秘め事(ジロー)
扉の閉まる音に、ジローは宍戸の背を撫でていた手を止める。
宍戸の教室を訪ね、先輩に呼ばれて行ったと聞いたときは、心臓が止まるかと思った。
あの男が前々から妙な目つきで宍戸を見ていたことに、ジローは気づいていたのだ。
「亮ちゃん、怖かった? 気づくのが遅れて、ごめんね?」
ふるふると、宍戸が首を振った。
あのとき忍足が現れたことは、宍戸にどんな影響を及ぼしたのだろう。
弱々しく身体を預けてくる宍戸に、ジローはとても哀しい気持ちになった。
ジローの知っている宍戸は、幼い頃から見てきた宍戸は、どんな窮地に陥ったときだって、こんな弱い姿を見せたことはなかったのに。
「亮ちゃん、大丈夫だよ。俺が、ついてるからね」
何も怖いことなどないのだと、安心させてやりたかった。
宍戸が何か呟いた気がして、ジローはなあに、と小さく訊ねる。
「違う……」
「ちがうの? なにが?」
「違うんだ、俺……」
「亮ちゃん?」
「俺、ロッカーに押しつけられて、身動きがとれなくて。……なんかあいつくっついてくるし、顔に息とかかかって、すげー気持ち悪くて、吐きそうで……」
無理して言わなくていいんだよと言っても、宍戸は首を振るばかりだった。
苦しそうに息をつきながら、震える声で、言葉を紡ぐ。
「すごい、自分が汚らわしいもののように思えてきて、俺、女じゃないのにって、気持ち悪くて」
「亮ちゃんは汚らわしくなんかないよ! 亮ちゃん、亮ちゃんは、なんにも悪くないんだからね?」
自分を傷つける言葉を吐く宍戸に、ジローは必死で言い募る。
宍戸は何も悪くないのに、被害者なのに、どうしてこんなに苦しまなければならないのだろう。
その理不尽さに、ジローは腹を立てた。
「でも、」
「うん?」
声音がかわったような気がして、宍戸の顔をのぞき込む。
宍戸は、熱に浮かされたような顔をしていた。
「あのとき、忍足がきて、……抱きしめて、くれて」
「……うん」
「俺、俺、どうしようって思った。だって俺、すごい、なんか、どきどき、して」
「……」
「忍足はそんなつもりじゃないのにって、俺、さっきあんなに嫌だったのに、忍足ならいいのかって、……吐き気がした。自分が、気持ち悪かった」
強く握られた拳から、爪を立てたのか血が流れていることに気づいて、ジローは慌ててやめさせる。
それから、顔を上げさせると、
「亮ちゃんは、忍足が好きなんだね」
ジローの言葉に、宍戸は俯いた。
「俺、おかしい、よな……」
宍戸が自嘲するように呟いたので、そんなことない、と強く宍戸の身体を抱きしめてやる。
「おかしくなんか、ないよ。大丈夫。亮ちゃんは、大丈夫。誰かがなんか言ったって、俺は亮ちゃんのそばにいるよ。俺は、亮ちゃんの味方だから。大丈夫。大丈夫だよ」
「ジロー……」
おずおずと、宍戸の手がジローの背にまわされた。
好きでもない奴に触られて、不快な気持ちになるのは当然のこと。
好きな人に触られて、嬉しくなるのも、当然のこと。
それを汚い感情だととらえる宍戸を、ジローはとてもきれいだと思う。
きれいな、ひと。
ずっとこのまま、自分のことだけを見てくれたらいいのに。
自分だけが味方なのだと、そう言い聞かせて。
自分以外に頼れる人などいないのだと、そう信じ込ませて。
ほんとはずっと、好きだった。
ほんとは誰より、好きなんだ。
臆病なこの人には、絶対告げたりしないけれど。
【完】
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