Monster! Monster!

第5話『スーパーアラビアン』

かいた人:しあえが













「うおおおおおっ!」

 短刀を両手で胸元に構え、シンジは後先考えずに室内に飛び込んだ。
 それと時を同じくして、ガーディアンであるゴーレム、ガイロスが目を覚ました。青銅の魔神が。
 瞳に橙色の光を灯し、青銅製の体を軋ませながらゆっくりとシンジに向き直る。腕のかわりに生えた複数(6本)の触手を蠢かしながらシンジを観察し、彼の殺気、行動から彼を敵と認識した。

『キュオオオ』

 そして奇妙な鳴き声を上げ、一歩、二歩と異様に高い重心にふらつきながらゆっくりとシンジに近寄ってきた。
 その動きは往年の名映画、『JASON AND THE ARGONAUTS』に出てくるタロスを彷彿させる。すなわち、力は強そうだが動きは鈍い。



 激情に駆られて飛びこんだシンジではあったが、その頭の中まで怒りに曇ったわけではなかった。ゆっくりと動くガイロスの様子から、力はともかく動きは鈍いと判断するだけの分別はある。

(捕まったらまずい。となれば!)

 素早く素早くガイロスの眼前に立つと、横殴りに短刀を一閃する。

キーン!

 ガイロスの胸に横間一文字に切り傷ができ、大きくよろめいた。思ってもいなかった一撃に、目を点滅させてよろよろと後退する。そしてその傷口から、真っ赤な血のような体液が噴き出した。
 シンジの魔法の短剣の力とシンジの技量が合わさり、破壊不能のはずの金属のゴーレムの体を裂いた瞬間だった。
 溢れ出る体液で全身を染め上げ、なおもガイロスは後退する。強敵であるシンジから、できる限り身を遠ざけようとしているようにも見えた。

「よし…トドメっ!」

 シンジはそのまま首を切断して動きを止めようとするが、寸前、松明で生み出された影が視界にはいる。彼の影の背後で、何か、蛇のような細長い物が蠢いているのが目に入った。

「シンジ、危ない!」
「かがむんや!」
「くそっ!」

 トウジ達の警告の叫びとほぼ同時に、シンジはすかさず側転しながら真横に飛んだ。

 ガキン! と甲高い音をたてて石畳が砕け散る。
 シンジが立っていた場所に、6本の触手が突き刺さっていた。
 転がりながら素早く立ち上がったシンジの髪の毛が、はらりと数本落ち、遅れて血の筋がつぅっとシンジの額から流れ落ちた。

「は、速いで、あいつ」

 トウジが今の動きにまったく反応できなかったことにショックを受けながら呟いた。
 自分がゴーレムより強いと言うつもりはない。それでも多少は戦えるだろうくらいは思っていた。だが今の戦いは彼の理解の範疇を越えていた。その動きを目で追うこともできなかったなんて。
 自分では勝負にもならない。それはまだ良い。
 あろうことか、シンジはその動きについていっただけでなく、戦いができるとは思ってもいなかった。
 内心、臆病者で内省的しかも受けと小馬鹿にしていたシンジがこれだけの動きを見せるとは…。
 かつてケンカをしたこともあったが、あの時はシンジが無抵抗だったこともあり一方的なものだった。
 だが果たしてシンジが本気で向かってきたら、自分は勝てたのだろうか?
 いや、無事に自分の両足でたっていられただろうか?


『ワールドォシェイキィ──ングッ!!!』


 なんて展開の可能性大だ。



 一方、ケンスケはケンスケで魔法生物に涎をたらたら流して目を見張る。

(あの動き、あの滑らかさ、あの誘うように動く触手…。すげぇ)

 シンジの動きは確かに凄い。驚きの一言なのだが、それ以上に彼はゴーレムの動きに魅せられていた。
 青銅でできた触手は見た目は無機的な固さを保っているというのに、その動きは生物同然に極めてなめらか。相手を油断させるためだろうか、軋み音をたてているが実際はどこも擦れたり軋んだりはしていないのだろう。
 柔らかいのか硬いのか?
 その謎の一端でも知ることが出来れば…。
 古代文明の魔法テクノロジーの高さにケンスケは舌を巻いた。理性が警告を出さなければ、そのままペロペロ舐めにいきそうなくらいに。

 持って帰ろう。

 彼は固く誓った。





 シンジはシンジで、目の前のゴーレムが想像以上に手強い相手だと言うことに舌打ちしていた。

(素早いゴーレムなんて、話しに聞いたこともない。さすが、古代遺跡の産物だ)

 最初見たときは最後の番人にしては温いと思ったが、これなら確かにトリを張る資格充分だ。
 見た目と最初の動きで相手を騙し、油断したところに鋭い一撃を喰らわせる。
 おそらく、極限まで集中していたシンジでなければかわせなかっただろう。
 幸い、シンジはかわせたがこれからどのような戦いになるのか。

 シンジは額から垂れる血を腹立たしげにこすり取りながら、ガイロスに鋭い一瞥を向けた。
 もう奇襲が通用しないと悟ったのか、ガイロスは6本の触手をまるで独立した生き物ででもあるかのように周囲に踊らせながらゆっくりと間合いを詰めていく。

(不利だ。こっちが一回切る間に向こうは6回殴ってくる)

 素早いバックステップで触手の範囲外に逃げ、どう対処するか考える。
 絡みつくとばかり思っていたが、冷静になって考えてみると金属のゴーレムがそんな効率の悪い戦法をする必要はない。
 ゴーレムでない本物の方ならそうしただろうが、こいつは鞭のように振り回して殴るだけだ。いわば青銅の鞭と言うべき武器。その全てが必殺の一撃だ。一撃でももらおうものなら、肉は裂け、骨まで砕けてしまうだろう。

(いつまでもかわしきれない)

 激しく高鳴る自分の鼓動に苛立つ。意識がはっきりするのは良いが、激しい鼓動は疲れを誘発する。
 この猛スピードでの戦いは早いペースで精神的な疲労を誘い、同時に本来のスタミナも大量に消費してしまう。元来小柄な彼はスピードに優れるがスタミナは少ない。

(あいつを確実にかわして戦えるのはあと30秒くらいか)

 だが彼はこんな時にも関わらず、心がどこか喜んでいることを否定することができなかった。
 街で、ただ生きていただけの生活からは決して味わうことのできない、生きていることを嫌と言うほど実感できる瞬間。マユミの危機に焦る心とは裏腹に、知らず知らずに口元に笑みが浮かぶ。

(死が目前に。だから生が輝かしく感じる。  死ぬもんか。…誰も死なせるもんか)

 山岸さん…っ!
 焦る心を落ちつかせようと深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。徐々に鼓動が落ち着いていく。
 落ち着いていく心と対照的に、大量に脳内物質が分泌されはじめ、シンジにとっての体感時間が徐々に周囲のそれを凌駕していく。そして彼本人は自覚していないが、第六感とでも言うべき先読み(予知能力)が働きはじめ、ガイロスのほんの少し先の動きが見えてくる。
 はじめは気持ち悪くなっていた触手の動きが目で追えるようになり、それと同じく、近寄ってくるガイロスの歩行速度がいらだたしいほどに遅く感じだした。これをやるといつも後で酒に酔ったような酩酊感に悩まされるから余りしたくはなかったが、今が正にこの力を使うときだ。

「よし」

 準備は、できた。





 実際の所、無言で睨み合っていた時間は30秒にも満たない。だが、シンジとガイロス、そして彼らを見守るトウジ達には長い長い時間にも思われた。汗が埃にまみれたこめかみを流れ、空唾をゴクリと飲み込む音がする。
 ゆっくりシンジは唇を舐め、腰を屈めてバネを溜めていく。

(邪魔はさせないっ!)

 そして、遂にシンジは飛びだした。
 靴の底の鉄のスパイクが石の床をがっちりと噛んで火花を散らす。溜まっていた埃石畳の欠片ごと一蹴りで吹き飛ばし、上半身をほとんど地面に平行にしながらシンジは眼前のガイロスに飛びかかった。

『!? !? !?』

 いきなりはね上がった目標の速度に、一瞬ガイロス内部の人工知能が混乱し活動を停止する。
 故にこそ、迎撃として突き出された触手の動きが鈍った。
 時間にしてわずか0.5秒ほどの差で、触手がシンジに反応する時間が遅れた。結果、瞬きするより短い時間だが、ガイロスの胴体とシンジの間に何もない空間が生まれた。そして彼にはそれで充分だった。
 頭からガイロスにぶつかるように胸元に飛び込んだ。
 頭、胴、足を狙ってきた3方向からの攻撃を、シンジは空中で半身をひねって紙一重でかわすと、着地前に全力で短刀を切り上げた。ほんのわずかな抵抗がシンジの腕に伝わり…。

 空気を切り裂く音すらさせずに、シンジの腕が綺麗な円月を描く。トウジ達は、一瞬満月のような丸い軌跡が見えたような気がした。

 ニコリともせず、静かにシンジは立ち上がる。

 ゴトン!ゴトゴト!

 一瞬遅れて、シンジの右隣には根本から両断されたガイロスの触手が3本転がった。そして、傷口から勢い良く噴き出す真っ赤な体液が周囲を染め上げた。まるで赤錆が溜まったドラム缶の水をぶちまけたように、床一面が赤黒い液体で染め上げられる。

『グギィ───!』

 無防備で目前に立つシンジめがけて、ガイロスは殴りかかった。シンジはそれを避けようともせず、ただ僅かに体を捻るだけだった。本来なら彼の頭は青銅の触手に殴り飛ばされ、柘榴のように弾けただろう。だが…。

『ぐ!? がぁぁ───!』

 殴ってるモーション途中で、ガイロスの体が大きく傾いだ。信じられないと言うようにガイロスの目が瞬く。
 残り3本の触手はシンジの髪の毛を風圧で散らすものの、その為にガイロスの体は大きく傾き、ついには背中から地面に倒れ込んでしまう。左側の触手を切断されたため、バランスが崩れた結果だった。
 そして、その隙を逃す馬鹿はいない。

 左手で地面を殴り、更に勢いを加えてシンジは前に飛びだした。
 右腕には逆手に握られた短刀が、いやどういう訳か刀身は80cmほどの長さに伸びて、剣と言っていいほどの長さになっているそれは、ピンク色の燐光を発しながら唸っている。いかに金属のガイロスと言えど、この一撃をもらえば二度と活動することは出来ないだろう。
 死を恐れぬ魔法生物であるはずのガイロスが、ききぃーと情けない悲鳴をあげた。

「よっしゃ! シンジの勝ちや!」
「うぉぉぉぉっ! 俺のDNAは今、猛烈にシンジと友達で良かったと思っているぅ!」

 シンジが飛んだ瞬間、トウジ達はその勝利を確信しグッと親指を立てる。



だが!




「山岸さーん!」


 シンジは勢いを殺すことなくガイロスを飛び越えると、奥に見えた鏡のように磨かれた黒い石の壁に体当たりした。ガイロスは無視。

「今行くから!」

 光り輝く刃が壁に傷を付け、穴を穿ち、まるで最初からそうであったように一瞬にしてシンジがくぐり抜けられるほどの穴が開いた。剣からほとばしる何らかの力が、虚無石と中和したのだ。
 そのままシンジは頭から穴の中に飛び込み、直後その穴はまるで開いていたことが嘘であったかのように姿を消した。
 そして周囲は沈黙に包まれる。
































「「…………はい?」」













 急な展開にトウジ達の顎がガクンと落ちた。














 それはないっしょ、シンジくん。


 気のせいかガイロスまでもが呆然としているようにも見える。
 トウジがどうしようかと恐る恐るガイロスに視線を向けると、同じく首を傾げたガイロスと目が合った。

 いやーんな感じ。






















 意外にプリチーなお目々で。


 いや、そっちこそ。







 気まずさのあまりそんな幻の会話が二人と一体の間に…。




ぎっちょん












 あるわけないですね。




















 せっかくだから。




 そんな感じの軋み音をたてながら、どうにかこうにかガイロスは立ち上がった。
 腕がなくてバランスはかなり悪く、胸に付けられた傷も相当に大きかったがまだまだ元気だ。残った触手もいい感じ。

 対するトウジ達は、ゼラチナス・キューブに付けられた傷はマユミに治してもらったにもかかわらず、すっごい顔色が悪い。ビタミンAとかCが不足してるに相違ない。砂漠だから、腐りかけたトマトとかでも新鮮な果物とか言う理由があるのかも知れない。
 土気色というのは、こういう色なんだろう。

「「い…」」

 い?

「「イヤーンな感じぃ」」

 そう言われてもお約束だし。
 ほぅら、もう目の前だ。





『牙亜雄男悪牡────!!』



 とっておきの雄叫びをあげたガイロスは、さながら子犬が優しい飼い主に尻尾振るみたいな感じで、嬉しそうに二人に突っ込んでいった。
 何ともほほえましい光景である。腕をぶったぎる乱暴なシンジと違い、別世界にて某少女に優しいと評価された少年とその友達は、ほとんど無抵抗のまま触手に絡みつかれて、あるいは跳ね飛ばされて歓喜の悲鳴をあげた。
 歪む顔、軋む骨、飛び散る血飛沫が噴水みたいでファンタスティック!

「うぎゃあぁぁぁぁっっっ!!!!!
 ワイの右手がベキベキ言うとる!折れる折れると悲鳴をあげとる!
 悲しみと苦しみと激痛の〜〜〜〜!
 右腕複雑骨折〜〜〜〜!!!
 死ぬ!死ぬ!死ぬる〜!」
「うああああ、触手なんてイヤーンな感じぃ────!!!!」


 シンジがマユミを助ければ動きも止まると思うんで、それまで頑張れや。
 根拠無いけどな。

























 虚無石でできた壁を一撃の元に切り裂き、シンジはそのまま隙間をくぐり抜けて、気が付いたときには薄暗い部屋の中にいた。くぐり抜けるまでにどのくらいの時間を要したのか、判然としない。数分だった気もするし、何時間、何日も経ったような気もする。
 虚無石という石は、その名の通り通常の物質ではなく、ありとあらゆるものと反応しあい、お互いをうち消し合う不可思議な物質である。多少の魔力をぶつけた程度では魔法が無意味にうち消されるだけだ。そしてハンマーや鏨などで叩いても、それに魔法の防御がかかっていなければ、同じく触れたところから消滅してしまう。
 もちろん、生体とて同様だ。
 突破できるとすれば、膨大な力を持った何かを護符代わりに身につけておくとか、くぐり抜ける前にこれまた膨大な力を持った魔法をぶつけるとか、伝説級の武器で破壊するとかしないといけない。
 だが、シンジは無事に虚無石をくぐり抜けていた。
 これはシンジ自身も知らない彼の力の所為なのだが、今はそれを語るときではない。
 いずれ話すときも来るだろう。












 ようやく闇に目が慣れ、シンジはきょろきょろと室内を見渡した。
 部屋の四方の燭台と、天井にある宝石でできたシャンデリアが唯一の光源のようだ。その数は多いというわけではないが少ないと言うほどのこともなく、充分な明るさを保っている。にもかかわらず、部屋の端が良くわからないと言うことから部屋の広さが伺えた。

 しばらく四方に視線を這わせていた彼だったが、やがて目的のものを見つけた。
 部屋の中央からやや奥まった部分にある豪奢な寝台。
 彼の母、ユイが使っている天蓋付きの寝台よりももっと上質で典雅な寝台の中に、小柄な人影が見えた。遠目で見た感じ、長い髪の毛をもっている女性のようだ。
 胸がどきりと高鳴る。

(山岸さん……だよね?)

 罠や魔物の変身の可能性といったことを考えながらも、シンジは真っ直ぐにその影に歩み寄った。最初は大胆に、そして近づいてから慎重に歩を進めていく。
 近寄るに連れて、ただの影に見えていた影の正体があらわになっていった。
 また胸がドクンと高鳴る。

 まず、絹の垂れ幕越しに、少し病的な白さを持った足が見えた。
 細くたおやかなふくらはぎ、次いでふともも、絹のドレスに包まれた、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる(シンジの)理想の胴体が見える。シンジとしては残念だったが、絹でできた白いドレスが肝心なところ ─── まあ一言で言うと胴体全部と足の一部だが ─── を隠していた。

(ちょっと残念…かな。でも、考えようによってはこっちの見えそうで見えないってのも)

 砂漠に住む人間の服らしく、ほとんど足の付け根付近から足下にまでスリットが入っているため、考えようによっては剥き出しよりも刺激的かも知れない。今の彼はまだフェチとかいった言葉は知らないが、ちょっとそういったことに拘る気持ちが分からないでもない。
 実際シンジは見えそで見えないその足に思わずゴクリとつばを飲む。若い。

 さらにゆっくりじっくりねぶりあげるように視線を上に動かしていくと、申し訳程度に掛けられた白いシーツと対照的な、黒炭のように黒い背中まである長い髪の毛、そしてどことなく自分に似た感じのする整った顔が見えた。漠然と美人だと決めつけていたシンジだったが、これで裏付けが取れて結果オーライってなもんである。

(寝てるのかな。でもそれにしては様子が…)

 寝顔を見るのは失礼なこと何じゃないか、と思うが目をそらすことができない。
 自分に似ている…少々戸惑うがシンジは彼女の顔に見惚れた。
 残念ながら視力補正器具、眼鏡の下の目は閉じられており、どんな瞳をしているのかはわからなかった。
 だが寝顔であっても彼女の美しさはまったく損なわれていない。


ドクン


 彼女の顔をハッキリと認識した瞬間、シンジの胸が一度、強く鼓動を打った。

(間違いない、と思う。この子だ。この子が山岸さんだ)

 手を伸ばせば触れるくらいに近寄り、いよいようるさい自分の胸に戸惑いながら、シンジは少女をじっと観察し続ける。三千年閉じこめられていたと言っていたから、もしかしたらずいぶんと年上かも知れないと思っていた。予想と違い、彼とそう年の違わない。人のことは言えないが、少々幼い顔立ちをしているようにも見えた。
 なんとなく初対面ではない気がする。自分によく似ているからだろうか?
 ともあれまず間違いなく、彼女がこれまで彼にテレパシーで語りかけてきた亡国の王女だろう。

 確信を抱き、シンジは彼女のすぐ横に近寄り、そっと膝をついた。
 首筋に手を当てようかどうしようか、触っても怒られないかと変なことを迷いながら、彼女の様子をじっと見つめる。

(寝てるのかな? いや、そんな単純な感じじゃないや)

 声が途切れる寸前に聞こえた叫びのこともあるが、どうも尋常な様子ではない。触っても良いかと、躊躇している場合ではないのかも知れない。
 最悪の事態を想像して、少し胸を締め付けられるように痛む。

(…………ゴメン、変なことをするとか考えてるワケじゃないから)

 内心で謝りながら、よくよく目を凝らして彼女のふくよかな、年の割にはかなり大きな胸を注視する。胸はごくゆっくりと微かにだが上下していた。生きている。取りあえずシンジはほっと一息つく。
 ただ、あまりにも儚い。虫の息というのはこんな感じなのではないだろうか?

 まるで、死んでいるみたいだ…。

 自分の考えにぎょっとしながらも、慌てて顔の上に手をやると、ほんの僅かだが息を感じる。死んではいない。
 ただし、彼女の呼気からは体温と言ったものがまるで感じられなかった。
 少しパニックに陥りながらも、呼気を探るのと平行して脈を取るため触った彼女の右腕は、一瞬死体でも触ったんではないかと思ってしまうくらいに冷たかった。彼には覚えがあった。近所に住んでいた彼を可愛がってくれたおばあさんが死んだとき、その時彼女の手が同じように冷たかった。

(死んでる? でも、息をしてるし)

 死体が息をしてるみたいだ。そう言えば、脈も…?
 内心、ぞっとしながらシンジは少女を見つめた。

「や、山岸さん」

 しかしながらいつまでも怖がっている場合ではない。
 彼女は自分達の命の恩人で、そして助けを求めているんだから。
 恐る恐るだが、シンジは彼女の肩を揺さぶりながら名前を呼びかけた。

「起きて! 目を覚まして!
 僕だよ、君を助けに来たよ!」

 返事をしないのではないだろうか?
 そんな怖いことを考えた数秒後、彼女に変化があった。



 開きはしなかったがぴくんと彼女の瞼が動き、そして氷のように冷たかった彼女の体にほんの少し体温が戻る。
 途端にシンジがずっと触り続けていた彼女の腕に、血液が流れるときの、断続的な反応が起こった。まるでずっと冬を耐えていた植物が、太陽光線を浴びて氷の世界から甦るように、彼女の体が生気を帯びていく。
 叫び声を必死に堪えながら、シンジはその現象に彼なりの考察をしていた。
 おそらく、体力の消耗を最低限に押さえるため一時的な仮死状態に陥っていたのだろう。
 それにしても体温が低いし、脈も非常に弱いが。

「王子様」
「え? あ、あの」
「あ………し、シンジ…さん…?」
「大丈夫?」

 彼女はゆっくりと瞼を開き、そして蚊の鳴くようにかすれた声を上げた。
 松明の光に微かにマユミの目が瞬く。

(思った通り、綺麗な目だ。どこか僕に似ていて)

 綺麗な、黒真珠のようなマユミの瞳に一瞬だが言葉に詰まる。本当に、昔どこかで見たような気がする目をしていた。なぜか照れながらシンジはちょっと顔を赤らめた。
 マユミはシンジの赤面には気付かなかったようだが、シンジが今目の前にいるという事実にはじめは信じられないと顔をこわばらせ、そして本当に生身のシンジがいると確信したのか、嬉しそうな泣きそうな顔をした。

「ああ、夢…みたい。
 本当に、本当にここまで来てくれるなんて…」
「来たよ。山岸さん」

 お互いの顔を見つめながら、マユミとシンジは優しく微笑みあう。初対面なのに、長い間連れ添った恋人同士のように。
 しばらくそのまま見つめ合っていたが、ふっとマユミは悲しそうに顔を背けた。
 こらえきれなくなったのだ。
 欺瞞が暴かれる時が来たことに。

「どうしたの?」
「もう、満足です。滅びを迎えるその時まで、永遠に一人と思っていた私の最後の時に…。
 好きになった、生まれて初めて好きになった人がいてくれるだけで…」
「最後って、それ、どういうこと!?
 君言ったよね、僕がここまでたどり着ければ助かるって」

 マユミの肩を掴んで揺さぶり、シンジは彼女が何を言っているのか問い直した。
 こんな時に言うには、いささか冗談が過ぎる。そう、冗談であってくれと思いながら。
 だが、残酷にもマユミは顔を背けると一語一語噛み締めるように言葉を続けた。

「ええ、そう言いました。
 でも、それは真実を半分しか語っていませんでした。
 本当は、ここまで来たあなた達の、生命の力を奪うから、私は助かる…。
 そう言うことだったんです」
「そんな……」
「このままだと、後三十分もしないうちに、私は塵に帰るでしょう。
 塵は塵に、灰は灰に…。でもそれで当然なんです。私は生きていたらいけないんです。
 本当なら、私はとっくに死んでいたはずなんですから…。
 それが嫌なら、あなたを殺さないといけません。
 でも、私にはできません。できなくなりました。
 いやなの、そんな事してまで存在し続けることが。魔物になってしまった自分もいやなの」

 マユミの言葉にショックを受けたシンジは、一言も発せなかった。
 まさかと思っていたが、マユミが自分達を言葉が変だが食べるつもりだったなんて…。
 シンジの考えていることがわかったのだろう、マユミは硬く目を閉じて枕に顔を埋めた。まともにシンジと相対することにこれ以上耐えられなかった。どうして運命とはこんなにも残酷なんだろう。シーソーのように持ち上げて、落とすことを繰り返す悪意の塊だ。どうしてもっと早く自分はシンジと出会わなかったのだろう。

 目を背けているがシンジが呆然と固まっていることは分かる。自分のことをどう考えているかも。
 顔を見ることはもちろん、見られることも辛い。
 そう、存在を続けることがとてつもなく辛い。
 もう死んで消え去りたかった。
 ここを出て、父の遺言を守っていつまでも生き続けたからって、それがなんだと言うんだろう?生き別れた兄や、自分を慕ってくれた国民達と再会できるわけがない。できるとすれば、文字通り死の世界でのことだろう。
 この世界に存在し続ける意義はない。まだ彼女の知らない感情…好意を持った相手のシンジを殺してまで。
 それならいっそ…。


「お願いです。私を殺して…」






























「そんなこと、できるわけないだろ」

 マユミの言葉に、シンジは怒りを隠しきれなかった。よりにもよって殺せとは。
 なんでそんなことを!
 激しい、ガイロスを倒したとき以上のストレートなシンジの怒りに、マユミは怯みながらも、シンプルな答えを返した。

「だって、私人間じゃないんですよ。
 他人の生気を喰らい、生き続ける闇の一族…不死族の一員。
 人に迷惑をかけて生き続ける魔物なんです。そんなの嫌だから。人に魔物だって追われるのも、人に迷惑をかけるのもそんなのいやだから。
 こんな……自分がいやだから。
 このままじゃ、もっと自分が嫌いになるから…」

 後半の言葉をシンジは聞いていなかった。ただ、マユミの悲しみと自分の怒りに言葉を発することもできず、肩を震わせるマユミを見つめ続けていた。

 なんでそんな悲しいことを言うのだろう?
 まるで昔の自分みたいに残酷なことを。
 死にたいのなら、勝手に自殺でも何でもすればいい。それができないならここで力が完全に尽きるまで、じっと寝ていれば良い。それもそう長いことではないだろう。別にシンジの手を借りるまでのことはない。
 なのに、なんで敢えて殺してなんて言うのか?



(そうか、寂しいんだ。自分がこのまま消えていくことが。何のためにこの世に生を受けたかわからないまま死ぬことが)

 そして死ぬなと言った父親の言葉に背くことが怖いのだ。



 彼女は呆れるくらいに純粋で優しくて。
 そして臆病で。
 とてもわがままで自分勝手で。
 愛を知らない寂しがり屋だ。



 だから3000年経っても父親の言葉に縛られたままなんだろう。
 自由になって良いのに、それができずにいつまでも引きずっている。
 臆病で優しいから自殺することも、僕を殺すこともできない。
 哀れだった。とてつもなく、彼女が哀れだった。彼女の生は、魔物になるまでの、そして魔物となった後の彼女の生はいったい何だったのだろう。
 答えなどわかりはしない。わかるはずがない。
 それはこれからも残酷な世界で生き続けていくことで、自分自身が見つけないといけないものなのだから。


 うつむき、ひっくひっくとしゃくりあげるマユミを見ていると、なんだか『昔の自分』と言う名前の絵を見ている気分がする。先日まで、彼も何故生きているのかわからない日々を送っていたから。
 彼女を殺すなんて、ましてやこのまま放置して死にまかすなんて…できるわけがない。

 シンジは悲みで顔をゆがめながら、そっとマユミの髪の毛を指で梳きながら頭を撫でてやった。
 ビクッとするが、彼女は大人しくされるがままになっている。
 そのまま声を殺して泣き続ける彼女の頭を撫でながら、シンジは小さく、だがハッキリと言った。

「ダメだよ、だって死んじゃったら好きも嫌いもないじゃないか」

 マユミのむせび泣きが一瞬止まり、その体が固くなった。
 両手で顔を押さえて泣いているため、顔は見えないがきっと涙に濡れた目を見開いているだろう。そんな感じがした。
 そんな彼女が無性に愛おしい。

「たとえ君が魔物でも、僕は君に会いたいと思った。………その気持ちは本当だと思うから」

 そこまで言ってシンジはふぅっとため息をついた。
 何気ない言葉で、それもとても短い言葉だったけど、言いきるのに先の戦い以上に緊張してしまった。取りようによっては、告白同然の言葉を言ったのだから。
 思えば、女の子と2人だけで話すこと自体初めてだし、なにより2人っきりでこんな、彼ですら恥ずかしくなるような会話をするなんてことも言わずもがなだ。まさか初めての言葉が、こんな恥ずかしい状況でだとは思いもしなかった。
















「シンジさん」

 しばらくしてマユミが、顔を背けたままぽつりと呟いた。
 火照ってくる自分の頬を誤魔化すように周囲をきょろきょろしていたシンジが、ハッとした顔でマユミの言葉に耳を傾ける。

「こんな私でも、生きていて、良いんですか?」

「良いもなにも。一緒にいよう。
 山岸さん、ずっとここにいて外の世界のこと知らないでしょ?
 案内するからさ。世界中どこでも。外に出て居る場所がないって言うなら、僕の家に住めばいいし。
 母さんが何か言うかも知れないけど、説得してみせるから」

 言ってることは少年特有の限界の感じられない内容で、そんなことを言いながら急に年相応の少年みたいに慌て、あたふたとするシンジにマユミは内心でくすっと笑う。現実はそんなに甘くないだろう。きっと世間は過酷な障害を幾つも用意している。
 一緒にいることを、世界の誰も認めてくれないだろう。

(でも、私はシンジさんと一緒に生きていたい)

 こんな自分でも必要としてくれる人がいる。
 さっきの馬鹿な言葉も気にしていない、それどころか自分を勇気づけてくれる人がいる。自分を必要だと言ってくれている。一緒にいたいと言ってくれた。
 そして長い間自分を縛っていた父親の言葉から解き放ってくれた。

(ありがとう…あなたに会えて、良かった)

 それだけで充分だった。








「ありがとうございます。
 でも、ごめんなさい」
「え?」
「生きるために、他の人から生命力をもらうこともできないんです。それだけの力がもう…」
「そんな、僕から取れる限り取って良いから!だから、そんな悲しい事言わないでよ!」

 マユミはそっとシンジの手に触れる。
 それ以外のことを考えられないほど冷たくて、柔らかい手だ。

「ほら、触ってもあなたから力を」

 マユミは悲しそうに微笑み、手がシンジの腕からすり抜けた。
 シンジは納得できないのだろう。
 彼女の肩を掴んで少し乱暴に彼女を起こすと、ガクガクと揺さぶりながら彼女に語りかけた。

「そんなのってないよ!ここまで来たのに!」
「ごめんなさい、ここにあるものは何でも持っていって良いですから。それがせめてものシンジさんに迷惑をかけたお詫びです」
「そんなのいらないよ!ねぇ、山岸さん!
 なにかないの!?君が助かる方法が!?」

 彼女の目をほとんど睨むようにしながら叫んだシンジの言葉に、マユミは逃げるように目を伏せた。
 些細な動作だったがシンジは見逃さない。それが自分が何か隠し事をしているときの動作によく似ていたからだ。隠し事をしているからこそ、他人の目をまともに見られない。

「あるんだね?方法が」
「いいえ…」
「ねぇ、嘘はやめてよ。あるんだろ?」









「あり……ます」

 いつになく激しいシンジの追求に、なによりシンジに嘘をつくことに耐えきれなくなったマユミは、絞り出すように言った。あからさまにシンジはホッとした顔をする。対照的にマユミは、体を小刻みに振るわせながら先ほど殺してと言ったときよりも辛そうな顔をしている。

「でも、その方法は…」
「その方法は?」
「あの…やっぱり、言えません」
「どうして!?」
「だって、あなたの一生を縛ってしまうことになるから」

「え?」

 さすがにシンジの動きが一瞬止まる。
 一生を縛るとか言われたのだから、当然と言えば当然か。
 だが硬直していたのも束の間だった。
 とても気になる。言いかけて止められたというのに匹敵するくらい気になる。

 じっと無言の圧迫感を加えるシンジの瞳。その無言の叫びはマユミの抵抗を徐々に押さえ込んでいく。言うべきか、言わないでおくべきか…。
 言わないでおいた方が良いに決まっている。自分には彼の人生を束縛する資格はない。でも、彼自身が望んでいる…。
 遂にマユミは白旗を揚げたのか、顔を真っ赤にしてぼそぼそと蚊の鳴くような声で呟き始めた。

「その……あの……私と、シンジさんが………あの」
「僕と山岸さんが?」

 マユミは再度躊躇った。

 良いの?

 本当に良いの?


 アンデッドである自分と、人間であるシンジ。たとえ両者が望んだとしても、不幸になるに決まっている。生きる時間が異なっている。食べる物も異なっている。なにより存在する世界が異なっている。一緒に生きていけるはずがない。
 だったら言わない方が良い。自分はこのまま闇の世界に消えていき、シンジは光の世界で彼に相応しい女性と添い遂げる。そうすれば、少なくとも片方は不幸にならない。

(…私はこのまま消えていった方が良い)



 本当に?

 言わないまま、自分が死んだら、シンジは一体どう思うだろう?
 助けられなかったと、一生後悔して生きていくことになるのだろうか?そこまで自分がシンジにとって大事な存在かどうか分からない。でも、シンジに悲しい思いを味合わせることになるのは間違いない。人間の女性と結ばれても、ふと自分のことを喉に刺さった棘のように思い出すことがあるのかも知れない。結局、シンジに悲しい思いを味合わせることになるのだろうか?

 一体、どうすれば?


 考えあぐねて、マユミはちらりとシンジの目を見た。
 軽く、シンジはうなずく。
 不思議な気持ちがした。昔、同じように彼の目を見たような気がする…。
 ガラス越しに、離れ離れになる寸前、絶対にもう一度会いましょうと約束したような気が。

 マユミは目を閉じた。目を開けたままで、こんな恥ずかしいことは言えないから。



 一回肺一杯に息を吸い込む深呼吸。


 そしてマユミは彼女にとって最大の音量で ─── 他人から聞いたらちょっとだけ大声 ─── で叫んだ




「………け、結魂することです」


「結婚!?」

 さすがにシンジも驚いた。そんなシンジの驚きにますます顔を赤くしながら、マユミはぼそぼそと急速に小さくなる音量で言葉を続ける。

「はい、結魂の誓いを立てれば、私達は魂の一部を共有し合った間柄になります。だから、そうなれば、シンジさんから抵抗無く力をわけてもらうことも」

 言いながらちらちらとシンジの顔を見ていたマユミだったが、言い終わると恥ずかしいのか彼女は顔を両手で押さえて黙り込んだ。

 それはまあ、確かに年頃の娘ッ子には言うに言えないことだろう。
 いきなり結婚だなんて…。
 しかも彼女は慎み深くあれと厳しく育てられた王族の娘だ。その心情は察して余りある。

 驚きながらもシンジはそう納得した。
 納得しながら、まだ顔を隠してイヤンイヤンと首を振っているマユミに目を向ける。

 …楽しそうだね。
 じゃなくて。

 なんだかその仕草が可愛くって、ドキンとする。
 慌てて咳払いしながら、シンジはマユミを見つめた。恥ずかしさのあまり彼女は顔を隠しているから、マユミの頭のてっぺんをじっと見る。たぶん、彼女の親以外でこんなにまじまじ見たのは自分だけだろうと、妙なことを考えて嬉しくなる。

「それしか方法はないの?」
「はい…」

 しばらく待ってみたがマユミはそれ以上何も言わなかった。
 マユミの言ってることに嘘偽りはなさそうだ。
 実際にそれしか方法はないのだろう。そもそもこの期に及んでどんな嘘をつくというのか。
 仕草は可愛いが、彼女の肌の色は先ほど以上に白く透き通り、死体を通り越してまるで蝋燭のように見える。急ぐ必要がありそうだ。




 シンジはしばらく、時間にして30秒ほど腕を組んで考えて…。


「じゃ、結婚しよう」


 何でもないみたいに言った。
 これにはマユミの方が驚く。

「ほ、本気なんですか!?
 結魂なんですよ!?これがどんな意味を持っているか、知らないわけじゃ」
「まあ、この年で結婚なんて、確かに早いと思うし帰ったら母さんが目を回すと思うけど…」
「シンジさん…」
「この年で人生の墓場ってのは大変かも知れないけど。
 そうするしか助ける方法がないって言うのなら…。いや、誤解しないで。仕方なく君と結婚するわけじゃないよ。
 …僕は君のことが好きだと思う。会ったばかりで、テレパシーを含めて1日だけど、だけど君のことは間違いなく好きだ。と、思うよ。
 ゴメン。今まで他人のこと、特に女の子のこと好きになったこと無いから、これが好きって感情なのかよく分からない。でも、もう君と話せなくなるなんて、会うことも顔を見ることもできなくなるなんて、そんなのイヤだよ。
 君と………できるならずっと一緒にいたい」

 言い終えた瞬間、シンジは顔から足指の先まで真っ赤になった。
 それくらい、彼も恥ずかしかったし勇気のいる台詞だったのだ。
 誰がなんと言おうと、今彼が言ったのはプロポーズの言葉だったのだから。

(…シンジさん)

 再びマユミは沈黙する。今度は感動で声が出ない。
 ここまでシンジが自分のことを思ってくれるなんて。
 ハッキリと自分みたいな女の子のことを、好きと言ってくれた。
 言葉だけで逝ってしまいそう。

 余談だが今まで他人との接触が全くなく、日陰で生きていた彼女は自分が美人であることを知らない。ついでにシンジ好み(ストライクゾーン広)であることも。
 アンデッドになったこともあり、誰も自分に好意を寄せてなんかくれないと思っていた。
 生きていた頃は完全無欠の箱入り娘で、口をきいた相手が父親と年の離れた兄弟だけだった。だから、そこはかとなく天然でもある。
 マユミはシンジの言葉を聞いた瞬間、気絶しそうになりながらも考えていた。


 もう、父と自分の復讐なんて後ろ向きなことを考えたりしない。
 シンジを愛し、そして幸せになる。
 自分が生まれて今まで生きていたことは、決して無駄なことなんかじゃなかった…と。


 感動で固まった彼女にシンジは怪訝な顔をするが、もう彼女が言ったタイムリミットに近づいたことに気付いて、慌てて彼女をせかした。

「急がないと、時間が」
「でも、本当に良いんですか?」
「構わない。山岸さん、ううん、マユミさん。
 僕は決めたから。君と結婚するって」

 シンジの迷いのない真っ直ぐな目を見て、コクリとマユミは頷いた。
 私も、彼の気持ちに応えよう…。



































 目の前でマユミが魔法の道具らしき物や、なにでできているのか正体不明の書物、その他妖しさ大爆発のものをゴチャゴチャ持ち出していじるのを見ながら、シンジはぼうっと考え込んでいた。

 さっきは半分勢いで結婚をすると言ったが、よくよく考えてみるとこれは相当にアレな事なのではないだろうか?
 具体的に何がどうとかは言えないが、とにかく彼の背筋が寒くなる。確かにマユミは綺麗でスタイルが良くて、なによりどこか懐かしくて優しい気持ちにさせてくれる女性だ。
 だが…。

 結婚したら、きっと良くないことが起こる。
 それもハルマゲドンレベルでだ。少なくとも彼にとっては。
 目を閉じると一瞬浮かぶのは、情けない顔している自分とその周囲で互いを牽制するみたいに飛び交う何か。








「きぃ───! シンジは生まれる前から私の物なのよ!!!
 あんた達お呼びじゃないわ! 消えなさいよ!!!」

「お下品な二号さんの戯言なんて聞いてられない。私は碇君の許嫁だもの。そうでしょ、ユイお義母様?」
「違うわ! シンジは私のご主人様なんだから!」
「シンジさんを、私の旦那様を理不尽な目にあわせるあなた達、滅殺です!」


「だ、誰か母さん以外の人、僕を助けてよ…」






 予知能力にでも目覚めたんじゃないかと思うくらい、確実性に富んだ白昼夢だ。
 やたらリアルに飛び交う何かの顔が目に浮かぶ。

(な、なんでこんな光景が目に浮かぶんだ?)

 冷や汗がダラダラと流れ、このまま結婚して良いんだろうかと心のどこかでしきりに警告の声が上がる。絶対ろくでもないことに巻き込まれる。
 だが、

(でもまあ)

 シンジはふっとため息をつくと、本を片手に何かを呟いているマユミに目を向けた。
 タイムリミット間近じゃなかったのか?…にしては元気なんだけど。
 と疑問はあるが、お尻をふりながら一心不乱に呪文を唱える彼女の姿は、シンジのぐらつきかけた決心を元に戻して補強するのに充分だった。結婚したら、やっぱり彼女と? とか邪なことを考えて鼻の下が長くなる。

(それに結婚してもしなくても酷い目にあうのは変わりない気がする…)



 はい、大正解です。
































「えっと…彼女の魂の一部と自身の魂の一部を取り替えることに、同意しますか?」
「…うん」
"うん"じゃなくて、"はい"です」
「ごめん。…はい」

 やがて準備が終わったのか、マユミは一人で神父(?)と司会進行を進め始めた。
 世界に対する祈り、自分自身の誓い、司会としてシンジに誓いの言葉を言わせる。

「…私は、彼と結魂することに同意します」
「僕も、彼女と結婚することに…同意します」

 シンジに結婚すると宣言させた後、恥ずかしそうに顔を赤らめながらマユミがそっとシンジに抱きついた。
 柔らかい彼女の体と香りに、体の一部を激烈に硬くしながらシンジが戸惑う。

 いいの!? このまま押し倒したりとかして良いの!?

 がっつきすぎー。




「や、山岸さん!?」
「(んもう)…名前で呼んで下さい」
「あ、うん、マユミさん…終わったの?」

 マユミは首をフルフルと振ると、じっと上目遣いでシンジの顔を見つめる。
 シンジはそう背が高くない。およそ160cmくらいで第三新東京市の16歳男子の平均よりは背が低い。内心その事は彼のコンプレックスになっていた。
 だがマユミは彼よりも背が低い。およそ150cmちょっとしかない。長い間こんな洞窟同然の所に幽閉されていたからかもしれない。
 ともかく、それがシンジの内心にクリティカルヒットした。自分が他人に、それも女の子に見上げられると言う事態が、なにかつぼをついたのか心の中で最高のガッツポーズ。こう、言葉にはできないがとてつもなく嬉しいのだ。『受け』とか呼ばれて人に頼られたことが少ない自分が、こう縋り付かれて潤んだ目で見上げられることが。
 そうとは知らず ─── 普通知らんが ─── シンジの胸の中でマユミはそっと呟いた。

「最後に、あの、その。
 せ、接吻して下さい…。それで、終わりです」
「せ、接吻って…ああ、キスのことか」
「今はそう言うんですか?
 とにかく、それで全ての儀式は終わります」

 それだけ言うと、マユミは目をつぶって天井を見上げるように首を傾げた。
 シンジがキスをしやすいようにご丁寧に目を閉じて眼鏡まで取っている。恥ずかしいのかその顔は赤く染まり、小刻みにからだ全体が震えていた。
 何というか…猛獣の前の生肉状態?

 それだけで心臓をバクバク言わせ、シンジは優しく彼女を抱き寄せるとそっとおとがいを持ち上げた。当たり前だが慣れていないので少しぎくしゃくさせながら。

「あ…」

 思いの外積極的なシンジの行動に、マユミは驚きの声を上げて身を固くするが、男はこうなったら止まれない。ブレーキの壊れたダンプカーなのだ。
 躊躇することなく、シンジは唇を重ねた。

「んんっ…」
「ん…」

 唇と唇を会わせるだけのキス。
 2人は目をつぶっていたためわからなかったが、その時マユミの用意していた魔法の道具が眩く輝く。
 結魂を承認した合図だったのだが、若い2人は、特にシンジはこうなると周囲のことなんかわからないし、くどいようだが止まれるわけがない。

 もとい、ここで止まってどうする!?

 唇をあわせるだけのキスがいつの間にか、啄むような荒々しいキスに変わり、お互いの…と言うよりシンジが一方的に舌と舌を絡み合わせるような、激しいと言うにはあまりにも激しすぎるディープキスに変わる。
 さらには優しく肩を掴むだけだったシンジの腕が、『絶対にがさねぇ』とばかりにがっちりとマユミの細腰をホールドし、なおかつ頭が動かないように、左腕は彼女の背中にまわされる。
 マユミが驚きで目を見張り、唐突に口から全身に広がるむず痒いようなふわふわするような感覚と、背中をサワサワとさするシンジの指の動きに我を忘れて身を捩る。

「んんっ、んっ、んん───!
 ぷはっ!
 あ、あん!シンジさ、ん!
 もう、もう良いんです! もうキスは…」
「マユミさ゛ん゛!」

 キスまでにしとこう。
 そう考えていたが恐怖に怯えたマユミの声と表情に、プチリとシンジの何かが切れた。

「ああ、ちょっと、きゃあ!」

 強引にマユミの両腕を取ると、シンジは体重を利用してそのまま彼女を押し倒そうとした。マユミは抵抗したが、華奢で運動不足の彼女はシンジ程度であってもその体重を支えきれず、絡み合いもつれ合って倒れ込んだ。幸い儀式を行っていた場所はマユミのベッドのすぐ横だったため、2人は折り重なりながら柔らかいベッドにその身を沈めることになった。

「ひ、ああっ! だ、ダメですってばぁ!」

 抵抗するマユミの腕を押しのけて、強引に彼女の胸をつかむとぐいぐいとドレスの上から揉みしだく。
 その乱暴な動作は、苦痛と共に先ほどのキスと同様の不思議な感覚をマユミに感じさせて、彼女の口から知らず知らずの内に声を漏れさせた。

「あふっ、ううん!
 だ、だめぇ! キスでエナジーは分けてもらいましたから! だからこれ以上は!」

 荒い息の中、服を脱がされまいと必死になって抵抗するマユミにさすがのシンジの動きも止まった。
 ホッとするマユミ。
 力は充分とは言えないが、これ以上シンジから力を奪ったらシンジが死んでしまう。
 特にこれ以上のことをさせるわけには絶対いかない。
 貞操観念の点からだけでなく、シンジの体のためにも絶対だ。
 なにしろ本調子なら皮膚と皮膚からの接触でも、殺す気になっているのなら即死させることができるほどのエナジーを吸い取ることができるのに、これが粘膜と粘膜同士だと、まあ、つまりは、そういうこった。具体的に書くと一瞬でミイラ。
 マユミはそのことをシンジの動きが止まった隙に言おうとするが、一瞬早くシンジはこう呟いた。


「だって、僕達結婚したんだろ!?」
「あ、はい。でも…」

 怒鳴るように言われ、一瞬だがマユミの動きが止まってしまう。
 考え込んでしまう彼女の癖が出てしまったのだが、野獣と化したシンジの前で、いや下でするには少しばかり軽率だった。
 流れるような動きでシンジの腕が彼女の肩にあったドレスの留め具を外し、同時に服の隙間から彼女の胸を直に揉む。
 手から伝わる感触は素晴らしい物だった。もにゅもにゅとまるでつきたてのお餅を揉んでいるかのように指がめり込み、そして素晴らしい弾力で押し戻す。シンジは今までこんなに柔らかくて弾力のある物を触った経験がなかった。手で触ってるだけなのに、不思議と気持ちが良い。つまり、やめられない止まらない河童○びせん。

「あうん!」

 背筋を仰け反らしながらマユミが甘い声を漏らした。
 そのままブルブル小刻みに震えるマユミを見下ろし、シンジがにぃっと唇をゆがめた。まるで獲物を見下ろす爬虫類のように。あるいは獲物を仕留めた狼のように。
 手に余る大きさのマユミの胸は、先ほどの激しい動きでドレスがはだけて露わになった肩と共に乳房の上半分がこぼれだしていた。
 ゴクリとシンジは生唾を飲み込んだ。

「なんて…綺麗なんだ。これが、女の人の体」

 もう、行き着くところまで行かなければ止まることはできない。

「ひっ、やっ! いやっ、ダメ───!!!」













と、大変いいところなのですが作者内チェック機構が働き始めました。
ここから先はカットします。最後までやっちゃってますんで。

















 ぎしぎし。






 不思議な音をたてる甘く熱い時間が過ぎて。
 どれくらい時間が経ったのだろう?
 何とも形容したくない何かの匂いと香の匂いが立ちこめる室内。
 そこに据え付けられた豪奢なベッドの中、シーツから肩から上だけ出した状態でシンジとマユミが寝入っていた。
 シーツに隠されているため、肩から下の様子は分からないがマユミの胸の谷間が見えることから恐らく、いや、ほぼ間違いなく二人は全裸だ。
 一体何をしてたのかは18歳以下には謎だ。

「ううーん、シンジさぁん」

 寝言を言いながらシンジにすがりつくように抱きつくマユミ。

「山…マユミさん、大好きだよ」

 シンジもそう言いながら無意識にマユミに抱きつく。
 2人は今、これ以上ないくらいに幸せだった。
 今だけは全てのしがらみから解き放たれ、ただお互いだけを感じて…。













 ふと、シンジは思う。
 これは夢なんではないだろうか、本当の自分はどこか別の場所で意味のない生をおくっているんではないだろうか、と。
 本当の自分は、まだあの第三新東京市でトウジ達と一緒に…。

(ん〜、なんか忘れてるような…)

 トウジ?

















































「あ゛、トウジとケンスケ忘れてた」
「あ゛、じゃないですよ」



















「2人とも、生きてる?」
「大丈夫です、最悪、ゾンビにしてでも…」
「それは絶対やめて」

 衣服を彼女によく似合う夜藍色のドレスと取り替えたマユミを伴い、ガイロスが居た部屋にシンジは戻った。
 なぜか彼女を幽界と外界と隔てていた虚無石は消えていたが、シンジはその事に意識を留めることなく、無言で室内の有様に目を向ける。
 壁に飛び散る赤い物を意識的に無視しながら、そぅっと部屋の奥の暗がりを見つめる。
 と、二度と動くことのなくなった青銅像の影、ズタボロのゴミにしか見えない何かがのっそりと身を起こすと、とても清々しい調子でこういった。

「……友情って、なんやろな?
 ワシ、一生が尽きる前に何とか答えを出したいわ」

「せめて、せめてとどめを刺していってくれよ…」

 そこまで言うと2つのゴミはどうっとばかりに男練りにぶっ倒れた。
 もちろん、言うまでもなくトウジとケンスケだ。
 倒れた2人に慌ててシンジは駆け寄った。

「生きてたの!? よ、良かった」
「あの……失礼ですが、あなた達本当に人間ですか?
 普通、死んでますよ?」

「それがまず最初に言う言葉か〜」

 幸い、危ういところでガイロスの動きは停止したため2人は助かったが、ハッキリ言って生きているのが不思議なくらいの重傷だ。ギャグモードに片足突っ込んでいなければ、死んでいたに違いない。さりげなく失礼なことを言うマユミの疑問も宜成るかな。

 もっとも魔力120%補充しましたぁっ!

 って感じのマユミによってすぐ治してもらった。
 例によって再生蟲で。











「いやぁ────!!!
 ヌルヌルとうねうねと体の中でなんか蠢いとる───!!!」
「痛いのか!?
 痒いのか!?
 くすぐったいのか!?
 のぉぉぉぉ────!!!
 脳が、脳が混乱する超感覚の極地ぃ────!!!!」


















「2人とも大袈裟なんですね」
「そうかなぁ」

 絶対大袈裟じゃないと思う。
 倒れる2人と冷や汗を流したシンジにちょっと首を傾げ、マユミは困ったようにシンジにすり寄る。理由はどうあれ、気絶してしまったトウジ達はもう少し休ませてあげるべきかも知れない。なんだかんだ言っても大怪我だったことは間違いないのだから。

「え、えーと」

 全身に感じる彼女の柔らかさと温もり、そして甘えるような動きにシンジは息をのむ。
 雪のように白い顔を真っ赤にしながら、マユミはそっとシンジと指を絡める。

「まだ2人は回復してないみたいですし、もうちょっとだけ、休んだ方が、良いかも…知れませんね」
「……き、君がそう言うなら、そうなのかも」

 ドキン、ドキンと鼓動を感じる。それともこれは自分の鼓動なのかわからない。

「砂漠の旅にどれくらいかかるかわかりませんが、足を用意しても2,3日じゃ終わらないですよね」
「た、たぶん」
「旅の間、疲労しても…簡単に力の補給なんてできないですよね」
「そうなの?」
「はい。それでですね、ちょっとですけど……わたし、少し消費しちゃいました」

 彼女の言葉と鼻孔をくすぐる髪の毛の香りに心がざわめく。もしかしたら、もしかしたらと淡く熱い期待に震えながら、そっとシンジはマユミの体を引き寄せた。

「あっ」

 小さく声を漏らすがマユミは抵抗しない。それどころか自分から、控えめにだが抱きついてくる。
 見上げるマユミの瞳が泉に映る月影のように潤んでいる。
 胸がずきずきと痛い。自分たちも苦しいのかも知れない。だから、もうちょっと休まないと。彼女に、何より自分に言い訳するようにシンジは呟いた。

「……もうちょっとだけ、休んでから、出発しよう」
「は、はい」





続く






初出2002/03/23 更新2004/05/23

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