ハルちゃんが福引でビニルプールを当てたようです「おかえり、ハニー」 「ただいま帰りました」 夕ご飯の買い物から帰ってくると、神宮寺さんが出迎えてくれた。 「荷物持つ……よ」 神宮寺さんの視線が買い物袋と一緒に持っていた箱に向かう。 「これ、商店街の福引きで当たったんですけど、さすがにちょっと困っちゃいますね」 「子供用のプールだね。何等だったの?」 「五等です。商店街の玩具屋さんの提供だそうですよ」 一等が温泉旅館ペア宿泊券。二等が遊園地のペアパスポート。三等が商店街の共通商品券。四等が高級和牛。 温泉や遊園地だと神宮寺さんと一緒に行くのは難しいし、商品券かお肉がよかったな…… 「う〜ん、四等までの景品と比べると、ちょっとランクが落ちる感じだね」 「頂いてから言うことでもないのですが、ちょっと困る類の景品ですよね」 事務所で使う人がいるか聞いてみようかな。 お子さんがいる方が引き取ってくれたら一番だけど、 いなそうならバラエティ実習の小道具とかで使えるか日向先生に聞いてみよう。 「ねぇ、ハニー」 しゃがみ込んで箱を見ていた神宮寺さんが見上げてくる。 「何ですか?」 「せっかくだし、これで遊ぼうか」 「……えぇっ!?」 ☆ ☆ ☆ 「珍しく実家に顔を出しにきたと思ったら……」 「すみません」 「こちらこそ、いつもいつも不肖の弟が申し訳ない」 そうはいっても、お兄さん何だか楽しそう。 神宮寺さんとこうやって話ができることが嬉しいんだろうな。 「寮のベランダじゃ無理だし、室内じゃ意味ないだろ」 神宮寺さんが芝生の上に広げたビニルプールに電動のポンプを取り付けながら言葉を返す。 「だからうちの庭か。まぁ、ここはお前の家なんだから好きにしたらいいさ」 お兄さんが少し呆れた様子で笑った。 場所の問題というより、年齢とかプールのサイズの方が問題だと思うけど、そうでもないのかな? 「屋敷の者には呼ばれない限りここにはこないように伝えてあるから」 お兄さんがそう言うと、隣にいたお爺さんが恭しくお辞儀をする。 着ている服がジョージさんのと似てるし、執事さんなのかな? 「あぁ、わかったよ」 「あまり七海さんに迷惑をかけないようにな」 「余計なお世話だよ。っていうか、仕事はどうしたんだよ」 屋敷の方は神宮寺さんや私に対してもそう思ってると思います…… 神宮寺さんは今日は午前中に入っていた取材のみ、私は納期に余裕があったので、 お昼ご飯を食べた後にこうして神宮寺さんのご実家にお邪魔している。 「もう戻るさ。それじゃあ七海さん、レンのこと頼みます」 「はい」 お兄さんが踵を返して室内に戻っていく。 神宮寺さんからの電話を受けて、様子を見に来てくれたんだろうな。 「さて、と。オレは水張ってるから、ハニーは先に着替えておいで」 「はい」 神宮寺さんはいつの間にか膨らんでいたプールからポンプを外していた。 「あの水着、ハニーに絶対似合うから。楽しみにしてるね」 神宮寺さんが選んでくれた水着はちょっと露出が多めだけど、喜んでもらえるなら頑張って着よう。 ☆ ☆ ☆ 「ハニー可愛いよ。よく似合ってる」 ミュールを履いて庭に降りると、満面の笑みの神宮寺さんが駆け寄ってくる。 「ビキニはやっぱり恥ずかしいです」 神宮寺さんに渡された水着はスカートやパレオが付いてなかったから、掴む裾がなくてそわそわする。 「ハニーはスタイルいいんだから、半端に隠すより出した方が断然いいよ」 そういうものなのかな? 神宮寺さんは両手の親指と人差し指で四角を作って片膝をつくと、カメラを構えるような仕草をする。 「カメラ持ってくればよかったね。携帯で撮っていい?」 「けっ、携帯は他の方に見られる可能性があるので、ダメです!」 「それは確かに困るね。番組の企画で見られたりするかもしれないし、我慢しよう」 そう言って立ち上がると、神宮寺さんは私の手を取る。 庭への出入りに使った掃きだし窓に私を導くと、肩に手をのせ座るよう促した。 「夏なんだし少しくらい焼いた方が健康的でセクシーだと思うけど、それでも日焼け止めは塗らないとね」 神宮寺さんはまた片膝をつくと、私の足に手を添える。 いつの間に日焼け止めまで…… 「だ、大丈夫です! 自分で塗りますから、神宮寺さんは着替えてきてください」 慌てて膝を曲げ足を引き寄せると、神宮寺さんは大袈裟なくらい残念そうな顔をする。 「わかったよ、ハニー。でも、背中はオレに塗らせてね」 神宮寺さんは私に向かって投げキッスをすると軽やかな足取りで部屋の中に入っていった。 神宮寺さんが楽しんでくれてるのは嬉しいけど、私の心臓が持たない気がする…… うろたえてる場合じゃない。神宮寺さんが戻ってくるまでに全部済ませないと。 神宮寺さんが用意してくれたらしいウォータープルーフの日焼け止めを足の爪先から順に塗っていく。 そういえば水着買ってきてくれた日の夜もペディキュア塗ってくれたけど、楽しそうだったな。 普段はやってもらう立場だから新鮮なのかな? 「ハニー、残りはオレにやらせて!」 戻ってくるのが早いです! 爪先から太股まで両方の足に日焼け止めを塗ったところで神宮寺さんが戻ってきた。 背後から抱き締められて、剥き出しの背中に柔らかい物を感じる。 「バスローブ着てるなんて、ズルいです!」 水着姿のまま恥ずかしいの我慢してここまで来たのに。 「ハニーの分も用意してたのに気付かなかった?」 「気付きませんでした……」 着替え用にパーテーションで区切ったあの広い室内のどこに、バスローブが置かれてたんですか!? 「さーて、日焼け止め貸して。触った感じ、上半身はまだなのかな?」 後ろから回された神宮寺さんの手が肌を撫でる。 「じ、自分で塗ります!」 「ダ〜メ。時間ぎれだよ」 脇に置いておいた日焼け止めはいつの間にか神宮寺さんに奪われていた。 「まずは上半分ね」 神宮寺さんの手が水着の肩紐を落とし、うなじから肩、背中と日焼け止めを塗っていく。 恥ずかしさで倒れちゃいそう…… 「ハニーの背中スベスベだけど、ちょっと凝ってる? 今度マッサージしてあげるね」 水着が落ちないように胸を押さえていると、肩紐が戻されホックの下に手を差し入れられる。 「ひゃっ」 「くすぐったいだろうけど、我慢してね」 「自分で――」 「ダメー」 脇腹を滑る手の感触に自然と声が漏れる。 背中から腰を通って水着の履き口にほんの少し指が潜り込む。 くすぐったい。 「じ、神宮寺さん……」 「あんまり可愛い声を出すと水遊びだけじゃ済まなくなるから気を付けてね」 じゃあ、その日焼け止めを渡してください。 「せめて、前は自分で塗らせてください……」 「しかたないな〜。じゃあ腕はオレが塗るね」 私がデコルテとお腹に日焼け止めを塗るのを、 地面にしゃがみ込んだ神宮寺さんがニコニコと笑いながら見上げてくる。 「楽しそうですね……」 「うん。楽しいね」 私が塗り終わったのを確認すると、神宮寺さんは隣に腰掛けて手を出してきた。 日焼け止めを渡せってことだよね…… キャップを閉めて日焼け止めを渡すと、その手をそのまま握られる。 「ハニーの身体はどこを触ってもスベスベで柔らかくて気持ちイイね」 両手で包み込むように私の腕に日焼け止めを塗っていく。 そういうことをサラっと言わないでほしい…… 「はい、できた」 「ありがとうございます」 「どういたしまして。さぁ、行こう」 神宮寺さんは立ち上がると、私に手を差し伸べてきた。 「はい」 神宮寺さんに手を引かれながらプールまでのほんの数歩をゆっくり歩く。 プールの脇に置かれたテーブルの上には、ドラマや映画の小道具にありそうな、 綺麗な色のトロピカルジュースが用意されていた。 「思ってたよりは大きいですけど、二人で入るのは無理なんじゃないでしょうか?」 「とりあえず入ってみよう」 プールの中に足を入れた神宮寺さんがビニルプールにもたれ、膝から先を外に放り出すような体勢になった。 この状態は入ってるっていうのかな? 「ほら、ハニーも。来て」 その体勢で両手を広げられても困ります。 ゆっくり片足を入れ、神宮寺さんに背中を預けるように膝を抱えて座る。 「水、ほとんど出ちゃいましたね」 「しかたないね。少し水を足そうか」 神宮寺さんはプールの中に入れてあったシャワーヘッドを掴んで、水を出す。 「ホントはどこか南のリゾートにでも行きたいとこだけど、スケジュール的に無理だもんね」 真っ直ぐ勢いよく出てくる水が私に当たらないようシャワーヘッドをプールの隅に向けると、 神宮寺さんは楽しそうに手首を揺らせて波を立たせた。 「国内だと人の目があるし、プライベートビーチに連れて行ってあげられたらいいんだけど……」 最初に“国内”って言ったってことは、プライベートビーチは海外にあるんだろうな。 自分には縁のない話すぎて、どう反応したらいいのか…… 「プライベートビーチ、ですか……そういえばお金持ちの家ってお庭にプールがありそうなイメージだったんですが、 神宮寺さんのお家にはないんですね」 持っていたシャワーヘッドを捻って高く掲げると、ミスト状になった水が降りそそぐ。 顔にかかる水に思わず首を振ると、神宮寺さんが背後から腕を伸ばして湿気を含んだ前髪をかき分けてくれた。 「この家自体何代前の人間が建てたか知らないけど、そういえば誰も作らせなかったみたいだね」 「ご家族でプールっていうよりは、やはり海外のリゾート地に行くって感じだったんですかね?」 「そうかもね。それに、ダディとか兄貴がプールで泳いでるってイメージ湧かないしな……」 シャワーヘッドを今度はプールの脇に置いた神宮寺さんが苦笑いしながら言葉を続ける。 「物心ついた頃には兄貴もプールで遊ぶような年齢じゃなかったし、ダディだって息子と遊ぶって感じじゃないしね」 ――オレが生まれる前はどうだったか知らないけど。 神宮寺さんはそう小さく呟いた。 「こんなにお庭広いんですし、ちょっともったいないですね」 神宮寺さんの寂しそうな声は聞こえなかったことにして、意識を周囲に向ける。 お屋敷の奥の広間に面しているこの場所はたくさんの花が植えられていた正面の庭とは違い、 遠くに外部からの視線を遮る塀と植木がある以外は緑の芝生が広がっていた。 「ガーデンパーティとかできるようにこの広さなんだけど、半分くらいプールにしてもいいかもね」 確かに海外ドラマでパーティ会場からそのまま外のプールにって場面は見たことあるけど…… 「冗談ですから、本気にしないでください」 「そう? オレはアリだと思うけどな。ここならハニーと一緒にいても何の心配もいらないし」 テーブルに手を伸ばして、神宮寺さんが花や果物で飾られたグラスを取る。 中身をこぼさないように気を付けながら私の前に運ばれたそれをお礼を言って受け取り、神宮寺さんを見上げた。 「それはそうかもしれませんが、いくらパートナーとはいえ、 作曲家がご実家にお邪魔するっていうのも不自然じゃないですか?」 「ハニーが兄貴に気に入られてるのはちょっと調べれば直ぐ出てくることだし。 オレとセットで仕事してるんだから、その辺は何とでも誤魔化せるよ」 何の問題もないと言わんばかりの澄まし顔で、神宮寺さんはアイスコーヒーの入ったグラスに口を付ける。 一度や二度なら大丈夫かもしれないけど、頻繁には使えないんじゃないかな? クライアントの自宅で打ち合わせなんて、そうある話ではないし。 「この家は兄貴のモノだからオレの勝手にはできないけどね」 神宮寺さんが自嘲気味に言う。 神宮寺さんからしたら、この家にいい思い出はないのかもしれないけど、それはとても寂しい言葉だと思う。 「家主はお兄さんかもしれませんが、ここは神宮寺さんのお家です。 神宮寺さんが生まれ育った大切なご実家ですよ」 狭いプールの中で身を捩ってグラスをテーブルに置いて、神宮寺さんと向かい合わせになる。 「神宮寺さんがこの家をどうしたいかをちゃんと伝えたら、お兄さんだってちゃんと聞いてくれますよ」 お兄さんとのすれ違いも解消されたんだから、 神宮寺さんがこの家のことをもっと大事に思えるようになったらいいな。 そうすればきっと、小さい頃のことを思い出して寂しいと思うこともなくなるはず。 「うん、そうだね。ありがとう、ハニー」 神宮寺さんが身体を起こして私の腰に腕を回して微笑む。 「でも、プールを作るのはきっとご迷惑でしょうし、別の方法を考えましょうね」 「うん」 真夏の日差しを浴びた神宮寺さんの笑顔は、とても晴れやかだった。 だから、次にご実家にご招待されたとき、この庭に特注の大きなビニルプールが置かれてるだなんて、 このときの私は思いもしなかった。
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