紀芭・出会い編

 ここは央の里のはずれ、まだまだ寒い日が続く冬の朝。

 起き抜けに、祖父の部屋に呼ばれた紀芭は、しぶしぶ身支度を整えて階下に降りていった。
(やっべ、昨夜のアレがバレちゃったのかなあ)
 祖父の部屋に入って、眉間に皺を寄せた部屋の主の顔を見たとき、紀芭は己の悪戯が早くも見つかったのかと心の中で舌を出した。
「じっちゃ、こんな朝早くから何の用だ?」
「良いから座れ」
 促されるまま、座布団に腰を下ろして向かい合う。祖父は暫し黙り込んだ後、重い溜息をついた。
「……実は、昨夜遅くにな……」
「ああ、あれはさあ、その、じっちゃをはめようとしたわけじゃなくて……そう!ねずみがウルサイから退治しようかと……」
「何を言ってるんじゃ?」
「え?草履に仕掛けたトリモチの事じゃねえの?」
「まった、お前はつまらん事を……そうじゃない、庵から令書が来たんじゃ」
「令書?」
「紀芭……お前を小姓に任命すると書かれておった」
「はあ?」
 紀芭は己の耳を疑った。祖父は証拠とばかりに、巻物状になった令書を差し出す。受け取って目を通してはみたものの、小難しい漢字ばかりでその内容の半分も紀芭には理解できなかった。だが、祖父の言っている事に誤りはないようだ。
「どーいう事だ?話が見えねえぞ」
「わしだって、訳がわからん。じゃが白虎様直々の御達しだそうじゃ」
 祖父は心底困ったというように頭を振った。
「いいか、よく聞くんじゃ。……これ、足を崩すな!真面目な話なんじゃぞ!!」
 ぴしゃりと言われて、紀芭はしぶしぶ正座しなおした。
「これは極秘なんじゃが……白虎様は先の炎羽との戦いで深手を負われたそうなんじゃ。騒ぎになるといかんから公にはしておらんがな」
「え?嘘!!あんなに元気そうなのに!!」
「気丈なお方じゃからな。ご自身より、里の事を慮っておられるのじゃろう。ああ、お前も他言せぬようにな」
「白虎様が……」
「じゃが、もうお体も限界にきておるらしくてな、このままでは白虎の御霊を留めておられぬそうじゃ。早々に次代を選出せねばならん。よって、例のごとく選出試験が行われることになった。今回の候補者は四人おってな、小姓が一人ずつ付いて試験中のお世話をするのじゃが……」
「それは知ってるよ。けどなんでオレが?」
「だから、わしにもさっぱりなんじゃて……」
「オレ、ヤダ」
「我儘を言うでない。勅命じゃぞ」
「ヤなもんはヤなんだよ!俺は上忍になって、たっくさんお役目を果たすんだって決めてんだぞ!なのになんで誰かの世話なんてしなきゃなんねーんだよ?しかもそいつが白虎になるかどーかもわかんねーってのに!」
 まくし立てる紀芭に、祖父は再度溜息をついた。
「……そこまで言うんなら、白虎様に直接言ってみるかの?」
「う……」
 先までの勢いはどこへやら、紀芭は口篭もるしかない。奔放な性格をした紀芭ではあったが、白虎に直訴するほど無謀ではなかった。当代の白虎は、歴代の白虎の中でも名君と言われている。先代の白虎の悪政で炎羽に追い詰められていた風牙を、瞬く間に立て直したのも当代の白虎の手腕によるものだ。紀芭にとっても白虎は英雄だった。
「……なんで、オレなんだよう……」
 紀芭は頭を抱えて弱々しく呟いた。なんとか逃げられないものかと考えを巡らせても、紀芭の頭では何一つ解決策は浮かんでこなかった。祖父はそんな孫の姿を不憫そうに見つめながら呟く。
「確かに、お前は十一とは思えぬほど、戦の能力に長けている。戦闘力だけとれば中忍にも引けを取るまい。じゃが、他はからっきしじゃからなあ……」
「言いたいほーだい言ってんじゃねえよ、じっちゃ」
 紀芭が恨みがましい目を向ける。
「じゃがの、紀芭よ。お前、飯は炊けるか?」
「食う方が得意だな」
「洗濯は?」
「三枚に一枚はダメになるんだ。絞る力が強すぎるのかな?」
「掃除は?」
「なんか余計散らかるんだよなー。第一めんどーだからやりたくねえな」
 紀芭はからからと笑いながら答えた。
「ほれみい、とてもじゃないが小姓なんか勤まるまい。……白虎様程のお方がこの事をご存知ないとは思えんのじゃが……」
「なんだよなんだよ!力しか取り柄がないみてえじゃねえか!オレは頭の出来だって良いんだぜ!」
「脳味噌まで筋肉でできておるくせに、何を言うやら……」
「なんだと!!」
「違うと言うなら、九々ぐらい言うてみい」
「えと、えーっと……一一が、一……」
 紀芭は両手を目の前に出して、指折り数え始めた。
「一の段から指を使っておるようじゃ猿以下じゃの」
「うぐぐぐ……」
 顔を赤くしてなおも食い下がろうとする紀芭を遮って、祖父が自らの膝をポンと叩いた。
「とにかく!もう決まった事なんじゃ。この上は、白虎様のご期待に添えるよう腹を据えてかからんとな」
祖父は立ち上がって紀芭を促した。
「ほれ、お前も部屋に戻って支度をせい。今日から候補の方の仮住まいで寝起きするんじゃからな」
「……ちぇ」
 どうにもならないと悟ったのか、紀芭は唇を尖らせる。祖父にせっつかれて、部屋に向かったものの、心の中は反抗心でいっぱいだった。
(冗談じゃねえ、小姓なんてまっぴらだっての!……なんとか逃げらんねえかなあ……)

 一方、嫌がる孫を送り出した祖父は、自らも支度に取りかかりながら思考を巡らせていた。決して口にする事はないが、今回の不可解な勅命に一つだけ思いあたる事があったのだ。
 暗い所では分かりづらいが、紀芭の瞳は明るいところに出ると虹彩が猫のように縦に細くなるのだ。これは白珠の古き民の血が残っているためで、今でもごく稀にこの瞳を持つものが生まれてくるのだが、好戦的で粗野と伝えられている祖先の血をあまりよく思っていないためか異端視される傾向がある。紀芭本人はそれを踏まえた上で受け容れ特に普段気にする様子もないのだが、心ない者が時折陰口を叩いているのを耳にすることがある。おそらくは、そんな紀芭の身の上を配慮した上での采配だったのだろう。当代の白虎は、ことのほか差別意識を嫌悪している方だから。だがそうであったとしても、あんな年端もいかぬ戦闘しか取り柄のないようなものを小姓にとは……。
(白虎様も、よくよく豪胆な御方だのう……)
 祖父はもう何度目になるかわからない溜息をついた。



 紀芭が仮住まいに生活の場を移してから半月が経とうとしていた。
 紀芭の生活能力に不安を感じた祖父の進言で仮住まいには下男が数人付き、入れ替わり訪れては紀芭の代わりに家の中の雑事をこなしてくれた。おかげで当面の問題は解決したわけだが、だからと言って素直に小姓になどなれるわけがない。慣れぬ生活に戸惑いながら紀芭なりに考えを巡らせ、そうして一つの決意をしていた。

「本日、お越しになるそうですよ」
「……ふうん」
(とうとう来たか……)
 何気ないふうを装いながら、紀芭は生唾と一緒に朝餉のおかずを飲み下した。
「どんな方でしょうね?」
「どんな奴だっていいよ」
 言い捨てて、紀芭は勢いよく朝餉を掻き込んだ。
「興味ないんですか?」
「ねえよ!ごっそさん」
 そのまま、紀芭はあわただしく自室へ戻った。

 愛用している苦無や手裏剣を服の下に忍ばせながら、紀芭は一つ深呼吸をした。
 候補が来たら戦いを挑む。それが紀芭の決めた解決策だった。候補者と戦って見事打ち倒し、小姓を辞退するつもりだ。
(オレに負けるような奴が白虎になれるわけねえもんな)
 そう言えば白虎も否とは言えないだろう。なにより紀芭自身が納得できる。紀芭は自分の腕に自信があった。いかな白虎候補とて、白虎の力を使役できぬうちはただの人だ。充分に勝機はある。
(絶対負けねえぞ!……ええと……)
そう言えば名前すら聞いてなかったことに、今更ながら思い至った。
(どうせ、オレに負けて里に帰るんだから、名前なんてどーでもいいか)
 最後に体に馴染んだ手甲をしっかりと装着した時、玄関に人の気配がした。
(来た……!!)
 逸る気持ちのまま、ドタドタと足音も荒く階段を駆け下りた。思った通り玄関には見慣れぬ男の姿があった。男は下男と何やら言葉を交わしていて、こちらに気付いた様子もない。紀芭は下男を押し退けて男の前に歩み出た。
「な、なんですか!紀芭」
 文句を言う下男には答えず、紀芭は男の瞳を正面から見据えた。
「お前が候補か?」
「……ああ、そうだ」
 男は少々面食らったようだが、それでもしっかりとした口調で答えた。歳の頃は十七か、八か、がっしりとした体格からはもう少し年上にも思える。紀芭よりも頭一つ半は上背があった。紀芭は下からその顔を睨みつける。精一杯の威嚇のつもりだった。
「ええっと……あのですね、この者は紀芭と申しまして……あなたのお世話を仰せつかった小姓で……」
「オレはまだ小姓になるなんて言ってねえ!!」
「?」
 紀芭の怒声に男も下男も揃って目を丸くした。
「オマエ、オレと勝負しろ!」
「勝負?」
「そんで、オレが勝ったら白虎なんのやめて里に帰れ!」
「き、紀芭!?」
 下男が素っ頓狂な声を上げた。
「何を言い出すんですか!そんな事勝手に決められるわけないでしょう!?」
「…………」
 男は暫く黙っていたが、やがて面白そうに目を細めた。口元には笑みを浮かべて、紀芭を見下ろしてくる。
「俺が勝ったら、どうするんだ?」
「それはねえよ」
「そんな事やってみなくちゃ分からないだろう?」
「オマエさ、オレを子供だと思って甘く見てると怪我するぜ?」
「甘いのはお前の方じゃないのか?」
「……けっ。分かったよ、お前が勝ったら小姓でも何でもなってやらあ!」
「よし、話は決まったな。じゃあ早速やるか」
「おう!」
 とんとん拍子に進む話に慌てたのか、下男が強引に二人の間に割って入った。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ二人とも!こんな事、白虎様がお許しになりませんよ!!」
「うるせーよ!コイツもやる気になってんだからほっといてくれよ」
「でも!」
「悪いけど、俺達のやりたいようにさせてくれないか?長く一緒に暮らすことになるわけだし、お互いをよく知っておいた方が良いと思うんだ」
 男は、下男を安心させるように穏やかな口調でいった。優しげな笑顔のおまけ付きだ。
「……しょうがないですねえ……」
下男は暫く考え込んだ後、諦めたように肩を落とした。

「おっしゃ!じゃ表出ろよ!」
「ああ」
 紀芭は鼻息も荒く屋外へ飛び出した。男は荷物を下男に預けると、落ち着いた足取りで紀芭の後を追った。家の裏手は小さな庭になっている。障害物のないその場所で、二人は改めて対峙した。紀芭は手甲を構える。だが、男は素手のままだった。
「エモノは?」
「いや、俺はこのままで良い」
「ち!手加減してるつもりかよ?!」
「悪いが手加減する気は毛頭ないね。手甲と体格から考えて、お前が近接戦法を得意とすると判断したから、敢えて素手でいるのさ。長い武器は返って不利だからな」
「……!」
 図星を刺されて、紀芭は唇を噛み締めた。
「おしゃべりはここまでだ!いくぜ!」
 先に仕掛けたのは紀芭の方だった。瞬発力をいかして素早く相手の懐に飛び込み、加速をつけた手甲を叩きこむ。突然の高速攻撃に相手は怯んでいるから大抵決まる。万が一かわされたとしても、そのまま勢いを利用して間髪いれず回し蹴りに移行できるからこちらに隙はできない。次々とたたみかける事ができるのだ。これが紀芭の得意な戦法だった。
紀芭はいつもの自分の動きを追うように攻撃を繰り出した。まずは懐に飛び込んで、初手の一撃!が、見事な足さばきで避けられてしまった。
「ち……」
 ならばと繰り出した回し蹴りは、流れるような動きで払われ力を逸らされる。次は崩れた体勢を立て直すと見せかけて、一旦沈んだ体から跳ねるように拳を突き上げた。だが、これすらも紙一重でかわされてしまう。男は全く怯んだ様子もなく、冷静に紀芭の攻撃をさばいていく。
(クソ……なんでだよ)
 確かに体格差からくる間合いの違いはある。だが今は紀芭の得意な近接戦の筈だ。それなのに、男にかすり傷一つ負わせられないとは……。混乱する紀芭に隙が生まれる。すかさず放った男の拳が、紀芭の頬をかすめた。耳元で空気が唸る。紀芭は我に返って大きく後へ飛び退った。肩で息をしながら男と距離をとる。
(コイツ、強い)
 拳をあわせれば相手の力量はある程度分かる。数手あわせただけだが男の強さは歴然としていた。認めたくはなかったがそれが現実だ。自分はこの男に勝つ事はできないだろう。だが、紀芭は最後までやめるつもりはなかった。
(きっちり、カタ付けなきゃ気がすまねえからな)
 なにより、この男と拳を交えているのは奇妙な心地良さがあった。考えてみれば、ここまで真剣に紀芭の相手をしてくれたのはこの男が初めてだった。強い者と戦う昂揚感に、紀芭は抑えきれず口元に笑みを浮かばせた。
 そんな表情に気付いたのか、男が少しだけ警戒を解いた。
(今だ!!)
 紀芭は懐から取り出した苦無を男の足元に向かって放った。予想通り、男はそれをかわす為に高く飛んだ。そこへすかさず紀芭が走りこむ。着地寸前の体に、走りこんだ勢いのまま蹴りをいれる。男は両手でそれを受け止める。勢いを殺されたと思った瞬間、紀芭は己の膝に掌底を打ち込んだ。
「ぐ……」
 受け止めていた掌ごと、男の体に紀芭の足が食い込んだ。男は体を捩り、倒れそうになった体をどうにか持ち直しつつ後ずさった。勿論、受け止めた紀芭の足を捻りながら地面に叩き付ける事も忘れていない。
「ってえ!」
 咄嗟に受身をとったものの、捻られた足首には激痛が走った。
(チクショウ)
 相手は先の攻撃で体勢を崩している。今を逃しては紀芭に勝機はない。悲鳴をあげる足首を無視し、無理矢理立ち上がろうとした、のだが。いきなり視界が暗くなったと思ったときには、既に男の体が紀芭の上にのしかかっていた。身を捩って逃れようとしても、男は鉛のように重くびくともしない。
「ここまでだ」
 男が言った。憎らしい事に、口元には笑みすら浮かべている。かすかに呼吸が荒い事を除けば、男は平常と変わりなかった。
「ちえー……オマエ、強いんだな……」
「お前もな」
「嫌味かよ。あーあ、修行がたんねえのかなー」
 ぼやく紀芭の体を解放し、男は立ち上がって足元の土を払った。そうしてまだブツブツと何事か呟いている紀芭に手を差し伸べた。何気なくその手を取って、その硬さと荒さに驚く。ごつごつした皮膚は、幾度となくつぶれたマメの上にさらにマメを作っている。日々の過酷な修練の結果だろう。なみの修行ではこうはならない。感心して、その手を握って立ち上がり改めて男の顔を見上げたとき、男が少しだけおや、という顔をした。
(あ、ヤバ)
 その理由に思い至って、紀芭は内心焦った。見上げた瞳は太陽の光を浴びて、虹彩が細くなっているに違いない。男はそれを見て驚いたのだろう。だがだからといって今すぐ視線を逸らすこともできない。
「え、えと……オレさ……」
「古の血、だろ?俺の里にもいたぜ」
「え?オレ以外にもいるの?!」
「ああ、そいつもお前と同じで、琥珀色のキレイな目をしていたよ。そうだ、今度四の里に来いよ、紹介してやるからさ」
「う、うん」
 紀芭は、今までに感じた事のない感情が胸の奥から湧きあがってくるのに気付いた。
(な、なんだ、コレ……)
 憧れと信頼が混ざったような、いや、全く別の感情のような。白虎にだってこんな思いを抱いた事はなかった。
「どうした?足、まだ痛むか?」
「い、いや。もう全然平気」
 答えながら、どんどん顔が紅潮するのを止められない。心臓はばくばくと脈打ち今にも踊りだしそうな勢いだ。
(うわ……何だよ、何なんだよ……。オレ、どうしちゃったんだ?)
 混乱する紀芭の体を、何の前触れもなく男が抱き上げた。
「な、何すんだよ!」
「足首に負担をかけないためだ。大人しくしていろ」
「だ、だから大丈夫だって!」
「甘く見るなよ、癖になったらどうするんだ?」
「う……」
(だって、なんか困るよ、こんなの……)
 熱くなった頬から今にも炎が出てきそうで、紀芭は両手でゴシゴシと擦った。黙り込んだのを了承とみなして、男は紀芭の体を抱えたまま歩き始めた。

「なあ」
「ん?」
 黙っているのも妙に気恥ずかしくて、紀芭が口を開く。
「オマエ、名前なんて言うんだ?」
「虎鉄だ」
「虎鉄……うーんと」
「?」
「鉄兄!鉄兄がいいや!オレ今から鉄兄って呼ぶ事にするぞ」
「ああ、ご自由に」
「と、いうわけで!オレ鉄兄の小姓になってやるよ。約束だもんな」
「それはどうも」
「あ、嬉しくねーのかよ!オレがなってやるっていってんだぞ!」
「嬉しいよ」
 虎鉄は紀芭を抱えなおし、正面からしっかりと瞳を見つめながら言った。

「これからよろしくな、紀芭」


 こうして、虎鉄と紀芭の生活が始まったのだった。


虎鉄と紀芭の出会い。淡い恋心。