秘め事(忍足)
うだるような暑さとは、こういうことを言うのだろうか。
その日はとにかく暑くて、忍足は早々に教室を抜け出すことにした。
この後もまだ授業は控えていたが、このまま人の多い教室にいたりしたら、アイスのようにどろどろと溶けてしまうような気がしたのだ。
汗で張り付くシャツが気持ち悪くて、指で引っ張る。
「たっかい授業料とっとんねやから、けちらんとクーラーつけてくれたらええのに」
教育方針だとかで、氷帝学園中等部にはエアコンがつけられていなかった。
こういうときは、部室に限る。
男子テニス部の部室には、監督のお陰か部長のためなのかはわからなかったが、冷暖房が完備されていた。
忍足は、日陰を選んで歩きつつ、部室を目指した。
これだけ暑いのだ、自分の他にもさぼっている奴がいるだろう。
きっと部室は、がんがんに冷やされているに違いない。
早く、涼しい部屋に飛び込みたい。
その一心で、忍足はノックもせずに部室へ入り込んだ。
予想に反して、部室の中は外以上に蒸し暑かった。
静まりかえった室内に、どうやら誰もいないらしいと気づく。
エアコンのリモコンを操作しながら、汗で滑るメガネを外した。
と、その時、奥の部屋から物音が聞こえた気がして、忍足は首を傾げる。
誰かいるのなら、クーラーをつけておいてくれたら良かったのに。
それともジローあたりが、そんなことにも気づかないまま寝ているのだろうか。
「生きとるやろなあ?」
締め切った部室は、窓の開いていた教室よりも、はるかに暑かった。
心配になって、忍足はメガネをかけ直し奥の部屋の扉を開ける。
「……おわ」
忍足は、自分の口からもれたそんな言葉を、間抜けだなあと思いながら聞いた。
目の前では、宍戸が男の先輩に襲われていた。
忍足に気づいた男は、慌てた様子で部屋を飛び出していく。
それを見送って、忍足はまだ呆然としている宍戸の元へ近寄った。
襲われたといっても、ロッカーに押しつけられていただけで、特に着衣の乱れはないようだ。
こんな時だというのに、妙に冷静な自分に苦笑する。
「宍戸」
忍足の声に、びくりと宍戸が身体を竦ませた。
状況がわかっていないのだろう、強ばった表情で忍足を見上げてくる。
怯えさせないよう気を遣いながら、忍足は軽く笑って見せた。
「災難、やったな?」
こんなことは大したことではないと、安心させてやりたかった。
優しく接する忍足に、宍戸は顔を歪ませる。
泣く、だろうか。
そう思って、忍足は内心動揺した。
泣かれたら、どうすればいいかわからない。
泣かれたりしたら、自分は何をするかわからない。
「宍戸……」
せめて、泣き顔は見ないですむようにと、手を伸ばして抱き寄せる。
少しの間、宍戸は大人しく忍足に抱かれていた。
妙な気配を感じて、忍足は宍戸から離れる。
宍戸は、青ざめた顔をして、両手で口元を覆っていた。
「吐きたいんか? 水道、行こか」
よほどショックだったのだろう、男に襲われたことが。
いや、自分が、男に懸想されるような対象であると知ったことが、かも知れない。
痛む胸に気づかない振りをして、忍足は宍戸の手を取った。
「歩けるか?」
立ち上がった宍戸は、だが一向に歩こうとしない。
それどころか、忍足から逃げるかのように、手を振り払う。
「宍戸……?」
「亮ちゃん!!」
大きな音を立てて、ジローが飛び込んできた。
宍戸が、何の躊躇いもなくジローに抱きついた。
「亮ちゃん、亮ちゃん、もう大丈夫だよ。俺がいるから、大丈夫」
「ジロー、ジロ……っ」
ジローにしがみついて、涙を流す宍戸を。
震える身体を、宥めるように撫でるジローの手を。
忍足は、黙って見ていた。
見ていることしか、できなかった。
ジローが、立ちつくしたままの忍足に目を向けた。
その視線に促されるように、忍足は部室を後にする。
外は相変わらずの暑さだったが、忍足がそれを感じることはなかった。
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2004 04/10