その日の夜、俺は黒木に指定された大衆居酒屋に居た。
 仕事帰りのリーマンが一人で飲むには思いっきり不似合いなその店は、数ある全国チェーンの居酒屋でも低価格と24時間営業を売りにしているせいで客層はガキばっかりだ。座敷の方からひっきりなしに聞こえるバカ騒ぎと、「吐いてきな、吐いたら楽になるって」とかいう声にうんざりしながら、俺はカウンターの隅で中ジョッキの泡がすごい速さで抜けていくのを見ていた。
 黒木の奴は約束の時間を30分遅れている。畜生。
 入り口のほうを見ると、さっきから泥酔したどす黒い肌のギャル集団とキャッシャーの店員がお通しの金額のことで
揉めているだけで、相変わらず、奴がやってくる気配はない。
 俺は溜息をついて、鞄の中の金を思った。
 封筒には、十五万円入っている。
 何の金かといえば、俺が黒木に支払う霊媒の報酬だ。
 いや、報酬とは言えないな。カツアゲか。ていうか、ゆすり…?それとも、たかり…?
とにかく、俺が納得して払う金じゃない。
 普通で健全な男である俺が、霊媒と称して体を弄ばれ、羞恥を味わされたんだ。
 訴えたり、通報してやろうかとも考えた。しかし、そんな事をすれば、奴が俺にどんな仕返しをしてくるかわからない。
…また極太の、気持ち悪い粘液まみれの変なものを俺のあそこに入れたり、乳首を弄くったり…アレを死ぬほど扱かれたり、するんだ。そして俺が声を我慢できなくなると…またあの、エロいキスをされて……
─────────ちょっと待て?
 俺は自分の妄想にストップをかけた。何だ、俺?うっかり何を考えてるんだ?
 俺はあたりを見回し、気分を落ち着かせた。
 俺は健全な男だ。女の子が好きだし、変態性欲者なんかじゃないんだよ!
 なあセイイチ。
 だから今日、金を用意したんだろう?“クールに金を渡したら、金輪際関わらないと奴に告げて、さっさと帰る。”って、朝から何度も繰り返したじゃないか?セイイチ。わかってるか?
「わかってるよ…」
 俺は自分自身の声につい返事した。
「何がですかぁ?」
「おわ」
 俺はびっくりして席から立ち上がった。
 黒木が、そこに立っていた。
「びっくりさせんなよ……」
 黒木はぬぼーっとした容貌で、すいませんとヘラヘラ笑うと、俺の隣に座り、通りかかった店員に日本酒とつまみを何品か注文した。
「いやいや、大変なことが起きたんですよ」

 カウンターの上には、熱燗とともにヤリイカと鮪の刺盛やら漬物やらが並んで、黒木はひとりでそれを箸でつつき、猪口を呷っている。俺はそれを横目で見ながら、体を硬直させていた。俺の中ジョッキは炭酸がすっかり抜けて、麦茶みたいになっている。
「鮪、食べます?」
 三切れしかない鮪の刺身を二個続けて食い、最後の一枚を俺に差し出そうとするのを、俺は無言で首を振った。
 ああ、そんじゃ、とためらいなくパクリと口に放り込む黒木。
 俺はそれを恨めしげに見ながら、にわかに強くなる摩擦を感じて、思わず膝に置いた両手を握り締めた。
 カウンターの下では、黒木が俺の股間を布越しにさすっていた。
 いきなり触られて、俺は抵抗したんだが、握り締められて大きくなってしまい、席を立てなくなった。
 黒木は左手で俺をいじりながら、右手で器用に酒を飲み、刺身を食っている。
「……なんで、こんな」
 俺は撫でられながら、恨む。触る手を除けようとしたりすれば、容赦なく握られて、扱かれるから、抵抗できない。
 でも黒木は意地悪くて、抵抗しなくても俺の嫌がることをする。
「おかしいよ、アンタ……っ」
「すいませーん、じゃがバター」
 俺にはお構いなしで、追加注文かよ。
 ジー、と音がして、俺はジッパーが下げられるのに気づいた。
「ちょっと!!やめ」
「騒ぎなさんな。ほらほら、店員さんが後ろ、通りますよ」
 俺は慌てて背後を見て、取り繕った。
「ここ、トイレに近いでしょ?店員さんも、お客さんも結構通っていくんですよね……」
 そう言いながら、黒木は俺のジッパーの下の下着をかき分け、中のアレに触れた。
 俺の全身に緊張が走る。
「…めてって……!!」
 俺はカウンターに伏せるように前かがみになった。
 もう、何だよこいつ…信じられない……。
「それでね、どう思います?さっきの話。誘拐じゃあ、ないですよね?」
……知るかよ。
 まともに返事できない俺は、心の中でごちた。
 大変なことが起きたんですよ、と来た早々奴が言ったのは、こういうことだった。