Monster! Monster!

第11話『ソフトでハードな物語』

かいた人:しあえが










「決めた」
「「へ?」」

 レイは衝撃的なユイの言葉に虚ろにしていた目に、ある決意を秘めて冷たく言い放った。いきなりの言葉に、ユイとリナは間抜けな声を漏らす。
 彼女の覚悟を示すように、髪の毛一本一本まで魔力を帯びてうっすらと怪しく光る。目は先ほどまで身も世もなく泣いていたためか、よりいっそう赤くなり、肉食獣にも似た美しさと、根元的な恐ろしさをいや増していた。その恐ろしさは、側で心配そうに見守っていたリナが思わずたじろぐほど。ユイをしてたじろがせるほどだ。

「お、お姉ちゃん?」
「レイ?」

 リナ、ユイ共に声を掛けるが無言をもってレイは答える。ただギラギラと光る刃のような視線を向けるのみ。
 レイにとって、たった一人の肉親であるリナの心配半分、恐怖半分の言葉だがレイは無視した。煩わしいとでも言うように、鋼のような冷たさを保ったまますっくと立ち上がると、またたきもせず扉を、それからユイを、最後に鎧戸を閉められた窓を見つめた。そのかっと見開かれた目からは白目がなくなり、全てが深紅に染まって切り抜いたように漆黒の瞳が中心で爛々と輝いていた。今の彼女を見て、人間と思う者は…いない。
 彼女が本気で怒っている証だ。その怒りが向けられている先は…許嫁をうばったマユミに相違ない。
 背筋が凍る恐ろしさ、姉の覚悟にリナの身が竦む。本当のことを言えば、リナは部屋を飛び出して頭から毛布を被って夜が明けるのを待っていたい。だが、姉が人殺しになるかも知れない恐怖に、リナは止めようとなおも声をかけようとする。

「お、おねえちゃ…」

 言いかけた言葉を呑み込み、リナは全身を硬直させて目を見開いた。
 漠然と、何かが動くのを感じる。空気が渦を巻くような、急激に圧縮されたような感覚。

「これは…この冷気は」

 ちりちりとうなじの毛が逆立ち、身の毛のよだつほどの冷気の渦が感じられる。レイの体が薄ぼんやりと青い光に包まれていた。彼女の全身から立ち上る凄まじい冷気が空間を歪め、名状しがたい何かを別世界から呼び寄せる。レイの周囲が白い煙、つまり霧に包まれていく。周囲の空気が、それに含まれている僅かな水蒸気がその場で凍り付いているからだ。霧の向こう、レイの背後に何か大きな影が見えた。
 同じスノーホワイトであるはずのリナが凍えるほどの寒さが、室内を凍り付かせた。キラキラと光る細かい粒が室内を舞う。ランプのフードが軋んで魔法の物でない光が消え、木製品や磁器の調度に亀裂が走りピキパキと乾いた音が室内に響く。


「フリーズミスト・オブ・バルダック…」


 白く曇る息を吐き出しながら、リナが畏怖を込めてレイの放った魔法の名を呟く。その時僅かに霧が晴れ、レイの背後に立っていた半透明に透き通る巨人の姿がかいま見えた。首が無く、直接頭と胸部が一体化した奇妙な姿の巨人は、鳥のそれに似た嘴の端を笑うように歪めるとかき消すように消えていった。役目を果たし、元いた世界に帰ったのだろう。
 これこそ、一瞬のうちに術者の周囲を白銀の世界にかえる魔技。氷の死神、雪男達の神を呼び出すレイの召還魔法だ。それは魔神バルダックを呼び寄せる。
 たとえ炎であろうとも、幼子を暖かく抱く母親であろうと、鉄剣を掲げる万の軍勢であろうとも、たちまちの内に氷の死神の腕に抱かれるのだ。無論、魔物であってもそれは変わりない。

「ああっ、ジュランさん!?」
「ちょっと凍ってる凍ってるー!?」
 もうすっかり夜になったのでぐーぐー寝ていたジュランの全身を霜が覆い、あっと言う間にその霜はくっつきあって氷となり、物の数秒でジュランは氷の柱の中に閉じこめられた。ユイが何かをする暇もなく、名前を呼ぶだけで精一杯という早技だ。
 厚さ15cmはありそうな綺麗に透き通った氷の中のジュランは、今自分がどういう状況になったか理解しているのだろうか。恐らく、何もわかってはいまい。
 たぶん、次に彼が目を覚ますのはずいぶん先になる。来年の春ぐらいかな。

「ちょっとレイ!? あなたまさかっ!?」

 容赦ない、強烈なまでの八つ当たりを目にし、ユイは自分の予想が甘かったことを悟った。十代半ばの少年少女達の成長の早さを完全に見誤っていた。1年、いや半年見ないだけでもこの年代の変化には目を見張る。いわんやユイは3年もレイと会っていなかった。故に彼女はレイの行動の無茶さと早さ、そしてその実力を完全に読み違えていた。
 しかも今は反抗期!


(凄いわ、この碇ユイの目を持ってしても見抜けないとわ!)

 どこぞの無能軍師そのもののセリフを吐き、ユイは絶句する。
 成長が嬉しい反面、こういう形で娘の成長を見たくはなかった。後始末しんどそうだし。
 後始末しないくせにそんなことを考えるユイ。考えを読んだみたいに、ジト目で自分を見るリナの視線は当然のことだが無視。それどころかリナのコンプレックスを刺激するように、無意味に胸を反ってリナに見せつける。お子さまは黙ってなさいと言わんばかりに。
 チクショウ…。と全身で呻きながらリナは項垂れる。



 それはともかくユイは思う。レイが、彼女がこの世に生を受けるとき、その誕生に関わったいわば母親、あるいは父親同然の自分の説得なら、きっと大人しく聞くと思っていた。だが…。




 聞く気、全くないですね?



 ねえな、そんなものは。


 レイは何も語らなかったが、態度ではっきりとそう言っていた。
 目を合わせないのは、背中を向けたのは、ユイに対する決別の意思表示だろうか。後に起こることがわからないレイではない。ユイを怒らせたらどうなるか…。
 正座させられて延々とお説教されるのは勿論、お尻を叩かれるぐらいは当然行われるだろう。
 お姫様として蝶よ花よと育てられた彼女は、苦痛や苦労と言ったことが嫌いだ。
 それなのにユイにそこまで激しく意思表示をする、それはレイの覚悟の深さを物語る。ある意味嬉しいことに、ある意味とんでもないことに、レイがシンジに向ける想いは桁外れだった。嫉妬に狂った彼女の目には、ユイですらまともに映っていないだろう。なにしろ、ユイの言葉を聞こうともせず、しかも本性をあらわにしそうになっているのだから。
(嬉しいような、寂しいような。それはともかくどうするべきか…)

 屋内だというのに、極北の地のように吹雪く室内でユイは少し考えた。風で乱される頭を押さえ、引き盛れんばかりにバタバタとはためくスカートを押さえる。敢えて実力行使するべきか、それともこの場は退き、ハーリーフォックスに被害が及ぶことを避けるか。ところが、ユイの思惑をまたしてもレイは裏切った。
 レイはくるっと回転すると、窓の向こうの夜空を見上げた。


「行く」

「ど、どこに行く気よ!? 女王は許可なくこの街を離れたらいけないのよ!?」


 どこに行く気? 自分で言った言葉だが、答えはすぐわかった。もちろん、シンジの所だ。しかし、それが何を意味しているのかレイはわかっているのだろうか? 彼女の言葉にユイは絶句した。レイはハーリーフォックスが滅んでも構わないと、言い切ったも同然なのだから。
 そう、彼女がこの街を離れたら、ハーリーフォックスを狙っている邪悪な魔物、混沌から生まれた魔物達はそれを見逃すわけがない。異形の魔物達は鉄と炎を手に大挙して押し寄せ、雪と氷の大地を赤く染める。男達は皆殺し、女子供は犯され殺される。奴らは生き残った者を奴隷にするとか言ったことを考えない。ただ殺し、壊し、犯し、奪い尽くす。抵抗は無駄だ。日々お互いを食い合う弱肉強食の世界に生きる北の魔物達に、太平に生きるハーリーフォックスの住人達が敵うはずがない。リナでは、こう言っては何だが実力に乏しい彼女では、北の魔族を押しとどめることは不可能だ。一言で言うと、リナは落ちこぼれである。その実力はレイの足元にも及ばない。万一、敵を撃退することができても、多大な損害を被ることになるだろう。そして回復力に乏しい雪の魔族の王国にとって、それは滅亡を意味する。
 それはユイの怒りを買う行いと言えた。いくらわがままな娘とは言え、レイには充分に分かっている。

「知らない。みんな死んでしまえばいい」

 だが、レイは一言で切って捨てた。仲の良かった友達も、自分を慕う家臣、国民全てを捨てても構わない。ユイの怒りをかっても構わない。



 碇君が手に入らないなら、みんないらない。
 王国も、暖かい家族も、みんなみんな…。


 ユイお義母様は怖いけど、それでも私の一番は碇君。碇君と一つになって、彼の子供と一緒に親子で仲良く暮らす。
 それがずっと、ずっと昔からの夢。
 碇君。
 8歳の時、爺にお婿さん候補として見せられた写真集。

 霜の巨人の末裔、当方の雪男の王、半神半魚のトリトンの1人、海の悪魔カリュブディスの直系子孫カイテイガガン、大海魔、ヒトデの魔神ペスター、シードラゴン、ヤドカリの魔神ヤドカリン、他諸々…。



 怪獣図鑑かと思ったわ。
 みんな角が生えて、羽があったり爪が長くてヒレがあったり、巨大で尻尾があったりして…。

 でも、そんな中……闇に輝く松明のように燦然と輝く、男の子の写真が私の心を引きつけた。
 私と同じヒューマノイドと言うだけじゃない。
 はにかんで、照れて、まだ母親に甘えているけど、可愛い男の子。笑顔が可愛かった。
 怪獣達に鋏まれていたから、最初は悪魔に巨大化させられた巨大碇君かと思ったけど、すぐに本物の写真だって事がわかった。
 私は彼に全てを奪われたわ。心の全てを。その時、初めて私は異性を、男の人のことを好きと思う気持ちを知った。ユイやリナに向けるものとはまったく違う、せつなくて気持ちの良いもの。氷の女である私が、私の心が温かくなる気持ち。
 あとで、彼こそユイお義母様の息子だと知った。私はそれを天祐だと思った。あのお義母様の息子さん、碇君ならきっと私と一緒に収める王国を創ることができる。本当に笑いの絶えない、ミレニアムを創ることができる。

 そう信じていたのに。

 ユイお義母様も、応援してくれていると思ったのに。

 それなのに、裏切ったのね。
 碇君もお義母様も。
 嫌い、みんな大嫌い。



 いえ、ユイお義母様はずっと私に親身になって接してくれた。早くお嫁に来てねって、いつも言っていた。それに碇君は私の存在を知らない。お互い成人したとき、初めて顔を合わせることになっていたから…。だから碇君が私を裏切るはずがない。

 じゃあ、誰が悪いの?










 レイの心に眼鏡をかけた黒髪の女性の顔が浮かぶ。
 言うまでもなく、マユミの顔だ。




 そう、全てをややこしくしたのはこの女。

 脳裏に浮かぶマユミの似姿を忌々しく思う。こんな女の事を記憶に留めなければいけないなんて。全て消え去って欲しい。

 腹立たしい。
 碇君と同じ黒い髪…むか。
 碇君と同じ黒い目…生意気。
 眼鏡なんかかけて、インテリのつもり?

 特にこの胸とかお尻とかは反則。Dより大きい。ということはE? …まさかF?
 うらやま……へーちょ。

 なんか違う意味でもムカムカするレイ。ちなみにレイはトップ80のB。リナは…すみません、命惜しいです。


 気にくわない。碇君とそっくりな雰囲気も気にいらない。ムカムカ
 たかが人間のくせに、ユイお義母様とあの人との間に生まれた碇君と結魂するなんて。
 毎日、エロエロ!?
 それは私がするはずだったのに!!
 絶対に不許可。私は彼と私が成人するのを一日千秋の思いでずっと待ってるのに!!

 許せない。

 認めない。

 敵だわ。













「殺す」




 レイは自分の覚悟を言ってのけた。
 いささかど真ん中ストレートで。

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん?殺すって…誰を?」
「決まってる。あの女」

 はっきり殺意を認められて、リナは絶句する。
 その隣で、ユイはレイの一途な言葉を嬉しく思う反面、教育を間違えたことを激しく自覚していた。って、あなた教育なんかしてました?

(あー、やっぱりたまに顔見せて遊んだり、お話しするくらいじゃダメだったのね。それとも、シンジがダメだった場合のお婿さん第2候補がイヤなのかしら?)

 もちろんそれもあるでしょうけど、一番の問題は話の切り出し方じゃないかと思う。


 天の声を無視したユイの脳裏にぽわぽわと浮かぶ、レイのお婿さん第2候補の顔。
 一言で言うなら、ヒューマノイドであるレイとあまりにもかけ離れている魔獣の顔が浮かんだ。鼻先からドリル状の角が伸びた、蜂みたいな模様のやたら目つきが悪い鯨だ。

 ユイの顔に無数の縦線が浮かぶ。


(やっぱ海獣タイプはイヤよねぇ。人間の姿(北欧系マッチョ)に変化していてもイヤそうな顔してたし)

 いや、マッチョって所で既にかなり嫌だと思う。
 遠く、ニューワールドの北の海に住む鯨神のグビラ。その次男坊だが、レイは一目見るなりぷいっとそっぽを向くほど嫌っている。



『肉、嫌いだもの』



 食べちゃダメです。




 …まあ、人間を取って喰らう魔物が相手では、見た目が人間と同じレイには冗談ごとじゃないだろう。つーかいつ死なない程度に食われるか分からないし。食べることが愛情表現とか、さらっと言い放つ奴らだ。その可能性は十分あった。それに、仮にそうならなくても当然のようにハーレムを作るような奴らだ。元が鯨に似ている彼らは、当然のように一夫多妻制。する事をしたら、レイを省みることは決してないだろう。
 ここら辺、同じ節操無しのように思えてもシンジとは根本的に違っていた。

(たとえ相手が誰であっても…愛のない生活は絶対に嫌)

 冷えた玉座を1人で守る生活をなんて、絶対に死んでもイヤだ。
 とどのつまり嫌いな相手と結婚しろと言っても、それは無理な相談だと言うこと。



(でも、そんなの相手でも旦那さんにしないといけないのよね)



 ユイはレイ達を、その悲しい定めを哀れに思う。
 だが、それでなくともレイ達は、冬の女王あるいはスノーホワイトと呼ばれる魔族は繁殖力が弱い。きちんと婿を決め、子を孕んで生むことは義務であり、生きていくために絶対必要な事柄だ。嫌いだからイヤ、ではすまされない。

 彼女達は決して滅びてはいけないのだ。たとえ土をはみ、血の涙を流す運命になろうとも。
 ただ居るだけで周囲を冷気で包み込む冬の愛娘、スノーホワイト。
 彼女達が居るからこそ、世界には四季があると言われている。


 普通、彼女達は生涯にただ一度、氷と雪をかき集めてそれに魔力をそそぎ込み、自分の分身とも言える女の子を産み落とす。これは最強の者も、最下級の者も概ね同じだ。ただし、そうやって産まれた子は生命力に乏しく、代を重ねるごとにまっとうに生まれてくる者は少なくなる。実際、ほとんど人間と変わらない下級のスノーホワイトは、氷から子供を作ることはほとんどない。まともに生きることはまず無いし、人の形をしてないことも間々あるからだ。

 レイ達の母親、ユイの旧友であるスノーホワイトは、レイ達を人の姿で生むことが出来ないくらいに弱々しかった。本当なら夫を迎え、生命力に溢れる子をなすはずだった。だが彼女は婿候補の霜の巨人を激しく拒絶し、氷に命を吹き込むことを選んだ。代を重ねすぎ、能力はともかく生命力に乏しかった彼女にそれは自殺行為だった。彼女は出産直後亡くなっている。
 レイ達が生きて生まれることが出来たのは、ユイが出産に立ち会い、魔力を大量に与えた為である。レイ達がユイに瓜二つなのはそれが原因だ。そしてだからこそ、レイ達はユイのことを実の親のように慕い、お義母さんと呼んでいるのだ。


 そして。
 先も述べたが、もう一つ、スノーホワイトが子供を宿す方法がある。
 それはまあ、だいたい予想はついていると思うが通常の生殖行為だ。

 彼女達は生涯たった一度だけ、他種族の男と契ることで子供をなす。この方法で身籠もった子供は全て男児となり、この男児から産まれる子供は、全て強い生命力を持ったスノーホワイトとして生まれてくる。血の濁りを払拭するため、そして弱まった種族に新たな生命力を吹き込むため、この方法、つまりは多種族からの婿養子は定期的に行われる。

 ただ一つ、問題があるのは産まれてくる子供は父親の能力しか遺伝されないことだ。
 能力が低い雪女の子供である場合、相手が普通の人間の男性であっても子供は無事産まれてくる。だが、レイ達ほど高い能力を持った存在の場合、その体内もまた極寒の世界となっている。この様な環境にさらされて無事に子供が産まれるためには、その子供はそれに耐えられるだけの高い生命力か、冷気に対する抵抗力を持っていることが望ましい。
 故にこそ、スノーホワイトの王族の結婚相手は高い能力を持った相手か、もしくは冷気に抵抗を持った種族の男がなる。魔王を倒すとかいった英雄と呼ばれる人間の突然変異体、もしくは冷気に抵抗力を持つ霜の巨人、水属性を持った海魔の男が大抵婿になっていた。できれば見た目にも趣味的にも英雄クラスの人間が婚姻相手としてはベストだが、そんなの100年に一人でもいればいい方だ。






 もちろんレイも例外ではない。彼女も最初のうちこそ涙を飲んで諦めていた。しかしながら、彼女にとって幸運なことに婿候補としてシンジがいた。その時のレイの心の高揚はいかばかりか想像に難くない。それだのに今になってシンジはダメだと言われる。正しくは、ダメと言われたわけではないのだが、頭に血の上ったレイはその事に気がつかなかった。

(酷いの。ユイお義母様本当は私のことが嫌いなの)

 最初持ち上げて叩き落とされた。悪魔が人を絶望させるため、まず幸せにするのと同じ事をされた。
 冗談ごとじゃない結婚相手候補の中、文字通り最後の希望、シンジが横からパッと出てきた女にかっさらわれる。レイじゃなくても冗談じゃないと思うだろう。しかも相手がケンカ友達のあの少女ならともかく。……やっぱりそれでも充分すぎるほどイヤ。

(普通なら泣いて諦めるのかも知れないけど。でも私は戦う女だもの)

「レイ、落ち着きなさい!」
「そうだよ、お姉ちゃん! 気持ち分かるけど、お姉ちゃんがここ離れたら北極の魔族達が攻めてくるわ!」

 レイの覚悟のほどを感じ取り、ユイが厳しい目でレイを見る。
 彼女のことはもちろん大事だ。その気持ちは尊重したい。だがマユミも同じく大事な娘である。確かにまだつき合いは浅いが、だからこそ自分やシンジに嫌われないように一生懸命な彼女のことを、ユイはとても好ましく思っている。レイが、マユミがと比べられることではない。
 ケンカさせるわけには、それも命がけのケンカをさせるわけにはいかない。なんとか落ち着かせようとユイは必死になってレイの瞳を見つめた。
 リナも必死だ。
 レイが居なくなったら、建前であれ自分がハーリーフォックスの最高責任者だ。
 そして自分では生涯を戦いに捧げた北の魔族に対抗しきれない。軍隊の動かし方も知らず、強大な魔法を操ることもできない彼女には絶対に無理だ。近所に住むエルダードラゴンのアイスと仲が良いから、いざとなったら助けてもらえるかも知れない。だが、相手は気まぐれなドラゴンだ。確実とは言えない。平気で自分達が滅ぼされ、蹂躙される様を見物することだってあり得る。まあ、アレがそんなことをするわきゃないけど。
 そもそも助けてもらうわけにはいかないのだ。他人に頼っては王とは言えない。



(ユイお義母様、リナ…)

 怒りと嫉妬で猛り狂いながらも、レイは二人の思いが痛いほどわかった。
 どっちも正論を言っている。約束を反故にしたユイは言い負かせられなくもないが、リナは無理だ。

 でも、引くわけにはいかない。
 たとえ二度とこの国に帰ることが出来なくなったとしても。彼女達と二度と会えなくなろうとも。
 綾波レイ14歳。今日、これより国を捨て、恋に生きることを決意した瞬間だった。

(私は行く。行くべき所へ)



「リナ」
「え?」
「女王は辞める。今からあなたが新しい女王。戴冠式とか、そう言った手順を省いてしまうけど」

 姉の言葉にいやいやするようにリナは頭を振った。
 そんな大役、自分につとまるはず無い。姉と離ればなれになるのは耐えられない。それよりなにより、勝手に結婚相手を決められる女王になんか成りたくない。半分泣きながらすがるようにユイを見るが、ユイは意外なほど落ち着いた顔をしていた。諦めたのか奇妙にさばさばした顔をしていた。

「そこまで覚悟してるの?」
「…はい」
「そう。でもね、私はあなたの味方は出来ないわよ。あなたもそうだけど、マユミちゃんも大事な人の一人だから」
「ユイお義母さん! 何言ってるのよ!?お姉ちゃん、行かないで!」

 ユイお母さんの裏切りもの!
 そんなのイヤだ、絶対認めるもんか!ずっと一緒だったのに。


 リナは泣きながらレイに抱きつく。痛いほどに縋り付き、胸に顔を埋めて泣きじゃくる。

 はなすもんか。

 寂しそうに、辛そうにレイは微笑んだ。
 自分はこんなに自分のことを必要としている、思ってくれている人を捨て去ろうとしている。今ならまだ間に合う。だが、レイはこのリナの行動によって完全に心を決めてしまった。
 妹を国を捨てることに関して後悔がないと言うつもりはない。でも自分がいる限り、この自分の半身である妹は、いつまでたっても完全な存在になることができないだろう。レイの出来損ないのコピーのような、1人で何もできない、決めることもできない半端な存在でいるだろう。

「ごめんなさい。こんな時、私は泣くことも笑うこともできないから。
 リナ…強く生きて」
「やだよ!」

 なでなでと頭を撫でられるのも最後だ。
 頭にレイの手の平を感じ、レイの言葉を遮るようにリナは強く姉の体を抱きしめるが、唐突にその体が消えた。

「きゃあっ!?」

 リナの視界が真っ白に染まり、彼女は思わず悲鳴をあげる。物質的な質量を伴った魔力に弾かれ、リナは床に倒れ込むように転がった。慌てて身を起こす彼女が見守る中、チリーンチリーンと風鈴のような澄んだ音が室内に響き、刹那レイの体が粉々に砕け散った。破片もまた細かく砕けていき、彼女の体の破片は一つ一つが微細な雪の結晶となって室内で轟々と渦を巻く。やがて南側についていた窓が雨戸ごと内側から開き、雪は魔法の風に乗って外に飛び出していった。


「さようなら」


 呆然としながら腕の中からすり抜けていく、姉の体だった粉雪を見つめる。
 最後の雪の一欠片がそっと彼女の頬を撫で、そして消えた。

「行っちゃった…」
「そうね」
「行っちゃったよぉ。ふえーん」

 リナはぺたんと座り込み、子供みたいに泣きじゃくった。大粒の涙をぽろぽろとこぼし、わんわんと大声で。さすがにそんなリナを慰める術をユイは知らない。今は下手なことを言わないが方が良いだろう。落ち着いてから、ゆっくりと腹を割って話すべきだ。泣きたいだけ泣かせて、彼女が悲しみを涙に変えてある程度流してから話をしよう。そう彼女は判断した。

(姉妹揃って…本当に)

 やれやれとため息をつきつつ、ユイはレイが消え去った南の空をじっと見上げた。彼女は雪となって飛び去った。シンジ達の目の前に降るのは、あと何日くらい後だろう。それ以前に、あのおポンチ娘は無事に第三新東京市に行けるのだろうか? 初めてのお使いもまだだというのに。

「はあ。マユミちゃんとシンジが上手く対処することを祈るしかないか。
 仕方ないわ、後処理をしてからキョウコの所に行くことにしましょ」

 ひょいっと身を屈めて、癇癪を起こしたリナが投げつけた花瓶をかわしつつ、ユイはそう宣った。当然、その他人事みたいな言葉に、リナは真っ赤になった目をひんむいてユイを睨み付ける。

「うっくえっく、どうしてユイお母さんそんなに落ち着いてるのよぉっ!
 お姉ちゃんが、お姉ちゃんがたった一人で、砂漠の街に行くなんて!
 溶けちゃったら、それより人を殺しちゃったら!」
「そうね、今まで一人で買い物もしたことのないレイがあんな大きな街に行くだなんて、とっても心配だわ。そもそも場所知ってるのかしら」

 知らないだろうなぁ。

「それにマユミって人だって、どうなるかわからないのに!」
「あ、そっちはたぶん大丈夫」
「え?」

 夕飯の献立を考えてるような落ち着いたユイの言葉に、リナはきょとんとした顔をする。
 大丈夫とは一体どういうことだろう? あの歴代最強の冬の女王と言われたレイを相手に大丈夫とは。彼女の疑問に気が付いたのか、ユイは目尻を少し下げながら言う。

「あなた達マユミちゃんのことを普通の人間と思ってるでしょ?」
「違うの?」
「あの子、見た目は普通の人間だけど正体は無機王よ。どっちが勝つかまでは分からないけど、たぶんどっちも死んだりすることはないわ」


「え゛」


 なんか聞き捨てならない言葉に間抜けな返事をしてしまう。

 無機王って…ノーライフキング、女性だからクィーンですか。私達に匹敵するほどの大妖魔ですけど?
 半人前の私ぢゃ、髪の毛一つ揺らがせる自信もありませんが。
 そんなのがお嫁さん?
 ……お姉といい、あの悪魔娘といい、そのマユミちゃんといい、もしかしたらシンちゃんて魔物に好かれやすいのかも。

 訳も分からずそんなことを考え、思わず目が点になった間抜け顔のリナに向かって、ユイはウインクする。こうしてみると20代後半にしか見えず、とても一児のママとは思えない。

「レイが人を殺すかもって、それが心配だったんでしょ?
 大丈夫、レイも、マユミちゃんも私の眼鏡にかなった子なんだから。もちろん、あなたもね」
「それはもちろん心配だったけど、その2人が戦ったりしたら第三新東京市はどうなるの…?」

 オゥ、シット。

 ユイは口を動かさなかったが、そんな声が聞こえたような気がした。

「………そこまで考えてなかったわね」


 おい。


 第三新東京市の住民がいたら、間違いなく突っ込みを入れるようなことをユイはさらっと言う。
 第三新東京市の未来は暗い。



「それより」

 それよりですます気?

 リナはそう言いたかったが、言っても無駄なことは痛いほど分かっていた。人の話を聞かないことと都合良く話を曲解させることに関しては、ユイはあの悪魔娘の母親以上なのだから。
 てーかユイと言い、悪魔娘の母親といい、この年代の人達はどーいう頭の構造をしているんだか。知らなくても良いことに、ふと思いを馳せてしまうリナだった。

「それよりこっちの後始末の方が大変ね。ちゃっちゃとすませちゃいましょ♪」
「う、うん…」
「わかってるってば。あなた好きな人がいるから女王になるのを渋っていたんでしょ♪
 大丈夫、大丈夫。なんとかしてみせるから」
「本当?」

 まさかばれているとは…。
 姉にすら秘密にしていたことを知っているユイの情報網に舌を巻きつつ、期待を込めた目でリナはユイを見る。そんなビクビクおどおどしたリナに向かって、ユイはとびっきりの笑顔を向ける。

「私があなたに嘘ついたことあった?」

 力一杯頷くリナ。
 それはもう腐るほど。
 直後、彼女の脳天にげんこつが飛来し、マンガみたいな涙をリナは流した。こう言うところは嫌い。

「もうリナったらお茶目なんだから。
 それはそうと、あなたが好きな人って誰?」
「え、あの、その。アイスさんの所に遊び行ってた時、そこに訪ねてきたドラゴンマスターを目指してる…」




















「ぐおおおおおっ、おのれぇっ!!!」

 全身を痺れさせた魔法の罠、雷の網を喰らいながらも、加持はしっかりと自分の両足で立ち上がった。膝を両手で引きむしるように掴み、奥歯を噛み締めながら全身の筋肉を奮い立たせる。

「ぐ、ぐぐぐっ…。なんとか…動けるか」

 思った以上のダメージであったが、少し痺れてる程度で、動くことに支障はなさそうだ。動けないと言うことはない。
 もっとも上級アンデッド『デュラハン』である加持は頭部にとどめを刺されない限り、どんな重傷であっても動き続けることができるのだが。
 デュラハン…。首無し騎士。
 自らの首を右腕に持ち、同じく首のない馬に跨って1年後の死を人に告げる死神の化身。その剣技は神業と言って良い冴えを持ち、首以外に加えられた攻撃に対して完全な耐性を備えている。

 だが不死身に近いと言っても、痛いものは痛い。涙だって出る。それに激しくプライドも傷ついた。暗黒騎士とも呼ばれることもあるデュラハンは総じてプライドが高い。当然、加持も油断しすぎた自分にまず腹を立て、そしてこんなふざけた罠を仕掛けた相手に腹を立てた。ほとんどつっかい棒しただけの籠の罠にかかったスズメの気分だ。
 穏便に済ませるつもりだったが、それではこの怒りは収まらない。
 残忍な考えで加持は顔を歪ませた。

 男だったらボコってやる。
 女だったらぐっへっへっへ。
 ちっちゃい子だったら……………どうしよ?

 知るかんなこと。



 まあ、ちっちゃい子ってことはないだろう。
 呪文の威力とレベルからそう判断すると、瘴気が漂うような凶悪な視線を加持は目前の屋敷に向けた。彼の殺気に周囲の草が萎れていく。

(来る)

 パタパタいう足音が聞こえる…。
 間違いなく、この家の中からだ。つまり、アダムがあるかも知れない家の住人だ。
 今の彼にとっては、それだけのことが処刑確定の事柄となる。
 でもそれは裏を返すと『碇』さんの身内であると言うことだが、都合良く彼はその事を忘れていた。もし本当に彼の知っている碇さんだったら、洒落にならないと言うのに。

(何者であったとしても、タダではすまさん!)

 できれば可愛い美少女か、ドキドキするような妙齢の美女がいいなー。
 正直者の彼がそう夢想したとき、玄関から小柄な影が陽光の下に姿をあらわした。



 艶やかな腰まである長い黒髪。
 毎日毎日、栄養補給が行き届いてるため張りのある健康的な白い肌。
 心の強さと性根の優しさを映し出す黒い瞳と、知的さをよりアピールするフレームのない眼鏡。
 清純な顔立ちと、アンバランスな色っぽさを出す口元のほくろ。
 小柄な体にそれは凶悪です…と一瞬言葉に詰まるダイナマイトボディ。わかりやすくたとえるなら、ドン!キュッ!ドンッ!
 まさに彼女の体はダイナマイトだ。
 その美味しそうな体を黒くて丈の長いブラウスに、その上からフリル付きのエプロンで包んだ箒を持った女の子!
 もちろん、頭には例のアレ(フリルカチューシャ)が付いてるぞ!










「メイド!?」

 加持が間の抜けた声を上げた。
 なぜに!?

 相手が男、おばはんとかだったら容赦なく死なない程度の魔法攻撃を喰らわしたところなのだが…。さすがに16歳前後の女の子、それも美が頭に付く少女ではそう言うわけにもいかない。しかもメイド姿でつぼ直撃。じつは趣味オールラウンドの彼には、相手が見目麗しい女性と言うだけで大抵守備範囲だ。

 これはプランBか?
 第一美少女を攻撃するなんて色々と後味も悪いし、ポリシーに反する。
 プランBか? プランBなのか?

 困ってしまう加持だった。
 一方、困ってしまった加持に向かって、彼女はビシッと箒の穂先で指さし、厳しい誰何の声を発した。

「この魔力…人間に見えるけど、あなた魔物ね!
 何の用です!?」

 あっちの世界に行きかけていた加持も、その殺気を感じさせる強い言葉と魔力に、ほうと感心する。この全身の細胞が奮い立つような感覚…。冗談でいたら、塵にされるかも知れない。

(ふにゃけたギャグのままだと一方的にやられる。見かけで判断すると痛い目を見るな)

 相手の余計な警戒を呼ばないように、ゆっくりゆっくり肩をすくめると大仰に加持はため息を吐いた。

「ふぅ。
 …俺は加持リョウジ。お察しの通り魔物さ。あまりそう言う呼ばれ方は好きじゃないがね。
 さて、俺は名乗ったんだから、君にも名乗って欲しいな」

 あくまで相手の自由意志で名前を聞き出してしまう、彼なりのテクニック。
 ニヤリと口元を歪める、生まれついてのプレイボーイ加持。相手が見目麗しい女性ならば、意識せず脳の最も奥深くの反射で行動する。


「山…碇マユミです」

 マユミはちょっとテレながら、新しい名前を口にした。頬を赤らめて、目を伏せているところが初々しい。実は他人に言いたくて言いたくて仕方がなかったのだ。そして、シンジのお嫁さんと驚かれたり、うらやましがられたりしたかった。
 可愛いかも。尤も、結魂はしても結婚してはいないから名字が変わってるわけではないのだけれど。

(マユミ…ね。偶然の一致だろうが…それにしてもよりによって)

 加持はマユミの言葉にちょっと戸惑い、プランBに移行する気が薄れてしまった。彼女の名前が…と同じだったからだ。さすがに…と同じ年頃、同じ名前の女性を下に組み敷いてあふんあふん言わせるのは、なんか色々と彼のポリシーに反するらしい。あと、今は違うが元人として。

 マユミ。
 昔、彼がまだ人間だった頃、彼にとって最も大事な存在だった女性の名前だ。

(戦いにくい…。くっ、おまけに注意深く見れば見るほど、あいつにそっくりじゃないか)

 そしてマユミもまた、加持と同じく戸惑っていた。

(リョウジ。懐かしい名前。でも、まさかそんなことあるわけないし…。
 それにしてもまさか本当にユイさんが言ったとおり、魔物が攻めてくるなんて。まさか、ユイさんこの事を予想してたんじゃ)

 ユイの伝言を思い返しつつ、マユミは油断することなく加持を睨み付けていた。
 なんともやりきれない。加持という名字に聞き覚えがありような無いようなという程度だが、リョウジと言う名前は聞き覚えがあった。忘れることが出来ない名前だ。シンジと知り合う遙か以前、彼女が人間だった頃、その時彼女にとって最も近しい存在の名前…。

 お互い考え込んでしまい、次の行動に移る切欠がつかめない。
 ただにらみ合う2人。

 マユミの額に汗が滲み、加持は落ち着くように深々と何度も呼吸を繰り返す。




(この魔力、間違いなく相手は私と同じアンデッド。それもかなり高位の! 油断できないわ!)

(こいつ…洒落にならない魔力だ。なるほど、見かけ通りの存在ではないと思っていたが、それんしても。
 この闇の波動…俺と同じアンデッドだな。ただし、俺と違って魔法使いタイプか。それにしても人間に混じって生活するなんて、何を考えているのやら)


((でもこの感じ、どこかで会ったことがあるような気がする…))





 じりじりと時間だけが過ぎていく。
 太陽はゆっくりと動き、彼らの向こうではゴーレムが雄叫びを上げながら暴れ狂っている。それだけでなく、爆音や悲鳴が聞こえてくるが、恐らくミサト達もまたどこかで戦っているのだろう。

(俺の方が不利だな)

 心の中で苦笑いしながら、加持はそう判断した。
 自分達には制限時間がある。今頃になって思い出したが、彼らは暴れすぎて街を壊してはいけないのだ。なんでも、伝説の大妖魔だかなんだかが目覚めるとかなんとかいう話だった。そもそも、目的はアダムがこの街にあるかどうかの確認と、出来売ればその奪取。そして使徒またユイが居るかどうかの確認だ。
 明らかに使徒またとは別人であるマユミと争っても何の益もない。怪我する可能性があるだけで、害になるとしか言えない。

(この特異点反応はアダムではなく、この子みたいだからな)

 実際その通り。となると、加持が取るべき手段はたった一つしかない。
 直ちにマユミを撒いて、この場を離脱する。そしてリツコかミサトのどちらかと合流すること。だが、鷹のように鋭い眼光で、自分の一挙手一足答を見守るマユミが相手ではそれも難しい。このまま精神力の押し合いである視殺戦を続ければ、勝つのは自分だろうが時間がかかりすぎる。いや、自分は元々戦士系だ、先に精神力を使い果たすのは自分の方かも知れない。

(となればポリシーに反するが、少し痛い目を見てもらわんとな)

 加持の目が赤く光った。










「てぇい!」

 決断した加持の行動は素早かった。鋭い声を発してマユミを射すくめる。先を取ると同時に、右手をマユミに突きつけた。手の平に甲虫の輪郭を具象したような、赤い文様が浮かび上がり、膨大な魔力が集中し激しく渦を巻く。イニシアチブを取られたマユミは攻撃呪文を唱える暇もない。

「くっ!」

 舌打ちしながら、マユミは大きく後方にジャンプした。運動神経が良いとは言えないが、少しでも距離を空け、相手の呪文に対抗する時間を稼がなければならない。加持は意図的にパワーセーブしているようだが、それでも攻撃魔法が当たれば痛いことにかわりはない。
 帰ってきたシンジがそれを見ようものなら、エネルギー補給とか言って凄いことになる。『ああ…』と心の中でため息をつき、そのシンジがする凄いことを想像して、ちょっとどころじゃなく頬が赤くなる。
 あのーもしもし?


「昇華弾!」


 一瞬遅れて加持の掌から、不気味な色をした炎の塊が噴き出した。まるで沼の底に溜まったヘドロから噴き出すメタンガスが燃えるような、死体から抜けたリンが燃えるような薄気味悪い色の火球が。
 おそらく彼なりにアレンジをくわえたファイアーボールだろう。あるいは魔法ではなく技なのかも知れない。いずれにしろ、火球は庭の芝生を焼き、敷石を融かし、地面をえぐり取りながらマユミに迫る。
 レベルの高さ故にそこそこ体力の多いマユミだが、これを喰らって立っていられるかどうかは怪しいと言わざるを得ない。ならかわせばいいのだが、あいにく彼女はこの攻撃をかわすにかわせなかった。ちらりと肩越しに振り返ったそこには、言うまでもなく家がある。シンジと彼女が住む愛の巣、なによりユイにしっかり守ってねと頼まれた家が。
 加持は、マユミを挟んで一直線上になる一点から火球を放ったのだ。マユミがかわせば、火球は家をうち砕くだろう。にやけて減らず口をたたいている間に、そこまで考えて位置取りをしていた加持の戦闘センスは素晴らしい。この点、まだまだマユミは経験不足だ。
 しかし。


「なかなかやりますね。
 ならば……邪封腕!」

 素早くマユミは印を結び、そして魔力を解放した。基本的に守りの性格が強いマユミは、最初から相手の攻撃呪文に対する防御を考えていた。勿論、加持がそうと悟られないように位置を変えていたことも先刻承知だ。
 かわせないのなら受け止めればいい。
 本来なら長々と呪文を唱えなければいけないのだが、マユミはこの魔法を永久化している。彼女が呪文の名前を唱え終わった瞬間、火球の進行方向の前面に、爬虫類のように鱗に覆われた巨大な腕が現れた。マユミが天に向かって右腕を掲げると、その腕もまったく同じ動きで天に向かって指を広げる。

 マユミはポーズを決めると目を輝かせた。
 背筋を伸ばして心持ち足を開き、首を斜め30度に傾げ、胸の前で腕をこうさせて片目を閉じつつ。

「シンジさんと一緒に愛を語らうこの良き日に、いきなりファイアーボールを使うなんて!」

 轟音と共に火球は碇邸に、その間に現れた腕に迫る。マユミは歯を食いしばると、ぐっと掌を真っ直ぐ前にさしのべた。轟腕もそれに習う。

「愛の使徒、山岸マユミは…」

 腕はグワッと鈎爪がはえた指を広げると、ピッチャーの球を受けるキャッチャーのように、真っ向から迫り来る火球を掴んだ。

「とってもご機嫌…」

 ぎゅりぎゅりぎゅりと火球が掌を削る音が不気味に響き、マユミは苦痛に顔を歪ませる。爆発しないのが不思議だが、やはり火球のエネルギーは強烈すぎるのか、轟腕からのフィードバックがきつそうに全身の筋を突っ張らせ、それでも火球を押さえ込もうと、歯を食いしばって腕に力を込める。


「ななめだわ!」


 マユミが力強くそう叫び、右手を地面に叩きつけた瞬間、負けそうだった轟腕は怒濤の勢いで体勢を立て直すと、そのまま火球を押さえ込みながら閃光を発した。そして火球共々何処かの空間へと消え去ってしまった。





「な、なんだと!? この技は親父のオリジナルのはず!?」

 加持は信じがたい事実に我を忘れて叫んだ。防御することも何もかも忘れて無防備に。
 確かに、絶対の自信を持って放った技をうち消されたこともショックだった。自分の予想以上に強いマユミに驚いたことも間違いない。自分は思っているよりも弱いのかも知れない…。それよりも、彼の知る限りたった一人の人間しか使うことの出来なかった呪文を、目の前の少女が使ったことがもっとショックだった。
 そしてついマユミがうっかり言った名前は何にも増してショックだった。

(や、山岸!? まさか、まさか!?)


 すっと今のマユミの顔にかつて加持が見知っていた顔が重なった。
 最後に見たときの…は、髪も今ほど長くなかったし眼鏡もかけてなかった。
 半分寝てるみたいな目、口元の黒子、癖のない黒髪、見覚えのある顔形…。
 間違いない!

「お、おまえまさかマユミか!?」
「あなたみたいな無精髭はやしただらしない人に、名前を呼び捨てされる覚えはありません!」
「い、いやそうじゃなくて! 俺だ!リョウジだ!
 おまえが6歳の時家を飛び出した…お前の兄貴の山岸リョウジだ!」
「滅殺、超烈火球!!! って……リョウジお兄ちゃん!?」

 そしてマユミの掌から放たれたひときわ巨大で明るい火球は、自分の顔を指さして名前を連呼する加持に向かって突き進んでいく。

「ああああ───今の無し! 今の無しです───!」

 キャンセル不可。







チュドドドド─────ン!!!


 激しい爆風、激しい熱。
 余波で芝生を枯死させ、鉄の門を完全に融かし、蒸発させるほどの凄まじい熱の嵐がマユミの眼前で荒れ狂った。
 真っ赤に染まる目前の地獄のような光景を、呆然とマユミは見つめる。
 そらまあ、死に別れていたとばかり思っていた兄といきなりこんな所で再会すれば、それもその兄に向かって破壊呪文を使えば大概そうだろうなぁ。
 へなへなと音が聞こえそうな感じでその場にへたり込み、手で口元を覆ってどうしようどうしようと、親とはぐれた子供みたいに体を震わせる。

「あああああ、どうしよう。どうしたらいいの?
 まさか、そんな3000と10年前生き別れたお兄ちゃんと、こんな所で再会するだなんて…。
 ってそれより烈火球を撃ち込んじゃうなんて」


 その時、おろおろするマユミの視界の外に一つの影が着地する。
 驚き、身構えながらマユミが影に目を向け、ほっと溜息をついた。

「え…お兄ちゃん!? 無事だったの!?」

 無事ですまない魔法をぶちかましたらしい。
 それはともかく、全身の至る所をくすぶらせているが、着地した影は間違いなく加持だ。どうやったか分からないが、あのインフェルノをくぐり抜けることが出来たらしい。

「ぐぐっ」

 無傷とはいかなかったようだが。

「お兄…ちゃ…」
「来るな」

 駆け寄ろうとしたマユミを眼と言葉で制し、加持は自嘲するような笑いを浮かべて絞り出すように淡々と呟いた。

「ま、まさかこんな所で殺されたと思っていた妹と再会するとは…。
 ふっ、とすると俺の復讐は無駄だったと言うことか?」
「お、お兄ちゃん…生きてたの?」

 マユミが心配そうに声をかける。色々な感情が彼の心で渦巻き、今すぐに兄妹の再開を喜び、兄として彼女を抱きしめたくなったが、必死になってそれを堪える。殺されかけてむかついたって事も理由の一つだが、それよりなにより彼女は自分にとって敵らしい。
 戦う直前彼女が漏らした言葉、『山…碇マユミです』
 いくら鈍い人間でも、これが意味することは容易に分かる。

 ほとんど炭化した左腕の傷を押さえながら、加持はマユミの顔を見て、そして寂しそうに笑った。
 子供だ子供だと思っていたが、強くなったな…。その事に関して素直に喜ぼう。
 だがっ!!


「マユミ…。勝手にお嫁に行くなんてお兄ちゃんは認めんぞ〜〜〜!!
 アイシャルリターン!」

 そう叫んだ瞬間、加持の全身が発光した。眩しさに思わず目を伏せたマユミが、恐る恐る顔を上げたときには…既に加持は姿を消していた。
 マユミになんてこと言うのよ、恥ずかしいと赤面させる言葉を残して…。





続く






初出2002/04/07 更新2004/09/12

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