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聖川さん呼びになった理由を補完しよう的なお話





仕事の前に済ませてしまおうと寮の近くにあるスーパーに買い物に言った帰り道。
買い物袋を下げヨロヨロとおぼつかない足取りの七海を見かけた。
「大丈夫か?」
立ち止まって荷物を持ち直している七海に、背後から声をかける。
「あっ! おはようございます、聖川様。今日はお休みですか?」
「おはよう。今日は午後から仕事だから、今のうちに買い物を済ませておこうと思ってな。
 しかし、随分と重そうだな。一つ持とう」
律儀に頭を下げ挨拶をする七海の手を見ると、荷物の重みで赤く跡がついてしまっている。
俺の方はそれほど荷物が多いわけではない。
特に重そうな一つに手を伸ばすと、七海は手を振ってそれを拒む。
「そ、そんな滅相もない。このくらいいつものことですから――っと」
恐縮そうな七海が慌てて荷物を持ち上げると、荷物に引かれるようにして体勢を崩してしまう。
「まったく……ほら」
「すみません」
謙虚なところは七海の長所ではあるが、気を使いすぎるというのは困ったものだ。
空いている手で七海を支えると、調味料などが多く入っている袋を受け取った。
「しかし、これはまとめて買ったにしても少々多すぎないか?」
俺が受け取った袋には調味料が多かったが、他の袋もまるまる一個のキャベツや
まとめて袋詰めされているジャガイモ、大袋の鶏肉や冷凍食品など、
一人分にしては少々多めの食材が詰められていた。
荷物を受け取って歩きながら七海に尋ねると、少し頬を染めて七海が視線をさまよわせる。
「これは、その……神宮寺さんの分もあるので」
神宮寺の分?
あいつはそんなに頻繁に七海に食事の準備をさせているのか?
「神宮寺の分まで用意しているのか?」
「はい。時間が合えばですが、できる限り一緒にご飯を食べるようにしているので」
そういえば仕事が早く済んだりすると腑抜けた面で「今日のご飯は何かな〜?」などと浮かれていたりしていたが、
そういうことか……
「それは、お前の負担になっているのではないか?」
アイドルという立場上外出するにも気を使うだろうし、
家での食事くらい一緒にという気持ちは解らんでもないが……
「いえ、そんなことはないですよ。一人分も二人分もそう変わりませんし。
それに、神宮寺さんに美味しいって言ってもらえると嬉しいですから」
ほんのりと紅い頬で微笑んで七海が言う。
本人がそう言うなら問題はないが……
「問題ないならいいが、それならせめて神宮寺の分の食費ぐらいは払わせとけ」
神宮寺のことだ、そのくらいのことは当然考えているだろう。
「神宮寺さんもそう言ってくださってるのですが、どう考えてもその、
外で食べるときに神宮寺さんに払っていただいてる分の方が多かったりするので……」
「あぁ。あいつの場合『デートでレディにお金を出させるなんて以ての外』とか言いそうではあるからな」
生活環境が違うのだから金銭感覚も違うのは当然なのだが、神宮寺の場合、特に金の使い方に躊躇いはないからな。
神宮寺が連れていく店がどのような場所かは知らんが、
あいつが好みそうな店だということを考えると、七海の感覚とはズレがあるだろう。
「神宮寺さんが連れていってくださるお店はどうしても値段が高かったりするので、
せめて家での分は私に出させて欲しいと」
「あいつがそうしたいのだから、その辺は好きにさせておけ」
七海にこういった気の使わせ方をさせるくらいならあいつ自身が譲歩すべきだとは思うのだが。
こういったことは近しい仲でもなかなか話し難いことだろう。
「聖川様は、神宮寺さんのことよくご存じなんですね」
そう言う七海の声に少々羨望の色が混ざっているように感じる。
俺としては甚だ不本意なのだがな。
そういえば、在学中から気になっていたのだが、ちょうどいい機会だ。
「全くもって嬉しくないことだがな。そういえば、前々から思っていたのだが……どうして『聖川様』なんだ?」
七海は年齢でいえば俺より一つ年下であるから敬意を払ってくれているというのは解る。
だが、一ノ瀬や四ノ宮、神宮寺には敬称としてさん付けなのに、どうして俺は様なのか?
「えっ? そういえば、そうですね。ん〜、財閥の御曹司で近寄り難い雰囲気があるから……とかでしょうか?」
言っている七海自身すら解ってないような反応に、軽く力が抜ける。
「財閥の御曹司というなら、神宮寺もそうなのだがな」
「そう……ですよね。でも、聖川様は聖川様なんですよね」
確かに俺は嫡男であいつは三男という違いはあるが、七海はそういうところで優劣をつけるような人間ではない。
俺と神宮寺の違いとは何なのだろう?
困ったことに、どうやら求めている答えは期待できないようだ。
「どのような理由でも構わんのだが、この先事務所の同期として現場などで顔を合わすこともあるだろう。
 その際に『聖川様』と呼ばれるのは対外的にあまりいいものではないからな。できれば直してもらえると助かるのだが」
早乙女学園に通っていた間はまだ学生であったし、学園という狭いコミュニティ内だけであったから問題はなかった。
だが、卒業し同じ事務所のアイドルと作曲家という立場で外部の人間を交えた場合、
同期という気安さがあるにしても、様付けはよくない。
「そうですよね。それでは、これからは『聖川さん』とお呼びしても宜しいでしょうか?」
「あぁ。そうしてくれ」
こういったときに七海は話が早くて助かる。
「はい。聖川さん、聖川さん……」
七海は自らに言い聞かせるように頷きながら続けた。
「慣れるまで大変そうだな」
「そうなんですよ。普段から呼び慣れてないと、とっさのときに困っちゃいますよね」
確かに七海は器用な方ではないから、十分にあり得るだろう。
「お付き合いを始めたばかりのときに、神宮寺さんに『ダーリンって呼んで』ってお願いされたのですが、
 恥ずかしいのと、やはりそれに慣れちゃうと仕事のときに間違えてしまいそうで……」
……ん?
今、何と言った?
「だ、だーりん? そう言えば神宮寺の奴、七海の話をするときは『ハニーが、ハニーが』とうるさいが……」
「はい。神宮寺さんが私のことを『ハニー』と呼んでくださるのが好きなので、
私も『ダーリン』って呼びたいのですが、現場でそれが出てしまったらと思うと……」
掌を頬にあててどうしようといった様子の七海をまじまじと見る。
「『だーりん』と呼ぶことに異論はないのだな」
神宮寺の微妙に西洋かぶれなセンスについては今更何を言う気にもならん。
しかし七海の場合、一般常識とか恥じらいとかいった方向で『だーりん』と呼ぶのを拒みそうなのだが……
「神宮寺さんにも『ハニーは素直で可愛いけどちょっとウッカリさんだから、無理に呼ばなくていいよ』と言っていただいたのですが、
 やっぱり神宮寺さんとしたら寂しいですよね」
神宮寺が常日頃寮や事務所で顔を合わせた相手にどんなノロケを言っているのか教えてやりたいくらいだな。
あの浮かれ方なら、呼び方くらいで寂しいなんて微塵も思わないだろう。
「まぁ、現場でウッカリ呼んでしまうよりはいいと思うぞ。たまに呼んでやるくらいで十分だろう」
神宮寺の望みをいちいち聞いていたら、際限ないだろう。
その内、「ハニー、オレと結婚して」とか言い出すのが目に見えて明らかだ。
「そうですか?」
「あまりあいつを喜ばせない方がいい」
「でも、私ができることなら何だってしてあげたいと思うのですが……」
その気持ちは神宮寺の古い友人としてありがたいとは思うが、
今のあいつは捨てられていたところを保護された犬みたいなものだからな。
今の段階で躾はしておかないと、七海の手には負えなくなるのではないか?
「今のうちにしっかりと躾をして、手綱を握っておけ」
「躾って……そんな犬じゃないんですから」
俺の言葉を冗談ととらえたのか、七海が困ったように笑う。
寮のエントランスに入ると、見覚えのある背中が見えた。
「神宮寺さん! おかえりなさい」
「ただいま、ハニー!」
七海を抱き上げる神宮寺を横目に見ながら、ボタンを押して上階に止まっているエレベーターを呼ぶ。
神宮寺も随分と変わったが、七海までこうとは……
「二人とも。エレベーターがきたぞ」
俺の存在を思い出した七海が、真っ赤になりながら俺の方へ駆けてきた。
「あ、あの。荷物、ありがとうございました」
「荷物持ち、ご苦労だったな」
七海が俺の手からひったくるように荷物をとると、他の荷物を受け取っていた神宮寺がそれを更に抱える。
付き合い始めたと聞いたときはどうなることかと思ったが、これはこれでいい……ということにしておこう。
俺は知らん。



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