spice！

「ハニー、これ何？」
　レンはカウンターの上の小さな機械を指でつつきながら、流し台の前の春歌に声をかける。
「それですか？　かき氷機ですよ」
　フタ付きのウォータージャグのようなその機械は、小型のミキサーのように見えなくもない。
　レンはかき氷機を持ち上げるとあらゆる角度から覗き込んだ。
「味見してみてください」
　ミルクパン片手にカウンターまで寄ってきた春歌が、レンにスプーンを差し出す。
「あら熱は取れてますからふーふーしなくて大丈夫ですよ」
　レンは柄を差し出す春歌の手を両手で包み、ゆっくりと力を入れてツボの方を向かせた。
「あーん」
　楽しそうに目を細めてスプーンに口を寄せるレンに春歌は苦笑いを浮かべたが、そのまま好きにさせた。
「苦すぎたりしませんか？」
「いや、問題ないね。プリンでも作るの？」
　レンは舌の上にカラメルの苦味を感じて春歌に尋ねた。
「これをかき氷のシロップにしようと思いまして。これと練乳半々でちょうどいいと思いません？」
　どうやら春歌は練乳氷の上に苦みのあるカラメルソースをかけるつもりらしい。
　かき氷自体にそこまで馴染みがあるわけではないが、味は想像できなくない。
　レンは出来上がりを想像して頷いた。
「それはいいね」
「市販のシロップだと使いきれないでしょうし、作っちゃおうかなって」
　パウチなりペットボトルなり、探せば小さいサイズのシロップはあるらしい。だが、近所に買い物に行ったときに見かけたのはそれなりに大きなサイズの瓶だったというのは、少し前に春歌がレンに話していた。
　そういえばそのとき、あまりにも続く熱帯夜にレンが「氷でも食べて身体を冷やしたい」と零したことを春歌は覚えていたのだろうか？
　レンはそのときのことを思い出しながらかき氷機をカウンターに戻した。
「でも、かき氷って、こんな小さな機械で作れるんだね」
「お店で食べれるようなフワフワのは作れないですけどね。でも、お祭りの出店みたいのは作れますよ」
　急にできた休みのドライブデートで寄ったかき氷屋で春歌が随分と感動していたから次は近場で行ける場所をと考えていたが、まさかこんな形で先を越されるとは。
　レンは苦笑いをしながらキッチンへと戻る春歌を追いかける。
「今冷凍庫で氷作ってますから、ちょっと待っててくださいね」
　コンロにミルクパンを戻した春歌はシンク下の収納からボウルを出す。
「うん。って、ハニーはまだキッチンかい？」
「もう一つシロップ作ろうと思って」
　まだ作業が続くのかと尋ねるレンにそう告げて、春歌はエコバッグの中に手を差し入れた。
「レモン？」
「はい、頑張って搾ります！」
「それ、オレにも手伝わせてよ」
「いいんですか？」
　春歌の手からレモンを取ったレンを見上げて、春歌が尋ねる。
「ひとりぼっちは寂しいな」
　春歌の耳元に口を寄せレンが甘えるような声でそう囁くと、春歌はクスクスと小さく笑った。
「じゃあお願いします。たくさんありますから、分担しましょう」
　春歌がキッチンの壁に掛けてあるレン用のエプロンを渡す。
「私がレモンを半分に切りますから、神宮寺さんはこれで搾っていってください」
「ＯＫ。任せてよ」
「いっぱいになったらこのボウルに入れてください。種は後で取るのでそのままでいいですよ」
「うん」
　レモン絞りを受け取ったレンは、カウンターの上に春歌が置いたボウルの前に移動した。
　カウンターに凭れてレモンを切っていく春歌を見ながら、レンは再びかき氷機に視線を戻す。
「黒い本体で、なんだかかき氷機には見えないね」
　大きめのペットボトルとさほど変わらないサイズのかき氷機は、本体も、氷を入れるケースもツヤのない黒一色。
　何に見えるかと訊かれれば返答に困るが、少なくともかき氷機には見えない。
「白いのもあったんですけど、たまたま棚に一つしかなくて、隣の方にお譲りしたんです」
「譲った？」
「えぇ。小学生くらいの男の子を連れたお母さんで、その子が『白がいい！』っておっしゃってて」
　レンの脳裏に春歌が遭遇したであろう場面が浮かぶ。
「ハニーは優しいんだね」
「私は色は気にしないので」
　お願いしますと切り終わったレモンの入ったボウルをカウンターに置いた春歌が、照れたような笑顔を浮かべる。
　レンはその一つを手に取って、レモン絞りに押し当てた。
「ずっと出してるキッチン家電なら色を合わせたいところだけど、使うときだけなら気にならないか」
　絞り終わったレモンの皮をゴミ箱に放り込んで、カウンターに置かれたかき氷機に視線を向けた。
「でも、その男の子もその内『黒の方がかっこいい！』って言うようになったりしてね」
「男の子ですもんね。黒とか銀とか、そういう色に惹かれるようになるかもしれませんね」
　レモンを全て切り終わった春歌は、カラメルソースをボトルに移しミルクパンを洗い始める。
　レンは今日の取材での話題をふと思い出した。
「普通だったらさ、夏休みってこうやって親の手伝いしたりとかして過ごしたりするのかな？」
「普段からお手伝いしてる子もいるでしょうけど、確かに小学生の頃って終業式の日に先生に『夏休み中はお母さんのお手伝いもしましょう』って言われた気がします」
　ミルクパンを手早く洗い冷蔵庫を開けながら懐かしそうに言う春歌に、レンは思わず苦笑いを漏らした。
「何かオレ、ハニーと会ってから子供の頃にやってて当然なことを改めてやってる気がする」
　母親の手伝いなんてしたことないな……
　春歌が気にしてしまうから口には出さないが、春歌の普通を羨ましいと思うことはある。
　春歌だけではない。翔や真斗が話す弟妹のこと、那月が話す両親のこと、音也が話す友人のこと。
　何気ない会話が、レンにとっては眩しい。
「それはお手伝いする必要のないおうちですし……他に、どんなことしたいですか？」
「うーん……そうだ」
　どれだけ春歌といても消えることなく付き纏う影を心の奥底に追いやって、レンは思いついたとばかりに手を合わせる。
「ハニーが夏休みにしてたこと、教えてよ」
「夏休みにしてたこと、ですか？」
「うん。オレも同じことしたい」
　自分が夏にどう過ごしていたかなんてもう覚えていない。だからこそ、春歌の記憶が知りたい。
　春歌の記憶を二人でなぞった思い出がほしい。
「これといって特別なことは何も……」
「それでいいんだよ。ハニーの〝普通〟が知りたいんだ」
　困った顔で首を傾げる春歌に笑いかけて納得させる。
「それじゃあ、かき氷食べながらお話ししましょうか」
「そうだね。うん、そうしよう」
　楽しそうに頷いて、レンは再びレモンを手に取った。

Ｅ　Ｎ　Ｄ