると、跡部は車に乗り込み、去っていった。
「……何しに来たんだ、あいつ」
 宍戸は、呆然としながら呟く。
「うーん。ぼく、ちょっと跡部に同情したかも」
「は? 何で?」
 宍戸の問いかけには答えず、滝は寒いから入ろうと言った。


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