Monster! Monster!

第6話『大脱走』

かいた人:しあえが

















 さて、と。

 乱れていた髪と、体にピッタリとした黒い衣服の乱れを直すと、大きく伸びをしながらマユミは久しぶりの…三千年ぶりとなる太陽の光に目を細めた。この網膜を焼く白い閃光は厳しくもあったが、彼女は飽きることなく光を全身で楽しんだ。シンジの目を借りて、数時間前にも見た光だが、それでも、本当の自分の目で見る感動に比べれば。
 その感動の度合いは桁違いだ。
 そして肌を撫でる新鮮な空気の動きがこそばゆい。でも、それは決して嫌な物ではなかった。

「ああ、太陽がこんなに素晴らしい物だったなんて」

 心の底からそう思っているのだろう、感極まったようにマユミは呟いた。飾りはないが舞踏会にだって着て行けそうな上等なドレス姿が軽やかに舞う。

「…良かったね」
「はい」

 雨上がり、虹の下の子供みたいにはしゃぐマユミにシンジがそっと声を掛ける。
 彼女の喜びを微笑ましく見つめる一方、太陽をまともに見て大丈夫なのかな、と少し心配もする。そう、それでなくとも彼女は闇に生きる存在…のはずなんだから。

(こうして見てるととてもそうとは思えないけれど)

 どうも太陽が苦手なタイプの吸血鬼と混同してるっぽいところがあるが、平気なら大丈夫なんだろう、と当たり前のことを考えてシンジはそれ以上追求しない。
 彼女が楽しければ、喜んでいればそれで良いじゃないか。

「楽しそうだね、本当に。
 …そうだ、もうトウジ達も目を覚ましてるかな」













 都合良くトウジ達は既に目を覚ましていた。
 怪我は治っているようだが、鈍さでは定評のあるシンジの目から見ても様子が変だ。あてがわれた、それなりの広さがある部屋の中心に座り込み、扉にも壁にも恐れを抱いているような顔をしている。まるで、遺跡自体に恐怖を感じているように。しきりに手足を気にしているのは、再生虫による治療の名残を気にしているからだろうか。経験したいとは思わないが。
 ともあれ、2人は磨り潰された虫の残骸のような顔をして、身を寄せあっていた。

「2人とも気がついたんだ」
「ん、ああ。まあ、な。シンジ…その、今の状況は」
「2人が目を覚ましたら街に帰ろうって事になったんだけど」

 顔を見合わせ、トウジ達は考え込む。

「それは、やっぱりあの山岸ってお姫さんが一緒って事か?」
「当たり前だろ」
「いや、それはそうかも知れないが、シンジはよく平気でいられるな…」
「どういう…意味」

 くすんだ鏡のような2人の目は、明らかに恐怖に満ちている。それはシンジが一瞬つまるほど、暗い陰りに被われていた。苦い胃液が喉奥からあふれ出てきそうな。

「怖いんだよ。正直なところ。この遺跡もあのお姫様も。だって、不死者だろ。人間の天敵の一つじゃないか」

 汗を拭きながら呟くケンスケに続けて、トウジも彼らしくない怯えを滲ませた言葉を続ける。

「助けてくれた人やし、あんま言いたくないんやが。平気って言えるシンジも、ちっと恐ろしいかもしれん」

 トウジの瞳は、初めて親に殴られた子供のそれだった。


「それは誤解だよ!」
「ああ、そうだろうよ。俺もそうおもうさ」

 怒るシンジの気持ちも理解できる。先程ちょっと見た2人のやりとりを見れば、ただ仲が良いとかそんなレベルではないことは、手に取るように分かる。
 Aは確実だな、あるいはBまで!? ま、まさか最後までいったんじゃなかろうな!?
 問いつめたいが、聞いた瞬間、眼鏡が可愛い女の子に魂までも消滅させられそうだから聞かない。

 だが、だからといって魔物と仲良くできるというシンジの考えは改めるべきではないだろうか。勿論、第三新東京市にはコボルトの焼き物職人やゴブリンの商人とかがいたりするが、それとは問題のレベルが違いすぎる…。

「最初は良くても、彼女の正体が知れ渡ったりすれば…。そうなったとき、おまえはどうするつもりなんだよ」

 そう、このきつい物言いも全てシンジのためなんだ。
 魔狩人や聖堂騎士が彼女を狙って、彼女に関係した者みんなを滅ぼすために第三新東京市にやってくるかも知れない。
 決して、一人ちゃっかり彼女を作った彼をねたみ、うらやみ、嫉妬している訳じゃない。ケンスケに続き、トウジもまたシンジを諫める。

「せや。ケンスケの言う通りや。
 それは確かに、ワシのおかんや妹みたいで微笑ましいとはおもうんやが。でも、あれ?
 おかん…に似てるちゅうか、雰囲気言うか。いや、ちょい待てや」

 おや? と言葉を止めて考える。
 なんだか何が問題だったんだろうって気がしてきた。

 あの無茶苦茶さ加減は勘弁して欲しいが、どこか懐かしいようなそうでないような。そう、あんな感じで無茶をする人を自分は知っている。それもとっても身近に。
 気のせいだろうか。いや、そうではない。確かに自分はニッコリ笑って釘を刺す豪快な人を知っている。端から見たらお近づきになりたくないが、お近づきになってしまいさえすればそれはそれで楽しい人。
 誰だ?
 やおらぽんと手を叩くと、目から鱗が落ちたような清々しい顔をしてシンジの顔を見る。

「なんや、問題ないな。すまんなシンジ。ノープロブレムや!」
「トウジ、ありがとう!」
「ってちょっと待てぇ! なにあっさり日和ってるんだよトウジ!」
「いやいや冷静に考えなあかんかった」
「なにがだよ!?」

 訝るケンスケにトウジは自信満々に笑いながらこう告げた。

「ユイさんや!」

 おお、と同じく手を打ちながらケンスケも大きく頷く。なるほど、あの人なら。

「たとえ山岸の姫さんが暴れても、ユイさんやったら取り押さえられそうや」
「うむ、言われてみれば」

 実力は良くわかんないが、どこに出しても恥ずかしい変態であることは間違いない。
 お姫様が本性出しても、あの2人なら!

 それになにより、あの人なら逆にマユミを食ってしまいそうだ。

「ゴッドセーブ・ザ・碇ユイ!」
「ユイ・ザ・ビースト!」
「そうだ、あの人がいるから大丈夫だ!」
「ユイさんがいれば、第三新東京市は安泰やー!」

 納得してくれたのは有り難いけれど、僕の母さんは魔物より怖いの?
 ねぇ、ちょっと答えてよ。
 と、鬱陶しい顔をしながらシンジは2人に問いかけようとしたがすぐにやめた。
 肯定されたらもっと立場がないから。























 ま、なんだかんだ言っても帰るためにはマユミに頼るしかない。そうするとさっきの馬鹿騒ぎは何だろう、って気がしないでもないが、ややこしくなるしそこら辺は深く突っ込まないでおこう、とシンジは思った。

「それより、準備は良いのか?」

 顔以外、全身を覆う白い服を身に纏い、その上から風よけのマントを羽織ったケンスケがシンジに尋ねる。あれだけずたぼろにされてしまったが、かろうじて砂漠用の衣服は無事だったようだ。自分も早く着替えないといけないな、と考えながらシンジは背後のマユミに振り返る。

「あ、うん。山岸さん、どういう方法で街まで帰ればいいのかな」

 シンジの言葉にちらりと少し小首をかしげると、マユミはどこか不満そうな顔をしながらも、どこからともなく二枚の羊皮紙を取り出した。

(名前で呼んで欲しいんですけど…)

 黄色く変色した古めかしい羊皮紙を開くと、そこにはシンジ達が見たこともない偉業の怪物の姿が描かれていた。決して上手とは言えないが、だがその描写ゆえにだろうか。

「怪物の、絵…?」

 まるで生きているようにも見えるそれは、亀とトカゲを混ぜたような四足獣であり、長方形の板を敷き詰めたような甲羅に被われた背中と、トカゲに似た頭から湾曲した鋭い角が生えている。一方はカエルと牛が混ざったようなもの凄い形相をした四足獣だ。その背中に縞模様の背びれがあるのが特徴的だ。

「絵に封じた怪物です。こっちの背中から角が生えているのが画獣キングストロン。こっちの眠そうな顔をしているのが画獣ガヴァドンです」

 これの背中に乗って帰る。ということなんだろう。
 頭では理解したが、どこか腰が引けてしまうのは仕方がないかも知れない。そんな彼らの怯えを悟ったのか、少し意地悪そうに口の端を歪めてマユミは続ける。

「大丈夫ですよ。キングストロンはともかく、こっちのガヴァドンはとても大人しい生き物ですから」
「き、キングストロンの方は?」

 クスリとマユミは笑う。

「うっかり転げ落ちたら食べられちゃうかも知れませんね」
「ええっ!?」
「大丈夫ですよ。この子はきちんと躾をしてありますから」

 命に代えてもそんなことはさせませんから…。

 そして、シンジにだけ聞こえるように小さくマユミは呟く。冗談めかした口調で笑顔のままだったが、怒りに狂うドラゴンでも口を挟めない鋼玉のように堅い雰囲気を醸し出していた。
 一瞬、空気が本気で凍ってマユミの手の中の羊皮紙が震えるように引きつる。

「冗談です。…すみません、面白くなったですね」
「え、あ、ううん」

 ちょっと笑えないジョーク…なのかなぁ。
 ではあるが、これくらいならまだ許容範囲かも知れない。そう思うことにして、シンジはふと感じた疑問を口にする。

「あれ? でも、さ」
「はい、なんですか?」
「山岸さんの魔法で、ぎゅーんって一気に街まで飛ぶとかできないのかな?
 伝説の魔法使いとかみたいに、瞬間移動の術とか遠くに繋がってる魔法の扉の術とかさ」
「使えないわけではないですけど、私は、正確な場所を知っている訳じゃないですから。正確な場所を知らないでその手の長距離移動術を使うと、色々と誤差が生じるんです」

 申し訳なさそうに、やってやれないことはないですけど…と彼女らしく、控えめに付け加えた。勿論、低調にシンジはその申し出を断る。強気の…たとえば、名前も知らないけどなぜだか記憶にある金髪の少女なら、圧倒的に成功率が低くてもあとは勇気で補えば良いとばかりになんだか成功させてしまいそうだが、気弱な彼女が自信がないと言うとなると、やはり躊躇してしまうものだ。

 いずれにせよ、そう都合良く行かないという訳である。
 頭をかきながらシンジは溜息をつく。
 となったら、またあの厳しい砂漠越えをするしかないと割り切るしかなさそうだ。

「仕方ないか。元々、僕たちは歩いてここまで着たんだ。歩いて帰るのが当然の成り行きなんだよ。
 行こう、みんな」

 トウジ達が待ってましたと立ち上がり、服に付いた砂を払う。細かい塵がキラキラと陽光に煌めく。

「おお、こっちの準備オッケーや!」
「こっちもな。まあ、色んな物を無くしちまったから、なにも準備のしようがないんだけどな」
「うん、わかった。ルートなんだけどさ、東に向かって進めば河にぶつかるはずだよ。そこから河を下っていけば、町か村に必ずぶつかる。直接街を目指しても良いけど、できる限り砂漠を進む距離を短くしたい。それで良いよね、みんな」
「ああ、下手に迷ってまた遭難したくはないしな」
「てなわけで姉さん、あんじょうよろしゅう」

 どこからか取り出したフード付きの黒いマントを体に巻き付けたマユミが、小さく頷く。

「それでは、画獣を解き放ちます。鈴原さん達はこっちのガヴァドンに乗って下さい。首筋の背びれのない辺りなら、乗っても嫌がらないはずです。いじめたりしないで下さいね」

 羊皮紙を開くと、マユミは小さくシンジ達の知らない言葉を呟きながら絵の輪郭をなぞるように指を動かす。マユミの指が通った後は、柔らかいオレンジ色の光が輝く。光が強さと範囲を広げていくのに比例するように、絵であるはずの獣が眠そうに首を動かしながら空気を揺さぶるような鳴き声をあげる。
 描かれた絵が動く、その初めて見る奇妙な光景にシンジ達三人の心が躍る。
 そう、この奇跡が、今後彼らにとって日常になるのだ。なんと心がざわめくことか。

 トウジ達の興奮に当てられたように、マユミは少し声をうわずらせながらマユミはガヴァドンに命令する。

「目覚めたわね。
 では、契約者山岸マユミの名において命じます。平面の世界から高さ持つ、立体の世界に来たれ。わが血肉に掛けて契約の代価を支払わん。黒き髪のマユミの魔力の滴、宝石の欠片を与えます。
 疾く、現れ出でよ。
 二次元獣ガヴァドン!」

 瞬間、羊皮紙から空に向かって飛び立つ流星のように光の筋が伸び上がり、そしてトウジ達の目の前で蜷局を巻くように凝縮していく。光り輝く輪郭だけのガヴァドンが空中で暴れ回る。

「うわっ」
「どわっ」

 その勢いとまぶしさに手で顔を覆ったトウジ達が、恐る恐る目を開けたとき…彼らは感嘆の呻き声を漏らした。

『ブフォゥ、オオォォォ』

 しっぽの先まで含めると全長6メートル、体高2メートルほどある羊皮紙の絵にそっくりな獣がそこにいた。うっすらと開いた左の横目でトウジ達を、右の横目で主人であるマユミを見る絵の獣。面倒くさそうな、眠そうな顔をしていたガヴァドンだったが、仕方ないと観念したのかゆっくりと頭を垂れる。
 そして差し出されたマユミの小さな手の平を、ペロペロと犬みたいに控えめに舐める。

「さ、この子の気が変わる前にはやく乗って下さい」
「おう、まかしとかんかい!」

 基本的にこの手の生き物が、それとも体験が好きなのか喜び勇んでガヴァドンの首に跨るトウジと、彼とは対照的におっかなびっくりその後ろに跨るケンスケ。がっしりとした体躯のガヴァドンは、2人分の重さでもびくともしない。ただ、乗っているのが男だからか、それとも眠っていたのを起こされたからか ―― 後者だが ―― 不満を隠そうともせずに息を吐き出した。
 
 2人がしっかりと騎乗したのを確認すると、マユミはもう一枚の羊皮紙を開く。

「それじゃあ、私たちも…」
「うん。帰ろう、僕たちの家に」























 帰りの道程は順調に進んだ。


 馬や駱駝よりも遅いが、実体化した怪獣の歩幅は人間を遙かに超える。力強く踏み出す足は、人間なら気力と体力を根こそぎ奪い取る砂地の熱さにめげることなく、軽々と砂丘や岩場を乗り越えていく。
 それはこの砂漠地帯で最も危険な存在である、魔物達であっても例外ではない。


 滅多に味わえぬ人間の臭いを感じ取り、巨大な砂ダコが砂上に這い上がっる。砂色で象の皮膚のように皺だらけの触手を伸ばし、人間の頭ほどもある眼球を蠢かせたと瞬間、砂ダコの視界は赤い暗闇に包まれた。

「ぐわぁあぁぁぁっ!? ゆ、ゆらさんといてー!?」
「は、吐く! また黄色い胃液をはいちまうっ! て、手加減お願いだー!」

 その頭(正しくは胴体)が瞬きする間もなくガヴァドンに飲み込まれたからだ。それでなくとも不安定な歩き方に顔色を青銅色にしていたトウジとケンスケが何事かわめくがガヴァドンは気にしない。抵抗する砂ダコの触手が振り回され、トウジとケンスケ達を吹っ飛ばすがやっぱり気にしない。ちなみに、砂ダコの触手のフルスイングは身長5メートルある巨人のストレートに匹敵する破壊力を持っていたりする。



<訂正>

 一部、順調ではないかも知れません。



「ぐぇぇぇっ!」

 と蛙を踏みつぶしたような声で耳を楽しませながら、舌の方でも楽しむ。
 骨のない体を臼のような歯できつく噛む。ぶちゅりと音を立てて内臓がつぶれる感触が顎の筋肉を刺激し、心地よい歯ごたえにガヴァドンは目を細める。濃厚な味の内臓を舌先に絡め、まだぴくぴくと暴れる砂ダコをぐびりと飲み込む。芳醇な喉ごしに幸せ一杯だ。

『ぐふぉ、ふふぉぉぉぉぉん』

 ゲップの代わりに重低音を響かせるうなり声を漏らす。
 欲を言えばこのまま一眠りしたいが、可愛い顔をして凄く怖いご主人様がもの凄い目をしてこっちを見ている。爬虫類の脳でも、このままだと色々まずいって事はよく分かる。

「ガヴァドン…あなたは、なんてことを」

『るるぅ、ぐるぅ、ふぅふぅ』

 渋々ながら生きているのが不思議な格好をして砂の上に転がる2人の側に行き、乗りやすいように頭を下げる。
 砂漠を抜けるまでこんな感じなんだろうか、とガヴァドンは彼なりの知恵でもって考える。できれば早く目的地について欲しい。キングストロンと違って彼は絵のまま寝ている方が気楽で好きなのだから。
 ご馳走よりも眠りが好き。
 怖いご主人様のご褒美もないが、叱咤もないし命令もない。

 なにより…。

 ちらりと横目で『彼』を見る。
 おろおろとしながらも、血反吐を吐いてまだ寝ているトウジとケンスケを介抱している。

 彼から感じる力はてんで大したことはない。
 ご主人様の数千分の一以下だ。今だって、彼がその気になれば一呑みにできる。

 そのはずなのに、どうしてもそうすることはできない。いや、許可が無くては彼に近寄ることもできない。
 あまりにも畏れ多くて。

 なぜ遙かに自分より弱いはずの彼をそこまで驚異に感じるのだろう。そう感じているのはガヴァドンだけでなく、彼を背に乗せているキングストロンも同じだ。傍目から見ても可哀想なほどに萎縮し、凶暴な人食い怪獣として恐れられたことが嘘のような変わりようだ。

 本当に、彼は誰なんだろう? あるいは、何なんだろう?





















 そして旅も終わる。
 迷いに迷って1ヶ月近くかかった死と隣り合わせの行きと比べ、反則ものの力を持つマユミのおかげで帰りはほんの三日で懐かしき我が家へとたどり着けた。
 驚きの目で彼らを見る顔なじみの番兵に挨拶をし、恋いこがれた街をシンジ達はじっと見つめる。
 街は、どこか小さく見えた。

「これから、色々大変かもね」

 日に焼けて精悍さを増した顔でシンジは呟く。彼の言葉に頷くトウジ達。
 番兵やすれ違った知り合いの反応を見れば、自分たちがとっくの昔の死んだと思われていたことは想像に難くない。

「いろいろ、聞きに来る人もいるだろうね。宝はどうしたとか、今までどうしていたとか」
「想像するだけで気が滅入るな」
「せやな。けど…」

 小さく溜息をつくとトウジは空を仰ぐ。黄昏が近づいた空は、青と橙色が混じった複雑な色を帯びている。遠くに鷹らしい鳥が飛んでいるのが目に入った。

「平凡や無くて、こういう非日常を望んで旅にでたんや。それくらい覚悟の上や」
「うん、そうだね。それに、質問攻めよりもっと怖くて大変なことが待っているしね」
「そうだよ…な」

 苦笑しつつ、それぞれ待っていてくれている(はずの)人の顔を思い浮かべる。
 二三発殴られることは覚悟していよう。
 父親が健在のトウジとケンスケはそう考えるが、一方でシンジは彼ら以上の苦難が待っている。この時ばかりは、どこか面白がるような…ではなく、深く見守る同情の目でシンジを見る。ユイは殴ったりはしないだろうけど、でも、きっとマユミのことで色々聞いてくるし、彼女と結婚(結魂)したなんて知ったらどうなるだろう。

(母さんになんて言えば良いんだろう)

 理解がある人だけど、でもさすがにこれはユイの想像を超えているのではないか。そして、結婚なんて一大事を周囲に全く相談もせずに行ったシンジを決して良く思いはしないだろう。いや、もしかしたら息子を奪った泥棒とマユミを見るかも知れない。
 そんなことはないと分かってはいるのだけれど。
 彼の不安に当てられたのか、おずおずとマユミがシンジの腕にしがみついてくる。彼女の震えが伝わった瞬間、シンジはどこか吹っ切れた顔をすると、そっとマユミを抱き寄せた。彼女の体の柔らかさと温もりを感じるよりも先に、刃物のような怯えが鋭くシンジの心を責め苛む。

「大丈夫だよ。ぜったいに、母さんを納得させるから」
「……シンジさん」
「絶対に、絶対に君を守るから。結婚した時、君を守るって、言葉にしなかったけど心で決めたから」
「ああ…。嬉しい、です」

 ―――そして2人の長く伸びた影が一つに溶け合う。


 無数の視線や囁きあう声は若い2人には届かない。届いたって気にしない。

「シンジさん」
「山岸さん、いや、マユミさん。愛してる…」
「私も、私も…です。あなたのこと、大好き、です」


 公衆の面前にもかかわらず、抱きしめあう2人に周囲は大興奮だ。誰かがぐびりと唾を飲み込む音が痛いほど耳に響く。
 若いカップルは言うに及ばず、夫婦喧嘩の末に冷め切っていたはずの夫婦までも、お互いを見る目が優しくなって熱っぽくなったりする。
 1年後、第三新東京市に誕生日が近い子供が大量に生まれて、ちょっとしたベビーブームになったのだが、それはまた別の話なのでここでは語らない。

 他人ですから、とトウジ達がさらし者になることを嫌って逃げ出したが2人は当然気にしない。気づいてもいない。気づくわけがない。












「ふ〜ん、良くわかんないけど、シンジったら凄い宝物を見つけたみたいね」

 頭をぽりぽりかきながら、困ったような、嬉しいような顔をする…年齢不詳の美女、シンジの母親であるユイがいた。買い物帰りなのか、飾りのない普段着を着て買い物籠を下げた平凡な格好だが、どこか近寄りがたい雰囲気を感じる。
 だがシンジ達は気づか………さすがに気づいた。ウットリしていたシンジの顔が、蛙の色が変わるより早く青くなる。そんなに恐れているのか、と哀れに思わなくもない。一体どういう躾をされてきたんだろう?

「…ぷはっ、か、母さん!?」
「えっ、あっ、シンジさんの、お、お母様!?」

 つられたようにマユミの顔の青くなり、そして今の状況とさっきまでの自分たちを思い出して瞬時に顔が赤くなる。それこそお湯だって沸かせそうなくらい。そんな初々しい彼女をからかうようにユイは腕を組んだまま言う。

「お母さんって呼ぶのは、ちょっと早くないかしら?」
「ぇ、あ、そ、その、あの……申し訳、ありません」

 勝負にもなってない…。
 気のせいか、マユミとユイの2人の背後に虎と龍のオーラが見えたような気がしたシンジだった。もっとも、マユミの背後のは虎って言うより茶トラの猫って感じだったが。

「ああ、冗談よ冗談。そんなにかしこまらなくても良いから。えっと、山岸マユミさん」
「ひゃ、は、はい!」

 にっこりと太陽のような笑みを浮かべると、途端にオーラの獣の姿が消え失せる。

「とりあえず、色々とつもる話もあると思うけど。続きは家に帰ってしましょ♪
 本当に色々、話すことはあると思うから。ああ、そうだ」

 と、何かを思い出したのか、ユイはキュンキュンと鳴いて脅える子犬みたいなマユミから、同じく尻尾を丸めた犬みたいな顔をしたシンジに猫みたいな瞳を向ける。猫科動物のようないたずらっぽい視線に晒されて、可哀想なくらいにシンジは萎縮する。

「な、なに、母さん?」
「いや、その、ね。あなたのお嫁さんの隣なんだから、もうちょっとしゃんとしないさいよ。情けなくって母さん見ていて悲しくなってくるから。もう〜、どうしてこんな私の前ではビクビクするような子に育っちゃったのかしら? 私、ゲンドウさんがいなくなってからも一生懸命育てたつもりなんだけど。
 て、そうじゃなくて」

 軽く溜息。姿勢を直し、小首をかしげるようにして小さく、はっきり、2人に聞こえるようにユイは言う。





「2人とも…………おかえりなさい」



「「た、ただいま」」






























 その後の出来事については書く必要もないだろう。
 多くの人々は驚き、急にシンジ達は親友や親類が増えた。そして一部の人間達は何も言わず、若き冒険者の誕生を祝福した。
 なんだかんだ言っても、息子に嫁ができて戸惑ってる人もいたりした。
 …その人については、今は語るべき時ではない。

 ───最後に。
 賢明な読者の皆様は気がついただろうか。マユミの言う『結魂』とシンジの言う『結婚』の違いに。
 これが後に騒動を起こし、そして結魂したからこそシンジが自分の命を拾う事件もあったりするが、やはり今は語るべき時ではない。


 とりあえず、彼らの帰還の顛末はまた次の機会に。
 そして、新たな魔物な彼女の予告を少々…。


「ぽっ……碇君。いいなずけ、親と親が決めた結婚相手…。問題ないわ」
「ん〜、でもお姉ちゃん。シンちゃん結婚したって話だよ〜」
「………………何かの間違い。ユイお義母さま?」
「たはははははは。
 事後承諾で良いかと思って、今の今までシンジに話してなかったのよ〜。
 そしたらお嫁さん連れて帰ってきて、こっちが焦ってさ〜」








第1部

『砂漠の宝石』










初出2004/08/09

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