嗚呼、海がある。山がある。温泉がある。
 俺、キフネセイイチは昨今流行の個室露天風呂に浸かっている。
 枯山水を思わせるしつらいの向こうには、風光明媚な大自然。水平線の彼方に、夕日が沈んでいく。
 壮大な感じだ。神々の黄昏っぽい。

「この色ってカルピスですかね」

 湯気の向こうで声が聞して、一瞬にして俺は気分が滅入る。
 黒木柳介。何の因果かこのエセ霊媒師と俺はこうして一緒の温泉に浸かっているのだ。
 ひょんな事から知り合ったこいつに、俺はなぜか付きまとわれ振り回され、気がつけば失踪した恋人(男)探しに
引っ張られてしまった。そして乗り込んだサル人間の運転する一両電車で出会ったマオカラーの変質者、もとい大河内金時という自称ペンション経営者に超・強引に、ペンションに連行されてしまった。

「君。イイネ……」
 その男、大河内は俺を見詰めたまま、うっとりと、まるでシャンソンを歌うかのような口調で言った。場面は数時間前の一両電車だ。
「…は?」
「その草臥れ加減。汗で首周りの黄ばんだワイシャツ、安酒臭いスーツ。割れたメガネ」
 や、メガネは割れてません。というか…何?この人。
「君、名前は?」
 うわー。
 俺は青ざめた。なんだか黒木と同じ匂いがする。
「広告代理店×○社におつとめのサラリーマン、キフネさんです。」
 て、何勝手に教えてんの黒木?!つか会社晒すな。サラリーマンも余計だ。確かにスーツ着てるけど!見りゃわかんだろうが!! 俺は慌てて奴を見た。
「ほう…で、君は?」
「黒木柳介といいます。お恥ずかしながら、霊媒師をやっております」
 何で照れる?そして名刺交換すなーーーー!!
「いやいや、結構なご職業で」
 つか、おっさん、あんたも!!俺は二人が作り上げていく独特な世界に、頭が割れるように痛くなった。
「ペンション…URASUGI───うらすじ?」
 受け取った縁の丸い名刺を眺めて言う黒木に、マオカラー男は笑って首を振った。
「よく間違われるんですよね〜〜。…正解はうらすぎ、と読むんですよ。うらすぎ村といいまして、県内では知る人ぞ知る秘湯の名所なのです。うちは、そのまた山奥に建ってまして。いや、ほんのささやかなものですが」
「ご家族で…経営なさっているんですか?」
 黒木が訊ねると、マオカラー、名刺の名前は大河内金時(おおこうち・きんとき)氏は寂しそうな微笑を浮かべて、
「実は去年、妻と別居しましてね……今は男のあたしが一人で、切り盛りしておるんですわこれが…」
 絶対、嘘だ!こんな怪しい人間が山奥のペンション経営なんて、有り得ない。
「ああ。これは失礼しました……」
 ちっとも悪びれずに言う黒木。大河内は急に表情を変えた。
「ところでお二人とも、こんなところまで来て何か、目的でも?差し支えなければ教えてくださいませんか」

 黒木は、『最愛の恋人の行方を追跡している』というのを、聞いている方が恥ずかしくなるような脚色をつけて大河内に話した。大河内は黒木の演技に感動して、しきりにブラボーと叫び、最後涙のスタンディングオベーションとなったところで、電車が止まった。
<終点〜。終点〜。うらすじ〜〜〜〜〜〜〜〜〜>
 この際放送の読み間違いは置いておこう。着くの、早くねえか?というより、二駅しかないのかこの車線は?
俺が疑問を大量生産していると、車内で固く抱き合っていた黒木と大河内の話は進み、俺達はそのまま駅を出て、大河内の経営するペンション・うらすぎに宿泊することになっていた。

「ちょっと待て。俺は行かないぞ?」
「まあまあ」
 たしなめながら俺をタクシーに押し込めようとする黒木の手を、俺は振り払った。
「いいかげんにしてくれよ!大体あんた個人の問題にどうして俺が?というかさっきから訳のわかんないこと、起き過ぎ!!…あーー!!いい。もう。帰る。帰らせて。てか、帰らせろ」
「まあまあ。帰るにしたってあなた。もうこんなに日が暮れて。帰れるわけがありませんがな。それに────こんな過疎の村だぁ。電車なんてもぉーう、走ってなぁーい」
 大河内が白手袋を嵌めた手で俺を押し戻す。最後のほうは緒方○人の物真似だろうがちっとも似てないから俺は無視した。気がつけば、辺りは本当に日が傾いていた。さっきまで朝…だったはず…なのに。おかしい。何かがおかしい。狂ってる。田舎の無人駅のまわりは売店と郵便局がぽつんと建っているだけ。で、あとは田圃、田圃、田圃。山。そして地蔵。人はおろか、猫一匹いやしない。あ、カラスは鳴いてるけど。
…はっきり言って、怖い。妖怪とか出そうだ。べとべとさんとか。黒木なら平気そうだけど。
 乗ろうとしているタクシーだけが何とかまともなのが救いだった。が、こんな世界基準の変態二人と行くところなんて、絶対にここより狂ってる。絶対。
「いやだーーーーーーーー!!降ろせーーーー!!」
 二人がかりでタクシーに乗せられるという、拉致さながらのシチュエーションで、俺は結局ペンション・うらすぎへと向かったのだった…