spice！

例えばこんな番組いかが？

「何を見てるんですか？」
どうぞと差し出されたカップを受け取って、レンはテレビから視線を春歌に向ける。
「ありがとう。これイギリス人シェフの料理番組なんだけど、
　三十分で一食を作るみたいだからメニューの参考になるかなって」
画面ではおしゃれなキッチンにカジュアルな装いのシェフが、
アシスタントも置かず一人今回作る料理の説明をする姿が映し出されている。
シェフの服装もさることながら字幕の文体もかなり砕けており、
日頃春歌が見ている料理番組とは随分と異なって見えた。
「三十分で一品ではなくてですか？　スゴいですね。なのにとても自然でおうちで料理してるみたいです」
「そういうコンセプトなんだろうね。毎日の飾らないディナーのメニューをって感じでさ。
　今回はギリシャ風タルトがメインみたい」
レンが画面を見ると、そこにはできあがったタルトを切り分けているシーンが映されている。
タルトとはいっても洋菓子で見られるタルトとは違い、
土台部分はパイ生地のように見え、春歌はある料理を思い浮かべた。
「キッシュみたいですね。美味しそうです。でも、海外の料理番組って見るのは楽しいんですけど、
　いざ作ろうとなると難しかったりするんですよね」
「そうなの？」
春歌がそう言うと、どういうことか解らないといった様子のレンは、再び画面から視線を外し春歌に尋ねた。
ソファの背面を回り込んで春歌はレンの隣に腰を下ろす。
「材料が集めにくいっていうのが一番ですね。例えば、今出てきたフィロって生地もパイ生地の一種なのでしょうが、
　スーパーとかで見かけたことはないです。高級スーパーならあるのかな？
　あと、お米とかみたいに品種が違っているとレシピどおりに調理していいのかどうかとか」
「パスタ・フィロはイタリア料理だとよく使うね。スゴく薄いパイ生地だよ」
春歌が言ったことを肯定するように、レンは言葉を続ける。
「米は日本だと主食だけど、海外だと野菜として使ったりするし、
　流通してる品種によって扱い方も変わるから国ごとに調理に違いがあるのは当然か。
　そうなると確かに参考にしにくいね」
春歌の例えにレンは納得して頷いた。
耐熱紙の上に広げて重ねられ型代わりのフライパンにセットされたフィロ生地に、
卵、二種類のチーズ、オリーブオイルで軽くソテーされたほうれん草を混ぜ合わせたフィリングが注がれている様子が画面に映る。
「あ、これはフィリング入れた後に生地で包んで蓋をするんですね。
　フライパンで下を焼いてからオーブンに入れるから時間が短くなるのかな？」
キッシュ、こんな感じで作ってみよう。
そう目を輝かせながら食い入るように画面を見る春歌の様子をレンは横目でチラリと見て、口元を緩める。
「デザートはシンプルだね。バニラアイスにチョコとナッツとコーヒー豆のクランチをまぶすのか。
　それをカッティングボードの上で直接やるってスゴいな」
「ホントですね～。でも、確かにこのためだけにお皿とか用意するのってちょっと手間かもしれないです。
　クッキングシート敷けばいいかな？
　こういうの見るとフードプロセッサーってあると便利かもってちょっと思っちゃいますね」
砕かれたチョコレートを広げたまな板の上で丸くくり貫かれたバニラアイスが転がされているのを見て春歌がそう言うと、
レンは春歌の顔を覗き込む。
「ああいうの欲しい？」
「……神宮寺さん」
レンはこうして春歌の何気ない言葉を拾ってはそれを贈ろうとしてくる。
それは生活用品だったり、服や装飾品だったり、作曲に必要な機材やソフトウェアだったりと多岐に渡り、
困るしかない春歌はその都度諫めるような言葉を返していた。
「ゴメン、言ってみただけ……ってわけじゃないけど、ハニーはああいうの使ってみたいとかは思ったことない？」
「便利そうだし、使ってみたいとは思いますけど、後片づけ面倒だろうなとか、
　置き場に困りそうとか考えて、やっぱりいいかなって。結局使わなくなっちゃいそうですから」
残念そうなレンを見て、春歌は困った顔で笑う。
「買ってあげたいのになぁ……」
春歌からしてみたら、レンの気持ちは確かに嬉しい。それでも毎回この調子では、部屋に物が溢れてしまう。
何より、何か〝モノ〟が欲しくてレンと一緒にいるわけではない。
「神宮寺さんのお気持ちだけで十分ですから！」
「ハニーは欲がないな～。じゃあ寮を出て、一緒に暮らせるようになったら、いい？」
「え？」
「オレも使うから、ねっ」
「……じゃあ、そのときは一緒に選びましょうね」
もう少し先の話を、レンは意識もせずまるで子供が親に玩具をねだるような口ぶりで言う。
春歌はいつか訪れる未来を想像して、頬を染め口ごもりながら答えた。
「うん」
レンは嬉しそうに頷いて、ほんのりと紅い春歌の頬にキスをした。
「デザートが終わって残りはサラダ二種類か。確かに三十分で終わりそうだね」
二人がそんな話をしている間にも調理は進み、
シェフはできあがったデザートをもう一度冷凍庫に戻して、サラダの調理に取り掛かる。
「これ、調理用じゃなくて盛りつけ用のサラダボウルですよね？　その中でドレッシング作っちゃうんだ……」
「塩漬けのオリーブにバルサミコ酢とオリーブオイル。スプリングオニオンって、日本だと何になるんだろうね？」
サラダボウルに直接入れられたドレッシングの材料は手早く混ぜられ、
更に下処理済のサラダ用のリーフレタスも開封された袋から直接入れられる。
「サラダボウルの外側汚れたままだね。シェフなのに大雑把だなぁ」
野菜とドレッシングがサービングスプーンで大きく混ぜ合わせられ、サラダボウルがテーブルに運ばれていく。
アップで映されたボウルの外側にたれたドレッシングはそのままだった。
「そういえば、ぜんぜんお酢とか量ったりしないんですね」
「感覚で解るんだろうけど、さっきから口頭で分量を説明するのに、実際の作業ではそんなことまるでしてないのが面白いよね」
自分も感覚で料理をしがちではあるが、大胆すぎるシェフの様子にレンは驚き、苦笑いを浮かべた。
「わぁ、たくさんのトマト。色とりどりで綺麗です」
「こっちのサラダはボウルじゃなくて大皿なんだね。
　ミキサーでペースト状にしたバジルのドレッシングを広げてその上にカットしたトマトか……
　こういう盛りつけもいいね」
どんどんできあがる料理に、二人は画面に釘付けになっていく。
オーブンから出されたタルトには見事な焼き目がついている。
耐熱紙を剥がされまな板の上にのせられると、そのままテーブルへと運ばれていった。
「タルトができあがりですね。まな板の上にそのままのせてその場で切り分けるのも素敵です」
「調理部分がメインで三十分っていう時間がテーマだから極力編集せず、
　そのかわり食事部分はスタッフロールと一緒に流して終わりか。三十分の番組なら妥当かな。
　分量を最後にまとめて出さないのも日本の料理番組と違うとこだね」
上下に分割された画面にタルトを切り分けサラダを皿に取り談笑する、
そんなシーンと下部にエンドテロップが流れ、番組は終わっていった。
「ねぇ、ハニー。パイ食べたくならない？」
レンは画面を見たまま春歌に問いかける。
「はい、実は……」
春歌が少し恥ずかしそうに肯定すると、レンは微笑んで立ち上がった。
「買ってくるから、お茶の用意して待ってて」
体を屈め一度春歌にキスをして、レンは買い物へ出ていった。

☆　☆　☆

さっきの番組のことですが……と、レンが買ってきたチェリーパイを美味しそうに食べていた春歌が話を戻す。
「神宮寺さんが料理番組をされるとしたら、ああいった感じのものが合いそうですよね。シェフの方も、ちょっと似てますし」
「オレあんなに大雑把に見えるかい？
　さすがに盛りつけにカッティングボード使ったりしないし、ソースのはみ出した部分はちゃんと拭うよ」
レンがティーカップを持ち上げた手を止めて驚きに目を点にすると、春歌は小さく笑った。
「そういうのではなくて、雰囲気というのでしょうか……
　あのシェフの方とても自然で楽しそうでしたよね。メニューも大皿の、気取らないおもてなし料理って感じで。
　そういうの今の神宮寺さんにピッタリだなって」
「自然で楽しそう、か……でも、あんな感じの仕事はオレにはそうそう回ってこないだろうけどね」
不思議そうに小首を傾げた春歌に視線を向けながら、レンはティーカップを口元に運びお茶を飲む。
「オレがオレでいられるのはハニーの前だけだからね。ハニーが知ってるオレは、他の誰も知らないんだよ」
そう言って微笑んだレンを見て、春歌は顔を真っ赤にして俯いた。
「どちらかというと、美味しい店を紹介したりっていう仕事の方が多いかな。
　ハニーと一緒にディナーを作って、友人を招いてなんて、〝神宮寺レン〟にはあまり求められてないかもね」
「そんなことないと思いますけど……贅沢者なんですね、私」
「こんなオレにしたのはハニーなんだから、ハニーしか知らないのも当然なんだけどね。
　ねぇ、ハニーはどんなオレが好き？　どんなオレが見たい？」
レンは春歌が持ったままのフォークをケーキ皿に戻して、そのまま手を握る。
「……どんなダーリンも好き、です。お仕事のときのダーリンも、一緒にいるときのダーリンも。
　格好いいダーリンも、可愛いダーリンも、全部好きです。だから……今はキスしてくれる前のダーリンが、見たいです」
「ＯＫ、ハニー」
静かに微笑んで瞼を閉じたレンの頬に空いてる左手を当て、春歌はゆっくりとキスをした。