Monster! Monster!

第8話『メルヘンヴェール』

かいた人:しあえが








おらあ、見ただ。
ありゃあ絶対、ドラゴンだっただ。
蛇みたいに細長くて、イチョウの葉みたいな羽が生えてただ〜。
あと変な女がおっただ。ありゃあ、ろくなモンじゃねぇ。
魔物だ。モンスター!
おらに気がついた女とドラゴンだべが、それを千切っては投げ千切っては投げ…。
ドラゴンは飛んで逃げ、女は黒の森に逃げてっただ。

嘘じゃねぇ。本当だべ。
女房と今日のビールに賭けて。


〜 とある猟師のおじさんの言葉 〜





















 吐く息が瞬く間に凍り付く、氷点下の世界が広がっていた。
 周囲に生える無数の針葉樹には重く、厚く雪が降り積もり、自然の生み出した芸術品である樹氷がそこかしこに見える。
 見渡す限り白い世界が広がり、その雪原の端に近い空き地にぽつねんと浮かぶ、高空から見ると染みのようにも見える小さな影があった。
 もう少し視点を近づけてみる…。それは染みではなく、1人の…人間であった。

「ま〜たね〜♪」

 白い大地の真ん中で、頬を寒さで艶々の真っ赤にしたユイが、少し間延びした声を出しながら手をぶんぶんと振っていた。
 彼女の仕草はとてつもなく愛らしく、そして若々しくてとても10代の子供が居るとは思えない初々しさだ。ホント、幾つなんでしょうね。ゴシップ好きの謎かけ盗賊だって知りたいに違いない。

 それはそうと、もしこの雪原を歩き、彼女を見た者がいたとしたら…きっと腰を抜かし、同時にユイを人間とは思わなかっただろう。

 ユイは美しい。既に大きな子供がいるにも関わらず、どこかのくノ一女優並にスタイルと美貌を保っており、衰えると言うことを知らない。彼女には時の流れも敗北を喫しているのかも知れない。

 時にさえも愛でられた女。

 アンバランスなことに、まだ幼女のような部分を残した彼女は、今しているしぐさも相まって雪の精霊か何かのようにも見えただろう。そして彼女は雪原の中に立っているというのに、その周囲には足跡の類がまったく見られない。間違えたとしても責めることはできまい。
 だが、余人が驚く理由はユイではない。


 答えは空にあった。

 魔物の生ける世界であってなお、伝説と化した存在。
 人は言う。
 神の末裔、移ろい行く旧世界の語り部。
 自然の意志を伝える蝿えなす荒ぶる神。

 魔獣の王にして、世界の法則を超越したイモータル。
 ドラゴン


 彼女が見つめ、手を振る方向には空の陽光と地上の白銀を反射し、青く輝く蒼穹の竜が空を舞っていた。
 先ほどまで彼女を頭に乗せ、この極北の王国まで運んできた全長50mはあろうかという蛇に酷似した姿のドラゴン。彼は青い鱗だけでなく、巨大な翼、手足の爪を陽光にきらめかせながら優美に、そして雄大に飛んでいく。優美にして雄大…二律背反した言葉に思えるが、このドラゴンはその二つの条件を間違いなく満たしていた。
 ただユイの言葉とその仕草が照れくさいのか、心持ち顔をしかめてるので台無しだが。
 じとーと半分しか開いてないような目つきで、その実、範囲が360°ある視界でもって正面を見たまま、ユイを見下ろしふぅっとため息をついた。

(いくつだよ、おまえ。もう成人しそうな子供が居るくせに)

 もちろん、心の中で思うだけで決して言葉にはしない。
 怖いわけではない。いや、確かに違う意味で怖い。
 声に出したらユイはぷんぷんと怒るだろう。ぷんぷんと。こう、手をぶんぶか振り回してダダをこねる幼女みたいに。


『も〜、エッちゃん、そんな事言うとわたし怒るわよ〜』


 こんな風にな。
 そして『そんなこというエッちゃん嫌い!』とか言うに決まっている。
 勝手に嫌いになりやがれ。いえ、嘘です。
 それはそれで可愛らしいのだが、自分の本名を連呼されるから勘弁して下さい、もうお腹一杯勘弁ですって感じなのだ。



 こう書くとなんだおまえは、という風に思うかも知れないが、それはとんでもない誤解である。この天地の間に彼が恐れる、彼を傷つけられる者など存在しないと言っていい。少なくとも、彼と敵対して10秒以上立っていられる存在は、ほぼ皆無と言っていい。

 かの竜の名はエレキ……。

 魂の名前、電磁竜『ライディーン』
 雷と雲、風の支配者。

 古の大戦のおり、空気をプラズマと変える雷の息(サンダーブレス)で万の軍勢を壊滅させ、魔王の一人を彼の居城ごと蒸発させたと言われる最大最強の竜の一体。他にも10体近くいるから絶対無敵というわけではないが。それに竜とタメを張って戦える強力な魔物 ─── サイクロプスやガルダ、グリフォンロードなど ─── は結構いたりする。
 なんだ、全然無敵じゃないな。

 本来なら人間が口をきくのはおろか、見ることすら奇跡に近い竜だ。現に彼はここ10年近く、自らの居城でもある雲を固めた巣穴から一歩も外に出ていなかった。
 だが、見た目が若々しいただの主婦としか見えないはずのユイは、あろう事か彼とタメ口で話し、しかもついでだからとこんな所まで足代わりにしている。
 常識で考えられることではない。

 果たして彼女の正体とは?
 やっぱあれか?

 だが、今はまだ語るべき時ではない。

『帰りは勝手に帰れよ〜。地獄にまではつき合えんからな〜』
「そっちはゲッターくんに頼むから、大丈夫〜。ありがとエレ…」
『黙れ』

 今は、最強の竜達と友達の、謎の多い主婦と言うことで満足しておくことにしよう。














 爆音が轟き、空気が急激に薄くなった空間めがけて怒濤の勢いで流れ込んだため、気圧の変化が起こる。耳抜きをしながらユイが感心したように呟いた。

「…さすが速い速い。もうあんな所まで飛んでっちゃったわ」

 そんなに一緒にいるのやだったのかなぁ…。
 青く澄み渡るように晴れた空の中に、蒼穹の矢と化してライディーンが姿を消したところで、ユイは手を振るのを止めた。

「今度はもっとゆっくりお酒でも酌み交わしたいものね」

 彼女は彼のことが好きだ。ひたむきでストイックな部分は少し取っつきにくいが…。だが、もともとは空を飛べなかったのに、努力と根性でエルダードラゴン中最速になったエレ…ライディーンの生真面目なところは見習うところがある。ユイはクスクスと笑った。

 そしてふぅとため息を付きと、今頃になって寒さを思い出したのかブルルッと体を振るわせた。きっとほっぺたはリンゴのように真っ赤、毛皮の手袋の中の指先も赤くなっているだろう。唇も今は薬用油を塗って保護しているが、ちょっと気を抜けばたちまちの内に皮が剥けてしまうだろう。ちんたらしてたら手足もしもやけ確実だ。

(やだ、お肌に悪いわ)

 なんやかや言っても年も年だし、凄く実感のわくセリフである。

「ううぅ〜。この寒さだけは幾つになっても我慢できないわ。
 ったく、レイちゃんもなんでまたこんな寒いところに住んで平気なのかしら」


 雪女だからです。





 年を取ると冷えっぽくなるのよねぇ。

 やーだやだとおばさん臭いことを考えながら、ユイは首をコキコキと鳴らしてから、改めて視線を正面に向けた。
 彼女の視線の先には、空の青さとは対照的に暗い雰囲気を持った針葉樹の森があった。木の一本一本が大きく高く伸びており、幹の太さは細いものでも大人一人で抱え込めるかどうかと言う太さだ。さらに葉が影を生み、森の中は日が沈んだときのような暗さを留めていた。
 そして足下一杯に積もった雪の絨毯。木の根本に雪が大量に積もる…。
 綺麗な、誰も踏み荒らしていない処女雪だ。歩きにくいことこの上ない。
 だがそれにしても降り積もった雪の量は異常だ。今、ユイが立っているひらけた地点よりも多くつもっているのだから。自然界の現象として、まったくあり得ないことではないが、この鬱蒼とした森でこの雪の量は明らかに異常だった。
 なにより不思議なことは…木々に雪がまったく積もっていないこと。
 少し離れたところの木は樹氷になっているというのに。
 まるで森自体が意志を持ち、侵入者を拒んでいるかのようにも思える。

 いや、間違いなく拒んでいるのだ。

 この森は生きている。
 比喩ではなく、本当に森が意志を持っている。

 来るな、よるな、近寄るな。

 迂闊に入れば生きて外に出ること能じ。
 森の虚ろなるうめきを無視して入れば、迷い、飢え、そして森に住まう魔物か、あるいは正体不明の何かに襲われる。
 そして死骸は二度と日の光を浴びることなく、木々に分解されて土へ帰る…。


 この森こそ近隣の住民達から、『黒の森』と呼び恐れられている暗黒の世界。常人ならその気配に押され、決して足を踏み入れることも、あるいは近寄ることさえしないだろう。
 だが、ユイはまるで躊躇したようすなく、森の中に足を踏み入れた。そこが禁断の森であるということを自覚してるのだろうか?
 いや、彼女なら自覚していても間違いなく足を踏み入れただろう。図々しい人だから。
 ユイの性格はともかく、彼女が足を踏み入れると同時に普通の人間ではわからないが、方向感覚を麻痺させる強力な磁場が彼女の周囲を駆け回り、同じく木々が風もないのに傾いで太陽がどこにあるのかわからないようにした。
 ユイの周囲が夜と錯覚しそうな闇に包まれる。

 よっぽど方向感覚に優れた人間でもない限り、普通の人間なら目を閉じて2,3回その場で回れば、もう自分がどこから入ったかもわからなくなるだろう。

 普通の人間ならば。

 でもユイさん、普通の人じゃないし。




(つまらない目くらましね)

 ユイの唇の端が知らず知らずのうちにつり上がった。


「まったく。効くかどうかもわからないのかしら?
 以前、森の妖精がもっと賢くなるように教育しなさいって言っておいたのに」

 言うだけじゃダメなのかしら〜。
 レパートリーの増えない奇術師の芸を見たように顔をしかめて、ユイはズンズン奥へと進んでいった。周囲の異様な雰囲気をまるで何も無いかのように。
 木々はその態度に激怒した。

 ただ迷い込んだのならともかく、この恐れを知らぬ挑戦的な態度!この女は明らかに侵入者だ。
 聖域を犯す冒涜者!
 すなわち、姫を害する敵だ!

 猛り狂った木々が身を激しく揺すり、ユイの上に雪の塊を、あるいは折れた自分自身の枝を、無言でユイを見下ろしていた鳥や獣を落とし始めた。

「ふふん。甘いわね」

 落下物を見もせずに、ある時は立ち止まり、ある時は唐突に一歩後ろに下がったりして、紙一重の動きで全てユイはかわしていく。それがまた森の意志を苛立たせた。
 人を馬鹿にすることが好きな彼らは、その逆に自分達が馬鹿にされることが何よりも嫌いなのだ。


『敵!』
『てき!』
『テキ!』
enemy!


(不埒な! これは僕らの…今のなし。
 我らへの、ひいては姫様に対する宣戦布告だ!)

(めーなの。進ませたらめーなの。
 …やり直し?
 決して進ませるな! いや、生かして返すな!)

(殺すじょ! 殺して姫への貢物にするじょ!)

(あいつを殺っせ〜! あいつを殺っせ〜♪)

(千年かけて魂を啜るの!)

(生きたまま骨を砕くベシ! この者だけでなく、その血に連なる者にも災いをベシ!)

(姫様のために!)

(そう! 全ては、我らが姫様と姫様の思い人、獣王様のために!)

(2人のために!)



ギチギチ…ガタガタ…グケケケケケ

 木々の幹が大蛇のようにうねり、ユイの周囲を取り囲んだ。
 幹の烏鷺を目や牙の生えた口にして睨み付ける。
 激しく身を捩り、幹に歪んだ人間の顔のような物を浮き上がらせた木々を見て、ユイがため息をはき、あーやだやだと困ったように頭をかいた。右、左、と目だけを動かすが、四方八方の木はどれも似たように不気味な動きを見せていた。

「あらやだ」

 周囲に目を向けながら、ユイは言葉が出ない。
 この反応は予想外だ。
















 馬鹿すぎて。

 いくらなんでも、ここまでもんの凄い反応をすると威嚇にはならない。脅かしすぎると幼児が泣き出すのと同じように、大人だって切れる。目の端で、ちらっと動いたように見せかけるから威嚇の効果があるのだ。いきなり最初から動いては、せっかくの素材も台無しである。動くなら動くで、できる限り相手を効果的に追いつめてから動くべきだ。まず、人間自身に悪い想像をさせなくては。木が動いてるのではなく、何か異様なものがいると言う風に。
 人間自身の疑心暗鬼によって遠ざけるようにしないと意味はない。弱いようで、人間という存在は思い切ったことをするものなのだ。

『おらぁ、見ただ。あの森にはなんかおるだ。がさがさって、誰もおらんはずなのに木が揺れ取った。きっと人とって食う魔物がおるだ』

 これなら、勝手に人間は恐ろしい魔物が居ると想像し、滅多なことでは近寄らないだろう。
 だが、今の森だと…。

『あそこの森の木、勝手に動きまわっとる。気持ち悪いけん、燃やすべ』


 こうなる可能性大。
 極寒の地に住む人間は極端に合理的で、ロマンを解するって部分が少ないからなぁ…。

 かえって人を近づけさせないどころか、こんな危ない森は消してしまえと、そっちの方向に考え出すに決まっている。現に彼女はそうやって消えていった、妖精の隠里をいくつか知っていた。
 今はユイを本気で害しようと思っているのかも知れないが、だがこれはあまりにも露骨すぎる。

(しっかり教育してたみたいね。…………でも0点。
 だいたいなによ、獣王って? それはあの人の昔の通り名じゃない。
 まったくあの子ったら…。シンジと一緒に世界征服する気なんじゃないでしょうね)

 あまりにもストレートすぎる木々の反応を前に、ユイは内心の苦悩を押し隠せない。木々の心の叫びもなんつーかしみじみと痛い。どーいう教育してたのやら。これはやることが色々と増えそうだ。

(ちょっとくらい、私の想像を超えたことをしてみなさいよ。それも困らせる方向でなく)

 この分だと、ユイが会いに来た少女は彼女の予想通りに育っていること間違い無し。たった3年顔を見なかった間に。


「やれやれだわ」

 心持ち肩を落とすと、ユイはほとほと疲れたようなため息をついた。いや、「ような」ではなく本当に疲れたため息だ。

 これから自分の使用としていることの困難さ、そしてその初っぱなでこの頭の悪すぎる対応…。
 あのころのユイに戻るに、充分すぎる理由だった。


パキン!

 顔に怒りの引きつりを浮かべたまま、ユイが無造作に左手の指を鳴らした。
 瞬間、指が向けられていた方向でダンシングフラワーのように踊り狂っていた木が幹の中程から真っ二つになった。
 見るとユイの手の平が金色に輝いている。
 魔法か何かだろうか?
 着ていたコートを脱ぎ捨て、ユイは強い眼差しで周囲を睨め付けた。

「遺失魔法の一つメガギラスウィングよ。
 大気を操り万物を切り裂く真空を生み出す。
 …私は呪文を唱えたり儀式を行うこともなく、ただ意識を集中して指を鳴らすことで使用することができるわ」


(な、なんですと〜〜!?)
(何が起こったの!? あの人が何かしたの!?)
(魔法が使われた気配はないじょ!)
(馬鹿な! となると、あいつは何らかの特殊能力を持っていると言うことなのか!?)

「…あんた達、人の話し聞いてる?」

 特殊能力か!? とか言って驚いてるけど、魔法だと言っておろうが。
 けっ、聞いちゃいねぇし。
 なぜかユイはやさぐれた。

 同胞の悲鳴と突然の自体にパニックに陥る木々。
 やはりユイの思ったとおり、この木々達、正確にはその背後にいる者達は今まで攻撃されたことがない。驚かせ慣れすぎてもいる。この程度のことで程度の差こそあれ、パニックに陥るとは…。

【ぐぅおおおっ!!】

 行動の早い者がぼんやりとしていた幹の顔を実体化させ、一口に呑み込んでやろうとユイの背後から襲いかかるが…。


パキン!

 後ろも見ぬまま、手を肩越しに向けてユイが再び指を鳴らす。
 蜂の羽音のような音が一瞬聞こえ、襲いかかった木は先ほどと同じように、幹の中程を両断され、樹液をまき散らしながら地面に横倒しとなった。しばらく動こうと身じろぎし、幹に浮かび上がった顔が呻いていたが、唐突に何の変哲もないただの木に戻った。ぶしゅぶしゅと樹液がまき散らされ、雪の上に醜いしみができる。

『きゃー! 怖い怖いよー!』

 倒れた木からするりと半透明の何かが姿をあらわし、大慌てで近くの茂みに飛び込んでいった。
 目端の利く者、博学な者ならそれが何か分かっただろう。
 小さな人間の体にトンボのような透き通った羽を持つ存在…。

 妖精

 それもいたずら好きで臆病と、二律背反した性格を持つピクシーだ。それも黒の森の守護者として名を馳せている12人で1チーム、1ダースピクシーズ。
 ユイはモチロンそれをしっかりと目撃していたが、すぐに目を逸らすと別の木に向かって指を鳴らした。
 殺戮が目的なわけではない。

 彼女は、ただ先に進みたいだけなのだ。いや、ちょっと教育的指導をしてやろうと思ってはいるが。
 そう。この森こそが、正確に言うならばこの森の奥こそがユイの目的地であった。

パキン!

【おおおおぉぉぉぉ…・】

 再び指が鳴らされ、虚ろな悲鳴をあげながら一本の木が中心から縦に切り裂かれていった。
 そのV字型に大きくなっていく裂け目からじっと森の奥を見通し、ユイはまるでいたずら者をしかる母親のように叫んだ。

「あなた達なんて、敵じゃないの。だからさっさと偉いさんを呼んできなさい!」


 ピクシーの一体がおののきながら、森の奥に向かってすっ飛んでいった。

(つ、強すぎる! YR様を!エントの戦士を呼んでこなければ!)































 ユイが極北でピクシー達にいささか派手な教育的指導を行っている頃。

 遙か南の地、人も入らぬ大密林地帯で蠢く怪しい影があった。蠢くといっても、密林に住む生物たちではない。もっと妖しげな何者かだ。
 怪しく、ねじくれた策謀に生きる恐るべき存在達。

 密林の中心近くに、巨大な岩城がある。その岩城の裂け目から内側に入り込むと…底も見えぬ大穴がある。
 その最深部にはいつ、誰が作ったのかも不明な石造りの巨大な宮殿があった。



「第三新東京市から、防人が消えました。いかがいたしましょう?」

 宮殿の中、最高に豪奢な飾り付けがなされたホールにて、数人の影がぼそぼそとこれ異常ないくらい陰気に会話をしている。

「消えただと?」
「…確かに今は星振が告げた時に近いが」
「だが、果たして」
「議長…如何に?」

 巨大な円卓に座るのは老人達。その数5名。
 ある者は異様な痩身、ある者は筋骨逞しい肉体を持つなど、なにかしら普通ではない雰囲気を持っていた。円卓では優劣という物は本来存在しないのだが、他の人間達とは明らかに持つ雰囲気が異なる老人がたずねた。

「使徒または……死んだのか?」

 小柄だが、異様に大きな存在感を持つ老人だった。きちんと詰め襟を閉じた深緑色のピッタリとした服を着ており、猫背であることも相まって、まるで身を屈めたやせ蛙みたいにも見える。それよりなにより、目を完全に隠したバイザーが怪しすぎた。夜道で遭いたくない人間の投票があったら、トップ3にはいることは間違いない。

「可能性はございます。しかし…」
「よい、話せ」

 報告していた影は逡巡していたが、バイザーを着けた老人に促されて言葉を続ける。

「はい。恐れながら私めの考えですが。
 あの魔人がそう容易く死ぬなどあることではありません。おそらく、単にあの地を離れただけと思われます。今までにも、あの地を短期間ながら離れたことはありますので」

「ふむ」

 報告をしている影…。そう、肉体のない透き通った人間のようにも見える影の言葉を聞き、5人は重々しく頷いた。頷きながらゆっくりと状況を吟味する。
 忠実なる影の言葉ではないが、あの女がいかに寿命が近いとは言えそう簡単に死ぬはずがない。絶対に、なにか迷惑な物を残してるに決まってるんだ。
 死ぬにしても、タダでは決して死なない。今夜のアジフライを賭けたって良い。
 なにがかしか置き土産は残している。と言うか寿命と言っても本当に死ぬ訳じゃない。単に力の寿命がくるだけだ。

「陽動…か? 我らをおびき出すための」

 非常に痩せた、鳥のような雰囲気を持った老人が忌々しそうに呟いた。鷲鼻からしゅうしゅうと息をもらし、忌々しげに鼻の根本に皺を寄せる。彼の言葉に数人が賛同する。

 中肉中背で髭をはやした男が頷きながらその言葉に賛同した。

「充分に有り得る。
 力の寿命が近いからこそ、少しでも我らの力をそぎたいのだろう」
「さよう。うかつに兵を向けるは無駄の極み」

 しかし、彼の言葉に反する意見もまた出た。
 机がビリビリと震える勢いで握り拳を叩きつけ、筋骨隆々とした男が言った。

「ぬぅん! 損害を恐れてどうする!
 あの女が居ないのもまた事実なのだ。アダムを奪取するのにこれ以上の好機はない!」
「むぅ…。だが罠だったときの損害は…。精鋭差し向ければ可能性はあるが、もしあの女と遭遇した場合、その損害は計り知れない」
「あの女は、いや、あの者は先の戦で我々の7人を倒したからな」
「だが我らの精鋭を全て差し向ければ」
「そしてあの女は殺せるが、街は破壊されアダムも失われるだろう。そして部下達も何人が生き残るか…。
 だいたい、結界が壊れてアレが起きたらどーすんだ」

 全員が一斉に黙り込んだ。
 アレが起きるのはさすがにマズイ。もの凄くマズイ。
 お互い、相手を倒す切り札を持ってはいるが使えば共倒れになることが目に見えている。ある意味、三竦みよりタチが悪いと言えた。7並べで言えば『誰だ、ハートの9止めてるのは!?』『そう言うてめぇもスペードの6とめてるじゃねぇか!』と言ったところだろう。
 そして事態を打開するために最も有効なカード、JOKERを持っているのは彼らの誰でもなく、ユイ自身なのだ。
 故に彼らは ─── ただ一人を除いて ─── 自分からカードを切るつもりは更々なかった。ただし、その1人も他が動かないのなら、彼も率先して動くつもりはないようだったが。
 だが、だからといって無為無策でいるのもつまらない。議長と呼ばれた老人のバイザーがギラリと赤く光った。

「…誰か良い考えないか?
 て言うか、なんか考えつけ」
「そんな都合良くあるわけねーだろ。
 わかんねーのかなぁ、このバイザー野郎は」
「て、てめぇ議長に向かってなんだ、その口の聞き方はっ!! どうせ俺は空を飛べんよ。だがそれで誰かに迷惑をかけたか!?」
「以前に議長の鈍足の所為で戦力の集中が遅れ、各個撃破されましたなぁ」


 にらみ合う、バイザーつけた老人と彼の隣に座っていた痩身の老人。慌てるのは影くらいで周囲は最初こそ、『おーやれやれ』と見せ物を囃すみたいに見ていたが、さすがに『うー』とか唸り出すに及んで大いに慌てた。
 今更ながら、喧嘩はやめれと周りの老人達が止めに入る。その際、このボケ老人が…と心の中で罵ったて誰にとがめられようか。

「ちょっとお互いに争ってどーすんです。2人とも落ち着いて」

 さすがにこれだけの人数にいさめられたら、2人の老人は共に矛を収めるしかない。納得できないのか、お互い睨み合いながらだが…、

「…ごほん。すまなかったな鳥野郎」

 バイザーをはめた老人…キールは迷うことなくキッパリとそう言った。殺る気満々だぜ!

「いえ、こちらこそすみませんでした変態バイザー、もといキール議長」

 痩身の老人も最初からわかっていたみたいにニコニコ笑いながら言い返す。仲直りする気全くなし。
 気まずい雰囲気が周囲を支配し、内部崩壊の危険に全員がそのまま押し黙り、無為に時間だけが過ぎていくかと思われたその時。




「その任務、私達にお任せを」
「なに奴!?」

 突然、闇の奥から聞こえてきた朗々たる言葉。
 老人達が、そして影さえもが驚きながらも声の聞こえた方に目を向けた。とか何とか言いつつ、カメラ目線。
 キールさん達、ノリノリである。
 天上近くで光が生まれ、スポットライトの如く一点を指ししめす。誰かしらんが照明係のいい仕事だ。
 そして光に照らされた3人の人間が、ポーズを決めつつ闇の中から姿をあらわした。

「…おまえ達は!」

 キール議長と呼ばれたことから老人達のリーダーらしき、バイザーをつけた老人が驚きの………そしてどこか頼もしい期待を込めた言葉を漏らした。同じく他の男達も、最良の一手を見つけた棋士のように笑みを浮かべながら3人を見る。
 これで面倒なことはしなくていいや。失敗してもあいつらの所為だし。



じゃなくて




 そうだ。我らの戦士はエンジェルズだけではない。
 彼が、彼女達が居る。
 おごるな、碇ユイ!
 我らの組織の陣容と恐ろしさ、その深みと大きさを思い知るがいい!


 青色の光が皮の鎧を着てその上から黒マントを羽織った、にやけ笑いを浮かべる男を照らし出した!

「ゼーレ特殊部隊隊長、不死身のリョウジ!」

 新たに赤色の光が、豊満な肉体を黒い上着に包み、その上からジャケットを着た女性を浮かび上がらせる。なぜか三日月の張りぼての前でポーズを決め、黒髪の彼女は高らかに宣言する。

「ゼーレ機動部隊隊長、月光牛のミサト!」

 そして3つ目の光が、白衣を着た美女の姿をライトアップさせた。

「ゼーレ頭脳集団アルケミスターズリーダー、黄金頭脳のリツコ!」

 そして3人の背後でドド──ンと空気を震わせる爆発が起こり、青、赤、黄色と3色の煙が吹き上がった。

 決まった。

 フッと伝説的なダンディばりにニヒルな笑みを浮かべながら、3人は悠然とキール達に歩み寄る。
 紙吹雪の舞い散る中、不死身のリョウジと呼ばれた男…加持リョウジが丁寧な、だがどこか飄々とした仕草で膝をつき、恭しく老人達に礼をした。他の2人もそれにならう。
 3人に満足げな目を向け、何度かうなずくとキールはとってつけたようににこやかな笑いを浮かべた。

「面を上げよ。我らが若き同志よ」

「「「はっ」」」

「話は聞いたな。ならば疾く、行け。行ってこれが碇ユイの罠かどうか見極めてくるのだ!
 そして隙あらばアダムを我らが手に!
 だが、街を壊すのだけはやめておけ。どれくらい街を壊したら、どれくらい人を害せば結界がなくなるのかわからないからな」

「「「ははっ!全ては我らゼーレのシナリオ通りに!」」」

シュンッ!

 かすかな風切り音が鳴り、先ほどまで人間が居たのが錯覚ででもあったかのように、3人の姿がその場からかき消えた。あとには誰もいない空間が残された。












 数秒後。
 くくっと喉を鳴らしながらキールは口元を歪めた。
 まこと、ゼーレの陣容の厚さは頼もしい限りだ。

「行ったようだな」

ゴトン

 キールの言葉と同時に、真っ黒に塗られた衝立が倒れ、その背後で退場しようとしていた加持達の姿があらわになった。消えたと思ったのは気のせいで、どうやらブラックライトで見えなくなっていた黒幕の後に隠れたってのが真相だ。
 つまり、今の彼らは楽屋をのぞかれた状態。顔を見られたアトラクショーの中の人。

 気まずい。試着室に人が入っていると気がつかず、開けてしまったとき並に気まずい。
 キールも格好つけて言った直後にこれだから立場無し。周囲から集まる視線がマジに痛い。

 まったく恥をかかせおって。

 それは加持達も同様なようだ。

「ば、馬鹿! 葛城なにやってるんだ! せっかく決めたと思ったのに!」
「なによ、私が全部悪いって言うの!? あんたがちんたらしてたから、私つまづいたんじゃない!」
「いいからさっさと行くわよ! あ、議長お気になさらずに…」

 シュンッ!

 再び風切り音が鳴り、逃げるように3人の姿がその場からかき消えた。失敗するだろうなぁと思わせる、ダメな雰囲気を残して。
「議長…」
「何も言うな、頼むから」

 ちょっと涙がにじんだ。

















「今度こそ行ったか?」

 数分後、いくらなんでも居ないよな? と注意深く周囲を見回した後、キールはどうにかこうにか呟いた。でも念のため更に1分様子を見る…。よし、大丈夫だ。
 調子を取り戻したのか、心底楽しそうに背中を椅子に預け、くっくっくと陰険そうな笑いを浮かべる。いや、実際陰険なんだろうが。
 概ね他の老人達も影もそれに習うが、一人……今まで気がつかなかったが、一筋の光すら射さぬ闇の中から、正体不明の人物の声が聞こえた。通常ならスポットライトなりなんなりが当たって、正体が明らかになるところなのだが、今回は声だけらしい。
 闇の中から、どこかふわふわとして捕らえどころのない声が聞こえた。その柔らかい音質からは、男なのか女なのか、年寄りなのか若いのか判然としない。声も謎だらけというわけである。

「しかし、キール議長」
「なにかね?」

 バイザーから謎の機械音をさせ、キールは笑みを崩さぬまま闇の奥の質問者に向き直る。

「彼らは信用に値するのかい?
 確かに今まで実行部隊として数多の貢献をしてるけど、それは全部碇ユイとは無関係のことでだよ。
 かつて彼女の弟子でもあった彼らだ。そう考えると、彼らには余り信をおけないね。つまり、裏切るかも知れないってことさ」

 詳しいことはよくわからないが、加持達3人はユイと知りあいであるらしい。それも兄弟弟子の間柄のようだ。またユイに関して謎が深まるが、それはともかく尤もな懸念であろう。
 しかし、キールは肩を大仰にすくめると、鼻で笑って言った。

「あ奴らは裏切らんよ。すくなくとも奴らのリーダー加持は裏切れんのだよ。
 …くっくっく、肉親の墳墓を見つけるだけの力を持っているのは我らゼーレだけだからな。あのシスコンめ、利用されてるだけとも知らず。家族思いで誠に結構なことだ。加持が裏切らなければ必然的に葛城も裏切らず、そして赤木もなんだかんだ言ってつき合いが良いから裏ぎらん。
 それに裏切ったところで、所詮は消耗品。始末は簡単。それに…」
「それに?」
「遊ばせておくわけにもいくまい。つかわにゃ損だ」

 悪意に満ちた意志が室内に広がり、暗黒の貴人達の目が星のように光る。
 キールはにぃっと口をゆがめ、長く伸びた犬歯を剥き出しにして嬉しそうに笑った。質問者(正体バレバレ)は一応納得したのかそれで黙ったが、物憂げなため息をつくとまだ見ぬ出会いを夢想するように目を閉じた。
 今はまだ出番ではないと言うことか。
 わずかに目の端に剣呑の光を浮かべた後、謎の人物は一言呟いた。

「そう上手くいくと良いけどねぇ。はあ、退屈だよ…」

























 ビュンッ! ドカン!

 轟音と共に岩が粉々に砕け散った。

「ったく、偉いのが出たと思ったらこいつも私のこと知らないなんて!」

 自分の頭をかすめていったトゲだらけの蔦に肝を冷やし、雪のように降り注ぎ髪の隙間にはいる岩の破片に顔をしかめながら、ユイは軽口を叩いた。もっとも、軽口を叩きながら飛んで跳ねて、まわってまわって触手をかわしながらなので、口調はともかく全然軽口には思えないが。

 ビュオッ!

 再び蔦が一直線に飛んでくる。
 飛んできた蔦をその場から動かずに上半身だけを仰け反らせてかわすと、ユイは忌々しげに視線を蔦の主に向けた。

【ぉおおおおっ!】

 巨大な、身の丈6mはありそうな、木に似た人がそこにいた。
 直径が1.5mはありそうな胴体から、関節と言ったものが感じられない真っ直ぐな手と足が一対ずつ生え、髪、髭のような苔が人間の頭部らしき部分を飾っている。よく見れば顔部分には目や鼻、口のような窪みまで見えた。
 彼こそはとてもゆっくりと動き、日がな一日寝て過ごすか木々と語らって日を送るというドラゴンと並ぶ古代種族。

 樫の木モッ(略)ではなく、森の守護者エント。

 ただし、今彼女の目の前にいるエントは普通知られるエントと異なり、全身にまるで服でも纏っているかのように茨の蔦を絡みつかせていた。
 故あって魔法や魔法生物に詳しいユイにはその理由にだいたい見当がついた。恐らく生まれ付きの特異体質か何かで、『茨の鎧』を生まれながらに身に纏っているのだろう。

 先ほどからユイの周囲で破壊行為を繰り返しているのは、振り回される茨の蔦だったのだ。ただし、普通の蔦でないことは改めて言うまでもない。鋼鉄の強度と蔦植物の柔軟さを併せ持つ。決して容易に事が片づく相手ではない。

(…殺すわけにも行かないのよね〜)

 しかしユイは結構のんきそうに見えた。少し困っている程度で、妙な余裕を感じる。
 手に込めた魔力で蔦をはじき、ユイはひた走った。
 予定ではこの場に出てきた偉い魔物は彼女の顔を知っているはずなのに。

(知らないと来た…。まったくもってイヤーンな感じね)




【行かせない。約束したから。姫の元に行かせない】

 どこかゆっくりとした間延びした声でそう言いながら、エントの戦士YRは蔦を振り回した。蔦をぶんぶんと振り回しながらも、内心の焦りを隠しようもないくらいに動揺していた。
 自分の攻撃をかわされている。それも一見ギリギリに見えるが、その実完全に見極められて。かすり傷一つつけられないとは!
 そしてもう一つの理由は、今自分が戦っている相手は、本当なら自分が相手になるはずのない、身震いするほどの強さを秘めた存在だという事にだ。

(こいつ、強いのに。強いのに、なぜ戦わない?)

 銀雪を踏み荒らし、再度ふるった茨の鞭も風のようにかわされる。そのすれ違いざまに自分を焦げ期できるはずなのに。
 そう、ユイが防戦一方で戦わないことも彼の心に大きな焦りを生み出していた。
 ゆっくりとしたペースで生きる樹妖の彼でも、それが彼女が自分達を傷つける気がないという気持ちの現れであることはすぐにわかった。
 ならば攻撃を止めて落ち着いて話し合い、彼女に目的を聞くべきだったのだが、初めての実戦で浮き足立ってしまった彼はその手段を完全に失念してしまっていた。

(もうすぐ光線眼のケロニアの領域。そこに行くまでに倒さないと、俺は無能になってしまう)

 不幸なことに樹妖としては珍しいライバル意識を持ったことも、この混乱に拍車をかけていると言えよう。
 そして…もっと不幸なことにユイもそろそろキれそうだった。

 プチ

 って、言ったそばから切れてるし。





【うおおおおっ! 必殺、ポイズンアイピィ!】


 焦りからか、ユイの怒りを感じてしまったのか震えを帯びた声でYRが叫んだ瞬間、見るだに痛そうなトゲだらけの蔦がのたうち、地面に、木々の間に飛び込んでいった。自分ではなく、周囲の空間に蔦を伸ばしたことにユイは怪訝に思ったがすぐにその理由は判明した。
 刹那空気を誇張でなく引き裂きながら、全ての蔦はユイに向かって四方八方から襲いかかった。ひとかすりで人間を痺れさせる即効性の麻痺毒を含んだ蔦は、それぞれが意志を持っているかのように蠢く。上から、地面を割って下から、右から左から斜めから。

「甘い!」

 それをユイは軽やかにかわした。
 白銀の大地で踊っているかのように。
 先の戦いでシンジの見せた動きも素晴らしかったが、それを上回る素晴らしい動きだった。

 一瞬、YRは見とれた。

【…はっ!】

 人間めいた動きで首を振り、意識を改めて集中させる。
 主君以外の人間に心を奪われたことが信じられなかった。
 内心感嘆半分、舌打ち半分だったがYRはすぐさま次の行動に移った。
 実のところ今までの戦いから、さっきの技がかわされるのは分かっていた。必殺技だったんだけどもね。畜生、自信無くすなぁ。
 それはともかく本当の目的は彼女を、目的の場所に誘導することだ。
 そして彼女は狙い通り、その場所に来た。


【もらったぁっ!】


 樹妖にできる限りの大声を上げながらYRは意識を集中させた。ユイの移動した空間の周囲に生えていた木々が、一斉に内側から震えるようにざわめく。枝や根が人の手のように動き、ユイの周囲を取り囲む。YRの力ある言葉を聞き、一時的に動く能力を得たのだ。その命令とはもちろん『ユイを引き裂け』だ!
 前、後ろ、左、右、上、下、さらには斜め方向からも一部の隙間なく一斉に木々が襲いかかった。

 さしものユイもこれにはとっさにどう行動するか判断が付かなかったのか、その場に立ちつくしてしまう。

(あら、どっちに行こうかしら?)

【うおおおおっ!】

 一瞬の迷いが命取りになった。
 蔦が、木の枝が、根が、獲物を包み込む蛸の足のようにユイの周囲を取り巻き、巨大な球形の檻状になった。
 これまでの技を全てかわされ、疲労の色の濃かったYRの顔がほんの僅かに動く。人間なら会心の笑みを浮かべたところなのだろう。

 全身を流れる熱い樹液を奮い立たせ、YRの全身を覆っていた茨が一斉にその枝を広げ、翼のような形状を取った。引きむしられた茨の部分から樹液が吹き出るが彼は委細構わない。
 逆流する魔力の負荷に懸命に耐えながらも、YRは命を削る最大奥義を発動させた。この身も危ういが、チャンスはここにしかない!


【最大奥義、タングル・ツィード!】

 瞬間、檻状だった茨の蔦の太さが数倍に膨れ上がり、トゲが太くなり、なおかつ表面が見えないほど無数にとげが生えた。そのまま蔦はまるでミキサーのように回転しながら、その半径を小さくしていく。

 トゲの一本一本が鉄に匹敵する固さを持ち、回転速度は最大3000rpmに達する樹霊の奥義!
 まともに喰らえば肉片1つ残らぬ死、あるのみ!

 普通なら、たとえ相手が異常な再生能力を持つトロールであっても再生不可能なくらいに切り刻まれる殺し技だ。如何にトロールでもミンチにされれば元に戻ることは不可能!
 だが…。

「そう来る…覚悟しなさいよ」

 蔦の嵐に呑み込まれても強気の態度を崩さず、銀の刃のようにYRを睨み付ける謎の主婦こと『碇ユイ』は普通じゃなかった。姿が消える瞬間、彼女の口の端は僅かに持ち上がり、不敵な笑みを浮かべた。

(わらった? 馬鹿な、恐怖で狂ったからだ。…そうに決まっている。
 そうであってくれ。お願いします)

 見たくなかったがそれをまともに目撃してしまったYRは、わけのわからない恐怖に震えていた。普通なら恐怖を覚える必要など無いのに。なぜ、震えるのだろう。もう蔦の檻は直径1mほどに縮み、どう考えても中のユイはミンチになったとしか思えない状態になっているのに。


(なぜ?)


 答えはすぐに出た。

 ギシッ。

 強引に力で何かをこじ開けるような鈍い軋み音が聞こえた。出るはずのない汗が、YRのこめかみに流れたような錯覚が起こる。

 そうこうしている間に、内に向かって閉じようとしている蔦の動きが止まり、ブルブルと震え始めた。


(まさか…)

 内側からくわえられる力で、茨の檻が破壊されようとしているのだ。

 その事実に、YRは信じがたい恐怖を感じた。全身の痛みよりも恐怖の方が強い。ドラゴンであっても、これを喰らえば相当な痛手を被るというのに。なのに普通の人間としか思えないユイが、それを内から破壊しようとしている。恐らく無傷で。
 信じられない。信じられるはずがない。
 彼の思いを踏みにじるように、檻の一部が内側の圧力に負けて張り裂けた。

(まさか…)

 その事実は、今頃になって一つの記録を彼の記憶媒体から引っぱり出していた。
 彼と彼の同僚達がこの森の警備をする以前、この森を守っていた樹妖…つまりは前任者の言葉を。


【ほんわかした雰囲気の人間の女性、髪は薄茶色を帯びた黒。
 いつもいたずらっぽい笑みを浮かべていて、異常に高い魔力を持った女が来たら、手出しせずすぐにジュラン殿に伝えること】


 そして見せられた細部まで詳しい人相書き。

 しかしながら樹妖である彼には人間の顔なんてどれも同じに思えた。
 つーか一緒じゃないの!? 目の数2個で、鼻と口が1個ずつでさ!?

 異種族、それも動物と植物間のコミュニケーションの難しさをかいま見た気がする。
 だからこそ、彼は今まで完全に忘れていた。

【攻撃されると、笑いながら絶対究極破壊呪文を唱える人だ】

 前任者の、冗談でしょ?
 と誰もが思わずにいられない言葉を。
 全てを…ようやく、今頃になって思い出す。
 もう壊れると自己主張する檻の中から「うっふっふっふ」というお茶でも飲みながらの談笑みたいな笑いが聞こえてきた。
 直訳すると『暖炉の薪にしてやるわ』といったところだろうか。

【ま、まさか貴様は、いやあなた様はぁッ!?】
「今頃わかってもおっそい。あんた今本気で私殺すつもりだったでしょ?」

 そして轟音と共に茨の檻は崩壊した。
 まき散らされる残骸の中から、傷一つないユイが飛び出る。
 全身を光り輝かせ、その背中に一対の…。

 その姿を目撃した瞬間、YRは完全に理解した。
 決して喧嘩を売っては行けない相手に喧嘩を売ってしまったことを。
 そして前任者の樹妖『ビッグアイ』の言葉が誇張ではなかったことを。

【言ってもわからんと思うけどな。ま、俺も経験したことだし、おまえらも一度痛い目見ろや。ごっつきついけど。
 んで、お前ら経験したらこう言うだろうよ。『でもユイさんと飛行機だけは勘弁なっ!』って】

 目前にはこめかみに青筋を浮かべながらにこやかな笑みのユイ。
 まさに魂のルフラン。

(ビッグアイ先輩、あなたの言ったことは間違いです。テキはもっとトンでもないお人でした。いえ、人じゃないです。もっと的確な警告をして欲しかったです。郷の母上、私は明日の朝日を拝めないかも知れません)


 ユイの腕がYRの頭を掴む寸前。

【待てぃ!】×5

 その時、ユイを取り囲むように複数の影が現れた。
 ユイの目が素早く動き、最初の影の正体を見定めた。一番近くに現れた存在をじっと観察する。みずみずしい水を滴らせんばかりの体高2mほどの苔の塊。それが人型を形作り、蠢いていた。頭に当たる部分で2つの光が瞬いているが、それが目なのだろうか。
 ぶるぶると微かに体を揺らしながら、苔の塊……苔人間が叫んだ。

【どうしたYR!? 敵か、敵だな!?
 よし、この光線眼のケロニアに任せておけ! 必殺、目からビー…】

 両腕を胸の前で交差させ、

「ぃやかましい」

 口上途中の苔人間ケロニアに、振り向きもせずユイは空気の弾丸をぶちかます。話聞く気無し。

【あふん!】

 周囲に水と子葉をまき散らし、きてれつな悲鳴をあげてケロニアは一発で轟沈した。哀愁の苔人間の儚い最後(の出番)だった。

【何しに出てきたんだおまえは!?
 ってグリーン、待て!】
【ブシュシュ───ッ!(おのれ、侵入者。姫様の所には)】

 叫ぶYRの右手から新たな樹妖の毬藻団子、もとい緑の悪魔こと巨大食人植物『グリーンモンス』が現れ、ユイに向かって毒液をふきかけた。それも回避できないように限界まで体内に溜め込み、投網が広がるように吐き出す。まともに浴びれば全身を爛れさせる死が待ち受けている猛毒液だ。

「いい加減にしとかないと、温厚な私も本気で怒るわよ!」

 温厚というのは嘘だろう。

(…それで温厚なら、オーガは菜食主義者の集まりだ)

 こめかみの血管を浮かび上がらせたユイの振りかざした指先から、唐突に紫色の放電が走った。雷光はグリーンモンスの毒液を蒸発させながら、導体である毒液を伝ってそのままグリーンモンスに命中した。グリーンモンスの全身を向こう側が透けそうな勢いで痺れさせ、周囲に香ばしい匂いが立ちこめる。もちろん毒液は途中で蒸発だ。

【U子さーん!】

 またまた謎の叫びをあげて、焼き芋みたいに煙を上げながら倒れ伏す樹妖。
 しかしめげずに他の樹妖達、通称6大樹天の残り、悪魔の果物『ケンドロス』、蔦魔獣『バサラ』、人食い花『アストロモンス』が襲いかかった。

 牙が、蔦が、棘があるいは捕食口が一斉にユイを襲う。

「ええーい、鬱陶しい!」

 もういい加減にして。と言わんばかりに、ユイのこめかみが引きつった。今までは知りあいの部下故に手加減をしていたが…、もう手心を加えるのは止めてやる!
 見知らぬ明日に旅立つがいい!!

 怒りのあまりぴくぴくと小刻みに震えていたユイの背中から、ぱっと無数の光がほとばしった。情け無用、容赦なし。
 これぞユイ必殺の!!

「ゴォッドウイングッ!!」でも殺すとまずいので手加減


『ぎゃっ!』『ぐえっ!』『マンマミーア!』

 木々の天蓋を貫き、光の柱がそびえ立った。




 以下省略。

 ぷすぷすと全身から煙を立ち上らせながら、ユイの周囲に倒れ伏す六体の樹妖達。
 表面は思いっきり焦げているが、中まで焦げているわけではないので、かろうじて生きているという状態だろう。たぶん。

 なんにしろ、これで人間の顔を覚えるのが苦手な樹妖達6体も、ばっちりメモリーにユイの顔を記録できたこと間違いなし。覚えてないとか言ったら、明日の朝日は確実に見られない。て言うかいま生きてるか?

 で、事の張本人のユイは程良く焼けたケンドロスの体の一部をむしり取りながらそれを口に運んでいた。ちょっとお腹減ったの。食欲の秋、食欲の秋。
 もぎ取る側から「ああぅ、やめてぇ!」とかケンドロスは悲鳴をあげているがユイはもちろん、周囲の樹妖達も無視だ。あ、生きてた。

 曰く、巻き添えはゴメンだ。


 余談だがケンドロスという樹妖は、メロンから手足とトカゲのような頭が生えたような形状をしており、その本体部分は芋などに質感、味が似ている。格別美味しいわけではないが、珍しいことと採取に命の危険があることもあってグルメの間では最高の贅沢食材として知られている。また一部好事家の間ではペットにされているとかいった噂まであったりする。
 もっとも、実が熟してない子供のケンドロスが相手でもかなり命がけの食材ではある。だからこその最高の贅沢食品なのだ。

「生焼けねぇ。というより、こいつやっと実が熟した程度のガキじゃない。精々樹齢100年と言ったところかしら?」

 文句を言いながらも、もぎ取った部分を全部食べてしまう。
 げふっとはしたなくゲップしたあと、ぺっと口に残った種を吐き出す。その光景を目の当たりにし、ケンドロスは足の間の頭を雪…は溶けてしまってるから土に埋め、静かに滝のような涙を流し続けた。

「食べられちゃった…。どうしよう、私食べられちゃった…。
 マシュロンさん、私食べられちゃったよぉ。そして種を捨てられちゃった」

 ユイの足下でどっかの誰かに似たようなことを言いながら、ケンドロスはひっくひっくとしゃくり上げた。
 種があるし…、どうも女の子…だったらしい。

 が、基本的に人間(エルフとか含む)の女の子以外には優しくないユイさんは綺麗にそれを無視すると、キッとした眼差しを空に向けた。さすがにちょっとは罪悪感にかられたので、早いところ元凶と話を付けたいのだ。

「ちょっとー、いい加減私に気がついてるんでしょー? ジュランさん、はやく道を開けてよー」

 すぅと胸一杯に息を吸い込むと、両手で口の左右を挟んで山の頂で出すような大声で何ごとかを叫んだ。
 待つこと数秒───。

『ほっほっほ、さすがはユイ様。そのお力いささかも衰えてないようで…』
「だからって新米の教育に私を利用しないでよねー」
『若い者は口で言ってもわからんですからのぅ。一度痛い目を見せるのが一番でして…』

 周囲に好々爺といった感じの声が響き、同時に紙が濡れてシミが浮かびだしてくるようにゆっくりと、青空の中に巨大な影が姿をあらわした。樹妖達が一斉に体を小さくし、見知っているはずのユイですら、ほうっとため息をつくような巨体が見えた。

 極彩色の花部分の直径だけで、1kmを越すだろうか?
 ならばそれを支える根の部分や、茎の長さはいかほどだろう?
 当人も覚えていないほどの長い年月を生きる、最古の樹妖一族。

 マンモスフラワー『ジュラン』
 それが彼の名前だ。
 北の王国ハーリーフォックスを囲む黒の森、そこを守護する樹妖達の長老であり、同時に王国の王女の代々の教育係を務める樹妖だ。人間で言えばセバスとかそういうのに当たるヒト。
 そしてハーリーフォックスと人間の世界を結ぶ門の役割を持つ大樹妖でもある。
 もっともいい加減年を取りすぎて、本体はボロボロ、記憶は時々いい加減になるお茶目なじい様だったりするけど。そこら辺も含めてご愛敬と言うことでユイは彼のことが嫌いではない。


『ともかく良くいらっしゃいました。姫様には既に伝えてあります。銀の間にてお待ちとのことです。お急ぎを…』

 空間に開いた虚無の穴にゆっくりと近づきながら、ユイは心の中でけして小さくないため息をついた。
 遂にこの時が来た。
 レイに対面をする時が。
 彼女の娘と言っても良い、あのおちゃめな少女と…。

(ううん、弱気になっちゃ駄目よ。レイを言いくるめられなくてどうやってキョウコを、もといあの子を言いくるめるってのよ。
 昔のキョウコみたいに火球で吹っ飛ばした後、ご飯おごるですむわけ絶対ないし。
 うう〜んガンバ、ユイ!)



 ユイがゲートをくぐると同時に、門は消え、同じくジュランの姿もかき消すようになくなった。ユイと一緒に、向こうの世界に行ったのだろう。

【忘れてるよ、俺達のこと】
【ビオランテの兄ぃ、まだ俺達はあなたの根元にも及びませぬ…】


 まだくすぶる体を地面に横たえたまま、YR達はなんともやるせない言葉を漏らすと、ゆっくりと意識を失っていった。目を覚ましたらきっとジュランからお説教されるんだろうなぁとブルーになりながら…。























「行くぞ、第三新東京市へ!」

 密林を見下ろす巨大な岩山。その頂上で加持が指笛を吹いた瞬間、もの凄い風を巻き起こしながら巨大な翼が舞い上がった。
 その畏怖を感じずに入られない巨体の背中に飛び乗り、台風のような風で乱れる髪の毛を押さえながら加持はニヤリと笑う。今の俺、輝いてるぜ!

「ロック鳥の翼なら、1時間もあればたどり着く。
 お〜い、葛城ぃ」



 轟々と風を巻いて飛ぶロック鳥の遙か下、ジャングルのど真ん中を駆け抜けていく一陣の風。まあ、風と言うには少しばかり地響きがもの凄いが。
 地響きと土煙の先頭から加持の呼びかけに答えるっつーか、怒鳴り返すようにでっかい声が聞こえてきた。

「うっさいわね! 一人だけんなもんに乗って楽してんじゃないわよ!
 しかもなによそれ! さっきから臭い変なもんが降ってきてやりきれないわ!」
「あ〜、これか。仕方ないだろ。ロック鳥のゾンビなんだから」
「ってことはこれ腐肉じゃない!
 ちょっと冗談じゃないわ。汚いもんまき散らすんじゃないわよ! 降りてきなさい!」
「おいおい、勘弁してくれよ。ロック鳥みたくでかいのが簡単に着陸できるわけないだろ?
 それより、おまえこそ本気で走っていく気か? 乗せてくぞ。あとでお前に乗せてくれるなら」
「あ、あんた何を言ってるのよ!?」
「へいへい。冗談ですよ。
 まあおまえの足なら簡単なんだろうけど」

 横で聞いていたらなんだかなぁ…という感じの、犬も食わない口喧嘩にしか聞こえなかったが、2人が言っていたことが事実だとするとこれは相当に凄いことだ。
 普通、ロック鳥のように巨大なものをゾンビにすることはできない。ゾンビにするだけの巨大な地霊を操るのは極めて困難なのだ。一時的に死した肉体を活性化させる手間暇を考えても相当に大変な作業である。
 …それができる者は普通、もっと効率の良い手段を選ぶ。だが、敢えて加持という男は見てくれを選んだ。
 そしてミサトの走っていく云々も相当に凄い。
 距離の問題だけでなく、途中の道は山あり谷あり砂漠に湖、河、火山と地理の教科書オンパレードなのだ。それを走っていくと言うことは…。
 2人ともただ者ではない。


 そして2人以上に非常識な存在が彼らの頭上を飛んでいく。

「うっふふふふ、二人とも無駄なことにエネルギーを使って」

 金髪に白衣のマッドサイエンティストが、くるくる回転する金属製の亀に乗って空を飛んでいた。もう呆れてなにも言えない。言いたくない。誰かこいつを止めて。

「2人とも、お先に………うぉえええええぇぇぇぇぇ!」


マジで誰か止めて


「「乗り物弱いのにあんなの乗るから…」」

 格好つけたそばから、空中にキラキラした物をまき散らす友人の姿に、なんとなく任務の先行きが想像できていきなり憂鬱になる2人だった。











 数時間後。

「ちょっとリツコ、まだだめ?」
「………ありがと、もう大分良くなったわ。ううっ…」
「だぁぁ、俺の背中の上で吐かないでくれぇ!」

 第三新東京市から南へ数キロ…。
 砂漠にうずくまるリツコの背中をミサトが少しぶっきらぼうに撫でさすり、その横で加持がうずくまって頭を抱えているという、なにがあったのか実に興味わく光景があった。 砂漠の中で人間が何をするでなく3人いること自体珍しいのだが、よくよく見れば3人の格好はそれにまた輪を掛けてかわっていた。

 加持は黒い材質不明の鎧を身に纏い、その上から全身を覆うこれまた材質不明の『黒色』のマントを羽織っており、砂漠の男らしからぬ長髪を後ろで無造作にまとめていた。顔がうんざりしているのは、暑いからではたぶん無いだろう。
 ミサトは黒髪を太陽に輝かせながら、その魅惑的に成熟した体を少しきつめの服で包んでいた。太股やふくらはぎが丸出し…ただしくはストッキングをつけ、膝上15センチほどの赤いミニスカートをはき、黒いぴったりしたシャツを着た上から、赤いジャケットをボタンを留めずに羽織っている。加持と同じく、砂漠でするような格好では絶対にない。見てる分には嬉しいけど。
 最後に、白衣を纏った金髪の女…リツコ。
 白衣なのだから他よりはマシかも知れないが、よくよく見れば白衣の下は、ミサトに負けないくらいにピチピチとした水色の上着と、タイトな黒のミニスカートだ。水着でないのは非常に残念と言って良い。くどいようだが、絶対に砂漠を歩く人間がして良い格好ではない。

 その格好を見たら誰しもが言うだろう。


暑かったからなぁ…。




「まったく、昨日みんなと一緒に花見で酒飲み狂ったばっかりだってのに、あんなメカガメラなんかに乗るからよ。それも意地張って最初から最後まで乗りっぱなしで」
「だって、途中で降りたら負けを認めたみたいな気分になりそうだったんだもの。科学者として、私は負けるわけには行かないのよ!」
「別にメカガメラ耐久レースやってんじゃないんだから、負けもクソもないでしょ」
「分かってないわね、ミサト。ガメラの回転ジェットで空を飛ぶのは科学者の夢なのよ」
「じゃあ、本物に乗ればいちいちこんなの作る手間かからないでしょーが!」
「怖いもん」


 リツコの科学者…というより人間としてダメな返答にミサトはめまいを覚える。
 そもそも冗談ではなく本当にいるのか、ガメラは? そもそもガメラって何?

(そう言えばここ最近とみに暑かったからなぁ…)

 思わず空を仰ぎながら、ミサトはここ最近のことを思い返した。
 彼女達の上司であり、同時に組織のトップのキールが暑いからと、水風呂に入ろうとして風呂場で転んで頭を打って入院したことに始まり、冷蔵庫が壊れ、食料の保存が利かなくなったので大慌ての修理作業があった。原因不明で皆が困り果てた頃、冷蔵庫を管理していた雪乙女を加持がナンパしてどっかにしけこんだことが原因と分かって、あの後凄いことになった。…ふっ、私の拳、一生分の血を吸った気がするわ。
 そしてリツコの所に母親から手紙が届き、それを読んだリツコが雷を呼びながら叫び狂ったりもした。一体何が書いてあったのだろう?

(世界を支配した秘密結社、ゼーレ…。すでに過去の栄光と言うことか)

 ふと大企業の安定性という言葉が儚く感じられ、ミサトは寂しそうに東に目を向けた。
 意味はない。

「なぁ、そろそろ仕掛けないか。リッちゃんもいい加減大丈夫だろ?」

 いい加減待ち疲れたのか、それとも暑さにうんざりしたのか加持があまりにも重苦しいため息をつきながら2人の方を見た。キールの爺さん達と言い、どうしてちょっと気を抜くとこいつらギャグモードになるんだと疑問に感じながら。そう言う当人もすぐにギャグモードになることはいっぱいある心の棚の中だ。

「分かったわ加持君。で、どうするの?」

 まだ青い顔をしていたが、リツコが口をハンカチで拭いながら頷いた。ミサトもちょっとだけを目を真剣にして、街の城壁を見つめる。

「そうだな、俺が50体のレッドスケルトンを召還する。
 葛城の命令を聞くようにしておくから、葛城はそいつらを連れて正面から特攻。城壁を葛城が壊したところに、スケルトンをなだれ込ませ、衛兵が集中したところでリッちゃんがカプセルモンスターを呼び出す。
 で、大混乱を引き起こした後、俺達は街の中にある魔力特異点を調べる…でいいかな?」
「いいんじゃない? 私が特攻というのが解せないけど、引き際を間違えなければユイさんがいても抗戦することはないでしょうしね」

 裏を返せば、ユイが居たら逃げますと言いながらミサトは加持の意見に賛同した。

「リッちゃん、君は?」
「今持ってるカプセルモンスターは風の魔法騎士だけ…ね」

 手の中でなにやら金属製の筒を玩び、これまたユイが居たら真っ先に逃げるからと言に伏せながらリツコは言った。

「大丈夫だろ? 別にこれでアダムを手に入れられなくても良いんだ。あくまであの人がいるかどうかの確認が俺達の任務なんだからな。下手に長時間暴れさせて、風の魔法騎士を失うことになるよりは良いだろう」
「そうね、それでいきましょう」

 街を壊すなというキールの言葉は頭から無視だ。
 元々いたくている組織ではない。少しキールを困らせてやれくらい平気で考える。
 利害が一致したことを確認し、3人は顔を見合わせると軽く一回頷いた。それでもう充分だった。
 3人は長い長いつき合いだ。言葉にしなくとも、思いが通じるくらいにお互いの気心は知れている。特に加持とミサトなんかは、2人っきりのとき真面目な雰囲気で見つめ合ったりなんかすると、お子さまの視聴お断りになるくらいに。ちょっと具体的に書くと、ピンク色のオーラを放って、2人とも互いに名前で呼び合うとかそんなの。

「…葛城」
「ああん、名前で呼んで」

 って感じ。

 ともかく、3人の目はハッキリと語っていた。
 おふざけは終わり。
 狩りの時間だ。


 リツコは白衣のポケットの中に手を突っ込み、ポケットの中の亜空間から最も適当な薬剤を選び、それを合成していく。そして加持が目を赤く輝かせながら、地の底から響くような陰々滅々とした声で呪文を唱え始めた。
 突然風が吹き、加持のマントをはためかせて唸り声のような音をたてる。

「怨念と血にまみれた地獄の亡者よ、死霊皇帝加持の名において命ず。ここに偽りの体あたえん。出よ、夜の子供達!(チルドレン・オブ・ザ・ナイト)」

『アアアアア───ッ』

 ギチギチ

 怨念の叫び声をあげながら、突然砂中から人間の頭蓋骨が飛び出した。それも一つではない、2つ、3つ…とにかくたくさん。3人の眼前に、砂の中から赤色の人骨が無数に生えだしていく正気を失いかねない光景が展開され、ミサトとリツコが「うわっ、きしょ!」と言いながら三歩ばかり後ろに下がった。考えてみれば、ネクロマンサーって凄い根暗な職業だな。
 たちまちのうちに、50体のレッドスケルトンが姿をあらわし、完璧に揃った動きで加持の前で5列縦隊を組む。きしょ!という視線が自分にも向けられてるようで、何とも複雑な気分だ。

「葛城、こいつらは君の命令を簡単なことなら聞くようにした。能力も通常のスケルトンの5倍はある。上手く使ってくれ」
「別にいらないと思うけど、私一人だとやりすぎちゃうかもしれないし……。ちょうど良いかもね♪」

 いや、間違いなくやりすぎるよあんたわ。
 という視線を無視してミサトはそう言った。



「いざ、第三新東京市へ!」

 リツコの周囲を取り巻く一時的に透明になる霧の中に身をひそめながら、3人と50体のスケルトンはゆっくりと第三新東京市に向かって歩を進めていった。

 戦いが始まる………!!



続く






初出2002/03/31 更新2004/09/08

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