spice!



 ないと困るというほどではないが、菓子は嫌いではない。
 貰いものだったり姉たちが買ってきたものだったりと家に何かしら茶菓子があるせいか、和洋問わず食べる方だと自分でも思う。
 パフェばっかりはどうにも作法がわからないため苦手意識を持っているが、彼女のおかげでそれも克服できるかもしれない。
 だが、この時期ばかりはそうも言っていられなくなる。
 あれさえなければ……


 ☆ ☆ ☆


「もうじきバレンタインですね」
 受験勉強の合間に気分を変えようと外出し、たまたま入った本屋で偶然彼女に会った。
 雑誌か何かを買ったのか少し大きめの袋を鞄に押し込もうとしてた彼女に声をかける。
 一人だという彼女を昼食に誘い席について食事をとりながら彼女の近況などを聞いていると、隣の席の会話が自然と耳に入ってきた。
 そして今に至るわけなのだが……
「そう、だな」
 やはり彼女もバレンタインは気になるのだろう。
 誰か渡す予定があるのか聞きたいところではあるが、さすがにそこまで踏み込んで尋ねていいものか?
「不破先輩チョコ大丈夫ですよね? 眉間に凄いしわ寄ってますけど……」
 心配そうな表情で彼女が自らの眉間を人差し指で指し示す。
 あまり彼女に無様な姿は見せたくないが、今回ばかりは致し方ない。 
「そうなのだが、この時期はどうにもな」
 説明をするために開いた口からは自然と溜め息が漏れる。
「先輩たくさん貰いそうですもんね」
「俺はそうでもないと思うが……いや、バレンタインになると姉が四人それぞれ台所を占拠して料理を始めてな。味見に付き合わされるのが恒例になってしまっているんだ」
「そうなんですか……」
 何とも言えない表情で彼女が頷く。
 これが彼女が作ったというなら味見でも何でも喜んでするが、毎年毎年うるさい姉たちの相手をしなければならないのは苦痛以外の何物でもない。
「朝から買い物に出かけたから、今日にでも始めるのだろう。手作りではなく既製品でいいではないかとも毎年言ってはいるが、効果はないな」
 彼女に気付かれないように壁にかけられた時計に目を向ける。
 多分帰宅したら始まっている頃ではないか?
「受験勉強で確かに糖分がほしいと思うこともあるが、チョコレートばかりになるとさすがに飽きてしまってな」
 自然と漏れてしまう溜め息に、彼女のフォークを持つ手がピタリと止まる。
「君が気にすることではないから、心置きなく食べてくれ」
「そ、それはそうなんですけど、つい……」
 デザートに付いてきたチョコレートソースのかかった小さなパンケーキを口に運んだ彼女が、居心地悪そうに笑う。
 いかんな。つい愚痴を吐いてしまった。
 しかしここから話題を変えるのも難しい。
 少々姑息な手ではあるが、彼女がバレンタインはどうするのかを確認するには良い機会かもしれん。
 このまま会話を続けさせてもらうか。
「その、少し気になっていることがあるのだが、チョコレート以外のものでは駄目なのか? 相手が甘いものを好まない場合もあると思うのだが」
 実際、姉が以前そのような相手のために甘さを抑えた菓子を作っていたのだが、そこまでして贈るべきものなのだろうか?
 俺の疑問に彼女は目を閉じて唸っている。
「バレンタインにはチョコって定着しちゃってますからね。それに、渡される方も甘いものが苦手だとはいっても、やっぱり好きな子からチョコを貰いたいと思うんじゃないでしょうか?」
 そう俺に聞き返してくる彼女は口元に手を添えて小首を傾げている。
「例え苦手だとしても、バレンタインに渡されるものがチョコレートではなかったら腑に落ちないということか」
「これはこれで嬉しいけど、これじゃないってなっちゃいそうですね」
「そういうものか……」
 こういった場合は渡されたものではなく渡してきた相手の方が重要ではないのだろうか?
 俺なら彼女が用意してくれたものならば何だって構わないのだが。
 最後の一口を幸せそうな顔で頬張っている彼女の唇の端にチョコレートソースが残っている。
「ごちそうさまでした」
「唇の端にチョコレートがつけいているぞ」
「えっ?」
「ああ、そのまま動かないでくれ」
 テーブルの端に用意されている紙ナプキンを一枚取り唇を拭ってやると、彼女は頬を赤く染める。
「ありがとうございます……」
「いや、構わない。そういえば、君は誰かに渡すのか?」
 これこそが俺が一番気になっていることなのだが、さすがにあからさますぎただろうか?
「えっ? そ、そうですね。友達と合同で義理チョコを用意する話は出てますね」
 まさか俺に尋ねられるとは思っていなかったのだろう。
 彼女は言葉を詰まらせ、カップに差し入れていたスプーンを慌ただしく動かし始める。
 さすがに砂糖はもう溶けていると思うのだが……
「合同?」
「はい、クラスメイトとか先生とか」
「ああ、なるほど。確かに効率がいいな」
 義理、なのか。それはよかった。
 さすがにこの場で正直に答えてくれるとは思っていないのだが、どうやら平静を取り戻したらしい彼女の瞳は嘘をつけいているようには見えない。
 さすがにここで「本命に渡すにはどういったものが良いか?」などと相談を持ちかけられてしまったら受験勉強どころではなかったかもしれないから、本当によかった。
「あの……先ほどのお話ですと、不破先輩はチョコじゃない方がいいですよね? 先輩にはお世話になっているので何か用意しようと思ってたのですが」
「……俺にか? いや、君が用意してくれるというのならチョコレートだろうと何だろうと有り難く受け取らせてもらうから気にしないでくれ」
「そうですか? でも、やっぱり何か別のもの考えます。不破先輩たくさん貰いそうですから、一つくらいはチョコじゃない方がいいですもんね」
 前言は撤回しよう。
 いや、期待していたわけではない。
 決してそのようなことはないのだが、話の流れからしてハッキリと義理と宣告されているのだから、平静でいられるわけがないだろう。
 俺の事情を慮ってのことなのだし、そもそも機を窺ってばかりで俺の気持ちは一切に彼女に伝えてはいないのだから、義理だとしても貰えるのだけで良しとするしかない。
 ない……が、自業自得にしてもあんまりではないか?


 ☆ ☆ ☆


「来て早々随分と大きな溜め息ですね」
 昇降口でげた箱に手を置く俺の背後から、随分と楽しそうな級友の声が聞こえてくる。
 この級友が今ここに俺がいる理由の一つではあるのだが、それはこの際目をつぶろう。
「西園寺……一つ確認をしたいのだが、俺たちは受験生だな?」
「ええ、そうですね。私大は合格発表が始まっていますが、国公立はこれからですね」
 穏やかに微笑む西園寺は早い段階で推薦を決めているのだから余裕なのも当然だろう。
「なら、何故自由登校の三年が集められているんだ?」
「おや、今日はバレンタインですよ? 愛を語らう絶好の機会に何のイベントもやらないなんてもったいないじゃないですか」
 会長職を大分前に辞しているはずなのにこれなのだから、現会長の苦労が忍ばれる。
 西園寺は俺が何を言っているのか理解不能といった表情をしているが、あくまでもそう見せているだけだろう。
「こういったイベントでも開催しないと、三年生は登校することはありません。チョコレートを渡したい、もしかしたら貰えるかもしれない、そう思っている方がいらっしゃるかもしれないなら、学校に来る理由を作ってさしあげるのも一興だと思いませんか?」
「そういうことか」
 イベントはあくまでも三年生を呼ぶ餌。
 察しがよく頭の回転も早いのだが、たまにそういった才能を無駄遣いするのが西園寺蓮という人間なのだ。
「自由参加ですのにこうして来てくれるのは、不破君の真面目さからでしょうか? それとも……」
「そこに答える必要はあるまい」
「ふふっ。そうですね」
 西園寺はそう言って頷くと「それでは私は準備がありますので」と昇降口を後にする。
 登校する都合があるから三年には前日に連絡が回ってきたが、今朝話を聞いたであろう一、二年生への衝撃は如何ほどだったであろうか。
 しかもチョコレートの用意がない女生徒のために購買にまで根回しまでしているのだから恐れ入る。
「図書室にでも行くか」
 自由登校の三年生――その中でもまだ入試が終わっていない生徒――は教室にいる必要はない。
 そもそも学校に来る必要がないのだから、教室にいるのは出席日数が足りず補習授業を受けている生徒くらいだろう。
 図書室に入ると俺と同じように考えたのか、参考書やノートを広げている生徒が男女問わず見受けられる。
 昼休みには一度生徒会室に行かないとならないことを考えると、時間的に参考書を開く気にもなれない。
「不破先輩?」
 席に着いたものの机の上に鞄を置いて考え込んでいた俺に声がかけられる。
 声の方に体を向けると小さい手提げ袋を持った彼女が不思議そうな顔で俺を見ていた。
「君か。まだ授業中ではないのか?」
「自習になったんです。課題は終わったんですが、何となく、その……」
 俺から視線を逸らし言い難そうに言葉を濁す彼女の手は袋の持ち手をせわしなく握り直している。
「サボりとは感心しないな」
「すみません。ただ、教室にはちょっと居辛くて」
 その姿が余りにいじらしく見え苦笑混じりにそう言うと、彼女は疲れたような困ったような何とも言えない表情で溜め息を吐いた。
「何かあったのか?」
「バレンタインなので、教室全体がそわそわしてるような感じがして落ち着かないっていうか、私には関係ない分余計気になっちゃって」
 確かにこういったイベント事がある日は色めき立つものだが、街中と違って教室という狭い空間では余計気になってしまうだろう。
 ……そうか。「関係ない」のか。
「今日ばかりは仕方ないだろうな。だから昼食も持っているのか」
「はい。別の場所で食べようと思って」
「図書室は飲食禁止だが、こちらの校舎は空き教室が多いし人も少ないから正解かもしれないな」
 彼女からのチョコレートを期待している輩もいるのだろうか?
 そのような不躾な視線に朝から晒されていたのかと思うと、片っ端から叩き伏せていきたくなる。
「すまない、立たせたままだったな」
「い、いえ。ありがとうございます」
 体を横に向け隣の椅子を引いてやると、彼女はその椅子を少し俺の方に向くように動かして腰掛ける。
 膝が触れ合いそうなこの距離は少しばかり気まずいかもしれない。
「あの、先輩。三年生は自由登校ですよね? どうして図書室に?」
 先ほど不思議そうな顔をしていた理由はこれだろう。
「西園寺に呼び出されてな」
「先輩、あれに参加されるんですか?」
 随分と意外そうな顔をされてしまったが、隠すようなことでもあるまい。西園寺に呼ばれたことは事実なのだから。
「いや、顔を出すだけだ。家でばかり勉強しても煮詰まってしまうから、場所を変えたかったという方が理由としては大きいな」
 君に会いたかったからと告げたら、どんな顔をするのだろうか?
 西園寺に呼ばれたというのは口実で、場所を変えたかったというのは建て前。
 そうまでしても今日君に会いたかったのだと伝えることができたのなら……
「そうだったんですか。でも、私としてはよかったです。不破先輩に『チョコ以外のものを用意する』って言ったのに渡せないんじゃ意味ないって思ってたので」
「そういえばそうだな。君ならば連絡をくれれば時間を作るから、遠慮なく呼んでくれ」
「はい。ありがとうございます。さっきもそのことを考えながら図書室にきたら不破先輩がいらっしゃったので、ビックリしちゃいました」
 俺のことを考えていてくれたのか。
 照れたように笑う彼女がとても愛らしい。
「あの……先輩は暫く図書室で勉強されてるんですか?」
 彼女の表情を見ていた俺を小首を傾げて覗き込むように見返してくる。
 無遠慮な視線を送っていた俺を咎めることもなくこうも無防備な姿を晒すのだから困ったものだ。
「ああ、そのつもりだが」
「それなら、教室に先輩にお渡しする分を取ってきますね。直ぐ戻るんで待っててください」
「それは問題ないが……いや、俺も昼休みに一度生徒会室に寄るよう西園寺に言われているからな。直にチャイムも鳴るだろうし、一緒に行こう」
 一度は教室を抜け出した彼女が戻ってきたことを気に留める人間がいるかはわからないが、それでも今彼女を一人にしたくはない。
 授業中は仕方ないとしてもせめて昼休みの間は一緒にいるべきだろう。
「わざわざすみません」
「いや、それに君もこれから昼食なんだろう? よかったら一緒にどうだ?」
「お昼食べてこなかったんですか?」
「家を出る前に軽く食べたのだが、さすがに夕飯まで持たなそうだからな」
 もう少し後で食べるつもりだったが、食事を見られている状態では彼女が気にしてしまうだろう。
 鞄の脇に置いたままだったコンビニの袋を持ち上げてみせると、彼女は小さく微笑む。
「そうなんですか。じゃあ是非ご一緒させてください」
「先に君の教室、その後生徒会室で俺の用を済ませたら、落ち着けそうなところを探して食事にしよう」
 彼女には申し訳ないが、俺が教室まで付き添わせてもらうとしよう。
 あらぬ誤解を周囲に与えてしまうことになってしまうが、それに関してはそうなってしまったとき改めて彼女に謝罪すればいい。
 椅子を後ろへ引いた後、彼女が立つまで一呼吸空ける。彼女が立ち上がって丁寧に椅子を戻すのを確認して、ぶつからないように椅子をさらに動かす。
「それでは行こうか」
「はい」
 立ち上がる際に荷物を持った手で今度は椅子を戻し、空いたもう片方を彼女の背に軽く添え促すと、彼女は小さく頷いて歩き出した。


☆ ☆ ☆


 図書室を出て大きな音を立てないよう気をつけながら歩いているうちに廊下にチャイムが鳴り響く。
「チャイム鳴りましたね」
「そうだな。人が増えてくるだろうから少し急ぐとしよう」
 ここまで誰にも会うことはなかったので考えることはなかったが、さすがに今日は人の目を気にした方がいいだろう。
 この様子だと、昼食をとる場所も考えなくてはならないな。
「お昼、どこで食べましょうか?」
 同じことを考えていたのか、彼女が俺を見上げ尋ねてくる。
 彼女が図書室に来た理由を考えると、あまり人に使われることがない場所がいいだろう。
「今の時期だと中庭や屋上は冷えてしまうな。生徒会室の隣にある小会議室はどうだ?」
 俺の提案に意外そうな顔で彼女が首を傾げた。
 確かに、実際に借りたことがなければあそこが使えるとは思わないだろう。
「鍵、開いてるんですか?」
「あそこは生徒会が管理しているから、生徒会室に寄った際に西園寺に鍵を借りればいい。補習を受けている生徒がいなければ教室でも問題ないが……」
「それは、緊張してご飯の味がわからなくなっちゃいそうです」
 困った顔の彼女もまた可愛らしい。
「あと数ヶ月もすれば君の教室になるのだがな」
「それはそうですけど、やっぱり上級生の教室は緊張します」
 自由登校の今、彼女と一緒にこの校舎にいられるのも、数ヶ月どころかあと数日あるかどうか。
 自分で言ったことながら、残された時間の少なさを実感する。
「なら、なんとしても小会議室を借りないとな」
「西園寺先輩にお願いしないとですね」
 ならばせめて二人だけですごせる機会は逃さないようにしないと。
 恐縮そうにする彼女を購買に向かって走る男子から庇いつつ、人の増えた廊下を進んでいく。
「大丈夫か?」
「はい。反対側の階段使えばよかったですね」
 そういえば彼女はA組だったか。
 教室の少ない一階廊下から奥の階段を使うべきだった。
 B組の教室を越えたところで彼女が教室の後ろのドアに手をかけて振り向いて俺に声をかけてくる。
「ちょっと待っててください。直ぐ取ってきますから」
「慌てなくて大丈夫だから、人や机にぶつからないようにな」
 そう注意する俺の言葉に頷いた彼女は、俺に顔を向けたまま教室の中へ入っていく。
「はい! きゃっ!」
 彼女の声に、教室内にいた生徒の視線が集中する。
 椅子にぶつかった彼女に周囲から大丈夫かと声がかけられるが、それに手を振って応える彼女が通学鞄の中から小さな包みを取り出した瞬間、空気が変わった。
 噂好きそうな女子だけでなく、そういったことに興味のなさそうな男子までもが彼女と俺に窺うような視線を向けてくるのだから、彼女が図書室に逃げてきたのも理解できる。
「先輩、お待たせしました」
「ああ。いや、その……大丈夫か?」
「え? あっ、はい。ちょっと椅子にぶつかっただけですから」
 いや、そういうことではないのだが……
「そうか。それならいいが、怪我だけはしないよう気をつけてくれ」
 周囲の視線に気付かないのか、それとも今くらいのものは日常茶飯事となっているのか。
 歩き始めた彼女を好奇の視線から庇うようにしながら、生徒会室へと歩みを進める。
「はい。それにしても、生徒会のイベントがあるせいか歩くだけで気を使っちゃいますね」
「他の生徒と鉢合わせにならないように場所を選んだのだろうが、そこかしこで見かけるとなるとな……」
 図書室から二年の教室、さらにそこから生徒会室に向かうまでの間でさえ、告白をしようとしている現場に何度かかち合いそうになった。
「でも、チョコ渡すか迷ってた子が逆に好きな人から告白してもらえたみたいな話を聞いたので、後押しにはなってるのかもしれませんね」
 男子には赤い薔薇の花飾り、女子には白い薔薇の花飾りが生徒会から渡され、想いが通じ合った場合はそれを交換する。
 西園寺が考えた企画はそういったものだった。
 西園寺自身は「もう少し時間に余裕があればもっと手の込んだイベントにできた」と言っていたが、つい数日前に思いついたのだとすれば十分すぎるだろう。
 果たして彼女は誰かから花飾りを貰ったのだろうか?
 それよりも、彼女自身、誰かに花飾りを渡したのか?
「それならば今ここにいるはずもないか」
「え? すいません、よく聞こえなかったのですが……」
 冷静に考えたら、誰かと想いを通じ合わせていたのならこうして俺の隣にいることなどないだろう。
 それに彼女は図書室で「自分には関係ない」とも言っていたのだ。
 本人に直接問い質せるはずもないことに対して自らが安心するための尤もらしい理由を考えてながら歩いていると、目的の場所はもう目の前だった。
「いや、なんでもない。寒いだろうが、直ぐに済ませるからここで待っていてくれ」
 彼女にそう声をかけ生徒会室のドアをノックする。
 誰かしら役員がいるだろうと思ってはいたが中から聞こえてきた西園寺の声に、そのままドアを開けた。
「失礼する。例の花飾りを貰いにきたんだが……」
 室内には西園寺一人だった。
 西園寺は窓を背にした会長用の席ではなく、普段作業をするときに使われている長机の前に立ち段ボールの中を覗き込んでいた。
「おや不破君。お付き合いいただきありがとうございます」
 俺の声に西園寺が顔を上げる。
 俺が中へと入っていくと、段ボール箱の中から赤い薔薇の花飾りを取り出し持ってきた。
 自由登校の三年は生徒会室に花飾りを取りに来るよう連絡が回っているので、西園寺は残りを数えていたのだろう。
「それではこちらをどうぞ」
「その代わりといってはなんだが、一つ頼み事を聞いてもらえるか?」
「不破君が私にとは珍しいですね。何でしょう?」
「隣の小会議室を少々借りたいのだが」
 差し出された花飾りを受け取りブレザーのポケットにしまいながら、西園寺にこちらの用件を告げる。
 生徒会室に入る前に様子を窺った感じでは隣の小会議室に使われている気配はない。
 ならば鍵は問題なく借りることができるだろう。
「ええ、構いませんよ」
 そう言うと西園寺は鍵を取るため戸棚へ向かう。
 鍵の保管が会長が使う机ではなく戸棚なのは他の役員でも取れるようにだろう。
 少々無用心な気もしなくもないが、小会議室が生徒会管理だということを知っている生徒は意外と少ないのかもしれない。
「おや、誰かお客さんですかね?」
 ドア越しに微かに届く話し声に西園寺が顔を上げる。
 控えめなノックの後、彼女の声が聞こえてきた。
「あ、あの……失礼します」
「なんだ、不破も来ていたのか。ちょうどいい。少し手伝っていけ」
 彼女が生徒会室のドアを開けると、段ボール箱を抱え眉間にしわを寄せた九条が入ってきた。
「それは人にものを頼む言い方ではないと思うのだが……それは何だ?」
 九条の言い方は今に始まったことではないので気にならないが、さすがにこの箱の中身は少々気になる。
 九条は大袈裟な溜め息と共に箱を机の上へと置く。
 箱の中へ無造作に右手を差し入れると小さな包みをつまみ上げた。
「西園寺宛てのものなのだが、これを菓子とそれ以外に分別する」
 箱の底を軽く確認し、それを箱の右側へと置く。
 なるほど。箱の中身は西園寺へのチョコレートなどのプレゼントなのだろう。
 それを何故九条が集めて仕分けしようとしているのかは検討がつけかんが、さすがに今は邪魔をされたくない。
 優しい彼女が気を使って手伝いを言い出す前にこの場を離れんとな。
「九条君は几帳面ですねぇ。不破君はこの後予定がおありのようですから、鷹司君でも呼びましょうか」
 俺の状況を察したらしい西園寺が意味ありげな視線を俺に投げながら九条が置いた段ボール箱へと視線を移す。
 随分と他人事のように言っているが、後で中身と贈り主を確認するのだから今やることではないといったところか。
「なんだ、そうなのか。貴様はどうだ? ちょうど昼も持ってきているのだろう?」
 俺に説明を求めることなく引き下がった九条は顔を上げ、所在なげに立っていた彼女に声をかけた。
 ああ、こうなるだろうから早く退出するべきだったのだ。
「それ以上は馬に蹴られてしまいますよ。はい、こちらが小会議室の鍵です。私は今日最後まで生徒会室におりますから、返却はいつでも構いません」
「感謝する。が、別に九条が馬に蹴られるということはないと思うぞ」
 段ボール箱の上を通って差し出された西園寺の手の下に手を伸ばすと、ゆっくりと手の平に鍵が乗せられる。
 それにしても「馬に蹴られる」か……
 九条を止めてくれたのは有り難いが、その表現はあからさまではないか?
 表情に出ないよう気をつけながら西園寺に礼を言うと、西園寺は軽く目を見開いた。
「そうなのですか? それでしたら思う存分お邪魔させていただきましょうか」
「そう楽しそうな顔をされても困るんだがな……」
 彼女が西園寺や九条とも顔見知りだということは以前から知っているが、西園寺のこの顔は自分にも好機があるというよりは俺の反応を見て楽しむ機会を得たことに対してだろう。
 会話を切るため、西園寺が口を開くより先に手の平の鍵を握り込んで回れ右をする。
 彼女の隣まで行き肩に手を置くと、手伝うべきか迷っていたような顔をしていた彼女が顔を上げた。
「何のお話を?」
 やはり杞憂だったか。
 俺と西園寺のやり取りが耳に入っていないわけはないだろうが、俺の顔を見る彼女にはそれがどういった意味のものか理解している様子はない。
「いや、問題ない。鍵は借りられたから昼にしよう。失礼する」
「失礼しました」
 律儀に頭を下げる彼女を先に行かせ、生徒会室を後にした。


 ☆ ☆ ☆


「不破先輩。あの、こちらどうぞ」
 食後。弁当箱をしまった彼女が、綺麗に飾り付けられた包みを差し出してきた。
「さっき言っていたやつか。ありがとう」
「チョコじゃなくてクッキーにしてみました」
 やはりチョコレートではないのだな。
 もしかしたらと少しは期待していたが、こればかりはみっともなく愚痴をこぼした自分への罰として受け入れなければならない。
 そもそも貰えなかったのかもしれないのだから、こうして用意してもらえるだけで十分と思わなければ。
「気を使わせてしまってすまなかったな」
「いえ、私がそうしたかっただけですから」
 義理だというのは理解しているが、手作りのものを贈られるというのは嬉しいことだし、正直期待もしてしまう。
 この俺がこう思えるようになるのだから、彼女が俺に与えた影響の大きさはどれほどのものか。
 来月彼女に何を返すか、しっかりと考えないといけないな。
 彼女に希望はあるか尋ねようと包みから視線を外したところで、彼女の手提げ袋の入れ口から結ばれたリボンの端が目に入った。
「答えたくないなら無理には聞かないが、その、もう一つの包みは誰かにあげるものなのか?」 
 教室に取りに行ったのは俺に渡すためのものだったはず。
 そうなると、それはその前から袋の中に入っていたことになる。
 昼休みに誰かに渡すつもりだったのだろうか?
「えっ? あ、これは、その……」
「いや、無理に答えなくても構わない。すまない、個人的なことを聞いてしまって」
 言い淀む彼女に慌ててフォローをする。
 俺はそこまで踏み込んで聞けるような立場ではないのだ。
 俺の言葉に随分と言い難そうにしていた彼女が袋の中から包みを取り出す。
「いえ、そうじゃなくて……これ、不破先輩に渡そうかどうしようかと」
「俺に?」
 予想外の答えに上手く言葉が出てこない。
 俺のために二つ用意してくれたということか?
「はい。せっかくのバレンタインなので、やっぱりチョコも渡したいなって。なので、こちらもよかったら……」
 机の上を滑るように、包みが俺の前に押し出される。
 先ほど渡された包みは可憐な彼女に相応しく、レース柄の入った可愛らしい紙袋にリボンがかけられたものだったが、こちらは落ち着いた茶色の箱に深い赤のリボンが結ばれたもの。
 期待をしてはいけないのだろうが、気を引き締めないと顔が緩んでしまいそうだ。
「ああ、ありがとう。礼は忘れずに用意するから、来月楽しみにしていてくれ」
「はい。でも、どっちも私が好きで作っているだけなので気にしないでください」
 頬をほのかに赤く染めた彼女が微笑む。
 来月の今頃には入試も終わり落ち着いているだろうから、当日は菓子を渡すだけにして、週末にチョコレートの分として改めてデートに誘おうか。
 卒業してしまったらこうして一緒に昼食をとることもなくなってしまうしな。
 しかし、チョコレートも用意してくれたのはいいが、これも義理なのだろう。
 彼女の真意も知りたいが、それ以上に他の男子の反応が気になる。
 よもや、他の男子にもこのように二つ渡しているのだろうか?
 そういえば、ちょうどいいものがあった。
「それなら、今はこれを受け取ってもらえるか?」
 潰れないようにポケットにしまったままだった花飾りを彼女に差し出す。
「これ、さっき生徒会室で貰ってきたのですよね。私でいいんですか?」
「俺が君からチョコレートを貰ったことにも、君が俺にチョコレートを渡したことにも間違いはないだろう? 周囲からの詮索をかわす虫避けとでも思ってくれればいい」
「虫避け……」
 どういったものを指して虫と言ったのか思い至らない彼女にこういったやり方は卑怯だと言われても仕方がないのだが、これも彼女を守るため。
 放課後まで通学鞄にこれをつけていてくれれば、他の男子が勘違いすることもないだろう。
「それじゃあ、私の薔薇は不破先輩が持っていてください」
「あ、ああ。ありがとう」
 朝受け取ってそのままだったのだろう。
 袋の中から取り出された白い薔薇の花飾りを彼女の手から受け取る。
 予想はしていたが、この反応……
 彼女の性格を考えると、俺が渡したからイベントの内容に則って返しただけ。
 さすがにこれを渡す意味は理解してるはずだが、俺がどういった意味に受け取るかは考えていないだろうな。
 そういった彼女の純粋さに付け込んでいるのは紛れもなく俺なのだが、どうにも心配になってしまう。
「この赤い薔薇に守られてるみたいですね」
 俺の気も知らず、そう言って彼女ははにかんだ笑みを浮かべるのだった。



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