spice！

C86配布ペーパー

　仕事を終え寮に帰ってきたレンがエレベーターを待っていると、エントランスから明るい話し声が聞こえてきた。
「あっ、おかえ……お疲れ様です」
　いつもの調子で口を開きかけた春歌が慌てて言い直す。
「別に言い直さなくてもいいのに……神宮寺さん、お疲れ様です」
　そんな春歌を横目に見ながら友千香はレンに会釈をした。
　ここにいるのは三人だけで、しかも寮の中なのだから多少気が緩んでしまったとしても仕方はないだろう。
　レンと友千香は顔を見合わせると揃って苦笑いをした。
　ちょうどドアの開いたエレベーターのドアを押さえレンは視線で二人を先に行かせる。
「ハニーもレディも、お疲れ様。何やら随分と楽しそうだね」
　エントランスに響いていた二人の弾む声を思い出し、レンはエレベーター内に入りドアが閉まるのを確認して話しかけた。
「友ちゃんとちょうど帰りが一緒になりまして。明日一緒に買い物に行こうって話をしてたんです」
　ドア脇にあるカゴ操作盤の前に陣取る春歌に全ての説明を任せ、友千香は二歩ほど後ろに下がる。
　春歌に甘くレンにはめっぽう厳しい友千香だが、こういったときは気を利かせてくれるのだからありがたい。
　二人の仲を案じてくれる同期の友人にレンは心の中で礼を言った。
「なるほど。じゃあ、これから部屋で続きってとこかな？」
「はい。これからお茶飲みながら雑誌見て選ぼうって」
　今日は大人しく部屋で留守番だな。
　春歌の答えに少し落胆しながらもそれを顔に出すことはせず、レンは持っていた保冷バッグを持ち上げた。
「ちょうどよかった。これ、二人で食べて」
「えっ、そんな……」
　困った顔で見上げてくる春歌にレンはバッグを差し出す。
　春歌と友千香の二人が食べたとしても、数に余裕はある。
　賞味期限が早いから今日友千香と食べてもらい、残りを明日の朝食にでも出してくれればいい。
　そう説明しようとしたレンに、静観していた友千香が声をかけた。
「なら、神宮寺さんもご一緒にどうですか？」
「レディたちのおしゃべりの邪魔するような無粋なことはしないよ」
　男性が――しかも自分は春歌の〝恋人〟なのだ――同席していては話し難いこともあるだろう。
　その辺はレンも弁えている。
　何より、女友達との付き合いにまで干渉してくる器の小さい男とは思われたくない。
　レンは笑って首を横に振った。
「でもこれ、神宮寺さんが春歌と食べるために買ってきたものですよね？　あたしは構いませんよ。それに、〝春歌の水着〟選びたくないですか？」
「とっ、友ちゃん！」
　友千香の発言に春歌が驚いて声を上げる。
　正確には「買った」のではなく「貰った」、もっと言えば「押しつけられた」のだが、それはここで訂正する必要はないだろう。
　それよりももっと大事なのは「水着」という単語、ただ一点。
「……じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔させてもらおうかな」
　見栄と欲望。
　一瞬だけ迷ったレンの正直な返事に友千香は頷いた。
「人間、素直が一番ですよ」
　落ち着いた声でそう言う友千香に春歌はオロオロとするばかりだった。

☆　☆　☆

　勝手知ったる春歌の部屋。
　お茶の準備をしようとする春歌を友千香に預けキッチンへ向かったレンがトレイにアイスティを載せリビングに戻る頃には、二人はテーブルに雑誌を広げ会話に夢中になっていた。
　レンはテーブルの上にコースターを敷き、その上にグラスを置いていく。
「はい、好きなの選んで。って、二種類しかないけど」
　レンが二人に見せた箱の中には、オレンジとグレープフルーツの果実を丸ごと使ったゼリーが入っていた。
「実家で貰ったらしいんだけど、食べる人間がいなくてオレに回ってきたってだけだから、遠慮せず食べて」
　有名なフルーツパーラーの保冷バッグに入れられていたそれは、手土産として実家に持参されたもの。
　早朝から近くでロケをしていたレンが実家に顔を出したところ、菓子類を好んで食べない兄から体よく押しつけられたのだった。
「私はオレンジをいただきます」
「じゃあ、あたしはグレープフルーツで。春歌、後で一口ちょうだい」
「うん、いいよ」
　箱を覗き込んでそれぞれ指す春歌と友千香の前に皿とスプーンを並べると、レンは一つ一つ包装を解いて置いていく。
　二人の楽しそうなやりとりをレンは微笑ましく見つめ、レンは箱を持ち上げた。
「じゃあオレはオレンジにしようかな。残りは冷蔵庫に入れておくから、ハニー後で食べてね」
「いえ、神宮寺さんがいただいたものなんですから――」
　自分の分のゼリーを皿に載せキッチンに戻ろうとするレンに、背後から声がかけられる。
「春歌が両方食べれるように神宮寺さんはオレンジを選んだんだから、あんたは甘えておいたらいいの」
「えぇっ？」
　その声を遮るように、すました顔の友千香が指摘する。
　レンは、驚き見上げてくる春歌から顔を逸らし心の内を読んだ友千香を睨め付けた。
「……オレのことはさておいて、兄貴もハニーが食べること前提でオレに渡してるんだから問題ないよ」
　春歌の頭を優しく撫で、レンはキッチンへと向かう。
　正直、レン一人だったらグレープフルーツを一つだけで十分な話。
　渡す際に誠一郎が「寮に帰ったら七海さんと食べるんだろう？　女の兄弟がいるとこういうときに困らないんだろうな」と、自覚しているのかいまいち読めない爆弾発言をしたことは、春歌には黙っておくべきだとレンは判断した。
　誠一郎の中で、春歌が〝義妹〟になることは確定事項になっているのかどうなのか。
　そのことに春歌が気付いたらどんな反応をするのか気にならなくもないが、春歌がテンパって顔を合わせてくれなくなる可能性を考え自重した。
　二人にはそう見えないようあくまでも優雅にキッチンへと〝逃げた〟レンは、残り一つのゼリーを冷蔵庫にしまい三個分の包装紙をゴミ箱に捨てると、丁寧に箱を潰しだした。
「冷えてるうちにどうぞ」
　オレンジを持ち上げ四方を覗き込みソワソワしている春歌にレンは声をかける。
　保冷剤と保冷バッグによって冷たさが保たれていたとはいえ、実家の冷蔵庫から出されてそれなりに経っている。
　とはいえそれは建前でしかなく、声をかけたのは自分を待たれている気まずさから。
　顔を見合わせた二人がフタに手を伸ばすのを見て、レンは満足そうに二度頷いた。
「お先にいただいてます」
「いっ、いただいてます」
　レンがソファに腰を下ろすと、友千香が持っていたゼリーを持ち上げ会釈をした。
　しかし、ちょうどスプーンを口に運んだところだった春歌はスプーンをくわえたまま口を押さえる。
「満足していただけたようで何よりだよ」
　満足げな表情でゼリーを食べている二人を見て、レンの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
　今回はレンが選んだものではないが、自分が振る舞ったもので喜んでもらえるのは素直に嬉しい。
「凄く美味しいです！」
「さすがに美味しいですね」
　スプーンを強く握ってレンを見返してくる春歌と、保冷バッグに書かれた店名を知っていたらしい友千香は揃って満足そうに笑う。
　ニコニコとした顔のレンがゼリーのフタとなっているヘタの辺りを持ち上げようとしたとき、友千香が春歌に呼びかけた。
「そうだ、春歌」
　友千香の声でゼリーをすくおうとしていた春歌が顔を上げると同時に、レンの手も一瞬止まる。
「何？」
「はい、一口」
　春歌が小首を傾げると、友千香は満面の笑みでスプーンを差し出したのを見て、レンの顔が一瞬ひきつった。
「ありがとう」
　友千香が差し出したスプーンにほんの少し躊躇いながら顔を寄せる春歌を見て、レンは心の中で激しく地団駄を踏む。
　友千香に見せつけられているのは明らか。
　ただでさえ自分と話すときに敬語を用いる春歌が、友千香と――もっといえば翔にだって――砕けた様子で話しているのを羨ましく思っていることだって多分、気付かれている。
　敬語で話しかけてくる春歌は確かに可愛らしい。
　それでもできることなら、学園に入学したばかりの頃に戻って春歌と友人になりたい。
　言葉遣いなどに気にならない友人になった上でパートナーになって、恋人同士になれたのなら。
　春歌にスプーンを差し出された友千香がチラリとレンに視線を向けたことに気付かないフリをして、レンはゼリーをスプーンですくうのだった。

☆　☆　☆

「どんな水着がいいか、イメージはあるの？」
　早々にゼリーを食べ終わり雑誌を手に談笑を再開させた二人にレンが問いかける。
　早乙女学園のプール開きのとき、春歌はどんな水着を着ていただろうか？
　記憶の糸を手繰り寄せていたレンの前に、雑誌が開かれる。
　テーブルの脇に膝をついた友千香がページの一部を指で円を描くように滑らせた。
「あたしとしては、春歌にはこの辺がいいと思うんですけど、神宮寺さんはどうですか？」
「とっ、友ちゃん!?」
　友千香が指し示したページ上部の辺りはパステルカラーのものが集められている。
　春歌がソファを下り縋るように友千香の腕に抱きついたのをやはり羨ましく思いながら、レンは雑誌を覗き込んだ。
「ちょっといい？」
　レンの言葉に友千香が指を引くのを確認して、レンはソファに深く腰掛け直すと、雑誌を手に持ちページをめくる。
「私のはいいから、友ちゃんのを選ぼうよ」
　恥ずかしさに耐えきれず友千香に助けを求めるような視線を向け、春歌は小さく首を振る。
「あたしは仕事でいろいろ着てるからいいの。それに、自分の選ぶよりあんたの選ぶ方が楽しいんだもの」
「そんなー」
　二人の会話を耳に入れつつも組んだ足の上に乗せた雑誌に集中していたレンは、目当てのものを見つけたのか雑誌をテーブルの上に戻した。
「オレだったら、これかな」
　レンが選んだのは、鮮やかな色合いの大きな花柄が描かれたビキニタイプの水着だった。
　ホルターネックのストラップとそのまま続くアンダーバストを縁取るフリルは幅が太めで、揃いの柄のミニスカートと合わせて適度に露出を押さえられつつも可愛らしさを損なわないものだった。
「ほぅ……これはこれは」
「あぁ、レディはグラビアだとビキニが多いだろうから、バックレスのワンピースとかは如何だい？」
「話聞いてたんですね……そうですねー、検討してみます」
　友千香はレンにツッコミを返しつつふむふむとレンの勧めた水着をまじまじと見る。
「わ、私お茶のおかわり取ってくるね」
「逃げたな……」
　いたたまれなくなった春歌がキッチンに駆けていくと、友千香は顔を上げ小さく呟いた。
「いつまでも初々しいのがハニーのチャームポイントだから」
「それもそうですね。でも、意外でした」
「何が？」
　友千香の言う「意外」とは、当然レンの選んだ水着のこと。
　それを承知でレンは「どの辺が？」という意味を込め聞き返した。
「神宮寺さん、白とかパステル系でフリルとかリボンがついてたり、ニット素材とか選びそうだと思ってたので」
「そうかな？　確かにそういうのもハニーに似合うけど、プールにしろビーチにしろ夏はちょっとくらい派手な方がいいとオレは思うんだけどな」
「春歌肌白いから、映えますしね」
「そうそう」
　羨ましそうな友千香の声に目を閉じて頷いて、レンはアイスティの入ったグラスに手を伸ばす。
　友千香に説明した理由は嘘ではない。
　だが、もちろん全てでもない。
　プライベートビーチで自分の目の届く範囲にいるなら、どんな水着でも構わない。
　レースニットの真っ白い三角ビキニなんて春歌に似合うはずとレンも思う。
　しかし今回は自分がついていくことはできないだろう。
　それならばせめて、下着姿の春歌を用意に連想できるようなデザインは避けさせたい。
　そんなワガママを友千香に気付かれないように誤魔化して、レンはアイスティを飲み干すのだった。

Ｅ　Ｎ　Ｄ