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ハロウィンにご用心





「不破せんぱーい」
「あぁ、君か。廊下を走っては――」
 パタパタと音をさせながらかけられる声に振り向いた瞬間、俺は言葉を失った。
「どう……したんだ、その格好は?」
「今日はハロウィンですから。先輩はされないんですか?」
 二年半通ってきて、常々おかしな行事の多い学校だと思ってはいたが、
どうやらその校風はしっかりと生徒に定着しているらしい。
 そんな俺の胸中など知らずに笑いかけてくる彼女の姿をまじまじと見つめる。
襟の立った黒いマントを両手で広げ俺を見上げてくる姿から目をそらすことは難しい。
「随分と犬歯が大きいが、吸血鬼か?」
「雑貨屋で売ってたのを見かけて、つい買っちゃったんです。自分の歯の上から糊で貼り付けてるんですよ」
 勢いで買ってしまったのだろうが、今日こういった機会がなかったら使うこともないままだったのではないか?
 そんなことを考えている俺に見せるように顎を上げ両手の指で口角を押し上げた彼女の指と唇に自然と視線が向いてしまう。
 視線を戻し彼女の頭を撫でると、嬉しそうに目を細める。
 彼女が楽しんでいるのならそれで十分ではないか。
 そして何より、この姿をわざわざ俺に見せに来てくれたということが嬉しい。
「このような言い方も変かもしれないが、よく似合っている」
 マントの縁を持って回ってみせた彼女に見たままの感想を告げる。
 マントの下はいつもと変わらない制服姿なのだが、
普段と比べてよりいっそう愛らしく見えるのはイベントを楽しんでいる雰囲気がそうさせるのだろうか?
 誰が決めたのかは知らないが、このようなイベントを決めた人間に感謝しないとだな。
 しかし、吸血鬼もハロウィンっぽくて良いのだが、彼女ならもっと可憐な仮装も似合うだろうに。
 歯を付けることが目的なのだから吸血鬼なのが妥当なのだが、例えば――
「そうだ、不破先輩。『トリック、オア、トリート』」
「あ、あぁ」
 急に声をかけられ、慌てて返事をする。
 彼女の言葉はハロウィンなのだから当たり前のもの。
 不埒な思考に引きずられていたことを心の中で恥じながら、意識を目の前に立つ彼女に戻した。
「『お菓子をくれなきゃイタズラするぞ』の、アレです」
「それは知っているが……俺が菓子を持ってると思うか?」
 さて、どうしたものか?
 菓子は嫌いではないし、今日はハロウィンではある。なら持ち歩いているかと聞かれれば、答えは否。
 そもそも学内に菓子を持ち込むこと自体そうあるわけではなく、
たまに何か食べるといったら彼女が作ってきてくれた物か、
その礼としてではないが家にある物を持ってきたときくらい。
 冬場ならばのど飴を持ち歩くこともあるが、今望まれているのはそういった類の物ではないだろう。
「そういえば、そうかもしれませんね」
 しかし、せっかくハロウィンを楽しんでいる彼女をガッカリさせたくない。
 彼女を連れ購買に行き何か甘い物を奢るのでも構わないが、多分それは断られるだろう。
 彼女からしたら「ハロウィンにおけるお約束」を言っただけで「菓子を貰うこと」が目的ではないはず。
 今の状態で俺がどう誘っても「気を使わせた」と恐縮させてしまうだけだ。
「では、『イタズラ』をするか?」
「えっ!?」
 自ら進んでイタズラを受けようなどという奴はいないだろうから、驚くのも無理はない。
 彼女の考えるイタズラがどの程度のものかはわからないが、
イタズラをした後なら購買に誘っても気を揉むことはないだろう。
「俺は菓子を持っていないのだからされても仕方ないと思うが。ハロウィンとはそういう行事だろう?」
「それはそうですが……そうだ」
 何かに気付いたような彼女は、持っていた袋を開き何かを探し始める。
 見覚えのあるそれは確か弁当箱を入れるのに使っているもの。
 差し込んだ右手の動きが探るというよりねじ込んでいるように見えるのは気のせいだろうか?
「じゃあ、イタズラします」
 する前に宣言されるイタズラというのはどうなのだろう。
 袋の中に手を突っ込んだまま、彼女が一歩前へと踏み出す。
「えいっ!」
「なっ!?」
 先ほどまで袋の中をまさぐっていた彼女の右手にはぬいぐるみがあった。
 彼女と同じようにマントを着け大きく裂けた口が真っ赤に縁取られた、何とも形容しがたい白黒のぬいぐるみ。
 牙を模した三角の布が縫い付けられたそこが大きく開くと制服越しの俺の首筋に当てられた。
「お、お菓子がないなら血をいただきます」
 俺から視線をそらせたまま、右手にはめられたぬいぐるみの口をパクパクと開閉させる彼女の耳はほんのりと赤い。
 正直これは……俺が堪えられない。
「すみません……」
 ぬいぐるみを俺から離すと、いたたまれないといった顔で小さく呟く。
 まさかこんな事態になるとは思いも寄らなかった。てっきり頬を抓るとか、脇をくすぐ……いや、それもマズい。
 ここは廊下だ。誰かに見られてしまうとも限らない。
 いや、俺はどう誤解されても構わんが、問題は彼女だ。
 涙目というほどではないが、頬を赤く染め肩をすぼめている彼女の姿は駄目だ。
 できることならマントも付け歯も外してもらいたいが、
今の彼女を誰にも見せたくないという俺のエゴなのだからそこは我慢するしかない。
「と、とりあえず購買に行こう。何か甘い物が食べたくなった。付き合ってはくれないか?」
「は、はい」
 いそいそとぬいぐるみをしまう彼女を待つ間に、顔の熱をどうにかできるのだろうか?
 幸いなことに、廊下には俺たち以外の人影は見受けられない。
 それにしても、購買に着いたら他の誰にもイタズラをしないよう注意しないといけないな。
「すみません、お待たせしました」
「いや、構わない。誘ったのは俺なのだから」
 急いで片付けたからか、そうなるようにしたからか、ぬいぐるみが顔を出している袋を見てふと考える。
 ぬいぐるみまで用意したのなら、カボチャを模したカゴもあったのではないか?
 だとしたら、中身の菓子は配り終えてしまったのだろうか?
「不破先輩?」
 反応のない俺に、彼女が声をかける。
 どうせなら聞いてみるとするか。
「トリック、オア、トリート」
「え?」
「仮装していない人間は言ってはいけないというわけではなかったはずだが?」
「そうですけど……」
 まさか俺が言うとは思ってなかっただろうが、それにしてもこの反応は。
 袋の中に何かしら入ってると踏んだのだが、用意していなかったのだろうか?
「歯の方に気が向いてて、お菓子作り忘れたんです」
 俺の視線に気が付いたのか、視線を泳がせていた彼女はばつの悪そうな顔で笑う。
 なるほど。それなら合点がいく。
「そうなのか」
「なので……不破先輩も『イタズラ』して、ください」
 早々に話を切り上げるべきだった。迂闊にも程がある
 それにしても、「イタズラしてください」など、そんな無防備に男に向かって言っていい言葉ではないだろう。
 相手がどんなイタズラをしてくるか、考えたりはしないのか?
 ここはできるだけ穏便に済まさなければ俺の理性が持たない。
「……それでは、手を」
「はい」
 差し出された彼女の右手を握る。
「せっ、先輩!?」
「それでは購買に行こうか」
「はぃ……」
 消え入りそうな声で頷く彼女の手を引いて、購買へ向かう。
 購買に行くまでに、彼女に言うべきことをまとめないといけない。
 例え満月が出ていなくても男は狼なのだから。


E N D
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