鳴らない電話(切原と宍戸)


 まだ切原が宍戸に片想いしていた頃、無理矢理手に入れた携帯のアドレスへメールをしても、なんの返事もなかったり、あったとしてもそっけない一言だったりした。
 それを切原は、宍戸が自分を警戒しているからなのだと思っていたが、どうやら違っていたらしいと、今のような関係──いわゆる恋人同士になってから気づいた。
 基本的に宍戸は、電話やメールを好まない人間なのだ。
 それでも、友人に対してなら返信しないような他愛ないメールにも、恋人になった自分にだけは短くともちゃんと返信してくれているのだと知って、切原は満足していた。
 だからその日、試合が終わったはずの宍戸からなんの連絡もなくとも、切原はあまり気にしなかった。
 それが、後にどんな事態を引き起こすかも知らぬまま、切原は一日を終えた。


 朝起きて、携帯の着信を確認する。日課になりつつある行動を終えると、切原は小さく息を吐いた。
 ベッドの上に起きあがり、寝癖だらけの頭をかく。
「あ〜、亮くん、試合終わったよ、ぐらい入れてくれてもいいのに〜」
 確か昨日、氷帝は聞いたこともないような学校と都大会で対戦していたはずだ。その前の日、ついでのようにそういえば試合に出ることになったと電話で言われ、切原は無駄だと思いつつも応援に行きたいと駄々をこねた。
 結局切原は切原で県大会があったので、その願いは叶わなかったのだが。
「まあ、勝ったんだろうけど」
 携帯を置くと、切原は顔を洗いに部屋を出る。
 宍戸は、東京で一、二を争うテニスの強豪、氷帝学園で正レギュラーをつとめるほどの実力の持ち主なのだ。無名校ごときに負けるはずがないと、切原は宍戸の勝利を信じて疑わなかった。
「関東で対戦できるかな〜。亮くんとは試合したくないけど……」
 できることなら、宍戸が目標としている跡部を倒し、宍戸の目を自分に向けさせたい。
「氷帝と当たったら、柳先輩に頼んで跡部さんと試合できるようオーダー組んでもらおっかな」
 部長である幸村がそれを許さないかも知れないことに思い当たり、切原は階段を下りながらう〜んと唸る。
「したら丸井先輩を食いモンで釣って、部長にお願いしてもらうとか……」
 幸村はとことん丸井に甘いので、これで上手くいくだろうと、切原はすっかり安心して洗面所の扉を開けた。


 だるいだけの授業が終わり、部活動の時間になって、切原はいつものように部室へ足を運んだ。
 扉を開けると、いつもの面々が中で着替えていた。
「ちわっす」
「おう」
「赤也〜!」
 切原の顔を見るなり、丸井がばたばたと足音をたてて駆け寄ってくる。
「なんすか」
「丸井くん! ちゃんとユニフォームを着てください」
 着替え途中のまま、制服のシャツを全開にしただらしないかっこうの丸井に、背後から柳生の注意が飛んだ。
 聞いているのかいないのか、丸井は気にしないそぶりで切原にまとわりついてくる。
「赤也、俺今日幸村の見舞い行くんだ! 赤也も行かね?」
「あ、今日解禁日でしたっけ」
 幸村が大好きな丸井は、ほうっておくと毎日でも見舞いに行きかねないため、柳から週三回までと言いつけられているのだ。
 数日ぶりの見舞いにはしゃいでいる丸井に、肩をすくめると切原はいいっすよと言おうとした。
「赤也はすることがあるがやろ」
「え?」
 横から口を挟んできた仁王に、丸井と切原は同時に目を丸くする。
 何か予定があっただろうかと考えたが思い出せず、切原は首を傾げた。
「えーと、俺なんか用事ありましたっけ?」
 切原の言葉に、今度は仁王が目を見張る。仁王はぱちぱちと瞬きを繰り返し、持っていたユニフォームを肩にかけた。
「もうフォローはすんだと?」
 余計なことだったかと苦笑した仁王に、やはり意味がわからず切原は聞き返す。
「フォロー?」
 自分は、なにかフォローしなくてはならないような失態を犯してしまっただろうか。
 自分が喧嘩っ早く問題児であるという自覚が一応ある切原は、最近の行動を思い返して一人焦った。
 そんな切原の様子に、仁王はもしかしてと言いづらそうに口を開く。
「おんし、知らんのか」
「何をっすか?」
 仁王の遠回しな問いかけに、元々短気なところのある切原は苛立ちを隠せなかった。
「だから、昨日、負けたやろ」
「は?」
 仁王が言っているのは、昨日の県大会のことだろうか。切原も他のレギュラーも、負けたものはいなかったはずだ。
 もしかして、からかわれているのだろうか。仁王は人を騙したり驚かせたりするのが好きで、時折奇妙ないたずらを仕掛けてくることがある。
「赤也」
「なんすか」
 言葉に詰まっているらしい仁王の代わりに、柳が声をかけてきた。
「昨日、氷帝が負けた」
「……はあ!?」
「無名校だと思われていた対戦相手、不動峰に九州二強と呼ばれた橘という男がいたんだ。氷帝自体はコンソレーションで関東に出てくるだろうが、橘に負けた宍戸は、恐らく正レギュラーから外されるだろう。確か氷帝では、一度でも負けた者は正レギュラーには戻れなかったはずだ」
「なにを言って……」
 柳の言っていることが、切原には理解できなかった。
 宍戸が負けただなんて、一体どうしたら切原に信じられるだろう。
 だってあの人には、テニスしかないのだ。自分といても、あの人の頭からテニスが完全に消えることはなかった。
 あの人からテニスをとりあげるだなんて、そんなひどいこと、あっていいはずがない。
 だが、柳はそんな質の悪い冗談を口にする人間ではないし、仁王も、他のメンバーも皆揃って切原を心配そうな目で見ている。
 その視線ににじむ皆の気持ちを感じとって、切原は足を震わせた。
「嘘だ……」
 嘘だ、そんなはずがない。宍戸が、負けるだなんて。
「だって、俺、なんにも聞いてない」
 声が震えて、切原は自分が泣きそうになっていることに気づく。
 もしも、柳の言うことが本当なのだとしたら。何故あの人は、自分になにも言ってこないのだろう。
 恋人である自分に、普通なら真っ先に連絡があってよいはずではないだろうか。
「俺、なんにも……っ」
 自分ではなんの慰めにもならないと、そう思われたのだろうか。
「赤也」
 強く肩を掴まれ、切原は仁王に焦点を合わせる。
 痛いぐらい真剣な眼差しで、仁王は言った。
「赤也、今は宍戸のことだけ考えるぜよ」
「亮くんの……」
「そうじゃ。向こうも男じゃけ、負けたなんて自分から言えんのじゃろう」
 仁王の真っ直ぐな目に、切原は宍戸がプライドの高い男であることを思い出した。
 そうだ。きっと、言い出せなかっただけだ。もしも自分が宍戸の立場だったら、やはり言えなかっただろう、負けただなんて。
 宍戸は今、どんな気持ちでいるのだろう。正レギュラーから落とされ、部内に居場所はないのではないだろうか。昨日まで仲間だった者たちが皆、手のひらを返したように彼の周りから去っていったかも知れない。
「俺。俺、行かなくちゃ。行かないと、亮くんが、待ってる」
 うわごとのように呟く切原の目に、力強い光が宿る。
 きっと宍戸は、やりきれない感情を抱いたまま、自分を待っているだろう。
 頷くと、仁王は切原をそのまま送り出してくれた。


 宍戸の家がある場所までたどり着いたとき、あたりは日が暮れかけるところだった。宍戸は、果たして家の中にいるだろうか。
 何度か訪問したことがあり、宍戸の家族には名前を覚えられている。チャイムを押そうとしたところで、誰かが出てくる気配がした。
 できれば家族がいないほうがありがたいと、切原は物陰に隠れてやり過ごすことにする。
 だが中から出てきたのは、宍戸本人だった。こんな時間にどこへ行くのかと、切原は驚いて飛び出す。
 切原に目をとめ、宍戸が顔をこわばらせた。
「切原?」
「亮くん……、あのっ」
 いつになく言葉を躊躇う切原に、察したのか宍戸はきつい眼差しになる。
「俺、行くとこあっから」
「え?」
 予想外の言葉に、切原は伏せていた顔を上げた。
「聞いたんだろ、俺が負けたこと」
「う、うん……」
 一瞬閉じた目を開けると、宍戸は挑むような目つきでこちらを見てくる。
「俺は、絶対に正レギュラーに戻ってみせる」
 氷帝で、一度正レギュラーから落ちた者が復活したなどと言う話は聞いたことがない。それがどれだけ無謀なことなのか、言っている本人が一番よくわかっているはずだ。
 無理だとも言えず、切原は唇をかみしめると、握った拳を震わせた。
「それまで、お前には会わない」
 それだけ言うと、宍戸はさっさと切原に背を向けて行ってしまう。
 追いかけることすら忘れ、切原は呆然とその場に立ちつくす。がくがくと足が震え、踏ん張っていないと尻餅をついてしまいそうだ。
 

 自分の言葉も、慰めも、ぬくもりすら必要ないと、そう告げられたのだ。
 自分は、一体なんのために宍戸とつきあっているのだろう。
 宍戸にとっての自分は、どんな存在なのだろう。
 つい先日まで見えていたはずの宍戸の気持ちが、今はすっかりわからなくなっていた。


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2004 12/14 あとがき